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No.243 日本国憲法は偽装憲法 2006.8.27

日本国憲法は偽装憲法

 本年6月18日の本紙で星野富弘さんのことについて、ちょっと辛口批評を書いた。つづいて先週、8月20日号の本紙で、あろうことか内村鑑三先生のことについて、日ごろ思っている批判気味な記事を書いた。
 だからと言って、内村先生に対する敬愛の念が薄れている訳でもない。これは前者の星野富弘さんについても同様である。言い訳じみるが、敬愛するからこその辛口の批評だとも言える。
 さて、今回はいささか違った角度で、一般の常識のすき間を突く批判を書きたい。それは現行の日本国憲法である。よく「平和憲法を守ろう」、あるいは「九条を守る会」などと言うのがある。お調子に乗ってそういう会や、そういう宣伝文句に私も名前を並べているが、本当は不本意なのである。
 なぜか人々は、現行の憲法を「平和憲法」と呼ぶ。私は「いいえ、偽装憲法なのだ」と言いたいのである、これは悪名高き「偽装建築」よりも、更に良くない。人を惑わすにも程があると思っている。
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 問題はその前文である。その中ごろにこういう一文がある。「日本国民は、恒久の平和を念願し、(中略)、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。云々」。この前文に基づき、有名な軍備絶対放棄の憲法九条が掲げられる訳である。
 私たちは、いざ某国が我が国に戦争しかけようとする時、どこの国の「国民の公正と信義に信頼」すれば、平和ですませられるか。その辺の見通しは非常に曖昧で、幼児的信頼を架空の解決策に預けているとしか思えない。
 ところで、現時点の外交模様を照らし見れば、この「諸国民」とは明らかにアメリカやアメリカ同盟国のことを指していることは明らかである。つまりアメリカの傘下にある平和主義であって、だからアメリカのイラク侵攻には、日本も追随する。これでは、日本の平和憲法なるものは、天上に舞いあがる凧みたいなもので、単なる紙きれに過ぎない。
 聖書を開くと、旧約聖書では嫌になるほどイスラエルの対外戦争が出て来る。それをユダヤ人たちは「聖戦」と称する。ところで、新約聖書では戦争を肯定し賛美する言葉は、全然出て来ない。何故か? ローマ帝国内において、クリスチャンたちは帝国の権威に対峙し、帝国の権威に抵抗した。もちろん、国家の軍事力に参加することも協力することもあり得ない。とは言え、国家の法的秩序には従いなさい、と使徒たちは教えている、この逆関係が凄い。
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 この逆関係の真理性は近代に至り、ガンジーによって見事に実践的に証明された。彼は大英帝国のインド政治が真理に背いていると確信した時、堂々とその法律に背いた。そして、その国法の法廷で審判を受け、その判決に従い、堂々と刑を受けた。これはソクラテスが死盃を避けなかったと同じように、正に凛々しい態度だった。全世界、これに感銘した。
 たとえば、当時のインドには白人だけが渡れる橋があった、そこに立札があったという。「犬とインド人はこの橋を渡るべからず」。そこをガンジーの教えを受けたインド人たちは静々と、その橋を渡った。渡り終えると、待ち構えていた警官たちの前で、彼らはみなインド風に敬虔に合掌して逮捕される。つまり堂々と罪を犯し、刑罰は法律に従って文句一つ言わず従うのである。
 このインド人たちはただちに刑務所に入れられたが、間もなく刑務所は満員になり、小学校の校舎を臨時の刑務所に代えたという。この報道はまたたく間に全世界に流布されて、さすがの大英帝国もこの悪法を撤廃せざるを得なかった。徒手空拳のガンジーが大英帝国に勝ったのである。国家よりも、勇気ある真理に従う者のほうが強いのである。
 現代の非戦主義者も斯くありたいと思う。兵役召集を拒否しようとする弟子に「止めたまえ、家族のことを考えてみよ」では困るのである。《く》


戦時の日本における一青年の非戦論

 ここで言う一青年とは私のことだが、若かった私のたどたどしい文章を以下に載せます。私はちょうど20歳、原稿用紙1、2枚に書いた幼稚なもの、辛抱してお読み下さい。《く》

  一、世界の歴史において
 
 真実の意味に於いては未だかつて人類は平和を持ち合わせたことは一度も無かった。個人的には(そして瞬時的には)それを持ち合わせた人がないではなかったとしても、おしなべて人間の世界を振り返ってみるとき、そこには一片の平和も見られないのである。世界歴史をひもとく時、そこに見られるものは争いの記録である。歴史とはつまり戦記に外ならないかに見える。近世に於いて、世界に戦争のなかった年は僅か数年であるという。
 しかも、ここでいう争いとは戦争のみに限るのではない。実は戦争の無かった年といえども、それを平和の年と呼ぶにふさわしくはなかった。そうした年にも、我々は戦争の原因の幾つかを数え得ることができるだろうし、事実はなはだしい戦争準備の策動が暗流していたに相違ないのだ。それがつまり、「平和」(?)なのであった。

  二、人倫あっての国家

 人倫が国家よりも大なるものであるか、小なるものであるか。
まずこの点を明らかにしなくてはならない。私は人倫あっての国家であって、国家あっての人倫ではないと信じる。
 国家はまず正義によって立つべきものである。人の集団は財力や軍備によって立つのではない。もし亦、後者の何かが欠けたとして、その故に国家が亡んだとしても、最後までその正義を失わなかったのならば、決してその国にとってその滅びは恥ではない。それを恥と思う人は、あたかも楠木正成の敗戦を恥と考える人たちである(註・まさに戦争中の一青年の文章らしい)。
 「先立つものは金」というような考え方は此の国の人たちの共有する卑点(註・当時の私の造語です)だが、それが矢張り国家自体にもある。何でもよい、南方にある一切の資源を獲得して、世界に権威を振るえるようになれば、それで日本の黄金時代が来るのだと思っている、帝国主義的思想も甚だしいと言わねばならぬ。
 豊臣秀吉の朝鮮出兵のような末路を引き起こすことは決してないと誰が言えよう。いずれにしても、この国はまさに好戦国である。
 私が非戦論を称えるのは別に深い子細があるわけではない。ただ、善を善とし、悪を悪と呼びたい一念からである。
(註・この手記は昭和17年8月20日、私が徴兵検査を受ける日の朝に書いている。当然持って行くべき幹部候補生志願書を私は故意に持って行かなかった。監督将校の叱責を受け、憲兵隊に送り込まれるのも覚悟していた日である。しかし、検査の結果、「筋肉脆弱」という情けない理由で、甲種にもならず第一乙種にさえ不合格、呆然として家に帰った日である)。


