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No.252 まず、祈るべきです 2006.10.29

まず、祈るべきです

 クリスチャンのまずなすべき仕事は、だれの場合であっても、祈ることです。単純、明快です。
 ところが、ただ祈るだけでは足りないのではないかとわたしたちは思ってしまいます。
 神のためになにか大切なことをしたい。神にとって大切な人間になりたい。
 なにかを建設したい。人々を動員したい。わたしの力を示したい。影響力を行使したい……。
 そういったことに比べると、祈りはいかにも小さいことに思われるのです。ほとんど目につかない、小さいことに思われてしまいます。
          *
 以上は先週の本紙の最後の頁でちょっと紹介したオズワルド・チェンバーズ師の「『祈りの時』を変える黙想」という本の「はじめに」の冒頭の一節です。私は読みやすくするために幾つにも行替えしましたが、本当は一段落です。
 本の原題は「祈り、聖なる仕事」と訳せます。この「仕事」という言葉の元の英語は ”Occupation” でして、”Work” などという言葉より意味が深いのです。辞典をひくと、「収入を考えないで独りで身を入れてやる仕事」という意味であると説明をしています。
 この本を最初A姉から借りて開いた時、まずこの初めの一区切りの文章が私の目を射たのです。私の鼓動が止まった感じでした。
 そのまま、持って帰って一夜読みふけりましたと言いたいところですが、いいえ、そうではない。読めないのです。それがこの本の特長でしょうね。
 一行読んでは、黙想に引き込まれ、ついに本を手元においたまま、黙祷にひきずりこまれて時間のたつのを忘れてしまうのです。
 驚くべき吸引力を持った本だと思います。《く》


奇蹟の時が来る

 奇蹟の時が来る。
 すでに、もう来ています。
 信じる者に来ます。
 祈る者に来ます。
 心を合わせて祈る者たちに来ます!

 奇蹟は神から来る。
 聖霊によって来る。
 集会の賛美の中に来る。
 待ち望む者たちの上に来る。

 奇蹟は日々に起こる。
 奇蹟の時が来ます。

  *手島先生の「人生の評価」を思い出す。
   あのお言葉は、私に最大の思想を呼び起こしてくれた。
               (日岡だより246号)
   「人の短い一生で為し終えぬ仕事は山ほどある。
   人は何をしたかでなくて、何をしようとしたか、
   それを評価しよう」と。
   こんな思想を、私はかつて聞いた事がない。
   私の生涯における、一大開眼だった。

 今の夢が、将来の奇蹟をもたらします。
 今の信仰が、未来の奇蹟をもたらす。
  たとえ今、花も咲かず、実も実らなくても、
  たとえ永遠の彼方においてでも、
  大きい奇蹟を見せてくれる時が来ます!
 天国こそ、最高の奇蹟が起こるところ。
 天国でこそ、奇蹟は永遠に無限に起こり続ける。

 奇蹟は来る。
 信じる者に来る。
 祈る者に来る。

 奇蹟は神から来る。
 聖霊によって来る。
 待ち望む者たちの上に来る。ハレルヤ!
  (先週の主日礼拝のメッセージ原稿より 《く》)


対話力の必要性

 先週、本紙で執り成しの祈りについて書きましたが、国家の間でも、個々人の間でも原則は同じです。執り成しの祈りによって「無私の心と愛の心」を培ってください。
 そうすると、完全な平和主義によって隣りの人や隣の国と交わって行くことができるはずです。簡単なことではないでしょうが。しかし、不可能ではないと思うのです。
 このことに気づいたのは、S姉が創価学会の「聖教新聞」を持って来てくれたからです。多分、S姉と仲のよい創価学会の信者さんが持ってきてくれたのでしょうね。
 私はたとえ、他宗派の読み物でも好き嫌いはしません。学べるものは何からでも学びます。特に今回は、この「聖教新聞」からは大事なことを学んだと思えてなりません。
 実は、池田大作氏の文章に接したからです。多分、池田さんは私よりは若い人ですが、私が驚嘆するのは、教団を戸田前会長から継承し、これを強化、拡大、してきた指導力もさることながら、さらに各界の一流名士がたと対話する、その力です。
 トインビーを初め、世界の一流人物と対等に話し合っている、その様子には、目もさめる思いがします。絢爛たるものです。(こうしたことは、創価学会には金はあるだろうから、金をばらまいて、人を集めてくるんだよと、やっかむ人もありましょうが、金だけではこうは行かないでしょうね)。
 聖教新聞を読んだだけでの感想ですので、当を得ているかどうか心配ですが、私の感じたことの第一は、池田さんの第一の特質はあの対話力だろうということです。そのコツは氏の言われる「小異を残して大同につく」という一言に尽きるように思います。
 世上、「小異を捨てて大同につく」という言葉はよく聞きます。しかし、「小異を残して……」とは、これは池田流の名言です。
 「小異」は、そのまま残しておいて、一致するところを俎上に乗せて、歓談を心行くまで広げて行く。これが、対者の好感と共感を呼ぶ秘訣でありましょう。
 「この対話の旋風を世界に広げてください」とトインビーが言ったそうですが、宣べなる哉です。
 実はこの事から多くの教訓を学んだのは、先々号に書いた非戦平和主義の実践には、この対話力が必要だと思っていたからです。もちろん、テクニックとしての対話ではない。
 真摯で謙遜で熱意ある対話の精神である。キリストの愛のスピリットに裏打ちされた対話精神を世界平和の理想に向かって活かそうではありませんか。《く》


オープン ハート !

