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No.256 ホームレスの人々 2006.11.26

ホームレスの人々

 愛知県岡崎でホームレスの人たちが、若い男の連中に襲われたというニュースを聞く。イジメもここまで来たかという感じです。殊に今回の報道では、その中で、僅かの金まで奪われた被害者は、69歳の女性であったというに至っては、まことにやりきれない思いがします。
 ホームレスというとニートくずれの人間の屑のように思う人もありましょうが、こういう中にとんでもない高貴な人がいることがあります。
 昔、日本の徳川時代に桃水という僧侶がいました。全くの乞食姿、事実、乞食生活でした。いや乞食以下の境涯とも言えました。肺病の乞食が食べかけて、それを嘔吐して死んで行った。その吐き出した食べ物を手にすくって拝んで食べ、そして本来の坊さんらしく、厚く葬ってあげたという話があります。
           *
 ホームレスとは、家を離れて地べたに寝起きする孤独の人です。
 天の父の家から地上に降りてきて、貧しき者の友になり、遂には群衆からも弟子たちからも捨てられ、地上の権力からは散々いじめられて死んで行かれた方、その方こそイエス様ではありませんか。
 このイエス様の御足の跡を追ったのが、たとえば聖フランシスでしょうか。私も青年時代、いささかその真似をして無一文旅行をしたことがあります。
 私は特に一燈園の西田天香先生に倣って、各戸のお便所の掃除もさせて頂きながらの旅をしたのでした。初期の私の伝道生活では信徒の方にもこの真似を、多少とも、してもらったことがあります。
 最近、お便所掃除の奉仕があちこちでイエロー・ハットの鍵山さんの提唱で再開されていますので、私も感慨深く思い出している所です。《く》


究極の意識革命をもたらすもの

   一、知 価 革 命

  神武天皇いらい、日本の土地の値段は下がったことが無かったと言ってもよい。ところが前代未聞、バブルがはじけて以降、覚えていますか。土地の値段が下がり始めたのです。
 あの頃だったでしょうか、堺屋太一さんが「知価革命」という本を出しました。「地価革命」ではありませんよ。「断絶の時代」のドラッカーも同様のことを言いました。
 「知識社会の到来こそ、もっとも重要な『断絶』である。21世紀に入ると、更にその傾向は強まるであろう」と。
 昔の人でも、労働や経済において知識の付加が生産性を高めることを知っている人はいました。あの旧約聖書のヤコブがそうです。彼は牧畜に知識を加えて元気の良い羊を産ませることをしました。
 イエス様のタラントの喩えもそうです。5タラントを儲けた僕は、その労働力だけではなく、その機転の良さ、知識の活用が褒められたのです。タラントを地中に隠して元金のまま持ってきた僕は「なぜ銀行に預けて利息をかせがなかったのか」と叱られています。イエス様の時代に銀行があったとは驚きです。
 ミレーの「種まき」の絵ですが、あんな種まきをする人は日本にはいません。ところがマタイ13章を読みますと、種の撒き方がミレー式です。あたり一面にぱっと撒き散らすのです。
 だから道端に落ちる種あり、石地に落ちる種あり、茨に落ちる種もありです。日本の農家でそんなことをしたら、叱られるより先に笑われてしまいます。
 日本の農家は勤勉もさることながら、知識が豊富です。箱庭のような稲の苗代から、整然とした田植え作業、まさに緻密な知恵の成果です。麦は条撒き、大豆などは2、3粒づつ埋め込んで行きます。かように、労働においても、経済においても、知識を投入して生産拡大をはかることは、昔からしてきたことです。
 かくて、人類の文明は狩猟時代から、農耕時代へ、そして職人が生まれ、商人や、金融業が生まれ、蒸気機関の発明や印刷機等の発明により産業革命が起こり、また情報が経済の主柱となってきました。さかのぼると、資本主義が初期の爛熟期を迎え、2つの大戦をまたいで、戦後も既に60年です。核の運用については平和利用と言えども、人類は殖産と破壊の選択がまぎらわしい。
 こうして、社会も個人も、物や金の時代が去って知識の時代が来かけていました。それが現代前期だったのだと私は見ています。
 今は、政治も経済もグローバル化して地球の気候は温暖化、一種の安定期にもぐり込みつつ、何やら不安を覚えている時代です。
 文明の基軸変化のテンポは早い。ドラッカーも言います。知的集約の傾向は更に強まると。ならば、「知価革命」の次に何が来るかというのです。

