<   2006年 12月 ( 4 )   > この月の画像一覧

No.260 クリスマスを感謝し、新年を祝福します 2006.12.24

クリスマスを感謝し、新年を祝福します

 今年は西暦2006年でした。この教会の週報では聖暦2006年と記してあります。今年が2006年というのはイエス・キリスト様が、この地上にお生まれになって2006年ということですから、イエス様を「主」と信じる私たちにとって、これは聖なる暦年であります。故に聖暦と称するのです。
 イエス様の誕生によって、人類の歴史は脱皮し、未来が始まったのです。イエス様によって、地上に神の国の福音がもたらされました。神の国とは未来志向の国です。なぜなら、
 もともと、時間は神のみ許からやって来るものだからです。使徒行伝第3章20節に「主のみ前から元気回復の時が来て……」(私訳)とあります。時間は神の臨在の中から来るのだと言えます。時間は過去から引きずってくるものではなく、未来から新鮮なリフレッシュなエネルギーを持って来るのです。
           *
 だから信仰のない人だって、未来に希望の目を注ぐ人は成功的人生を送ります。クリスチャンと言えども過去ばかりに気をとられ、後悔や、過去を懐かしがって生きる人は消極的人生になります。
 旧約聖書の時代は、とかく過去の罪を責めて、未来を封じ込む預言が多いようです。しかし、イザヤ書は違います。たとえば、こうです。
 「主はこう言われる。
 あなたがたは、先のことを思い出してはならない。
 また、いにしえのことを考えてはならない。
 見よ、わたしは新しい事をなす。
 やがてそれは起こる」(イザヤ43:17~19)。
 「イエス様はイザヤ書を愛誦された」と若い時にどなたかの本で読んだ覚えがあります。
 イエス様はエルサレムにおける十字架と、その死を当初から覚悟しておられました。しかも、エルサレムにみ顔を向けて、先頭に立って行かれた。その故に弟子たちは驚き怪しみ、かつ恐れたとあります。
 イエス様は十字架の死をなぜ恐れられなかったのでしょうか。イエス様は十字架の後にやってこられる3日目の復活と、昇天について確信を持っておられたからです。《く》