 最近は、家を売りに出す場合、「オープンハウス」という言葉を使うようですね。真似をして、今日の当教会の礼拝を伝道集会にしたいと思いましたから、宣伝チラシには「オープンチャーチ」と大きい字で書いたのです。気の早い人は「えっ、あの教会、売りに出すんかい」と誤解したかもしれません。
 もちろん、売りに出すんじゃありません。みなさんに遠慮なくお出でくださいということですね。なんたって教会はやはり多くの人にとって敷居が高いようですから。教会に行くと、牧師さんが厳しい顔をして「悔い改めなさい」と言うんじゃないかと心配なさるんでしょうか。
 「悔い改め」という言葉は、実は原語では「考え方を変える」という意味です。泣いて、過去の罪を告白して、真人間になります、と誓う。そういうことではないのです。
 イエス様は「あなたがたは悔い改めて、福音を信ぜよ」と言いました。これを言い替えますと、「あなたの人生に対する考えを変えて、福音、つまりイエス様の喜びの言葉を聞いて、その言葉を何度もあなたの心に叩き込みなさい」ということです。そうすると、あなたの考え方が変わり、あなたの人生の行動が変わって、あなたの幸福な人生が始まるのです。
 まず、この喜びの言葉を聞くこと、これは、つまりあなたの心を開くことですから、これをオープンハートと言ってみたのです。今日はあなたにとってオープンハートの日となりますように。《く》

〔あとがき〕
創価学会の悪い評判も聞きますが、気にせずに3頁以下を書きました。よい事は誰からでも学びたいです。チョーヨンギ先生は創価学会から「区域集会」の形を学んだのです。学ぶべきものは何でも学びましょう。▼北海道の聖会では金粉が降ったという。私たちも期待! 《く》
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by hioka-wahaha | 2006-10-31 17:38 | 日岡だより

No.251 人は無私と愛の心を持てるか 2006.10.22

人は無私と愛の心を持てるか

 この10月1日の主日礼拝の説教の冒頭で、私は大胆に言ったものである。
「皆さん、今日は私たちが『無私、かつ愛の心』を持つことができる秘訣を話しますよ」と。
 大変な自信だが、私にはその自信があったのである。と言うのも、私のその朝の祈りで得たばかりのホヤホヤの体験だったからです。
 結論を先に言います。それは「執り成しの祈り」を励むことです。自分のことを差し置いて、他の人のために祈るのです。そうすると、この世的意味だけでなく、霊的な意味に於いてでさえも、自我心が無くなってしまいます。
           *
 ひたすら、他の人々のため祈りましょう。また、他の団体、教派、教会、また他の国々のために祈りましょう。そうすると、しだいに自分のことはそっちのけになります。祈っている間は、まさに無私の人であり、また愛の人であり続けます。
 その時、祈りを止めれば、元の人に戻っているかも知れません。多分どなたでも、失礼ですが、あなたでも元の人に戻っていることでしょう。
 しかし、その「執り成しの祈り」をしている時だけは「無私で愛の人」に変わっているはずです。
 人は同じ経験を繰り返し、継続して行くと長い間には、それが次第に、その人の性格になって行くのです。(人の気質は、その人の生まれつきのものですが、性格は生後の習慣的な生活のなかで、気質の周辺に張り付くようにして心の中に出来上がってくるのです。ですから……)。
 「執り成しの祈り」を、そのまま継続してください。あなたは生来の「祈りの人」の如き人になります。「無私で愛の人」になります。《く》