どうして、こんなことが

 どうして、こんなことが起こったのか。こうして表立てて書くのは面映ゆいのですが、先週の8月21日のことです。
 その日の11時ごろ、急に心の底から、ある思いがカーッと突き上げてきたのです。「海に行きたーい。海で泳ぎたーい」という強烈な思いです。
 こういう「強烈な思い」は、私の84年間の生涯で、一度も経験したことがありません。突然に湧き起こる龍巻のような思いです。いくら払いのけようとしても、私の心から払いのけることが出来ませんでした。
 私は心に湧きあがるその思いにせきたてられるようにして、玄関に立って戸を開けながら、娘のせつこに「海に行くよ」と声をかけると、「何ごとなの」。「うん、海に行って、泳ぎたいんだよ」と答える。せつこは「待って、待って」と私を玄関に立たせて、「私も行くから」と言います。
 「なぜだい」と私は思いましたが、「彼女も海に行ってみたいんだな」と考えて同意しました。そして彼女の車で大分市郊外の田の浦海岸に行ったのです。
              *
 天候は快晴で、私はもう40年ぶりでしょうか、海の水にはいって、ほんのちょっとの間でしたがジャブジャブと泳ぎました。爽快でした。ともかく、細腕で平泳ぎらしきものが泳げたのが不思議でした。その私の様子をせつこが携帯で写真を取って、堺にいる長男のえりやにメールで送ったのです。えりやから、すぐ返事です。「びっくりしたよ、父ちゃん、大丈夫かい」。
 その時、私は初めて、せつこやえりや君の私に対する心配が分かりました。「心配かけたな、申し訳なかった」と思いました。
 私は自分が84歳の老人で、こんな行動は「年寄りの冷水、心臓麻痺でも起こしはしないか」と、彼らがヒヤヒヤしているのだと、やっと悟りました。
          *
 さて、書きたいことは、こうした「海で泳いだよ」という自慢話ではなくて、最初に書いた「急に心の底からカーッと突き上げてくる思いが起こった」という、そのことです。こんなことは、私の人生に初めての強烈な「意志体験」でした。
 聖霊による意志の急変、深刻な転換は、よく聞くことです。私にも体験があります。しかし、今回のような聖霊体験とは違う、私自身の意志による強烈な発奮は初めての経験でした。そして、これは人間の自我意識の自覚・強化のため、非常に大切な事なんだと思いました。これまで、一度もこういう経験がなかったという事は、私のこれまでの未熟さをさしていると思いました。
 確固たる意志、目的、継続力。こうした人間力は、まずこの発奮の強さから始まるのだと気がつきました。こういう精神の形成に加えて、聖霊様による意識転換(コンバーション)の経験を持つならば、クリスチャンとして百人力だな、と思ったことです。《く》

〔あとがき〕
先々週17日以来、20日まで台風10号はグズグズ九州に滞留、ちょうど同じ時期に帰郷していた長男夫妻は、連日雨中決行で由布院あたりを巡っていた。気の毒だったが、どうしようもない。しかし2人はこれを苦にもせず、大分の山野を楽しんだようで、息子夫婦ながら「偉い奴じゃ」と思ったことです。《く》
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by hioka-wahaha | 2006-08-29 22:58 | 日岡だより

No.242 非戦論者と非戦主義者 2006.8.20

非戦論者と非戦主義者

 某君から「最近、『キリスト者の戦争論』を読みました。なかなか参考になり、信仰のあり方を考えさせられました。内村鑑三には預言者的面がありますね。日本のキリスト者はもっと内村鑑三を研究されるべきだと思いました」と来信があった。
 私はまだ、この本を読んでいないので、なんとも言えない。しかし、私の非戦論は全く内村先生の影響から来ているのだから、この某君のいうことは心情的によく分かる。
 しかし、私は内村先生にはたった一つ不満な点があった。例の花巻事件です。内村先生に反旗をひるがえすようで心苦しいのだが、内村先生は非戦論者ではあっても、非戦主義者ではなかった、と言いたいのである。
           *
 内村先生の花巻事件とは、こういうことです。当時、日露戦争の時代。岩手県の花巻にすむ斎藤宗次郎という青年、内村先生の心酔者だった。この人に兵役の召集礼状が来た。斎藤青年、日ごろの内村先生の非戦論にしたがって、兵役を拒否することを決心、その旨を内村先生に知らせた。
 内村先生驚いた。即刻、花巻に急行、斎藤青年の短慮を戒めた。「君、信念とその応用は違う。非戦論は正しいが、ただちに召集拒否はいけない」というようなことをおっしゃったらしい。
 その時の先生の正確な言葉は私にはわからないのだが、要するに「聖書の研究」の読者は5千人はいたと言われ、多くの尊敬者を集めていた内村先生は、斎藤青年の短慮(!)の結果おこる、先生の無教会集団にたいする政府筋や世間の反応を恐れたのではないか。これは私の憶測だが。この内村先生の反応に、私は深く悩んだのである、非戦主義者として。《く》