信仰の三つの角度

 東京都あきる野市の秋川集会のクリスマス礼拝を司式して帰途、中野駅に降りてリバイバル新聞社に寄らせて貰った。谷口社長に会いたかったのであるが、そこで図らずも久保田編集長に会った。私は初対面である。私はこの人に非常に良い印象を持った。
 何よりも嬉しいことに、私の「日岡だより」などの文章をよく読んでくれている。そのレスポンスの良さに驚いたのである。
 ところで、このリバイバル新聞社で、広島キリスト教会の植竹利侑先生の手書きらしい短文の紙片を見せて貰った。さっそく、私はそれをポケットに入れて、羽田空港に向かった。そそくさと急いだ。落ち着かない気分であった。
 私はモノレールで、その紙片を読んだ。読みたかったのだ。空港に着いて、機中にはいって席に着くや否や、再び私は植竹先生の手書きのこの紙片を読んだ。短い文章であるから、何度も読める。この紙片の文章が、私に大きな転機を与えた。
 これは全文を転記したいほどであるが、その概要を紹介し、特に、重要部分は抜粋して以下に載せたいと思う。
               *
 先生は東京に生れ育って、空襲で家を焼かれ、埼玉のほうに疎開されたという。そこで16歳の春に主イエス様に出会い、人生が一変した。
 お父上は戦争中に逝去なされ、弟妹は多く、貧しかった。しかし、幸い自由であった、そこで教会に入りびたり、すべての奉仕を買って出た。
 旧制中学を終えて、あこがれのホーリネス聖書学校に遊学、そこで星野栄一師によるジョン・ウェスレーの「キリスト者の完全」の授業が始まった。「これは正に私のための授業だった」と植竹先生は言っている。先生は次のように述べている。
 ウェスレーは、その第一頁から「敬虔」の先達者たちを語る。その方たちは神を愛することに命をかけた人たちだった。ウェスレーは自分の決意と努力で彼らの後を追おうとした。しかし、それは自力による修業の限界を悟り、そして聖霊の働きに身を委ねる契機となった。
 ウェスレーは言う。人はイエス・キリストに出会い、その救いにあずかると、魂が喜びに満ち溢れ生活が一変する。彼らはその平安と喜びの中に、数日、数週間、数か月間、とどまることが出来る。
 しかしある日、かつて自分を悩ましていた古い敵、すなわち、怒り、欲望、ねたみ、高慢、人をさばく思いなどが再び現れる。そして、罪の攻撃を受け、恐れを生じ、打ち倒される。
 かくて、自分の救を疑い、赦されたことを疑い、これは自分の思いこみに過ぎなかったのではないかと思うようになる。
 しかし、ほとんどの場合、主ご自身が、聖霊を送ってくださり、教えてくださり、神の子として証ししてくださるのである。
 植竹先生自身、まだ救われて半年のころ、自分が一番よい奉仕をしていたのに、奉仕をしないで本ばかり読んでいた青年を、牧師が講壇から褒めるのを聞いたのである。
 その時、激しい嫉妬の炎が燃えるのを感じて先生は愕然とした。嫉妬ばかりか、まざまざな悪が心に眠っているのを知って驚いた。罪の根、罪の性質が残っていた。
 犯した罪はゆるされるが、罪の性質はきよめられねばならない。そこで、先生は授業で教えられたとおり、自分をささげてゆき、ついには全き無の状態になり、先生自身、キリストと共に十字架につけられた! という境地に到達した(その方法、経過については後で、くわしく語ることにすると併記されておられるが)。とにかくその日から先生は変わったと記しておられる。
 あの宿敵のねたみがなくなった。怒り、憎しみ、悪意が消え、誇り、高ぶり、恐怖心が去り、イライラ、不機嫌、むさぼり、自我が砕かれ、自己主張が消えた。
 先生は言われる。「私が、私の著書の中で、『私が人を非難し、人を罵り、不機嫌になり、荒々しく人を扱ったのをみた人がいたら、申し出てください。100万円の罰金を払いましょう』などと書きましたが、それは私のこの17歳のときの、潔めの経験のゆえです」と。
              *
 私は植竹先生の手書きの紙片を拝見しつつ、私がこれまで時おり読んできた「聖潔の勧め」の本と、些か、違うところを発見したように思いました。それは先生が「主に自分をささげよう」とするときの、ちょっとした文章のくだりに、こう書いてあったからです。
 「そこで、私は授業で教えられたとおり、自分をささげてゆき、ついには全き無の状態になり、私はキリストと共に十字架につけられた! という境地に到達した」という一節です。その中の次の傍点の個所、「自分をささげてゆき……」です。
 多くの類書では、ある一瞬に来て、その一転で突然「全く、ささげました」となるのである。それが私には、どうしても不得意で、うまく行かない。たじたじとなって、後ずさりする、そして肝心の一瞬の機会を取り逃がし、聖潔の好機を逸したという感じになるのです。
 私はこの時、思った。「なるほど、『自分をささげてゆき……』だな。これで行こう」。この「ゆき」という言葉が、決意の一瞬のことでなく、暫時の経過をさしていると感じたのだった。私はこの植竹先生の語調に倣ったのです。
 つまり、私は心の中で何度も「ささげます。ささげます。ささげます、……」と繰り返してみた。そして、
 微妙な一瞬が来た。ともかく曖昧ながらも、主の前に自我をささげました、という時がきたのです。その時、私は自分の内心に新しい心境が湧いた。悪しき、汚い、そして不安や、イライラが消えているのを感じた(曖昧でなくなった!)。私は心に「ハレルヤ」と叫びました。
 私は大分に帰ると、すぐ植竹先生に電話して、この報告と礼を述べた。先生は大いに喜んでくださった。
 ハレルヤ!、ハレルヤ! 感謝一杯であった。
               *
 私はキリスト教の信仰を三つの角度から説明したい。第一は「義認の信仰」、第二は「聖霊充満の信仰」、そして第三は「聖潔の信仰」である。
 しかし、それぞれ、危険がある。第一のそれは、「言葉だけの思い込み」思弁信仰になりやすい。第二のそれは「異言をムニャムニャ言うだけ」の愚昧信仰になりやすい。第三は「おのれを聖別しよう」とする努力主義の律法信仰になりやすい。
 この三つをきちんと、まとめて保持することは、きわめて難しいことですが、使徒クラスの先輩諸師はそれを完成していたと思う。
 しかし信仰の世界は不思議です。この一つの角度だけからでも、深く浸透し徹底すると、全体をすべて把握したかの如き、聖なる人格と生活を実現することがあり得るのです。義認信仰なら義認信仰だけ、しっかり握ることです。すでに天に帰られたが、伊予三島真光教会の牧師だった金田福一先生こそ。このタイプの第一人者であられたと、私は思っている。
 これ以上、語ることは私の力に余るようです。この辺で文を閉じます。《く》

〔あとがき〕
クロスロード・ゴスペル・チャーチの会堂献金について。当初の5千万円については、先週の本欄で暫定的にご報告しましたが、一応ある方からのご献金で一挙に解決できた訳ですから、感謝でした。以後、室内インテリアや、外観のリフォームのために、なお2千万円は必要ではなかろうかと、これは、私(釘宮)の勝手な試算ですが、各個人から、また当教会でまとめての献金等が考えられますので、それぞれご用意しておいて下さい。▼この12月16日(土)から、18日(月)まで、東京に行ってきました。最近は体もなまってきましたので、他出も控えてきていますが、東京秋川集会には何としても年2回は出たいと思い、出かけてきました。人数は少なかったですが、温かい礼拝の集会が営めて、感謝でした。赤坂家では、特に静ひつの時間が与えられ、「大分の自宅では案外祈れていなかった、という牧師としての生活上の欠陥に気がつきハッとしました。牧師は案外、自宅では忙しいばかりで時間が足りないのですね。なお、周辺のご家庭を2、3訪問しましたが、癒しと、祈りと、交わりの時間が与えられて、感謝でした。《く》