   二、意 識 革 命

 その、今すでに来つつある時代を私は仮に呼んでみようかと思っています。それは「意識革命」の時代だということです。そして人類の文明はいよいよ終焉を告げるのかも知れません。
 「西洋の没落」はシュペングラーの本の題名ですが、「世界の没落」は誰が描くでしょうか。神様はパトモス島でヨハネを通して世界の滅亡をお見せ下さいました。今、神様は誰かに改めて新しい幻をお示しにならないでしょうか。
 それは、至福の千年王国でしょうか。神の国の到来でしょうか。神の子たちの出現ですか。サタンとサタンの子らは地獄に追放されますか。栄光の新世界でしょうか。そういう新時代を伺わせる新しい風が既に吹いていますか、あなたの周辺に。
 人類の意識が革命される時、人類の意識がキリスト意識に一転する時が来るのではないか、と思うのです。
 そんなことは夢物語か。でも、それこそ人類が待ちくたびれてきた人類の全き解放のあけぼのでないでしょうか。

   三、キリスト意識を求める

 文明論は一応置いて、私たちクリスチャンの信仰の成長進化について考えましょう。私たちクリスチャンは初め、十字架のイエス様を信じて救われました。それから、引き続いて成長し、変化を重ね、完成へと進まねばなりません。実は、それは簡単ではなさそうです。
 たばこの習慣のある人がバプテスマを受けようとする時、「たばこを止めなければバプテスマは授けられません」と言うのは福音ではありません。
 そのような心配をする洗礼志願者には、「大丈夫、信仰にはいったら、たばこは自然に止むものです」と安心させるでしょうか。たしかに、そういう例は多いのですが、実際には、そう簡単には行かない人も多くいる。なかなか、たばこを止められない。そして信仰の持続、成長について自信がなくなる。かように、救われたクリスチャンでありながら、その後、相応しい人格形成が出来なくて苦しんでいる人は実際、山ほどいる
 こうしたことで、聖潔派の陣営や、ペンテコステ派の陣営には、それぞれの派らしい助言や励ましがあります。それらの助言と奨励によって、かなりの成果をあげているとしても、尚、安心できない人は多いと思われます。
 熱心な人や、まじめな人、自我欲求水準の高い人ほど、その人の意識がキリストの意識にまではなかなか到達できないので、失望すします、そして欲求不満に陥るのです。
 エペソ4:23、24を読みましょう。「あなたがたは、以前の生活に属する……古き人を脱ぎ捨て、心の深みまで新たにされて、真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである」と。(この中の「心の深み」という言葉は原語では「心の(属格)霊」となっています)。
 これは正しいです。秘訣です。この地上において、クリスチャンは意識の深み(霊)にまで、すっかり変えられて、全き新しい神様に似たつまりイエス様が持っておられたような意識に改変されたいとの熱望、クリスチャンの究極的意識変革です。あっさり言えば、人の意識がキリスト霊に転換変質されることを願っているのです。
 それはなんと言っても、聖霊様による意識革命の連続活動によって起こります。

   四、聖霊による意識革命

 人に対する聖霊様の連続的、階梯的働きを、私なりに整理してみました。次のとおりです。まず、
 (1)「聖霊によって」最初の信仰が与えられます。次に、
 (2)人は聖霊を受けて信仰による自由感覚、聖潔の秘義を得ます。その次は、
 (3)聖霊に満たされて、霊的能力の賜物を受けます。まず異言です。また神癒等の力です。次は、
 (4)聖霊に満たされ続けます。それは、品性において大いなる変化、向上を与えます。次は、
 (5)聖霊の油注ぎです。主に仕えるそれぞれの働きのため、特別に必要な権威と力を与えられるのです。
 この聖霊様からの働きかけに対して、私たちのほうからの応答も必要です。いや実は、初め、人間からの何の願いも欲求も無いのに神様のほうから一方的な働きによって、恵みの賜物として力や、必要な準備が備えられることが多いのですが。これこそ、実は大きな恵みです。しかし神様に対して、熱意ある欲求と祈り、また忠実な応答と積極的服従精神、それらの大きな努力によって仕える時に、更に大きい結果を頂けることも重要な恵みです。
 尚もっと、よく祈って、加えて聖書の言葉を告白し続ける、また「主よ、来たりませ」(黙示録22:20)と、日毎に賛美をささげて、再び来たり給うイエス様を待ち望むことを努めましょう。更に大きい恵みにあずかるに違いありません。《く》
(2003.4.24.祈祷会にて語る。03.4.27.「日岡だより」第69号より、字句訂正して再掲載)
           *
 さて、ここでつけ加えたい記事、中国から来ている「十字架」というDVDです。今、中国ではクリスチャンが7千万人と言われ、この大リバイバルの姿に接することができます。しっかりした個人的な「悔い改め」と、これに伴う即時の回心によって起こる驚異的な生活刷新の報告です。
 一方、私たちは数年前から南アメリカのコロンビアのカリや南太平洋のフィジー島等のトランスフォーメイション(変革)の報告も受けて驚嘆しているのです。中国とは又違って地域的に広がる「土地と民衆と政治」の変革です。これは教会の一致と祈りによって、主の御業をお招きできたのだという信仰を与えられます。
 これらの海外からの凄い証言に接します時、改めて、祖国日本の霊的復興のため祈らざるをえません。主の御憐れみを切に乞い求めましょう。《く》
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by hioka-wahaha | 2006-11-28 11:14 | 日岡だより