 
大分市の戦後福祉事業の神話時代

 この8月16日、午後、一人の男性が来て、教会の駐車場の草をむしらせてくれと言う。そう言えば、半年ほど前にもこの人は来たことがある。当教会の駐車場はほとんど只に等しい謝礼で借りている土地だが、約2百坪はあるだろうか。そこに7月の梅雨と夏の日照りの中で相当に草は成長している。その草をむしらせてくださいという。
 前回も好感を持てる平和な感じの人だったので、応対に出た二女のせつこは、すぐに快諾して、道具の鎌も出して貸したらしい。
 もう2時間も作業しているし、ほぼ草刈りも終わっている感じなので、私が出て行って、聞いてみた。私は実は若い時、京都の一燈園に行って、こうして各家を訪ねて労働奉仕めいたことをして、無銭旅行をした経験もあるので、同じような経験者かと思って聞いてみたのである。
 ところが、この人はそういう修養団体めいたものには何の縁もなかった。ただ自分一人の考えで、こうして無銭旅行をやっているのだという。私は感心した。お名前を聞けば井上という人であった。こういうことを独創的にやれる人を見て凄いと思った。
              *
 私もかつて似たことはしたが、それは一燈園という有名な西田天香師の指導のもとに、真似してやっただけことにすぎない。
 さて、イエス様が弟子たちを地方伝道に出すときに、命じたことも、これと似た旅の方法であったに相違ない。事実、イエス様に最も忠実に従おうとした聖フランシスの行乞生活はこれであった。聖フランシスは言った。各家を回って各戸ごとに食を頂く。これは正に「キリストの遺産」であると。
  (ちなみに聖フランシスの伝記は私の読んだ限りでは宮崎安
  右衛門という人が書いた本が一番よい。私はこれを刑務所の
  中で読んで泣いたものである。その後、古本で買った。折頁
  の本で、まだペーパーナイフを入れてなかったので、どうい
  う人が持っていたのかと不思議に思ったことである。)
 私は終戦直後、大分駅周辺で戦災孤児を集めて一緒に生活した。熊本から流れてきた母親と少年の親子がいたが、その母親に簡単な食事を作ってもらった。時おり、その母親がいう。「先生、米が無くなりました」。放っておくと、子どもたちは駅に行って、待合室にいる旅行客たちに「オジサン、ご飯をくれ」と貰ってまわる。当時のこうした戦災孤児の姿を覚えている人は、まだ幾らか世間にいることだろう。
 そこで私は思う。「子どもに乞食の真似を二度とさせたくない。子どもに乞食をさせるよりは、私が乞食しよう」。私はリュックサックを背して農家を回って「お米をください」と乞うたものである。こういう時、私は意地っ張りである。「戦災孤児を養っております」などと格好のいいことを言いたくないのである。さも、行き詰まった乞食の体をして家を回るのである。当時、23、4歳だったと思うが、「まあ、あんたのような若い者が、乞食なんかして」と呆れて私を見る人もいたが、しかし、物の豊富な現代とは違う。こうした若者がいても可笑しい時代ではなかったのである。
              *
 昭和21年の秋、いよいよ冬が近づいた時、さすがに私は子どもたちを、夜、どこに寝せようかと苦慮した。私はついに大分市役所を訪ねた。当時の大分市長は木下郁氏であった。
 当時の市役所の建築の構造がどうなっていたか記憶はないが、どうも私は秘書課を通して木下市長に会った覚えがない。実はその後にも大分県知事に直訴したことがあって、その時の県知事は細田徳寿氏だったが、県知事の部屋の正面の扉をあけて、いきなり「知事さん」と声をかけてはいった記憶がある。
 同じようなやり方で木下市長にも会ったのではなかろうか。その辺はよく覚えていないが、ともかく私にはこういう役所関係にはいってゆく常識は全然なかったと言える。木下市長に言ったことはこうである。「私は今、戦災孤児たちと共同生活をしています。食べることはなんとかしています。この点で助けてくださいとか申しませんが、冬も近づき、寒くなります。彼らを夜、休ませる家が欲しいのです。軍隊が残して行った三角兵舎のような只で貰えるような住む家を探してくださいませんか」。
 こう言う私に木下氏は、驚いて言った。「やあ、よかった。あなたのような人がいて、私は本当に安心した。実は万寿寺の足利紫山老師が創立した大分孤児院を買収させて貰って、あなたのいうような戦災孤児たちを収容する施設を造ろうとしているのだが、それに当たる人材がない。あなたのような人が出てくれて私は安心した。さっそく何とかします。ついては、厚生課長に立木という人がいる、細かいことはこの人に会って相談してください」。
 こうして、戦後の大分市の福祉事業の神話時代が始まるのである。こうした内輪話は市の公式記録には載ってはいない。
 この時、私は戦後とは言え、ボロボロの服に、ボロボロの靴、そして何の紹介状のようなものも持っていなかった。まったくの風来坊のような初見の私を、いきなり木下氏は信用してくれたのである。この人は本当に大物だなあと、一返に傾倒してしまったが、また紹介された立木課長という人がまた凄い。私はこの立木課長さんの人柄には、それこそ惚れこんでしまった、この方のことはまた、別に書きたい。
 ともあれ、私が木下市長にお会いしてから、一週間もたたないうちだった。大分駅裏に行路病者たちが寝泊まりできる小さな施設があった。小部屋が3つあり、台所もある、もっとも風にも倒れそうな無残な家であったが、突然、大工さんたちが来て、修理をはじめた。そして風呂場さえ作ってくれた。「この家を釘宮さん、使え」という。私もビックリしたが、周囲の者もびっくりした。突如として、私の社会的値打ちが上がったのであった。
 戦争中は非戦論で刑務所に入り、戦争が終わったら、ただ一人の母親を顧みず、戦災孤児の世話に夢中になる。そんなことは市や県にまかせとけ、なんでそんな一文にもならんことをするのか、あまつさえ家のものをどんどん持ちだして、どうする気か。と親族たちは非難、反対する。なるほど、非常識である。布団でも、柱時計でも、茶碗でも、お風呂用の石鹸でも、なんでも自分の家から持ち出して、旧行路病舎を修繕した戦災孤児用の家に持って行った。そういうものを一つ一つ市役所の厚生課に申請して買ってもらうなど、私は思い付きもしなかった。市長さんに約束していたではないか。「家さえ造ってくだされば、あとのことは皆、自分でします」と。
              *
 私はこの子どもの家を「リトル&メリー・ハウス」と呼んでいた。ところが後にこれが県の管理に移行したらしい。名前が「上野寮」と変えられた。私になんの相談もなかった。私は「リトル&メリー・ハウス」という名前が好きだった。訳せば、「小さな楽しい家」である。これが多分、後に私の県庁の役人嫌いになる端緒ではなかったろうか。
 私はもともと福音の伝道に使命を感じていた。戦災孤児と共に生活することは楽しかったが、しかし役人の管理下の施設長になることには私は不向きであることが次第に分かってきた。私はついに立木課長に申し出て、この施設長をやめた。私は無一物になって社会の真中に飛び出した。
 伝道に神様から直接呼び出されるのは、それから数か月後であった。主は私に言われた。「鶴崎に行け」と。鶴崎は今は大分市に合併されているが、当時は小さな町であった。実はその前に、重大な聖霊経験があって、いつでも神様のお言葉一つでどこへでも出かけてゆく、心の準備はできていた。神様のなさることは一つ一つ、無駄はない。そのことは次の機会に書こう。
 冒頭の井上さんのことを書きはじめてから、ダラダラな文を草して、ここに至った。こんな文章の作り方は初めてだ。ハーザーの随筆用にはむつかしいだろうなあ。
    (2006年8月16日、夜半脱稿 《く》)