〔小冊子類の紹介〕
「笑えば必ず幸福になる」、「だれでも出来る『心の強化法』」、「欝から抜け出すには」、「信仰の確かさ」、「ヨブ記説教集」、「告白の力」、「死を考え、生を考える」&「私の兵役拒否記」(新聞連載合本)、「喜んで(笑って)祈る私の実践」等、いずれも頒価100円以下、もしくは無代です。ともあれ、お申込みあれ。お送りします。代金等、後で結構です。《く》

注)現在、「笑えば必ず幸福になる」、「だれでも出来る『心の強化法』」、「信仰の確かさ」、「告白の力」は、教会ホームページで読むことができます。
[PR]
by hioka-wahaha | 2006-12-25 10:44 | 日岡だより

No.259 クリスマスを迎える 2006.12.17

クリスマスを迎える

 今年は何年だったかな?
 新聞の上の欄外を見ると、たいてい2006年(平成18年)などと、と印刷してあります。平成18年は日本の年号、2006年はふつう西暦と呼びますが、これはイエス・キリストがお生まれになってから、今年が2006年目だということですね。そのイエス・キリストさまのご誕生を祝う日が、クリスマスです。

 日本でも、キリスト教の行事の中でも、クリスマスだけは、早くからにぎやかに扱われました。デパートのクリスマス商戦にもてはやされました。真面目クリスチャンは、かえってこれを嫌ったものですがね。

 私は育った家庭がクリスチャンだったものですから、クリスマスの朝は楽しかったです。それは朝、目が覚めてみると枕元にサンタクロースからのプレゼントが置かれているからです。実は親が用意してある贈り物(プレゼント)なのですが、子どもの私は長い間、実際に白ひげの赤い服のサンタクロースさんが持ってきてくれたものと思っていました。
 後になって、日曜学校の友だちから、あれはお父さんかお母さんが買って持ってきてくれてるんだと聞いてがっかりしたことを覚えています。

 私の子ども時代、昭和の初めのころですが。その頃はまだ、プレゼントという言葉は世間ではなじめない言葉でしたが、後に私にはイエス様こそ、私たち人類に対する神様からの贈り物(プレゼント)であるということがわかって来ました。

 問題の多い人生、思うようにならない人生、人にも腹をたてるが、自分にも腹がたつ、情けない人生、これを解決し、救ってくれる人生の贈り物(プレゼント)としてイエス様を理解できたときから、私の人生は変わったのです。一切を肯定的に勝利をもって生きる明るい私に変わったのでした。《く》