No.255 いじめ問題と自殺問題は緊急の祈りの課題 2006.11.19

いじめ問題と自殺問題は緊急の祈りの課題

 今、日本の問題は「いじめと自殺、それと子殺し」です。経済問題も外交問題も小さい問題ですよ。母親が4歳の幼児を殺した、こんなニュースが飛びだしてくる国は世界で日本だけではないでしょうか。
 日本は経済はアメリカについで世界第2位、文明や文化についても、世界的に傑出した国だと自負しても可笑しくはないと、思っていました。
 しかし、「幼児を殺す」(生活が苦しくての心中まがいの「子殺し」)ではない、「うるさいからカッとなってなぐり殺した」など、こういう有様は日本よりはるかに文明度の低い国と思われている後進国の国々でも、聞かれない話ではないだろうか。
 鉄道も敷かれていない。学校も少ない。テレビがない。偶像が氾濫している。そんな国でも、親が子を殺し、子ども同士にいじめがあるなど、そんな国はないのではないか。
           *
 日本には昔、教育勅語というものがあった。その中に、たしか「父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ」などとあったと思うが、「親は子を殺すな」などとはありもしない。
 経済水準、教育水準、こうしたことに日本がどれほど高くても、子ども同士や、子どもに対する親の人格尊重は、世界最低なのかも知れない。
 これは敗戦によってすっかり失われた日本人の心なのでしょうが、このための日本のキリスト教会の負うべき責任は重いと思うのです。
 今こそ、全教会の祈りの結集が求められているのでないか。また、日本の宗教界全体が目を覚ます時だとも思う。《く》