預言者的批判姿勢を越えて

 私は無教会で育ったので、若い時は内村鑑三先生を最高に尊敬しました。また藤井武先生や、矢内原忠雄先生が好きでした。こうした先生がたを日本の預言者だったと呼ぶ人は多いのです。
 内村先生が「今に、皇居の中で芋を作る時がくるよ」と言ったとか、藤井先生の「日本よ、亡びよ」の発言とか、同様の論調で筆禍事件(中央公論)となって東大を追われた矢内原先生等、いずれも旧約の預言者たちを彷彿とさせます。
 ところで、公務員や一般国民の堕落、愚行、非行、それらを悲憤慷慨し、預言者風に弾劾する姿は、理想主義の青年時代は、だれでも共感します。私もその一人でした。
 ところで、現代に目を止めましょう。一度、書いたことですが、東京都知事の石原慎太郎氏が新聞で大きく書いていました。
 「現代の日本人の劣弱さに我慢できない」というのです。分かりますね。同様の慨嘆は新聞投書欄に連日、出ていますよ。
 親が子を殺し、子が親を殺す。夫が妻を殺す、今は妻も夫を殺す始末。飲酒運転と言えば、公務員はまだしも、警察の警官殿までが飲酒運転をしますし、談合といえば、下級職員ではない、県知事さんが先立ってやっているみたい。
 学校ではいじめにあった子が「キモイと言われた」などと遺書を何通も残して自殺。
 これには、いじめたと指さされて残された同級の友人たちは大変です。彼らの心に残る「僕がからかったあいつが僕を呪って死んでしまった」と痛恨するトラウマを、誰が癒すことが出来るか。こういうことを考えると問題は容易ではない。
           *
 さて、こうした世代を生み出した世代は、大人の私たちです。団塊の仲間たちも無罪では無い。責任は、この私たちにあるという認識が、前述の石原さんからして、全然無いのです。
 ここで私は、福音書の中の祭司やパリサイ人たちを思い出します。彼らは当時の「取税人、罪人」と言われる人たちに向かって言う。
「律法をわきまえないこの群衆は、呪われている」(ヨハネ7:49参照)と。
 「取税人、罪人」と言われている連中は、現代の日本なら、「ワイロを取って談合を世話する公僕たち、覚醒剤を売るは、打つは、援助交際、ニートの連中」と言いましょうか。
 こういう人たちを、祭司やパリサイ人たちのように呆れ果てた顔で、批判、非難、罵るのは簡単です。しかし、イエス様は言われます。
「すべて重荷を負うて苦労している者は私のもとに来なさい。私は義人を招こうとして来たのではなく、罪人を招こうとして来たのです」と。
 祭司やパリサイ人たちはイエス様の弟子たちにこう言います。
「なぜイエスは取税人や罪人などと食事を共にするのか」(マタイ9:11等参照)と。
 イエス様は取税人や罪人たちと喜んで宴会を楽しんだようです。このイエス様を彼らは非難しました。
 この祭司やパリサイ人たちに、石原さんをはじめ、多くの私たちは、なんと似ていることでしょうか。
 私たちが、世の偽装建築技師、振り込み詐欺、談合屋、親殺し、子殺し、ニート、こうした人々を、高所から見下ろして、軽蔑、罵り、罵倒し、見限ったりするならば、前述の祭司、パリサイ人と同族です。
 イエス様の態度はまるで反対です。イエス様はこの取税人や罪人たちのために地上に来られたのだとおっしゃいます。
 イエス様が宣教開始に先だってバプテスマの「悔い改め」の洗礼を受けられました。罪もなきイエス様がヨハネのバプテスマを受けられるのは、ヨハネにも不可解でした。
 しかし、イエス様はこれを当然の正しいことと言われました(マタイ3:15参照)。「私もみんなと一緒に悔い改めるよ」と言われるのです。
           *
 私たちは祈るべきです。罪もなきイエス様がヨハネの悔い改めのバプテスマを受けられたように、私たちも真の悔い改めの祈りを祈るべきです。
 「悔い改めの祈り」は、「執り成しの祈り」の頂点というか、最深部です。
 そうです、「執り成しの祈り」どころではない。「悔い改めの祈り」です。最低の深部に飛び降りて、「悔い改め」、祈るのです。
 しかし、せめて「執り成しの祈り」も励みたいのです。私どもの知っている友人たち、家族、信徒さんがたをも含めて人々のため、執り成して祈ることはかなり簡単です。
 そして又、日本国中の大衆を想って祈ることも大きすぎはしますが、出来ます。励みましょう。必ず、出来ます。祈りましょう。
 実は、こうして、冒頭に書いた日曜日の朝のように、私は2時間ほど祈ったのです。
 その時、不思議なほどの平安、日本人すべての対する無私な愛、そういう心が湧いて来たのを私は感じたのでした。そして遂には、「敵をも愛せよ」というイエス様の最高の教えさえも決して不可能ではないということ、又これこそ人間の可能な完全への道であること等、そういうことを悟ることができたのでしたが。
 これが、第一頁に書いたように「無私、かつ愛の心」を持つことのできる秘訣、と題した所以でありました。まことに、感謝でした! 《く》

〔あとがき〕
本文の主題は「執り成しの祈り」でした。この主題に関してA姉から絶好の参考書を紹介されました。それは、「『祈りの時』を変える黙想」(オズワルド・チェンバーズ著、棚瀬多喜雄訳、いのちのことば社発行、定価1700円税抜き)という本ですが、残念ながら目下発行所でも品切れのようです。ぜひ再版を発行所にお願いしたいものです。ともあれ、皆さんには、しばらく要所、要所をコピーして読んで頂くつもりです。▼11月12日に、「在天者祈念礼拝」を持ちます。引き続き、午後に別府霊園の教会墓地に行きまして「墓前礼拝」を営みます。キリスト教界には、召天後の召された方々に対する慰霊の行事というものが無いので、仏教のしきたりに慣れた未信者の家族の方々には寂しい思いをお与えすることがあります。その辺のことも覚えて、毎年いたしている行事の一端です。ご了承ください。また幼児の皆さんのために、七五三に対応して幼児祝福式を11月5日に致します。《く》
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by hioka-wahaha | 2006-10-24 19:04 | 日岡だより