そのなすところは皆栄える

 先週、水曜日、12月13日に、永井先生に招かれて、鳥栖市のクロスロード・ゴスペル・チャーチに伺いました。相良佐枝子姉も先生のご指名で私と同伴、多分先生のお考えでは老人牧師の私のための介添えでしょうか。
 懐かしい福田先生や遠藤先生がニコニコお迎えしてくださって、しばしゆったりと休めましたが、実は忙しいのです。さっそく永井先生お目当ての物件を拝見に行きます。そこへ、
 久留米のクライストチャーチ久留米の山下耕司先生ご夫妻も永井先生から招かれてお出でになり、その物件の場所に行きました。
 そこには3階建ての立派なビルがある。そこを新会堂として購入したいというのが永井先生のご希望。
 不動産屋さんの提示価格は5千万円。今のクロスロード・ゴスペル・チャーチはなんと言っても開拓早々、信徒の数は失礼ですが、まだ僅かです。5千万円は大きすぎます!
 私は先生の遠大な夢に呆れ、かつ感動していました。同行した山下先生は九大の建築科出身、メンソレータムで有名な近江兄弟社のヴォーリズ先生、知る人ぞ知る、宣教師にして名設計家、たしか阪急百貨店の設計者、この方のもとで研鑽を積まれた設計のプロ。そして、今は前述のとおり教会の牧師です。
 永井先生のねらいは、私については牧師仲間の祈りの同志として、山下先生には牧師の目と併せて設計のプロの目を持って、いま入手したいと願っているこの物件をたしかめ、かつ祝福してほしいという事でしょう。なかなかの心にくいほどの先生のお考えです。
 私はこのビルを見て、教会離れした、そして、どっしりした構えに圧倒されましたし、また教会としては意外性があって面白いと思いました。
 山下先生の評価はピッタリ、ズッシリくるものがあります。プロとしてのこのビルに対する見立ては、まず合格のようでした。
 しかし教会の建物として、まず天井が低くて音がこもりやすいなど、欠点をあげておられた。牧師としての視点が生きています。
 なお教会堂建設についての基本的留意点を語られた。これは今後、どこの教会も会堂建設の時、心すべき事と思われた。聞いてみれば、至極当然のことで、しかもうっかり忘れやすい事だと思われました。それはこうである。
 教会の建築は、外側は未信者の皆さんが見て、はいって見たくなるような魅力ある外観。内側は信者の皆さんが、内に入った時、礼拝と信仰の学びの場所として心に霊気注がれるような内部であって然るべきだと、と言うのです。これは正に、頂門の一針でした。
               *
 さて、この山下先生の名刺を頂きました。その名刺の第一行に、教会の標語と言うべきか、先生の宣教の第一宣言ともいうべき言葉が書かれてありました。そこには「その人は何をしても栄える」とあるのでした。
 私は息を呑みました。それは先生が信仰を持たれた時の、第一語がこれだったと聞いていたからです。それは永井先生のお膝もとで掴んだ言葉だったと言います。
 現在「イエス・キリスト福音の群れ」と称している、この群れの母なる教会は大阪の茨木教会です。
 永井先生が再起されて現在の偉業を果たされる第一歩はこの茨木教会でしたが、この教会で山下先生は約1か月住ませていただいたという。多分、英子先生の温かいお世話になったことであろう。
 その時のある礼拝で永井先生が詩篇第一篇でメッセージなさったそうです。
 その中で「その人のなすところは皆栄える」という3節の一句を用いて、メッセージされた。その一句が山下先生の肺腑をついた。先生の魂に熱い信仰が起こされたのだったと、今回私は初めて先生からお聞きしたのである。
 信仰の最初の一語は、その人の一生を支配すると言ってもいい。とは言え、それから20年も30年もたっても、なおその言葉をご自身の教会の標語としている。それを名刺に刷り込んでいる。これはやはり珍しいことだと私は思う。
 私にもそうした信仰第一歩の聖句があります。私にとり、神秘な言葉です。それにしても、現在の宣教の標語とはしていません。現在の教会の状況にふさわしい標語が他に与えられるからです。
 しかし山下先生には茨木教会での回心以後、ずっと続いてこのみ言葉が先生の心を離れないのであろうし、また信徒諸君にたいする牧会用語としても一徹の言葉なのであろうと思われた。
 私が息を呑んだ所以である。
               *
 さて、相良姉と同行、大分に帰るについて、永井先生がどうしても車で私たちを送るとおっしゃる。鳥栖から、九州横断の高速にのって一路、大分に向かう、ところで夕刻が近づき、由布院地帯にはいると、名物の霧が襲ってくる。とくに鶴見山麓を廻る頃、霧が深くなった。
 永井先生には運転にお疲れになるだろうなと、心配はするが、私も相良姉も「先生、運転代わりましょう」と申しあげても取り上げられないだろう。拝見しても、先生は闊達に運転して居られる。私どもは多少とも案じつつ先生の運転を見守っているままだった。
 すでに道路の左側にはずっとオレンジ色のガイドランプがついていた。長いランプの列が道の左側に長々とならんで私たちを迎えている。
 向こうの方で、たちこめている霧の中から次々とランプの光が浮かびあがってくる。そのとき、私は詩篇119篇105節のお言葉を思いだしました。「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です」と。
 私は山下先生を思い出した。山下先生がこれまでの生涯で、様々の難路を過ごされたであろう、その度に、私たちが今、霧の道のかたわらにオレンジのランプに守まれ、導かれて、車を勧めているように、人生の道を過ごされたのではなかったろうか。
 人生の危急、曲がり角、岐路、そういう時、日ごろ愛唱のみ言葉を想起して救われたなどということは良く聞く証しである。
 しかし今、この霧の中を走りながら、私は、山下先生は人生の馳せ場を、一瞬のたゆみもなく、「あなたのなすところは皆栄える」と御言葉のランプに導かれてきたのではなかろうか、と私は思った。
 時々のことではない。それは、人生の一生を通じて、先生を導いた人生句、足のともしび、道の光ではなかったか、そんなことを思わないではおられなかった。
               *
 私はちょうど、この教会の来年の「指標聖句」をどうしようかと考えているところでした。鳥栖で、山下先生に会って、このみ言葉をお聞きして、「ああ、来年は、このみ言葉を頂こう」。
 私自身、この言葉を私の一生の告白にしたいと思いました。それは、絶え間ない、心のなかの告白です。
 格別に大きなことを目標にしなくても良い。小さいこと、一個、一個。足一歩を動かし、一枚紙をめくり、ご飯を食べ、テレビを見る。そういう何でもない一つ、一つの動作、言葉、しぐさの一つでも、そこに神のみ栄えが表れてくださるように。
 お風呂にはいっても、一息ついていても、時にはパチンコしていても(おやおや、クリスチャンのくせに、牧師のくせに、パチンコなどするだろうか、ともかく)そこに神の栄光が表されるように。
 だからいつも、すべての我の身の周りに起こること一切が、神様からの栄光に満たされるのである。アーメン、ハレルヤ! 《く》