すこぶる現実的な非戦主義

 マルコーシュの笹井さんが非戦論について「理想と現実」というタイトルでご意見を書いて居られた。その中で「釘宮牧師の『降服論』や、岡山牧師の『敵国が攻めてきて、家族が殺されるような目に合っても私は戦わない』主義、これは現実的でない、単なる理想論ではないのか、これはやはり極端な議論である」と言っていました。だれも、うなずくご意見だと思います。私も分かります。
 笹井さんは、その中で内村鑑三の「斎藤宗次郎の花巻事件」をあげています。私は内村先生の信仰、特にそのお弟子さんの石原兵永さんの「回心記」によって信仰に導かれたので、若いときは内村鑑三一辺倒でした。
 それでも、例の花巻事件だけは首をかしげざるを得なかったのです。兵役を拒否しようとする斎藤宗次郎のところにあわてて飛んで行って、「真理と真理の応用を混同するな。もしそんな事をしたときの家族たちの迷惑を考えたことがあるのか」と言ったというのです。こんな次元の低い説得を内村先生がするとは(?)と、私は思ってしまうのです。私は今も内村フアンですが、この点だけは先生に不満を感じる。
 「あなたの父母、兄弟はあなたがたの敵である」というイエス様の言葉は多くの人にとり、難解であろう。その文字上の解釈が困難だというのではない。そうした現実が起こり、それに対処しようとするとき、「現実」の状況に妥協しようか、「真理」の言葉に従おうか、という分岐点に立って、このイエス様のお言葉は実践的な意味で難解なのである。
 笹井さんの「理想と現実」という言葉の揚げ足をとるのではなく、私は本気で現実という言葉を俎上にあげてみたいのである。
 実は私の「降服論」こそは、本当に現実的なのである。「降服論」という言葉は多少適切ではないが、本論を読んで下されば、その内に分かってくると思う。
               *
 まず、岡山牧師の「敵国が攻めてきて、家族が殺されるような目に合っても私は戦わない」という主義は、現実にはどういう場合に起こるだろうか、考えてみたい。
 2つの国が互いに「宣戦布告」をしたかどうかは別にして、相手の国の兵隊が目の前に攻め込んで来た場合、抵抗はしないで家族全員殺されても構いません、ということである。
 これはなんとも厳しい信仰態度であるから、家族には気の毒である。しかし、家族の長としての彼の態度に家族が喜んで従ってくれるのなら、イエス様の教えどおりの行動であるから、どこにも非難すべき所はない。(もし、それを嫌がる家族がいるなら、しかるべき親族なり、友人にお世話を頼むべきであろう)。
 これだけのことで、国が滅びるの、どうのと言うことはない。一家族が全員が死んだとて、その国家の存亡や動向に係る事はない。
 そういう現実は、かつての日本ならアメリカの一部隊が上陸してきた時、あるいはパラシュート部隊が舞い降りてきた時に起こる。先の戦争では沖縄がその悲劇に見舞われたのだが、当時の国民の覚悟としては、特に次は宮崎県かと心配する宮崎の人たち、あるいは東京に近くて心配な茨城県の人たちは、本気で覚悟もしていたものだ。今言えば、笑い噺になるが、婦人たちが竹槍をもって突撃訓練をしたのもその時で、けっして笑い噺ではなかった。
 茨城県の若い女性だったと思うが、彼女は日本帝国の勝利を願って、「天皇陛下万歳」と叫んで投身自殺をした、現今の諦めや絶望の自殺ではない。お国のための人柱覚悟の自殺である。そういう雰囲気は誰にも共感できた、そういう時代であった。
 ある人に言わせれば、家族全員無抵抗で死ぬというのは全く独りよがりの「ムダ死に」ではないかということになる。この際、次のように言って責める人もいるだろう。
 「イエス様は言われた。『人が、その友のために死ぬ。これより大いなる愛はない』。他の多くの人たちは国を守り、国民を守るために死んで行く。そのような人々の愛に背いて君は勝手に自分一人の信条を守るために死んで行くというのか、それは狭い了見だよ、個人主義だよ、わが儘だよ」と。私も実は、戦争中の教会のクリスチャンの人たちから、この意見で批判されて返答に窮したものだ。
 以上の例で見てほしいのは、現実的には、個人が家族単位で「敵に甘んじて殺される」ことがあっても、国家のレベルでは大した影響はないということである。
 「いいえ、国民全体が敵の爆弾や水爆に殺されても厭わないという、そんな無防備な態度をとれば、国全体いっぺんに滅んでしまいます」、と言う人もあろうか。しかし、そういうことは現実的に起こり得ないのです。なぜか。
               *
 国民の全部と言いません。国民の半数以上が、そうしたガンジー流の無抵抗信念を持っていたとすれば、すでにそのような平和原理主義として立っている総理大臣なり、政府が出来上がっているはずです。そのような政府がある場合、もっと早い段階で両国の間で「話し合い」が行われているはずです。それが「降服」覚悟の「話し合い」会議です。
 最悪の時でも、敵国の軍人や軍屬がやってきて、臨時政府でも作って管理することになりますが、それは1945年に終戦になって、マッカーサー率いるアメリカ軍がやってきて占領された時の有様が再現されるだけのことです。
 真珠湾攻撃などしなくて、ハルノートの無茶な恫喝にも穏やかに応じて、唯々諾々と従っていたとしたらよかったのです。人は死なず、資産は残る。町も工場も、商店も学校も残り、天下太平、終戦後の日本の経済繁栄をはるかに越えて、日本バンバンザイのはずだったのです。
 ただし、気になるのは、「それでは日本国家、国民としての誇りはどうなるのですか。無惨な憐れな、誇りの失せた五等国民が残るだけではありませんか」と、いうことでしょうね。
 ここで、現実主義に立って、考えてみてください。日本が、そういう国になったとしても、たとえばありえないことですが、そういう国になっているとすれば、総理大臣はたとえば、この釘宮がなっているとしましょうか。
 そのとき、私の信仰と主張が国民的に受けいれられ、私の平和原理主義が国民の間でコイズミさん以上の人気になっているとすれば、その時の日本国民の誇りはキリスト信仰にもとづく確信と誇りです。世界歴史にかつて無かった豊かで堅固な信仰と秩序に満ちた国民の国になっているはずです。
 いや天皇陛下ご夫妻も、総理大臣も、その他、優秀な人々が皆、クリスチャンになって、それこそ戦時中の標語でないが、「一憶一心」、平和と愛と信仰と希望に満ちた国になっているのです。
 ですから、外交姿勢はすべて善意と愛と信念に基づきます。それは平和な「対話外交」です。
 はっきり言えば、戦争になってからの無抵抗の平和主義ではないのです。戦争を既に始めているような国で、無抵抗主義で戦争体制に従うような国民は既にいるはずはないのです。もし居るとすれば、そういう非戦主義者は国権によって獄中に捕らえられているか、もしくは主戦論の過激派のリンチにあって殺されているかもしれません。これが私の言う現実です。
 (非戦論者と非戦主義者とは違います。非戦主義者は前述のように捕らえられるか、殺されるかです。しかし、非戦論者は世間の片隅で小さくなって、心のなかで「それでも戦争はしてはならないんだ」とつぶやいているだけでしょう。それでも、主戦主義者になって激論を飛ばしているよりはましです。)
 もし私のような平和原理主義者が総理になり、国会議員の半数以上が平和原理主義者であり、それを国民が支持しているとすれば、前記のような「腰が弱い」とも言える「対話平和外交」ができるのです。
 そういう国民をバックにして対話外交をもってくる外交団を、これまでの各国は歴史上経験したことがないのです。
 国連はそういう国を賛嘆せざるをえません。さっそく、臨時総会を開いて日本を称賛決議することでしょう。世界の国々は日本に対して気後れしながらも、拍手を送らないでしょうか。
 前代未聞のノーベル平和賞が日本国家に与えられるのではないでしょうか。マンガだとは思わないでください。
 その時、憲法9条は誇りかに厳として残るでしょう。ただし今の憲法の前文には、ぜひ変えてほしいところがあります。今の日本国憲法は偽装憲法です。偽装建築より危険です。いや、その時には既に変わっていることでしょうね。どこが変わっているでしょうか、憲法前文を調べてみてください。ただ平和の神様を信じるのです。《く》