No.250 平和への道は敵を愛すること 2006.10.15

平和への道は敵を愛すること

 昨日の朝、松栄山に車で行った。松栄山と言っても、実は大分県の護国神社のあるところである。護国神社に行ったと言っても良いわけだが、私は護国神社に参拝したかったのではなく、ただ境内の端にある展望台に行くことにしたのである。
 ここは、昭和41年に大分で国体があった時、昭和天皇ご夫妻もお出で下さって、大分市と別府湾の景観をご覧になって頂いた所。まあ、お目当ての出来たばかりの新日鉄の工場が真向うにあったわけだ。たしかに世界一の製鉄工場であるから、お見せする価値はあったのだろう。この展望の端っこに我が教会も、望遠鏡なら見えるかも知れない。
 さて、早天祈祷会を終わって、急に行きたくなって、ここまで来たのだったが、来てみてよかった。この広い境内の一角、その展望台にはいる脇に、小さな案内板がある。読むと、西南戦争戦没者墓地とある。入って見ると、10センチほど角の石の棒を立てただけというような、哀れな墓の林立、数えてみると200基ほどある。
 西南戦争というと明治10年、西郷隆盛を大将に推したてて当時の不平分子が反政府の反乱を起こした、戦争と言うのも大げさな国内戦争である。熊本から大分県内になだれ込み、宮崎県のほうに崩れてゆく西郷軍を追って行った政府軍の戦死者たちの墓である。西郷軍も逃げながら、よく戦ったものだ。
          *
 さて、この墓地の向かいに満蒙開拓青少年義勇団の慰霊碑というのがあった。文字が痛んでいるので、目をこすって見ると、昭和13年から終戦後までの犠牲者たちの名前である。大分県の各地から応募した青少年たちが、大陸の当時の満州と称した中国東北地方ならびに蒙古地方に派遣されて農業や牧畜の開拓に従った、その若者たちの祈念碑なのであろう。
 当時の情勢では、時に中国軍やソ連軍や、現地の人たちの嫌がらせ襲撃にさらされることがあったであろう。そういう場に居れば銃を持って戦わねばならない。そうした応戦の中で死んで行った人たちの霊を祀る慰霊碑なのである。石の表面に彫られた氏名をなぞると50数名、女性の名前すらある。私は思わず涙を流した。
 この碑の隣には忠魂碑という大きくて高いコンクリートの塔もあった。忠魂碑と言えば、もっと大きな忠魂碑が戦前には春日浦の春日神社の前の広場にあった。今は平和台と名を変えているのであろうか。宮崎の八紘台(はっこうだい)も同じような扱いを受けている。
 日清戦争か、戌辰戦争か知らないが、それ以後の大東亜戦争、アメリカ流で言えば太平洋戦争までの戦死者を称える塔とでも言うか、高くそそりたっている大きな塔である。戦争を賛美、肯定する人たちも、戦争を厭い、否定する人たちも、それぞれの感慨をもって見上げることであろう。
          *
 さて、ここで戦争のことについて考えてみたい。戦争はなぜ起こるのか。聖書によれば、「それはほかではない。あなたがたの肢体の中で相戦う欲情からではないか」(ヤコブの手紙4:1)と言っている。個人の間でおこる争いも、国家間でおこる戦争も同じことである。
 個人の間の争いは国家の法律がこれを裁くし、また殺人のごとき犯罪は、これを禁止する。ところで国家間の争いに対しては国際連合のように、干渉、調停、裁定しようとする機関が無いわけではないが、最後的に戦争にでもなると、その機能はなかなか発揮できない。最近の北朝鮮ごとき核挑発の段階でも国際連合はじめ、各国とも頭を痛める。
 ところで、ご承知のように私は絶対非戦論者、また絶対平和主義者である。こういう私に対して、多くの賢い人々がせせら笑うであろう。あるいは顔をしかめて疑問を呈する。「もし敵国が軍隊をもって攻めこんで来たらどうするのですか。ただ、呆然となって殺されるだけですか」。
 戦前のアメリカ映画に、こんな映画があった。主演は当時の人気男優、ゲーリー・クーパーである。懐かしい人も多いでしょう。彼が扮するのは非戦主義を標榜するクェーカー教徒、彼の住む周辺が敵軍に囲まれても、彼はあくまでも非戦主義を通した。
 しかし、彼の家族が敵軍に襲われる、その知らせを受けると彼は決然とライフルを手にして、家族救出のため前線に立って行く。要するに、いざという時、生易しい平和論では現実の事態には通用しないということである。
 これは「友情ある説得」という題で、日本では戦後に封切りされた。私も大分の映画館で見たが、これはなるほど戦時中のアメリカ政府の戦意昂揚映画の一つだな、と思った。アメリカにはクェーカーを初め、先日も新聞の話題になったアーミッシュ等、平和原理主義的教派の主張も強いので、これをねじ伏せたいアメリカ政府の意向に添った映画作品であっただろう。日本ではもっと、もっと多くのそういう映画が作られたものだ。
          *
 先日、ふと古い新聞のスクラップを見ていたら、10年ほど前のものだっただろうか、「キリスト新聞」の社説欄に、「降服論」という主張が載っていた。平和主義を達成しようとすれば「降服論」に徹せよという意見のようだった。なんと乱暴な意見だな、と思ったが、よく考えるとこれしかないわけだ。最初から、「降服主義」に徹して居れば、問題は簡単に解決すると、私には分かって来たのである。
 この論議を実際に敵国が攻めこんできた時点で始めると、問題は深刻で、大きい勇気を必要とする。しかし、まだ、相手の国が敵国にはなっていない、交渉段階の隣国である場合、「降服」も覚悟の上で交渉に臨めば、相当不満な、残念な、もっと有利な結果が他にあるかもしれないと言う段階ではあっても、ともかく戦争はしなくてもすむし、爆弾や原爆も落ちて来ない、家も焼けない。工場も残る。もちろん、人は一人も死なない、そういう結果になる。
 戦後もすがすがしい政治姿勢で世人の賛嘆をあびた石橋湛山氏が戦前に、こんなことを言っている。「今、『満州は日本の生命線だ、支那に出兵せよ』などという勇ましい意見もあるが、なあに、支那やソ連と交渉して、満州や朝鮮も台湾も独立国になれるようお世話して、これらの国と友好関係を結んだら良いのだ、日本列島上に今の軍艦や戦争道具の製造費用をまわして生産工場を造れば、一億人程度の日本人は優に養えますよ」。
 事実、日本は戦争に負けて、莫大の金も資産も失い、植民地の台湾、朝鮮も失って丸腰になってしまったが、戦後たちまちに現在のような世界の第二の経済大国になったではないか。石橋湛山先生の言ったとおりになっている。初めから、戦争をしなかったら、もっと立派な国になっていたことでしょう。
          *
 人間も国家も同じです。喧嘩や、戦争になる前に、お互いに平和な間柄になる工夫をしましょう。それも容易な道でないことは確かですが、それは経済や、政治的交渉のレベルを越えて、道徳的な宗教的な努力が必要なのです。
 聖書は言います。「わたし(キリスト)はあなたがたに言う。敵を愛し、迫害するもののために祈れ。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らしてくださるからである」(マタイ5:44、45)。こうして、私たちは「天の父が完全であられるように、私たちも完全な者になる」(マタイ5:48参考)ことができるのです。
 これを私は「敵を愛する、これこそ平和への道」と言い替えているのです。
 戦争になる前の段階で、どんな分からず屋の相手でも、平和の道を捜すのです。これが本当の平和主義、具体的平和主義です。
 空理空論ではありません。その前提は、単なる我慢や妥協的術策ではなく、キリストにある愛と信仰です。この信念を以って解決の道を捜すのです。必ず出来ます。《く》
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by hioka-wahaha | 2006-10-17 11:46 | 日岡だより