〔あとがき〕
8月14日、15日に持たれる、大阪・高槻シオン教会(有井英俊牧師)の聖会に招かれて参加してきた。少数の聖会ではあったが、自由な雰囲気で楽しくやれた。なんと言っても有井先生が私の「ワッハッハハ」がお気に入りで、「笑いの聖会」をやろうと言うわけ、私もノラざるをえない。「お笑いコンクールをやろう」と言うのだから、有井先生も凄い。
 ところで今回は慌ただしい日程だった。出かける日の朝、堺市にいる長男(えりや)の細君のお父さんが、この朝亡くなったという。そこで聖会第一日の夜は長男宅に行き、近くの斎場に行って見舞った。今度は大分の私どもの教会の賛仰者ともいうべきKさんのお母さんが亡くなった。そこで、葬儀は教会でしたいとお申し出があったという電話。私は15日の聖会の午前の講義を終わって、取り急ぎ大分に帰ってきました。そして、まだ未信者であった、そのお母さんの遺骸に「洗礼」をほどこして前夜祭、翌日葬儀をしてさしあげることになる。詳しくは又、次の機会に書きたいですが、すべてのこと慌ただしくはありましたが、順調に終わり、神様のお導きの完全であったことと、神様の栄光の顕現をあらためて賛美したことです。《く》
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by hioka-wahaha | 2006-08-22 13:32 | 日岡だより

No.241 「ワッハッハ」のおすすめ 2006.8.13

「ワッハッハ」のおすすめ

 人はだれでも罪ととがを犯しています。しかしイエス様を信じた者は、だれでも赦され、救われています。
 ですから、もうその人は過去の罪や悪いことを、思い出して苦にする必要はないのです。
 いいえ、苦にしてはいけないのです。それは不信仰です。
 ただ今日一日を感謝し、喜んで生きましょう。明日を期待して生きましょう。未来にロマンを期待しましょう。
           *
 それでも、長い習慣から、私たちはとかく罪を犯し、悪いことをしたり、考えたり、言葉にしたりします。
 そして、悲しんだり、淋しがったり、腹をたてたりします。
 それは悪魔のさしがね、悪魔の誘惑です。悪魔はすべての悪しきことの根源です。
 そんな時、心を神様に向けましょう。それが悔い改めということです。
 そして「ワッハッハ」と笑いましょう。
 悪魔はクリスチャンのワッハッハの笑い声の前に立って居れないのです。はだしで逃げ出してゆきます。
 聖書に「主にあって喜びをなせ、主はあなたの心の願いをかなえてくださる」とあります。
 何よりも、神様はあなたの罪を赦し、心に平安と喜びを与えてくれます。そして生きる勇気と知恵を与えてくれます。
 さあ、「ワッハッハ」と笑いましょう。悪魔が吹っ飛んで行きます。淋しい、不満な、悲しい、悪い心が吹っ飛びます。《く》 (1998.10.27旧稿)