〔あとがき〕
どうも時間が無いのと、ぼつぼつ作文能力が貧しくなってきていて、出来の悪い文章になりました。意図ははっきりさせているつもりです、意のある所を汲んでください。国を愛し、民に警告する預言者が出るべき時になっているのですね。預言者待望の時です。《く》
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by hioka-wahaha | 2006-11-21 11:13 | 日岡だより

No.254 雄叫びの祈り 2006.11.12

雄叫びの祈り

 「祈りは人間を内側から変えます」と、オズワルド・チェンバーズ師は言っています。相手を変えるのではなく、自分が変わるのです。
 ある姉妹が隣家の人と仲たがいしそうになりました。金がからんで、憎しみと不安でいっぱいです。思わず祈りました。フッとお言葉が心に湧きました。
 「なんじら思いわずらうな」、このお言葉が心に深く浸透しました。
 心を締め付けていた牢獄の鎖のようなものが音をたてて落ちました。隣家の奥さんに気軽に声をかけることができました。
 「いやあ、私の問題はもっと大きいのです。私も祈っているんですが、どうにも問題は解決しません」
 そういう方もおられましょう。人生は問題の多いところです。なかなか問題が片付きません。
           *
 そこで、皆さんに「雄叫びの祈り」をお勧めします。絶叫して祈ってください。家人の聞いている家の中では祈りにくいかも知れませんね。
 車を運転される方は、車にこもって祈ってください。私の知っているある牧師先生は、よく自家用車に乗って裏の山の峠に行って祈っていました。
 一番よいのは教会の礼拝室です。私は、毎朝の早天祈祷会の後に、残って祈ります。その時、しばしば「絶叫型祈祷→雄叫びの祈り」です。
 その祈りを終わって教会を出る時には、私の心にイエス様が居られるような感じが信じられます。問題解決の道が開けてゆく確信も湧いてくるのです。試してみてください。
 それはさておき、「絶叫型笑い」はいかがでしょうか。すると、いつも笑いが心の中に絶えない。そういう人になれますよ。《く》


しっかり笑いましょう

 これまでも何度も言ってきたことですが、「笑い」はキリスト信仰の中心ではありません。しかし、信仰の重要な一部ですとは、言えましょう。
 パウロはピリピ人への手紙3章1節で言います。
「私の兄弟たちよ。主にあって喜びなさい。繰り返して書きますが、私には煩わしいことでなく、あなたがたの安全のためでもあります」。
 パウロは「喜びなさい」と言うことは何度書いても嬉しいことであり、読むあなたがたの信仰の保全のためにも役立つことだと言っているわけです。
 「喜ぶ」ことは人間の重要な心の機能です。そして、その「喜び」を自分の意志を用いて、これを引き起こすテコの役目が「笑い」なのです。
 これは最も効率的で安全な道具だと思います。たとえ心の中では笑えるほど愉快でもなく楽しくもないにしても、無理に作り笑いをしてください。
 愉快な感情が少しでも心の中に湧き起こることは体験してみるとわかります。
           *
 正直に言って聖書の中に「笑いなさい」という命令も奨めもありません。イエス様がお笑いになったという聖書記事もありません。
 しかし、私は信じます。私たちが快活に笑って日々を生き、あるいはたっぷりニコニコと笑いをもって伝道や奉仕をしている姿を天から見られるなら、イエス様も天使たちも呵々大笑、喜んで下さるでしょう。
 体が弱った時、医者は点滴を入れて元気づけてくれます。「笑い」は弱った心を力づけ、憂欝な心に喜びを注ぎ込み、怠けた気分を振るいおこさせる心(精神活動)の点滴です。
 それは霊の内にひそむ信仰の潜在力、聖霊の賜物を外に向かって爆発させる導火線のようなものです。
 さあ、みなさん、しっかり笑いましょう。「ワッハッハハ、ワッハッハハ」。《く》 (週報1995年10月15日号より)