No.249 悪魔に向かって笑え 2006.10.8

悪魔に向かって笑え
 
リバイバル新聞の2002年の頃、私の拙文「ワッハッハハ元気が出るコラム」が連載されたことがある。その36回目に書いたのが以下である。

 先日、拡大宣教学院の卒業式に出ましたが、主賓講師のウインストン・イー先生(アジアアウトリーチ総裁)の記念メッセージに感銘しました。特に「悪魔に追い掛けられるな。悪魔を追い掛けよ」、というフレーズには全く共感でした。
 この卒業式を終わって、私は東北宮城県から新幹線で東京都下に出ます。すぐ大分に帰らないで、今回はH市に行きました。そこに背骨を痛めて、坐れない、立てない、排便ができないという、難病の女性に会いました。私の「テレホン聖書」を聞いておられ、幾度も癒しを体験されたという方ですが、彼女にもっと神様の完全な癒しを体験して頂きたいと思い、面会を約束してあったのです。
 この日は、特に急に病状が悪化したらしくホテルで会えたときは、姉妹はソファに横になったまま寝ておられた。そばには温和で篤実な感じのご主人と、中2のご子息が付き添っておられた。そのご子息に学校での授業の受けかたや、自宅勉強の愉快なコツなどを教えながら(この主題は私の得意である)、しばし歓談しました。
 最後にゆっくり、姉妹のために祈りました。主を仰ぎ、信じて祈りました。イノチがビリビリ注がれてゆく。私はふとウインストン先生が「悪魔に追い掛けられるな。悪魔を追い掛けよ」と言われた言葉を思い出しました。さっそく真似する。
 私は姉妹に語る。「姉妹よ、私たちを怯えさせ不安を与え、病気をもたらすのはサタンです。姉妹よ、サタンに脅されてはなりません。逆に悪霊を怯えさせましょう。かつて悪霊自身から私は聞いたことがあります。悪霊は『イエス様のお名前が一番怖い』と言いました。『ほかに怖いものはないが、イエス・キリストの血と名が怖い』って。そこで、
 私は目を怒らせ、憤怒の顔を見せて悪霊をにらみつけて、「イエス様の御血潮とお名前によって命じる。この人に病気と痛みと無力感をもたらす憎むべき者よ、出て行けっ」と叫びました。ただちに、その方から痛みが出て行きました。悪霊は私の声と表情に震え上がったのです。私は逃げる悪霊を追い掛けました。私は彼の背に向かってあざけりの笑いを送りました。「ワッハッハッハハ!」と。
 姉妹は坐れなかった体を起こして坐り直し、そして立ち上がり、歩いてホテルを出ました。手をふりながら、ホテルの玄関を出て行った姉妹とご主人とお子さんを私は主を賛美しつつ見送ったことです。
 もう一度、私は「ワッハッハッハハ!」と高笑いしました。(以上)
           *
 私は、その頃たいへん忙しかったので、H駅前のホテルに泊まり、ご夫妻にホテルに来てもらって、祈ってさしあげたのでした。そして翌朝、一番に東京に出て、飛行機で大分に帰ったものです。
 帰ると、前記の姉妹からメールが入っていました。
「先生に祈って頂いてから、すぐ町に行きました。町に出るのは九か月ぶりでした。バスに乗って、町に行き、用事をすませました。ハレルヤ! 私は嬉しくて泣きました」。私も「ハレルヤ」と主を賛美したのでした。
 ところが、3月ほどした頃だったでしょうか、彼女からメールがはいりました。その頃の急の暑さです。体がきつくなり、以前と同じような症状が再発したというのです。でも、彼女は気丈でした。文面に、こう結んでありました。「時々、不安は襲ってきますが、『ワッハッハハ、サタンよ、お前にはなんの力もない、二度と来るな』、と命じています。どうか、お祈りください。ワッハッハハ!」。
 私は彼女を励ましました。彼女が気丈に信仰を維持しているので感謝でしたが、しかし悪魔も巧妙に働きますから、私も少々心配していました。
 一度、神様の癒しを受けて、その後、再びその症状が見え出すのは、よくあることです。そういう時、癒された信仰を維持して大胆に悪魔に立ち向かうことは、本当に大切です。またその人の信仰が自立するためにも必要なことです。特に又、この姉妹の場合のように癒しの祈りをしてくれた伝道者が、その後は遠くの土地に離れているという場合など、尚更です。そんな時、