聖書の信仰

  これはある方へのご返事です。
 「私は仏教だが、同じ神様なのに、それでもキリスト教だけが神様というのは、おかしいとは思わない?」、こういう友人の問いかけに答えが出来ないで困っていますと、ありましたね。
 「仏教もキリスト教も同じ神様だ」というのは、間違いです。キリスト教の神様は万物の創造者、唯一の神です。仏教の仏様は自然と一体の方です。それ自体、尊い高度な存在者ですが、創造神に造られたものの一部です。ちなみに日本の神様は既に造られた被創造物である自然の中から生まれ出たものです。
 どの神様でも同じ神様だ。だから何を信じてもよい。一応、蛇やキツネさんでなければ、何を信じても同じさ、こういう無責任な信仰論にだまされてはいけません。
 信仰とは一生、否、未来、永遠をかけて、全心全霊を託すことです。すくなくともキリスト教はそうです。
 他宗教を非難、否定、軽蔑せず、尊敬するのは、私の信仰態度です。生長の家の谷口先生の言葉などをよく引用して説教するのはそのせいです。禅宗の言葉も好きですから、教会ではよく引用します。勝れた師家の言葉の含蓄深さに私は共感するものがあるからです。
 だからと言って、神仏みな一緒などと言ってゴチャゴチャにはしないのです。人間の徹底的罪悪心の赦しを経験させてくれるのはイエス・キリスト様だけです。他の宗教は、みな罪や悪は無いことにするか、見ないことにするか、自然に無くなるよ、などと責任逃れします。
              *
 私はある冊子の冒頭で、こんな風に書き始めています。ほんの一部ですが、引用します。
 世には自己催眠的な「信仰」というものがあります。日本人は昔からそれを知っているようです。「いわしの頭も信心から」などと言うのがそれです。こうして世間一般からホンモノではない「信仰」なるものが見抜かれ揶揄されているのです。
 精神統一や、空中浮揚をしたと言って霊能力を誇示するオウム真理教のごとき宗教の危険さを世人は初めて知りました。「何を拝んでもよい。信仰しさえすればよいのだ」などと言うのは、ずいぶん無責任な言葉なのです。
 ご利益を追及するばかりの宗教があります。石の地蔵さんや蛇を祭って祖先の呪いを払うなどという原始宗教、あるいは衒学的高度な言辞を弄し、あるいは地球がすぐにも滅びるなどと高圧的に恐怖心をあおって信仰を押しつける宗教、このように低次元の宗教は様々です。
 しかし、質のよい宗教もあります。たとえば道徳的に高い目標を掲げます。自制して高品位の人生を歩めと言います。経典や創始者の言葉は感動的です。しかし、その教えに従おうとすると如何に努力しても理想どおりに行きません。人間の心はきたないものです。人の前に自分を偽り、義人らしく生きる事は出来ます。しかし、心の深いところで平安がありません。すき間風がはいるように心の中を冷たい自己否認か自己懐疑の風が吹き抜けます。
 私は戦前にダイヤモンド社の本だったか、ナポレオン・ヒルの成功哲学の本を読んでたいへん感銘を受けたことがあります。あの頃はまだそういった本はまったく無かったのです。こうした傾向の本は戦後も人気があり、今日も盛んです。潜在意識を用いて「考え方を変えよ」というタイプです。「信念の魔術」「積極的考え方の力」「眠りながら成功する」「セルフイメージを変える」「目標設定」「意識は現実を変える」等々です。
 軽快な宗教があります。それは社会、人生を上手に渡って行ける方法、そのコツを教えてくれます。家庭や近所付き合い、会社等での人間関係に成功する方法、自分自身の心がけを変えるテクニック、その実践マニュアル。これはけっして悪くはありません。案外古い新興宗教でも、たとえば生長の家、PL教団や倫理研究などに見受けられます。
 このタイプの指導手法は注意して用いれば教会でも有効です。夫のパチンコ癖が直るようにとか、登校拒否の中学生が学校へ喜んで行けるようにとか、家庭学習の下手な高校生に時間管理の仕方を教えたら、早速その日から勉強が楽しくなり、そして志望校に合格しましたとか、跳ねっ返りの娘さんがすっかり落ち着いたお嬢さんになって、良縁に結ばれたとか、こういう実例はたくさんあります。日々の生活の心構えの転換です。しかしこれは宗教とは言えません。「生き方の講習会」に過ぎません。
 それらは生活に関する一種の「救い」かは知れませんが、本当の人生苦の深渕からは救い出してくれません。「人間はどこから来て、どこへ行くのか」、そういう人生最深の悩みを救ってくれません。
              *
 私の青年時代、私の親友が厭世自殺をしました。それは彼の哲学から来る結論でした。古代ペルシャの詩人ルバイヤットが、「人の最大の幸福は生まれなかったことである。次に幸福なことは一刻もはやく死ぬことである」と歌っているような哲学、私も共感しました。そして私も深刻に悩み始めました。
 「人間が40年、50年苦労して生きている価値がどこにあるのか」、どう考えても私には「40年、50年苦労して生きている価値は人生のどこにも無い」ように思えました。私はその親友の死に釣りこまれて私も死んで行きそうな感じがして、恐れ、また苦しみました。
 そうした中で、問題は自分自身のエゴイズムにある、それが罪だと分かって来ました。どんなに人にたいして真実と愛をもって接しようとしても、所詮は私はエゴイスト、人を信じきれず、最後まで愛し通せない。却って人をだまし裏切りさえする。そうした自分の醜い不真実さは、まさしく親鸞のいうように私の心も「蛇蠍のごとく」、「地獄ぞ一定棲みかぞかし」です。
 人間がまじめになればなるほど、善い人間になれるかというと、さにあらず、人間は心底徹底して真面目になればなるほど、自分の罪や醜さ、卑しさ、弱さに苦しむのです。
 そうした人間の内面的良心の苦悩の結末は永遠の死です。この結論から人は逃げることはできません。もちろん自分をごまかして、そういう問題を考えない事にする事は出来ます。
 多くの人が「死」を考えない事にしているように……。「人間は死と太陽はまともに見つめることが出来ません」。同様に人は自分の罪をまともに見ることはむつかしい、絶対的不安が見え隠れして、ついてくるのです。
 アウグスチヌスは言いました、「人は神に造られたので、神に帰るまでは平安を得ない」人の魂は根本から罪に歪んでいるとは言え、創造者なる神の霊性は人の内奥に隠れています。人はこの内なる罪と神的霊性の2つの間の相剋に悩むのです。不安を生じます。そして強力な罪の力により神の霊性の影響下にある折角の良心は、その働きを封じられているのです。「ああ、われ悩める者なるかな」(ローマ7:24)とパウロの言うとおりです。
              *
 聖書は、人間の力でいくらあせって、がんばって罪と悪の勢力と戦っても、到底勝てないと、告げます。しかし、ここに私たちのために身代わりとなって罪と死に勝利し、罪の代価を死をもって支払ってくださった方がある。この方に信頼するなら、この方は既に永遠の生命への道を私たちのために備えて下さっている。この方に信頼するなら、私たちは永遠に生きることができます。
 イエス様は「私は道であり、真理であり、命である」と言われました。釈尊といえども「私は生命である」とまでは言えません、「私は法ではない、法を悟ったものである」と言ったのです。しかしイエス様は「私は法(真理)である」と言われたのです。
 イエス様を信じるとは、イエス様のお言葉を実行して善い人、清い人になるということではありません。イエス様を私の心に迎え入れ、私の心の中でイエス様に生きて頂き、もはや私が自分を生きることをやめる、これがキリスト信仰です。
 どうぞ、今、次の言葉をイエス様に語りかけてください。
「イエス様、私は罪人です。生来罪の性質を持っており、今も罪を犯しつづけています。このままではたまりません。どうぞ、私の内に入ってきてください。私を赦し、私の中にお住まいください。そして、私を支配して下さい。」
 そうすると、イエス様はあなたの魂の中に入ってきてくださり、いつまでもお住みになってくれます。
 もっとも、晴れた朝、東の地平線から朝日が昇って一挙に朝を迎えるように急激な回心を迎える人と、曇り日の朝、いつ朝が明けたのか分からないけれど次第に夜が明けて来るように、信仰の芽生えがゆっくり来る人もあるようです。それぞれ神様のお選びでしょうが、この後者の人たちのためには、特に母の役目をする教会の存在と任務が重要です。《く》
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by hioka-wahaha | 2006-08-14 20:27 | 日岡だより

No.240 「あなたは救われていますか」 2006.8.6

「あなたは救われていますか」

 私の母は、釘宮ツギ(晩年「希和」と改名した)、大分県宇佐郡の生まれ、生家はまあまあの中地主である。長兄が東京の大学に行って、休暇で帰って来た時、母に言ったそうだ。「俺はキリスト教に入った。善い教えだぞ。お前もキリストを信じろ、よいな」
 長兄が頼んだのだろうか、以後、中津市の教会の牧師さんが、母の家にまで来て、聖書の教えをしてくれるようになった。
 洗礼を受ける時、駅館川に架けてあった村の橋の番をしていて、他村の人から受け取る橋の渡し賃をくすねていたことを、牧師に告白したということは、かつて週報に書いたことがある。
 のちに、教会の牧師さん同士の紹介だろうが、大分の教会の信徒であった釘宮太重(たじゅう)と結婚することになる。この釘宮太重さん、つまり私の父だが、その入信の様子については、よく書くが、その信仰生活については、私もあまり書いていない。本当はもっと書きたいのである。
 この父の信仰については、私は生涯、頭が上がらないだろうと思う。温和で、かつ剛健なのだ。町のやくざを追い返すくらい何でもなかった。しかも商売がうまい、万事OKのようだが、体が弱かったのが玉にきず。しかし、この体の弱い父に対し、母はピッタシの良き妻であった。
 母は当時としては晩婚である。母の母が早く死んだ。母は弟妹を母親代わりに世話をして、婚期を逸したのである。そして病気勝ちの父のところに嫁に来た。父方の親族はよく私に言った。
 「あんたの母ちゃん、看護婦に嫁に来たようなもんじゃった」
 しかし、母はいつも私に言った。「あんたの父ちゃんは世界最高の男やったね。あんな人はどこにもおらんよ。私は一緒に居る間、ずーっと尊敬していたね。死んだ今は、なおさらだよ」。
 母は父にその生涯を尽くして愛し、仕えた。父の歌に言わく。
 