〔特別重要記事〕
 通常、ここは〔あとがき〕欄ですが、今回は特別記事です。
 この頁の上欄までを書いてしまった後、12月15日の朝ですが、突然永井先生から電話がかかってきました。「先生、ビッグ・ニュースです。佐賀銀行に5千万円の振込みがありました」。私は息をのみました。「くわしいことは後から言いますけれど」と先生の声。良かった、ともかく、5千万円の必要額が突然、全額満たされたわけです。私は腰が抜けそうな感じがした。そして「神様、バンザイ。来年の上半期には、あのビルが教会になりますね。さて、誰がそんな大金を送ってくれたんだろう。とにかく、神様は凄い。永井先生の信仰も凄い。こういう信仰のお裾分けがほしいなあ」。独りごとを言いながら、私は体が震えてきました。正に「そのなすところ皆栄えん」です、委細次号。《く》
[PR]
by hioka-wahaha | 2006-12-19 11:21 | 日岡だより

No.258 昭和十五年戦争 2006.12.10

昭和十五年戦争

 昭和十五年戦争、これは私の命名だが、昭和6年の満州事変から始まって、昭和20年の敗戦に至るまでの15年間の長い戦争です。
 私の年齢で言えば、9歳から23歳までですから、少年期から青年期までを戦争の時代で過ごしたわけです。私が非戦主義者として、今もってこだわり続けるのも無理はない私の成育暦だと言えましょうか。
 先日の12月8日は真珠湾攻撃の日でした。例年の事ですが、今年も新聞は各紙とも、このことに触れません。いや、産経だけが上坂冬子さんのエッセーを載せていましたよ。上坂さんはあの時の国民の気分を正直に、よく書いてくれてました。
 あの日の朝、ラジオで臨時ニュースの音楽のあと、「西太平洋において米英両軍と戦闘状態に入れり」というアナウンスを聞いて上坂さんのご両親、40歳のお父さんと34歳のお母さんが、なんとも言えない表情で顔を見合わせたというのです。つかみどころのない逡巡の表情だったとありました。
 私はと言えば、私の店に来ていた若い店員さんが、「義人さん、ラジオを聞いた? アメリカと戦争が始まったですよ」と言います。私はどう受けとめてよいか分からず、返事に窮しました。上坂さんのご両親に似ています。
 私はすでに非戦主義の思想を持っていましたが、まだ明確ではありません。そんな私に、勝ちまくっていた中国戦線や南方戦線と違って、大国アメリカやイギリスを相手の戦争というものは想像ができません。
 そんな大それたことを始めてよいものかと戸惑ったものです。ところがそこへ、真珠湾大勝の詳報です。日本中沸き返りましたね。
           *
 さて、あの戦争を太平洋戦争と呼ぶのは、私は反対なんです。日本式に大東亜戦争と言うべきでしょう。アメリカにしてみれば、なるほど戦場は始めから終わりまで太平洋でしたから。そして苦戦したとは言え、大勝を果たした「太平洋」でしたから。
 しかし、日本は違います。当初は居留民の安全や財産を護るための派兵でした。だから正式の戦争ではない、事変と称したのです。しかし、支那大陸に欲望の目を光らせた後味の悪い戦争でもありました。後ろめたい戦争でしたね。
 それが後に「東洋永遠の平和のためだ」などと言い出しました。(当時の軍歌「露営の歌」の一句、「東洋平和のためならば、なんで命が惜しかろう」という歌がはやったほどです)。
 これは戦争正当化のための詭弁であると言ってもよいですが、時たま、本気でそれを考え、唱導する純粋派もいたわけです。これは明治維新の頃の愛国志士たちの遺伝だったと思います。
 明治維新の原動力は勤皇派の皇国主義もありましょうが、もう一つは阿片戦争による西洋国家の東洋侵略の野望恐怖です。日本だけは日清、日露の戦争に勝って、「カッタ、カッタ」と喜んでいるが、すでに南方諸国はすべて白人国家の植民地になっている。日本もいつ、その餌食になるか分かりません。
 ところで、その日本が彼らの後塵を拝して、明治、大正、昭和になると、朝鮮、台湾、樺太、南洋諸島等、満州国を配下におさめてしまう。この異様なアジアの様相、ここから特有の哲学が生まれる。
 「アジヤは一つである!」と。そして、日本はアジアに盟主になろうという野望が生まれる。これにまつわる国家指導方針が生まれ、戦略思想も生まれます。アジアから白人国家を追い出し、アジア人のアジア人による東洋国家群を作ろうというテーゼが出来てきます。
 昭和18年に東條内閣が主導して大東亜会議を開きました。アジア諸国の政治的指導者たちが一つにまとまって結集した最初の機会でした。これは20世紀の世界史的大事件ではなかったか、と渡部昇一センセイは言うのです、まさに然らん。
 この時の宣言どおり、戦後のアジアからは植民地は一掃され、すべての国が独立します。偉業(?)であったというほかはありません。(未完)《く》