 かつての症状がふたたび見え出して、不安を感じた場合の上記の姉妹の雄々しさを称賛したいと思います。悪霊は人をだます霊(ヨハネ8:44下)です。又、あざける霊(第二ペテロ3:3)です。「主はひがんだ者にはひがんだ者になられる」(詩篇18:26)という不思議な言葉がありますが、神様は悪には悪を打ち返すところがあります。私はこの「打ち返し」の原則の真似(!)を、悪霊に対して使うべきだと思うのです。つまり、悪霊をあざ笑うのです。「神様は、神様に逆らう世の王たちをあざけり、笑われる」と詩篇第二篇にある通り。
 私たちの内心にどんな不安があろうとも、また元々弱気な性質であったとしても、そんなことを気にしないで、怒りの表情、いかつい声、全身をふるわせて「憎っくき悪霊よ、私より離れ去れ」と命じるのです。そして「ワッハッハハ」とあざ笑いましょう。こう彼女にメール返信したことです。
 「ワッハッハハ、元気にやりましょう! 悪魔を追いかけて、『ワッハッハハ』と笑おうじゃありませんか」。
          *
 この際、大事なことがあります。前述した「内心にどんな不安があろうとも、そんなことを気にしない」という一つの理由は、私たち人間の心の中を悪魔は見通せないのだということです。悪魔は私たちの表情、しぐさ、言葉を見て、私たちの心の中を察することは名人です。しかし、私たちの心の中を見通せません。
 私はこのことは随分以前から言ってきましたが、最近、アナコンディアも同じ事を言っているのを知りました。ですから、私たちの内心がどんなに怯え、震えていても、そういうことは微塵も見せず、おっかない顔をして悪魔をにらみつけるのです。
 悪魔は人間をだます名人です(それが又、彼らの誘惑の手口です)。ですから、私たちも打ち返しの原則で悪魔をだますのです。私たちは、頑張って気丈な顔をして「お前には負けないぞ」と悪魔をだますのは善いことだと心得ておきましょう。
 更にもう一つ大事なことは悪魔(サタン)も悪霊も確かに実在する存在者だということです。私は25歳でした、たしか昭和22年、伝道のさなかで悪霊に出会いました。その頃の日本の教会で「悪魔や悪霊の実在」を認める人は殆どいませんでした。
 「悪霊につかれた男なんて、あれは現代では精神病者のことだよ」と言ったりしていました。しかし、私は目の前に悪霊につかれた人を見ると、聖書の言葉を信ぜざるを得ませんでした、そして思わず叫んだものです。「悪霊よ、出て行け」って。その悪霊はねばって半年ほどしてやっと出て行きましたが。
 新約聖書には悪魔(サタン)という名前が70回以上、悪霊という言葉も70回ほど出ています。案外、旧約聖書には出ていないのです。イエス様が地上にお出でになった時、悪魔も子分の悪霊どもも怯えつつ、イエス様におびき出されて姿を現わした感も無きにしもあらずです。《く》
〔あとがき〕
本日(10月8日)は私の宣教開始記念聖会として、主日礼拝を守らせていただきますし、関連して、今夜も信徒諸君の一泊セミナーであります。私は1949年10月9日(日)に鶴崎市西町の林正貴兄宅にて第一回の集会を開いたのでした。最初の日は、集う者は私と林兄だけ、近くの鶴崎小学校の運動会の音が聞こえました。たった2人の礼拝でしたが、私は嬉しくてなりませんでした、い。以後、57年、主の御手によって、多少のつまずきもありましたが、今日まで導かれて来ました。感慨無量、ただ感謝あるのみです。▼「悪霊追い出し(霊の戦い)」に関連して、90年代より、マルコーシュ・パブリケーションから良い本が沢山出ています。特に奥山実先生の「悪霊を追い出せ」などは面白くてタメになります。アナコンディアの本は同社発行の「霊の戦いと大収穫」です。お奨めします。▼なお、10月6日夜のコンパルホールでの石井筆子女史の生涯を描いた「無名の人」を見てきました。実に地味な作品で驚きました。長い間、世から忘れられて来られたこの方に似つかわしい作品と言えましょうか。男女平等や、障害者教育への熱意は現代にも尚訴えるところ多大、その先見性に驚嘆します。ただし、残念なのは、石井筆子女史が「敬虔なクリスチャン」だったとは語ってくれますが、どのような求道の結果、クリスチャンになられたのか、またそれ以後の信仰の経過、この方の内面性に可笑しいほど触れてくれなかったことです。関連して、教育だけで人が造られるように語るのも少々疑問でした。《く》