イエス様は私たちの友です

 「笑う門には福来たる」とは、日本の昔からのことわざです。最近は医学的にも証明されて、笑うことが健康の元だと分かってきました。そうです、笑いは健康の元、幸福の元です。
 とは言っても、強盗団のかしらが押し入り強盗から帰ってきて、「おお、子分ども、今日はよくやった。宴会だ。ワッハッハッハッハ」、こういう笑いは困ります。また、「イヒヒヒヒ」などという皮肉な笑いもいけませんね。
 「イエス様は笑っただろうか」という質問を受けました。私はイエス様はお笑いになったと信じています。イエス様こそ本当に笑った方だと信じています。なぜなら、イエス様こそ、最も人間らしい、人間以上に人間らしい方であったからです。ですから、最もすばらしい人間らしい笑いをされた方だと信じています。
 イエス様の喩え話にタラントの話というのがありますが、その中で、良い仕事をした僕(しもべ)を、その主人が褒めるところがあります。主人は言います、「よくやった、善かつ忠なる僕、主人と一緒に喜んでくれ」。ひょっとしたら、こんな場面です。
 「お前、いい仕事をしたなあ、嬉しいぞ、ワッハッハッハ」と主人は大喜びしているのに、僕(しもべ)が遠慮してかしこまっています。
 「おい、遠慮するなよ、わしといっしょに喜ぼうじゃないか」、主人は体をゆすって哄笑です。それを見て僕も声をあげて喜びます。これがイエス様が教えられた天国の姿の一つではないでしょうか。
 使徒パウロは言います。「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい」(ピリピ4・4)。顔はニコリともしないで、心の中で喜んでいるなどという人も時にはいますが、でもやはり、顔も、声も、からだ全身も喜ぶのが本当でしょう。そこに友人がいるなら、皆で手を取り合って、小おどりして喜ぶ、そういうのがいいですね。
 どうぞ、あなたの脳裏にイエス様のイメージを描いてください。弟子たちのイメージも描いてください。そしてイエス様を中心にいっせいに手をあげて喜ぶ光景を心に描きましょう。声をあげて笑いましょう。おどりましょう。喜び笑いましょう。
 イエス様は私たちを友と呼ばれました。私たちはイエス様の友なのですから、イエス様を中心にして一緒になって喜びましょう。イエス様の喜びをあなたの喜びとし、イエス様の笑いをあなたの笑いとし、その笑いをあなたの習慣にしてしまおうではありませんか。《く》 〔週報1996年3月17日号より〕


私の 「笑いの提唱」 について

 私の「笑いの提唱」は、古い週報の記録を見ていたら、この号の第2頁に載せた1995年10月15日の文章が、今残っているものとしては最も古いのである。多分、この頃から公けに私も言いだしたものであろう。
 その頃、横浜の教会で牧会しておられた永井信義先生の大賛成が私を勇気付けたのである。それと、今は天に帰って居られる倉敷で牧会しておられた小橋護先生の豪快な笑いも実践的に私を応援してくださった。毎日のように、お送りくださった、絵入りの笑いのハガキには、しばしば腹を抱えて笑わせられた。
 「笑いは信仰とは何の関係もありませんが」と言いかけて、「そんなことはありません、笑いは聖書の重要な教えです」と手束先生から、ご注意を受けたことも忘れられない思い出である。
 また、手束先生からは毎年のように御教会に招いてくださって、私の「笑いのメッセージ」をさせてくださった。このご恩も忘れがたい。
 「いつか『笑いの神学』を書きたい」と小橋先生と語りあっていたが、先生は今や天界におられる。残念であるし、まごまごしている私のふがいなさが申し訳ないです。
 しかし、私の「笑いの提唱」は今では、世間でも常識的なことになってしまった。感慨無量です。私もだいぶ老化して、こういう古いものを再掲載させて頂いて、お茶をにごすような次第、お詫びします。ハッハッハッハ。《く》

〔あとがき〕
本日は「在天者祈念礼拝」です。ご遺族の方々でクリスチャンでない方もおられます。皆様には、お慣れでないキリスト教の礼拝式にお出でくだって、まことに恐縮です。ご容赦ください。▼今日は午後の墓前祭も予定していますが、天候のことを気にしていますが、無事別府霊園に行けますよう祈っています。▼天国におられる信仰の先輩の諸兄姉は、天にあって今日の式典を大いにお喜び下さっておられることと信じつつ。《く》
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by hioka-wahaha | 2006-11-14 12:44 | 日岡だより

No.253 何を祈るべきか? 2006.11.5

何を祈るべきか?

 今週も、オズワルド・チェンバーズ師の「『祈りの時』を変える黙想」という本の初めのほうから抜粋します。
 ここでも、私たちの陥りやすい祈りについての誤りを指摘してくれるようです。《く》
           
 祈りを最後の手段と考える傾向が、私たちにはあります。
 しかしイエスはそれを「戦い」の第一線に置くよう望まれました。
 ほかにどうすることもできない時に、私たちは祈ります。
 しかしイエスによれば、何をするよりも先に、まず祈るべきなのです。
 神にとって最もふさわしい時に、神が解決してくださるのを、私たちは待ちたくありません。
 そこで、私たちは神のお手伝いをしたがります。
 時には自分の祈りに自分で答えようとさえします。
 たくさんの人の目に神がよく映るようにすることができれば、もっと多くの人がクリスチャンになるのではないか、というようなことを考えます。
 神はそのことを期待していらっしゃる?
 いいえ、そうではありません。