【証し】イエス様の奇蹟に感涙
                  榊 原 清 孝

 昨日の午後、右足の付け根の痛みにおびえながら、塾の階段を上っていました。
 数年前から、時々襲ってくるズキッとする痛みに悩まされるようになっていました。それがこのところ痛みの間隔がだんだん短くなってきて、最近では腰の痛みも絶えないで、苦しんでいました。こんな調子でしたから、好きだった山歩きも今年は辛うじてひとつ登ったぐらいでした。
 あまり辛いので2階への階段を上りながら、左足の付け根に手を当てて縋るように祈りました。「イエス様!」と。
 その時、私の押し当てている手のひらといっしょにイエス様が御みずから手を当てて下さっている! そして強く「私は癒す!」断言して下さった感じが致しました。即座に痛みが癒されました。あと数段を上りましたが、痛みはまったくありませんでした。
 その日、教室を歩くときも、何度か階段を下りる時も、痛みは起こりませんでした。なにか骨のズレや変形が一瞬に矯正されたように感じられました。
 私が手を当てて主に祈ったというより、イエス様がすぐ脇に来られて、自ら直接手を当てて「私は癒す!」と断言して下さったという感じ、というより、その時はもっとリアルなイメージが襲ってきました。
 一夜明け今朝、6時過ぎに起きて取るものも取りあえず、八面山へ車で出発しました。山の上で思いっきり祈りたかったのです。朝焼けの山上でイエス様にお礼が言いたかったのです。まだ薄暗くて夜明け前でしたが、ふもとにつく頃には空がしらみはじめてきました。
 いちばん上の車の行き止まりのところまで行って、そこからお鉢回りと呼ばれている頂上を経由する一時間ほどかかる周回コースを歩きだしました。けっこう上り下りがあって何箇所か木の段々もあるのですが、一回も右足の付け根は痛くなりませんでした。
 歩きながら有り難くてもったいなくて何度も感涙にむせびました。今朝は特に冷え込みが今冬一番で、何箇所も霜柱の立った箇所がありましたが、足をしっかり踏みしめて歩くことができました。
 30分程して頂上に着いて空を見上げて、また遠方に連なる山並みを眺めつつ祈りをささげました。雲間に小さな虹が現れていました。ふと同行二人という言葉が浮かびました。
 たったひとりでもさびしくない、というよりひとりのほうがいい、イエス様とふたりっきりのほうがいい。愛する人と出来るだけたくさん思い出を作りたいように、イエス様と私だけの思い出をいっぱい、いっぱいつくっていきたい、と思ったことです。
 そしてこの世を去るときは、その思い出の数々を反芻しつつ大安心をもって御もとに帰っていきたいと思いました。
 今日は私の56回目の誕生日でした。主は私にほんとうにすばらしいプレゼントをして下さいました。ハレルヤ! 大感謝! (2006.12.3.Sunday)

〔図書紹介〕
 徐起源先生の三部作をご紹介します。もっとも、この後も引き続き著書が出されるかも知れませんが。第一作は「あなたは神の義をいただいていることをご存じですか?」(1365円)というのです。この「ご存じですか」、という最後の句は印象的です。これは多くのクリスチャンが、この大事なことを知っていないぞ、ということです。神様に義とされているという、この絶対の信仰を持つことが、第二、第三の「ご存じですか?」の質問に答え得る基礎です。また、すべての善きことの基盤です。▼第二は「あなたは信仰の使い方をご存じですか?(上)」(1365円)ですが、折角の信仰を神様から頂きながら、無力で落ち込みやすいクリスチャン、そういう人たちに力強く信仰を活かして生きる秘訣を明かします。活きて働く信仰のABCDほか、信仰の正しい用い方等。尚、徐先生は中国の人民大会堂で中国の祝福を祈ったという。私たちも国会議事堂に行って祖国日本の聖別、祝福のため祈りましょう。▼第三は「あなたは信仰の使い方をご存じですか?(下)」(1260円)です。先生の実話、先生の車にガソリン残量の赤ランプがつきました。高速道路上であいにくスタンドが見つからない。このままでは駄目だ。信仰を使わなくてはいけない。そう思った時、神様から信仰の賜物がくだってきた。そこで「イエスの名によって命じる。ガソリンよ、増えよ」と命令したそうです。スーッと赤ランプが消えて、満タンの4分の1まで増えたという。こういう信仰がほしいですね。さっそくお読みください。(発行所はいずれも 恵那レーマミニストリー)《く》
[PR]
by hioka-wahaha | 2006-12-12 15:41 | 日岡だより