   さみだれの夜をまどろみもせで我がために、
             注射器にぎる妻の雄々しさ
 
   さみだれに悩みて細るわがうでを
             妻はなでつつ泣き笑うなり
 
 当時、父があまりにも夜昼問わず、医師を往診に呼ぶことが多かったので、医師もたまりかねて、多分医師法違反だと思うが、母に注射器と薬液を与えて、「奥さん、注射やってください」と頼んだというのである。(この医師こそ、後に私の自殺行為の現場に来て、私の胃から睡眠薬を嘔吐させて私の命を救い、その結果、私の自殺を未遂にさせ、刑務所に追い込むことにもなる、恩と縁の深い医師なのである)。
              *
 こういう母だったから、父は母に満足していたかというと、さにあらず。ある時、母にこう言ったという。
「あんたは私にとり、非常に善い奥さんだから、神様に感謝しているよ。しかし、たった一つ、残念なことがある。あんたはキリストの十字架の愛が、よく分かっていないんだ」
 こういう父の言葉に、母の反応はにぶかったようだ。母は父が何を言っているのか、そのことが分からなかった。心に思った。
「この人は立派な信仰を持ち過ぎているのよ、理想主義なのよ。私はイエス様を信じているし、毎週、教会に行き、献金も怠らず、婦人会の会長までしている。もっとも、たまには人の悪口も言うし、聖書にあるような立派な行いは出来ないけれど、その位のことはイエス様も許して下さると信じているわ。何事も、天国に帰れば、分かること、あまり神経質になってくよくよしても仕方ない」
 父は四十五歳で天に召された。父はお百姓さん相手の小さな肥料店を開いていたが、その残した店の経営を天才的商売のうまい甥の内藤利兵衛さんが見てくれ、さらに店の実際的管理を忠実な水橋峰吉という人がやってくれた。母は表面上は女主人であり、すましこんで、それらしく振る舞っていたが、実はなにも経営のことは分からなかった。
 今で言えば、ロータリー・クラブの一員になっても良いような一流の奥様ぶりであり、また教会では長老格になっていた。そこへある信仰団体から、小冊子が届いた、その小冊子が母に革命をもたらすのである。
              *
 その小冊子は長い間、私の机の引出しの奥のほうに隠れていてボロボロになっていた。私は今朝、偶然にそれを発見して驚いたのです。あらためて、この小冊子を開いて見た。
 はがき版ほどの小さな冊子、25頁の薄い本です。大きめの活字、総ふりがな付き、だれにも読めるような配慮が伺えます。題は「貴下の救」、発行者は「恩恵の泉社・小池静三」、多分、名も無き、一ボランティアの手になる信仰啓蒙書とも言うべきものです。まず、とびらにこうあります。
 「貴下は、如何にして救はるるか、知りたくありませんか」
 「貴下は、貴下が救はれたことを確かめたくありませんか」
 原文はもっと旧仮名づかいなのですが、多少現代文になおしました。本文のほうも勿論、旧文体でして、今の人には読みづらい文章です。私はこの文章を現代文になおして、この「日岡だより」に載せたいと思ったのです。
 実は今朝(8月5日朝)、私は明日の週報に添付する「日岡だより」の原稿に迷っていました。まだ、構想が湧いていなかったのです。そこへ、この「貴下の救」です。私はこの「貴下の救」の本文を「日岡だより」に転載したいと思いました。そして、ワープロに向かうと、急に母のことを書きたくなりました。こんな状況で、この号が始まっているのです。
 この「貴下の救」の本文が母の信仰リバイバルのきっかけになりました。この小冊子のお陰で、母の信仰は本物になったのです。それまでの母の信仰は、先に書いたように父を嘆かせた形式的信仰の持ち主でした。その生温さを、この小冊子が打破するのです。
 まず、母を戦慄させた、この「貴下の救」の本文の初めの部分を以下に載せます。文章は、私の責任で現代語訳しました。
              *
 「私は自分が救われていることを、どうして知ることが出来るか」。これは全世界のあらゆる人々にとっての大問題であります。しかし、この問題についての、大概の答えは、殆ど曖昧で、少しも救にふれていません。
 あなたの知っている教会員の一人一人に尋ねてごらんなさい。その答えは次のようでしょう。
 私は教会に属している。永年の教会員だ。日曜学校の教師をしている。聖歌隊にはいっている。キチンと礼拝に出席している。月定献金を納めている。いえ、什一献金もずっと続けている。聖書を読んでいる。祈りも毎日している。多数の伝道事業や、福祉事業に献金している。道徳的な聖書の教えに添って生活している。すべての社会的な義務、日本人同胞のために尽くすことも念頭において、さまざまな寄付金もしている。礼儀も尊び、いわゆる小さな親切にも熱心である。何はさておき、主の「黄金律」を実行し、私の生涯をとおして最善のことをつとめるつもりです。こうして最善を過ごせることは神様の祝福であります。私はかならず天国へ召されるでしょう。
 以上のように、信仰生活をまじめに実行していても、実際には信仰のことがよく分かっていない人が多いのです。「すべての人は罪を犯して居るので、神の栄光を受けることは出来ない」(ローマ3:23)。このことがまず、深刻に受けとめられていないのです。「罪意識」が曖昧なのです。
 そこでイエス様の十字架の血潮が私たちの罪をあがなって下さるということを教義として聞き、それを自分のあれこれの罪に当てはめて、それで「良し」とする呑気な信仰態度になります。
 本当に人間の持っている、否、自分自身の持っているドロドロした、えげつない、殺人にも勝る憎しみに燃える心、こういうものを救ってくださるイエス様の愛と贖罪の事実。これが本気で受けとめられていないのです。
 父なる神と同体であるはずのイエス様が、「わが神、わが神、どうして私を棄てられるのですか」と叫ばざるをえないような宇宙的悲劇を経なければ、私のこの罪は消えることはない。このことに気づく時、深い心の底から主に叫ぶでしょう。
 「イエス様、私の内に来てください」。こうして主の御名を呼ぶとき、私たちの救が完成します。あなたは、このように主イエス様を求めていますか。このイエス様があなたの中に居られますか。あなたの胸をたたいて、「しかり、主よ、あなたはここに居られます」と言いきれますか。
 この言葉をはっきり断言できる時、あなたの信仰は確実です。
              *
 母はある夏の朝でしたが、小学校5年生のころの私を掴えて言いました。「分かったよ。イエス様の救が分かったよ。イエス様の十字架を信じさえすれば良かったんだよ」。
 あとで思えば、母はあの小冊子「貴下の救」を読んで、信仰のどん底に陥っていたのです。救を切に求めていたのです。毎朝、大分川の川辺に出て行って、半年も祈っていたでしょうか。
 家では家事をしながら「神様、神様」と終日つぶやいている。気が狂ったのかとも思えた、そういう母の信仰を求める祈りが答えられた朝なのでした。
 母は先に天に帰って行った父の信仰が分かったのです。それは人様が語る信仰の教義ではなく、自分自身の胸に宿ったイエス様の臨在でした。
 実は信仰には、越えがたい難所があります。信じたくても、信じられない。「信じました」と何度言い表しても、自分の心に信仰がやってこない。そういう難所です。ある人はこれを「親知らずの難所」と呼びました。親も子に教えることができない。千人の聖人も、これを伝えることができない。聖霊様だけが、直接あなたの心の注ぎ込まれる霊の言葉があなたを変えるのです。
 イエス様は言われます、「あなたがたは新しく生まれなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこから来て、どこへ行くかは知らない。霊から、生まれる者もみな、それと同じである」(ヨハネ3:7、8)。
 最後に一言申し上げます。禅宗の師家が弟子に問う「公案」に似ていますが。「聖書に矛盾はない」とよく言われる。しかし、次の聖書の言葉を聞いて下さい。まずローマ人への手紙10:13、「主の名を呼び求める者は、みな救われる」、同じ御言は使徒行伝2:21にもあります。
 さてここに相反するように見えるイエス様のお言葉があります。「わたしにむかって、『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。(以下省略します)」
 この2つの聖句の矛盾をあなたは、どう解きますか。私は絶対の聖であり義である神様の裁きの追及から避けることが出来ないという緊迫した問題と、イエス様の愛はどんな汚れた罪をもご自身の十字架の血潮によって赦し、清めてくださる筈という信仰の、この狭間、峻険な谷間に突き当たって転げ回って苦闘し、救を求める人生の旅人!
 「主よ、憐れんで下さい」と、先に救われた皆さんも、後進の求道の方々のために、強い援祷を送って下さいね。《く》