 神が私たちに期待していらっしゃるのは、祈ることです。
 いつでも祈り、そしてすべてについて祈るのです。
 喜びの時も、悲しみの時もです。
 神について語るのではなく、神に向かって
語りかけることを求めておられます。
 神のことを未信者の人々に語るよりも、
その前に彼らのことを神に語ってほしいと、
神は思っておられます。



私の徴兵忌避事件

 私の青年時代の徴兵忌避事件や戦後の無私の戦災孤児救済奉仕は、世間の人から見れば、奇異な事件であり、また驚いてもよい事件であろう。時おり、このことは出版関係で話題になることもある。
 最初は毎日新聞で、それを見て飛びついたのが創価学会の「潮」である。そして山村基毅さんの取材で「戦争拒否の十一人の日本人」という本の一部に収められた。
 最近では、近くにお住まいの藤沢万蔵さんが、戦後の大分駅の周辺で戦災孤児を世話した釘宮さんのことを誰も知らない。あの頃の釘宮さんをめぐる若者たちの姿を残しておきたいと言って文章にしているらしい。私にはこっそりだったから、私は先日それを知ってびっくりした。
 とは言え、私はあまりこれらのことを語らないし、文章にしない。ところが先だって「宗教者九条の会」の席上で、私の「平和論」を小一時間語ったら、評判になったという。
 各地から聞いて来る人もあるので少し整理しはじめた。特に書きたいのは、私の事件そのものもあるが、当時の日本の民衆の考え方など、過去を知るために大変役になると、聞いたこともある。そういう面も、ぼつぼつ書いてゆきたいのである。
 紙面の枠に沿って文章の格好をつけるのは、私の作文の習慣だが、今回はその習慣を捨てて、書きたいほど、右に左に揺れて、わがままに書いて行きたいと思っている。ご了承ください。
               *
 それではまず、徴兵忌避の件。それは昭和18年の8月だった。私に陸軍の召集令状が来た。私は召集に応じることを嫌って自殺をはかった。そのことが発覚して、警察につかまったのだが、この憐れな事件が、事の発端である。なぜ自殺か。
 私は生まれて3日目、医師に「このお子さんは全身が硬化する病気です。2、3日の命です」と言われたそうだ。父は泣いて祈った。「ラザロを甦らせ給いし主よ、幼な子を取り給うなかれ」と…。
 奇蹟的にその祈りが聞かれた。祈り始めて4日目、回復の燭光が見えはじめ、翌日には全く快癒したという。私は幼い時より、よくこの話を聞かされた。後遺症が小学校5年生くらいまで残っていて、誕生直後の医者の心配した生来の難病が実感できたものだ。
 こんなわけで、私は青年期の頃、自分の生命が何か余分のオマケのように思うところがあった。それに加えて、私の親友A君の哲学的自覚から来る雄々しい自殺行為にあこがれるところもあった。もう一つ、最後の引き金は吉田松陰の文書であった。
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 私の戦争観は「戦争は絶対悪なり」と断定するところから始まる。「なんじ、殺すなかれ」という神の戒めに背くことは絶対不可だという素朴な結論である。
 日本軍の支那事変については、これを軍部の無謀な行動だとして厳しく論難することは、幾分預言者じみて気分の良い面もあった。しかし、大東亜戦争となって天皇の宣戦布告が出されると、私の苦悩は極まるのである。
 戦争の責任は、いよいよ一部の軍部や松岡ごとき政治家のものではなく、天皇様のものになった。私は宣戦布告をした天皇様を諫めたかったが、そのようなことが当時出来るはずはない。反面、戦前の皇国民教育を受けた私は、天皇様に刃向かう不忠な臣民なりとの認罪感を持ってしまう。進退に窮する感じである。
 ちょうどその時、吉田松陰の遺稿を知った。「君主の誤りを諫言する者こそ真の忠臣である。また、諌めても聞かない君主には諫死、つまり切腹をもって諌めるほかはない」というのである。これに全く心を奪われた。まさに自殺する根拠を得たのである。
 そこへ前記のように召集が来た。私は一瞬、決心した。迷わずに、睡眠薬を大量に飲んで自殺を図ったのだ。ところが睡眠薬が多すぎたのか嘔吐して、母が気づいて医者を呼び意識が回復した。
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 入隊期日は目の前に来ていた。母をはじめ、心配して集まった親族のメンバーが、どうしたものかと相談したらしい。一番近しい従兄のRさんが、私の枕元にあった遺書を見つけ、開いて見たら天皇様への直諫状(?)だった。驚いて、そのまま鷲づかみ、風呂の焚き口に持っていって燃やしてしまったということを、後で聞いた。
 その従兄と伯父の2人が私につきそって集合地の宮崎県の都城聯隊に行くことになった。何よりも、私が途中汽車から飛び降り自殺を図るかもしれない、それを阻止するため見張るためであっただろう。また、車中で叔父たちから、重々軽はずみなことをするなと言い聞かせてほしいという親族一同の頼みなのであった。