No.257 アドベントを迎える 2006.12.3

アドベントを迎える

 今日からアドベント(待降節)です。クリスマスの主日(日曜日)までの期間をさします。アドベントとはラテン語の「来る」に由来します。これはイエス様の降誕と、更にイエス様の再臨を期待して、これをことほぐために設けられた祝日だそうです。
 もちろん、クリスマスを意識しての待降節だとは分っていましたが、主の再臨待望まで含められていようとは思いませんでした。
 ご再臨を大事に思っていないというのでは決してありませんが、ご再臨を待望するというのなら、もう一つ、聖霊降臨つまりペンテコステを待望する40日間も作ってよいではないかと思うのです。
 しかし、そんなことをすると実際には受難節から続いて、80日間に及ぶことになりますから、それでは長すぎるということで、ペンテコステ待望の節日は見送られたのでしょうか。
           *
 それはともかく、私は少年時代は親に連れられてずっと教会に出席していましたが、その間ずっと、アドベントなる祝日を教会で祝ったことはありません。その後も、青年時代から今日に至るまで、2、3の教会を転々とした時代もありましたが、その経験は一度もないのです。
 ですから、今こそ、私はこの期節を、「主のクリスマス」を迎える強い意識を持って過ごしたいと願っているのです。私たちのうちに、イエス様のご誕生をしっかりと体験しましょう。
 これを「キリスト体験」と言いたい。多くのクリスチャンの方々に案外、この体験が少ないかもしれません。私たちのうちにイエス様が居られるなら、その方こそ、コロサイ1:27によると、「信仰の『奥義』なのです。イエス様をあなたの心にお迎えください。《く》


すこぶる現実的な非戦主義

 マルコーシュ通信の22号で、非戦論について「理想と現実」というタイトルで、笹井さんがご意見を書いて居られた。
 その中で「釘宮牧師の『降服論』や、岡山牧師の『敵国が攻めてきて、家族が殺されるよう目に合っても私は戦わない』主義、これは現実的でない、単なる理想論ではないのか、これはやはり極端な議論である」と言っている。
 だれも、うなずくご意見だと思います。私にも、それはそれで分かるのです。笹井さんは、そのついでに内村鑑三の斎藤宗次郎の花巻事件をあげています。私は若いときは内村鑑三一辺倒でした。
 それでも、例の花巻事件だけは首をかしげざるを得なかったのです。兵役を拒否しようとする斎藤宗次郎のところにあわてて飛んで行って、「真理と真理の応用を混同するな。もしそんな事をしたときの家族たちの迷惑を考えたことがあるのか」。
 こんな次元の低い説得を内村先生がするとは? と、私は思ってしまう。私は今も熱烈な内村フアンであることには間違いないが、この点だけは先生に不満を感じます。
 「あなたの父母、兄弟はあなたがたの敵である」というイエス様の言葉は多くの人にとり、難解であろう。その文字上の解釈がむつかしいというのではない。そうした現実が起こり、それに対処しようとするとき、「現実」に応用して妥協しようか、喧嘩をいとわず「真理」に従おうか、という分岐点に来て、このイエス様のお言葉は実践的な難解になるのである。
 笹井さんの「理想と現実」という言葉の揚げ足をとるつもりではなく、私は本気で「現実」という言葉を俎上にあげてみたいのである。私の「降服論」こそが、本当に現実的なのであると思っている。「降服論」という言葉は適切ではないが、本論を読んで下されば、その真意はお分かりになると思う。
             *
 まず、岡山牧師の「敵国が攻めてきて、家族が殺されるよう目に合っても私は戦わない」という主義は、現実にはどういう場合に起こるだろうか、考えてみたい。
 2つの国が互いに「宣戦布告」をしたかどうかは別にして、相手の国の兵隊が目の前に攻め込んで来た場合、抵抗はしないで家族全員殺されても構いません、ということである。
 これはなんとも厳しい信仰態度であるから、家族には気の毒である。しかし、家族の長としての彼の態度に喜んで従ってくれるのなら、イエス様の教えどおりの行動であるから、どこにも非難すべき所はない。もし、それを嫌がる家族がいるなら、しかるべき親族なり、友人にお世話を頼むべきであろう。
 こういうことが起こっても、それだけのことで、国が滅びるの、どうのと言うことはない。一家族が全員が死んだとて、その国家の存亡にかわる事ではない。
 敵部隊の侵入という現実は、たとえば日本の領土に敵国の一部隊が上陸してきたという時、あるいはパラシュートで舞い降りてきたという時に起こるのだが……。前の戦争では沖縄がその悲劇に見舞われたわけだが、国民の覚悟としては、特に宮崎県の人たち、関東の茨城県の人たちは、本気で心配もし、覚悟もしたものだ。今言えば、笑い噺になるが、婦人たちが竹槍をもって突撃訓練をしたのもその時で、けっして笑い噺ではなかった。
               *
 ある人に言わせれば、家族全員無抵抗で死ぬというのは全く独りよがりの「ムダ死に」ではないかということになる。この際、次のように言って責める人もいるだろう。
 「イエス様は言われた。『人が、その友のために死ぬ。これより大いなる愛はない』。他の多くの人たちは国を守り、国民を守るために死んで行く。そのような人々の愛に背いて君は勝手に自分一人の信条を守るために死んで行くというのは、それは狭い了見だよ、個人主義だよ、わが儘だよ」と。
 私も実は、戦争中の教会のクリスチャンの人たちから、この意見で批判されて、返答に窮したことがある。
 以上の例で見てほしいのは、現実的には、個人が家族単位で「敵に甘んじて殺される」ことがあっても、国家のレベルでは別に大した影響は受けないということである。
 「いいえ、国民全体が敵の爆弾や水爆に殺されても厭わないという、そんな無防備な態度をとれば、国全体いっぺんに滅んでしまいます」、と言いう人もあろうか。しかし、そういうことは現実的に起こりえないのです。なぜか。
               *
 国民の全部とも言いません。国民の半数以上が、そうしたガンジー流の無抵抗信念を持っていたとすれば、すでにそのような平和原理主義で立っている総理大臣なり、政府が出来上がっているはずです。
 そのような政府がある場合、もっと早い段階で両国の間で「話し合い」は出来ているはずです。それが「降服」覚悟の「話し合い」会議というものです。
 最悪の時でも、向こうの軍隊がはいってきて、政府なりを作って支配するわけですが、それは1945年に終戦になって、マッーカーサー率いるアメリカ軍がやってきて占領された我が国の様相が再現されるわけです。
 太平洋戦争なんかしなくて、ハルノートに穏やかに唯々諾々と従っていたとしたら、人は死なず、資産は残る。町も工場も、商店も学校も残り、天下太平、終戦後の日本の経済反映をはるかに越えて、日本繁栄、バンバンザイだったはずです。
 ただ気になるのは、「それでは日本国家、国民としての誇りはどうなるのですか。無惨な憐れな、誇りの失せた五等国民が残るだけではありませんか」と、いうことでしょうね。
 ここで、現実主義に立って、考えてみてください。日本が、そういう国になったとして、ありえないことでしょうが、そういう国になっているとすれば、総理大臣はたとえば、この釘宮がなっているとしましょうか。
 私の信仰が国民的に受けいれられ、私の平和原理主義が国民の間でコイズミさん以上に人気があるとすれば、その時の日本国民の誇りはキリスト信仰にもとづく確信と誇りです。世界歴史にかつても無かった麗しき心情豊かで、堅固な信仰に満ちた国民の国になります。
 いや天皇陛下ご夫妻も、総理大臣も、その他、優れた人々が皆、クリスチャンになって、それこそ戦時中の標語でないが、「一憶一心」、平和と愛と信仰と希望に満ちた国になるのです。
 ですから、外交姿勢はすべて善意と愛と信念に基づきます。それは平和な「対話外交」です。
 戦争になってから、無抵抗の平和主義、では決してないのです。戦争を既におっ始めたような国の中で、国をあげての無抵抗を国に要求する国民はもう国には居れないのです。捕縛されて刑務所に行くか、主戦論の市民にリンチで殺されるだけです。これが私の言う現実です。
 もし私のような平和原理主義者が総理になり、国会議員の半数以上が平和原理主義者であり、それを国民が理解しているようになった時、初めて前記のような「腰が弱い」とも言える「対話平和外交」ができるのです。そういう国民をバックにして対話外交をもってくる外交団を、これまでの各国は体験したことがないのです。
 国連はそういう国を尊敬せざるをえません。すくなくとも、そういう態度をとります。世界の国々は日本にたいして拍手を送らないでしょうか。
 前代未聞のノーベル平和賞が日本国家に与えられのではないでしょうか(マンガだとは思わないでください)。その時、憲法九条は誇りかに厳として残るでしょう。ただし今の憲法の前文には、ぜひ変えてほしいところがあります。いや、その時には既に変わっていることでしょうね。どこが変わっているでしょうか、憲法前文を調べてみてください。ただ平和の神様を信じるのです。《く》