〔あとがき〕
(釘宮牧師より)妻トミは先々週の主日午後、大分岡病院に入院していました。医師の診断は気管支肺炎です。一週間後、永藤先生が神癒聖会のため見えられましたが、その聖会に先んじて、病床にて祈ってくださいました。妻の病状は急速に軽化、先日8月2日には、退院できました。主様と永藤先生に心から感謝! 《く》
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by hioka-wahaha | 2006-08-08 11:56 | 日岡だより

No.239 「野球に失礼しました。ごめんなさい」 2006.7.30

「野球に失礼しました。ごめんなさい」

 私たち牧師は毎週の説教題を、なんとつけるか、結構神経を使います。
 先週のある教会の7月23日の礼拝の模様を、パソコンで拝見(拝聴)しようとしたら、なんとその説教題が「野球に失礼しました。ごめんなさい」と言うのですよ。こんな珍無類な説教題をつけた方は、世界広しと言えども他にはないでしょうね。
 多分、この前、その野球団を解散すると言ったり、またその発言を撤回したりで話題を蒔いた萩原欽ちゃんに関係があるのだろうとは、推察は出来ましたが、ともかくこういう説教題をつける方は尊敬に値します、呵々。
 その方は誰あろう、大和カルバリー・チャーチの大川従道先生です。私はちょっと聞き落していまして、自信がないのですが、この言葉は欽ちゃんが言った言葉なのでしょうか。もし、そうだとしても、どの時点で欽ちゃんが言ったのか、それも不明確ですが、それはともかく、大川先生はこうおっしゃるのです。
 人はそれぞれの果たすべき道がある。日本人は柔道、剣道、書道、華道、なんにでも道をつけたがるですね。日本人の良いところです。父には父の道。母には母の道。子どもには子どもの道、教師には教師の道。生徒には生徒の道。それを守りきれなかったら、それぞれの道に対して、『失礼しました、ごめんなさい』と言おう、と言うわけです。
 使徒行伝を読むと、初代教会の人々はこのキリスト信仰のことを「この道」と呼んでいることが分かります。もし、夜になって寝る前、「あっ、しまった。この道に申し訳ないことをした」と気づいたら、「失礼しました、ごめんなさい」と神様にあやまりましょう。これは大川先生が、そのご説教のなかで語っておられたことです。
 こういう軽妙な説教をなさる方は珍しいですね。「ワッハッハの牧師」、釘宮センセも顔負けです。このご説教のなかでお聞きした実話を次頁に紹介します。《く》
 