 もちろん、「お前の命を大切にせよ」とか「母一人を残して勝手に死んだり、兵隊に行かないなどと国にたてつくようなことをするな」などと戒めてほしいわけだが、当時としては親族たち一同の願いは、「兵隊に行かない」などとは神国日本の国民として思いもよらぬ最大の罪である。その重大性をよくよく言い聞かせてほしい、というのである。更にその本音はこうであった。
 「そんなとんでもない非国民の罪を犯してくれては、この一族一統の面汚しである。恥さらしである。そんな子が親族におっては我々の息子、娘の縁談にも支障がある。特殊部落の親族があるより、まだ悪い。困るよ。お前」ということである。そういう思惑をいだいたのは、当時の一般庶民の心理としては当然である。
 だから召集地に向かう汽車の中で、耳にたこができるほど言われたのは、「とにかく召集の部隊に行ったら何も余分なことを言うな、黙っておれ、おとなしく軍隊に入ってくれ。頼む、頼む」。
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 さて当の聯隊に行った。細かい事は忘れているが、とにかく、軍医の前に立たされた。身体検査、又健康診断である。そこで軍医は私の体を見て、異常な衰弱ぶりに首をかしげ、「どうしたのか」と言う。私は汽車の中で伯父たちから、しきりに言われた言葉に、暗示にかかったかのように、アッサリと軍医に答えた。「ハッ、最近ずっと下痢をしていたのであります」。軍医はうなずいて言った。
 「慢性腸炎だな。現地除隊だ。家に帰れ」。これが後日、私が自殺行為を隠蔽して、病気を偽り、徴兵忌避を図った、と起訴される理由になった。その後、幾度か私の裁判記録でこの場面を読むが、その度、私の顔が赤くならざるを得ない。
 その前年、徴兵検査の時、私は覚悟していたのだった。「私はクリスチャンです。戦争に反対です。兵隊に行く気はありません」というつもりだった。ところが筋肉脆弱で丙種だという。その当時では、丙種はまだ現役に行く必要がない時であった。そこで、「兵隊に行く気はありません」というせりふを吐く機会がなくなったのだが、あの時の言うべきだったせりふを、なぜこの時に言えなかったのか。言えばよかったのだ。これが、それ以後、私の長い間の言いたくても言い出しえない私の恥ずかしい思い出になったのである。
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 これらの事件はいくら隠しても、隠しおおせるものではない。いつか警察の耳にはいる。19434(昭和18)年10月だったと思う。当時、長崎県の香焼島という炭鉱町にいた私のもとに大分から刑事がやってきて、まずそこの留置場に収監され、それから大分に連行された。私は気軽に大分まで無賃乗車するような風情だったと思うが、手錠もかけられず、大分に帰った。
 しかし、それからは大変。今ではどうかは知らないが警察の留置所は環境は最低。(それに比べると刑務所は聖潔で食事も上げ膳、下げ膳。洗濯は下着まで全部、洗濯専門の部門でやってくれる)。
 大分警察での取調べは楽だった。というのも、私はここでこそ私の非戦論、平和論はおおっぴら?に話せると思って聞かれないことまで、どんどんしゃべったからである。こんな取調べの楽な容疑者は見たことがないと、刑事部長が母に言ったそうである。
 そうした時、一度だけ刑事と一緒に家に帰ったことがある。私の日記やノート、関係図書等の証拠品集めのためだったが、手錠もはめられず、刑事と一緒に談笑しながら飄々と帰ったので、ちょうどその時の私を見かけた近所の婦人たちが驚いたということを後で聞いた。
 なんども書くが、もっと積極的、英雄的な徴兵忌避なら良かったのだが、こうして書くのも気がひける。しかし、書かねばおれないのは、以後につづく素晴らしい経験があるからである。
 警察で起訴されて、大分刑務所に移る。まず、未決監である。そこで、あることから「信念」のもろさに気づく。私は呆然となったものだ。壊れるはずもない「非戦論」の「信念」の一部が一瞬に消えた。私は呆然となった。私は「信念」ではなく、確固たる「信仰」を求めることになる。そして遂に、福岡の刑務所に行ってからだが、その独房で私は本当の信仰、回心を神様から与えられた、人生最高の経験である。それは1944年11月23日の午後5時ごろ、そばに時計があったら、その時刻も書けるはずであるが。その後も、信仰の尾根を辿ってきたが、その第一歩がこの日だ。思い出しても感謝が尽きない。そして私の恥ずかしい徴兵忌避物語も、これがあるからこそ、臆面もなく書くことができるわけなのです。《く》

〔あとがき〕
文体やフォームも整えて書くサービス精神が衰えて、気楽に、乱暴に書いてしまいました。今後もこの調子でしょう。ご容赦を… 《く》
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by hioka-wahaha | 2006-11-07 12:58 | 日岡だより