〔図書紹介〕
 キリスト教の本ではありませんが、推薦したい本があります、アンソニー・ロビンズ著・本田健訳「一瞬で自分を変える法」(三笠書房発行・1400円)という本です。後半はすこしダブつく感じですが、前半は非常に良いです。実は私の書いた「だれでも出来る『心の強化法』」を完成したような本です。私の言いたいことを、もっとくわしく、学問的にセンセイショナルに書いています。ぜひお読みください。▼「人の心は2つに分かれている。その2つの心(意志、もしくは人格と言ってもよい)の間に、命令や説得や自己確認、行動転化があって、精神が強化され、性格変換が行われる」という私の説が敷衍されている感じです。私はこの説の元々は詩篇57篇などから学んだのです。博士号も取れる発見ではないかと自負していますが、これは自惚れかな。▼私の「だれでも出来る『心の強化法』」を入門書と思って、このアンソニー・ロビンズの本を読んでください。私たちが折角信仰を頂きながら、なかなかそれを実生活に強力に活かせない、そのような弱点を一挙に変えるコツを教えてくれていると思います。書店で手に取って見るだけでも良いでしょう。逆に私の本の入門書になるかもしれません、呵々。《く》
[PR]
by hioka-wahaha | 2006-12-05 14:20 | 日岡だより