憎しみを越える愛

 昨年、アメリカのある団体で「今年、最も感動的な人物」として表彰された人、ニューヨーク州のヴィクトリアさんという方のことです。
 彼女が車を運転していた時、そこへ乱暴な19歳の青年が運転する対向車が来ました。その青年の名は、ライアン・クッシング。
 彼は盗んだクレジット・カードで大量の買物をして、仲間と一緒に帰ってくるところでした。彼は面白半分に冷凍した七面鳥をヴィクトリアさんの車に投げつけたのです。ところが冷凍された七面鳥は9キロもあって、カチカチに凍って、石みたい。そいつがフロント・ガラスを破ってヴィクトリアさんに直撃した。ヴィクトリアさんは早速、病院に運び込まれ、10時間に及ぶ整形手術。それから何か月も、苦痛の伴うリハビリが続きました。
 2005年10月17日、ライアンの裁判でした。ヴィクトリアさんは当然、被害者として、また証人として出廷します。その時、彼女は判事に情状酌量を要請しました。
「確かに、私にとって痛みと恐怖を伴う経験でした。でもこの度の事故を通して、私は多くのことを学びました。毎朝、目が覚めると、自分は生かされていることを神様に感謝しました。この経験をとおして、神様は私に大きな祝福を私に与えてくれました。
 これは加害者である被告のライアン君にとっても同様のことでありはしないかと思います。あなたも、今回の事件から、多くのことを学んだことでしょう。これを無駄にする必要はありません。
 私はあなたに、長期刑の判決を要求しません。それは、あなたをいじけさせるだけです。あなたはこの機会に過去を悔いあらためることができます。あなたが勇気をもって生活を立て直すために、多くの機会を与えられるよう、可能な限り緩やかな判決を与えて、被害者の私も、法廷も、社会も、あなたの更生を応援できるはずだと信じています。
 私は聖書に示されている神様の憐れみに浴して居る者として、あなたに私の憐れみの心を示したいと思います」。
 このヴィクトリアさんの言葉は、当の被告ライアンにも、傍聴者たちにも、そして法廷そのものにも大きな影響を与えました。
 ライアンは涙を流し、自らの愚かな行為を詫びました。そして判決はわずか6か月の懲役でした。普通、アメリカでは、25年の刑が出てもおかしくはなかったと言われています。
           *
 こうした報道をきくと、アメリカはやはりキリスト教国だなあと思いますね。アメリカだって、キリスト教の信仰がそれほど強いわけじゃないよ、という声も時に聞きます。しかし、それにしても、キリスト教の信仰は市民の中に浸透している国だと言えると思います。
 ひるがえって、私たちの国、日本を見ましょう。似たような理不尽な事件が毎日起こっています。非道な殺人事件などの場合、犯人の被告が「死刑」になっても、被害者の遺族たちは承知しません。たとえ、あいつが死刑になっても、死んだ者は生き返りません。永遠に恨みとおしてやります、と言った具合です。しかし、それを私たちが「愛が無い」などと、批判するのも気がひけます。ともかく、
 今までの日本でのこうした事件において、被害者の遺族の方々が被告の犯人に対して、ヴィクトリアさんのような愛の言葉を聞いたことはないのです。
           *
 ただし、ただ1回だけ、以下のような実話を聞いたことがあります。戦後、間もなくのことです。岡山のたしか津田さんというご婦人でした。息子さんが遠く離れた町の国立病院に入院していました。ところが、同じ病院に入院していた男から殺されるのです。
 息子さんが持っていた写真機が欲しいばかりに、そうした犯行に及んだらしいというのですが、写真機も手に入りにくかった戦後の頃を思い出させます。
 さて、その犯人が裁判を受け、刑務所に服役します。その時、そのお母さんが、刑務所にいる犯人だった男に面会に行くのです。そして、このご婦人が、必死に説得するのでした。
「私はあなたが殺した息子の母親ですが、けっして悲しくないわけはありません。しかし、あなたを憎んではいません。私はクリスチャンです。自分も罪人でしかないことを知って、イエス様を信じて救われました。あなたも、こんなことをいきなり聞かされても、ただびっくりするだけでしょうがね。
 ここに聖書と参考になる本も持ってきました。これを差し入れしますから、読んでください。刑務所にはキリスト教の牧師さんが教誨師をなさっておられるそうですから、看守さんに聞いて教誨師さんに会ってください。そして、信仰を持ってください。そうしたら、私がこうしてやってきて、息子の敵であるあなたに、会いにきた訳も分かると思います。そうなれば私も嬉しいです。私の息子が死んだ甲斐もあるというものです」
 この刑務所にいる元犯人さんは驚きました。信じられません。しかし、そのお母さんはあきらめず、何度も面会にきては、聖書片手に伝道するのです。彼はとうとう、お母さんの熱心と信仰に負けてしまいます。ついに信仰を告白する時がきます。
 お母さんは言います。「私は一度、息子を失ったが、また新しい息子が与えられた」。
 このお母さんはついに、この新しい息子を本当に養子として戸籍に入れてしまったとも聞いていますが、その後のことは聞いていません。昭和20年代のことだったと思います。
 一応、クリスチャンであろうと、なかろうと、こういう実例は、その後、日本では聞かれません。もちろん、意味もなく無残な殺されかたをした家族を抱えている方々に、ただ簡単にこのような人道主義的な応対をしてほしいと、いくら願ったとしても、キリストの愛の信仰抜きには困難なことでしょう。
 ですから、この日本に真のキリストの愛を伝えるリバイバルよ、来てくださいと、願うほかありませんね。日本のクリスチャンはわずか1パーセントだと言われますが、この日本人相手のアンケートを取りますと、「あなたがもし信仰に入るとすればどの宗教が良いですか」、という質問に30パーセントは「私はキリスト教に入りたい」と答えるそうです。
 今、結婚式では多くのカップルがキリスト教式を希望します。一時的な人気と笑い棄てないで、日本のリバイバルを本気で期待したいものです。《く》

〔あとがき〕
イスラエルのレバノン攻撃のことですが、私はこの両国の政治情勢については全く何も知りません。何も書けません。ただし、イスラエル共和国についてかねてからの私なりの考えを申し述べたい。私の独断と偏見でしょうが。▼私は1948年のイスラエルのパレスチナ帰還に疑問を持っています。現在のパレスチナ問題の原因は1948年にあると思うのです。パレスチナに帰って行くべき条件がまだ整っていないのに、アメリカやイギリスあたりの政治かけ引きによって、無理矢理に帰って行った。これには、パレスチナの先住民たちが抵抗するのは当たり前です。▼たしかに、パレスチナは神様が約束されたユダヤ人の土地です。たしかに2千年間、待ちわびた約束の土地です。ですから、神様が準備を整えられる日は必ず来ます。あわてないでその日を待てば良かったのにと思うのです。それを待ちきれないで、国際政治状況を利用して、人間の知恵で帰ってきた、そこにイスラエルの問題があると、これは私のしろうと判断ですが如何。ユダヤ民族に同情が無さすぎましょうか。▼内村鑑三流に言えば、私の愛するものは3つのJ、第1はイエス。第2は日本のJ、第3はユダヤのJです。声を高くして言いたいことです。《く》
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by hioka-wahaha | 2006-08-01 10:23 | 日岡だより