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by hioka-wahaha | 2006-10-10 11:22 | 日岡だより

No.248 本当の楽天思考 2006.10.1

本当の楽天思考

 前世紀に、アメリカあたりから発生したらしい楽天的な大衆的実践心理学というものがある。
 こう書くと何だか難しく感じるが、つまり「成功の秘訣」などというたぐいの思想である。その後、広く大衆に知られて来たのがジョセフ・マーフィーの「眠りながら成功する」などの一連の本であろう。
 こうした考えかたの発端はエマーソン(1803~82)だったかもしれない。「あなたがいつも考えていること、それがあなただ」という有名な命題である。
 いつも何かを習慣的に考えていること、それがあなたを形成する、ということだが、そこからおびただしい近代のポップス心理学が登場する。
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 生長の家の創始者・谷口雅春氏は前半生、極度に敬虔主義的な禁欲的な厳粛主義者であったらしい。その自叙伝を読むと分かる。
 氏が郷里の神戸市の古本屋でふと「心の創造活動の法則」という英文の本を見つけた。ホームズという人の書いた本であった。これが現代きっての民衆宗教「生長の家」が生み出された端著である。
 ホームズは個性的な神を信じないで、「神とは趙個性的な創造の法則である」と言う。これは最近船井幸雄氏などがしばしば取り上げる、筑波大学の村上和雄教授が創唱する「サムシング・グレート」ということと全く同じである。
 キリスト教は違う。聖書の神は「グレート・ワン」である。最高に個性的な、絶頂的な人間性を持った方、その方が人間の目にも見える形で地上に表れて下さった、それがイエス様である。
 さて、ホームズの「心の創造活動の法則」では、こう書いてあったと谷口氏は言う。「善人にせよ、悪人にせよ、自己の不幸を心に描いて、それを心から離すことの出来ないものは不幸に陥らずにはいられない。その不幸は自分の心が呼ぶのである。宇宙の法則は心の呼ぶところのものを造り出してくれるのである」と。これが現今、書店に行ってみると山ほどある「成功の法則」「万事うまく行く考え方」等々の源流である。
 戦後すぐ出たがブリストルの「信念の魔術」、牧師の書いた本ではノーマン・ヴィンセント・ピールの「積極的考え方の力」、その類書はダイヤモンド社あたりから次々に出た。
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 異色で一部のカウンセラーなどに非常な影響を与えたのが、マクスウェル・マルツの「自我像・セルフイメージ」の説であろう。この本は東京オリンピック以降の日本のスポーツ界を席巻するイメージ・トレーニングの流行を生んだと思われる。
 20年ほど前、伊豆半島の天城山荘で韓国のチョウ・ヨンギ先生が「三拍子の福音」と称して語ったのも、この流れであったし、これが日本の教職者に異常な影響を与えたことはたしかである。
 最近もチョウ・ヨンギ先生の教職者むけ「牧会セミナー」のビデオを大川先生から頂いて見たばかりなのだが、やはり私は圧倒された。同じことを語っても、チョウ先生はその熱度が違う。お顔を見れば、相当お年もとられたなあとの感慨は拭えなかったが。
 先生はこの「牧会セミナー」の最後で、「先生がた、希望を語りなさい。希望を語りなさい」と力説された。真の希望は楽天思考を生み出します。
 佐藤富雄という不思議な先生がいる。クリスチャンではない。理学博士で農学博士、もう一つアメリカのヘンな名前の博士号をお持ちだったと思うが忘れました。この方の書いた本に「口ぐせが人をつくる」などという大衆的なものまである。
 この方の注目してよい本に「積極人間は早死にする」というのがある。積極思考の先生がたは、なんと答えるでしょう。説明は省略するが、単なるセッカチ、シンケン型の積極思考では、息切れがして早死にするというのでしょうか。そこで先生は「楽天思考」を推奨するのです。
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 私は最大の楽天思考家を聖書から伺いたいと思います。第一はモーセです。彼は異国エジプトの地で、奴隷階級として呻吟しているヘブル人の子どもとして生まれたが、幸運にも王女の養子として拾われる。しかし、シンケンで真面目無比の青年として育った彼は、同胞をかばってエジプト人を殺してしまう。
 それが王の耳にはいって彼は国外に逃亡する。彼の人生は絶望であった。その彼が唯一の「我は有りて有る者なり」と宣言される神に会う。そして、一旦逃亡したエジプトに帰還する。ここから、
 いわゆる、映画「十戒」でおなじみの物語が展開するが、如何なる時にも彼は絶望しない。神が守って下さるからであるが、その人生の最後、死海の東岸、ネボ山のピスガの頂上に立つ。申命記の最後の個所である。神様は彼に、彼が率いた60万の民の導かれ行くべき希望の土地、カナンを遠望させる。神は言われる。
 「モーセよ、これがあなたの民が行こうとする私の誓いの土地である。あなたはこれをあなたの目には見るが、そこへ行くことはできない」。そしてモーセは死にます。
 モーセは死ぬ時、目もかすまず、気力は衰えていなかったというのに、神様は彼に死を与えました。何故でしょう。その理由は私には分かりません。ただ分かるのはモーセは民の行くべき土地を遠望しつつ希望を持って死んで行く事が出来た。彼は万事につけ善をなしたもう神様を信じていましたから。
 ここで言いたいのです。モーセはただ単に死ぬのではありません。天に帰るのです。天からヘブルの民のカナン突入を見ることができるのです。だからこそ、彼は「天を楽しむ」ことが出来ます。つまり、本当の楽天思考とは、死地に臨んでも「天を楽しむ」ことの出来る希望の思考の力です。
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 この夏、私どもの教会を訪ねてくれた八王子の松原さんからメールが入りました。前号の本紙「老人の祝福」の記事を読まれての感想でした。
 明治の頃、札幌農学校を去って行く時クラーク博士が、別れを惜しむ学生たちに残した有名な言葉、「少年よ、大志を抱け」。この言葉を松原さんが、実際にクラーク博士が馬上から叫んだ言葉を調べ上げてみました。
 クラーク博士はこう言っているのだそうです。「Boys be ambitious!」、この最後に「like this old man」と、つけ加えているのだというのです。「この老いぼれと同じように大望を持ち続けるんだぞ」とクラークは言ったんだと、松原さんは書きたしています。
 「老人よ、大志を抱け」と言っても良いわけです。「老人よ、大いなる希望を抱け」というのです。
 モーセはピスガの峰から、カナンの土地を遠望しました。地中海も見えたと聖書にあります。その時、モーセはがっかりしませんでした。天から、カナンの地に同胞ヘブルの民が突入することを予見出来たからです。それが信仰というものです。
 信じるとは、まだ見ぬものを、あたかも現実のことのように見ることです。そして、そしてその将来の実現を楽しむのです。本当の楽天思考とはこの信仰の思考法のことです。「天を楽しむ」、これが楽天という言葉の語源だと断じたいですね。《く》

〔あとがき〕
今橋淳先生が先生の「回心録」を改訂、新装して贈ってくださいました。先生のコンバーションの確かさ、見事さ、凄さが分かります。そのコンバーションの際、たずさわった桜井先生も私には忘れられない信仰の先輩です。当時の手島先生のお弟子さんがた、桜井先生と言い、新保先生と言い、そばにいるだけでビリビリ来るような忘れがたい雰囲気があった。その感じを今橋先生が受け継いでいますし、その感動をこの改訂新装の書は与えてくれます。▼本文に書きましたが、大川先生から送っていただいたチョウ・ヨンギ先生の教職者むけ「牧会セミナー」のビデオ、信徒のかたもこれを視聴されると、大いに励まされますよ。また教えられる所、多大でしょう、どうぞご覧になってください。▼中川先生の「聖地からメッセージ」も、これ又ぜひご覧になってください。ユダヤ民族にたいする神様の執拗なほどの愛顧、世界の歴史に及ぼす絶対主権というか、そういう重い支配力に目を開かせてくれます。いずれも、図書室のほうに置いておきます。▼本紙245号に「目標を持とう」と書きましたが、本気で当教会の信徒数を10年で千人にさせて頂こうとすると、平均倍加率でどういう風に増えて行くかを計算して、その数字を祈祷会のメンバーに見てもらったことがあります。子どもじみた仕草だと笑わないでください。「なんじ、幼児のごとくならずば天国に入るるを得じ」、イエス様のお言葉です。《く》

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by hioka-wahaha | 2006-10-03 15:18 | 日岡だより