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No.238 スポーツマン・シップを持とう 2006.7.23

スポーツマン・シップを持とう

 どうもはっきりしないのだが、野球の王監督の二女、王理恵さんという人が「毎日スポーツ人賞」というのを受けたらしい。
 それはともかく、その記念なのか、彼女が少々長いエッセイを毎日新聞に書いていたのだが、それを読んで大いに感じることがあった。
 まず父親の王監督のことだ。今年、初開催されたアメリカでのワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で、「父がイチロー選手とシャンパンをかけ合う姿を見て、ああ、ああいう男の子とキャッチ・ボールをするのが父の夢だったのかなあ」と思い、自分たちが娘3人姉妹だけだったので、申し訳ない気持ちになった、ということを書いてあった。
 私はこれを読んで、胸が痛くなった。と、言うのも私は子どもの時から運動が全く駄目で、野球やこま遊びや、たこ揚げなど一切したことがなかった。だから、ひとり息子のえりやとキャッチボールなど、したことがない。えりやに申し訳なかったと思う。
 私は気がついた。それは父親が幼い男の子と心を通わせようとすれば、キャッチボールが一番良いのではなかろうかということである。母親と女の子とは何が良いか。私は知らない。誰か教えて下さい。
 さて、「だから」と、この理恵さんは提言しているが、これからの教育現場では、中学、高校までは運動に打ち込む時間を必ず作って欲しいというのです。人格形成にはスポーツは非常に大事な要素だと思う。父・王貞治の努力心や礼儀正しさなどは野球によって培われたのだと思う、と言っています。
 稽古事やスポーツなど、昔から「格に入って格を出よ」と言う。何はともかく、まず体を使って形だけでも覚え込め、それからだ。ものにはなるのは、と言うことである。
 そして、そこからホンモノを掴んで出てくる時、一流の人になれると、言うのです。
           *
 さて、ここで一言。教会では普段、「救いは行いによらず、ただ信仰による」と教えていますね。すると、この「体から入れ」ということ、これはどうしてですか、と言われそうな気もしますね。
 しかし狡いようですが、この問題は少し休ませてもらって、娘の理恵子さんが語る、王監督の取って置きの話しを、以下に載せます。
 王さんが、初めて野球を体験した時、「自分はただ者ではない」と感じたそうです。
 そこで理恵さん、「なるほど一流を極める人は、最初のかかわりの事点で、何かガーンと来るものがあるようだ。この父の打ち明け話しを聞いて、私はプロの世界をあきらめた」、などと書いている。
 この理恵さんの気持ちも分かりますが、しかし、私はこの王監督の言うことに大いに共感したのです。 こういうことです。私は、この王さんの「最初の感じ」、これを「気づき」と言ってもよいと思う。最近、私が推奨する茂木健一郎さんの名文句で言えば、「ひらめき」です。信仰の世界で言えば、「回心」である。
 普通、「回心」とは、入信時のただ一回限りの聖霊経験を差すのですけれども、その後の信仰生活において何度か、もたらされる神様からの働きかけ、聖霊体験。たとえば、聖書を読んでいる時や、礼拝の時に起こったりする、身震いするような共感、感激。どんなに小さな体験であっても、それを私は大きく評価して、それをも「回心」と呼びたいのです。
 こうした内面体験は、私たちの「自己発見」を生みます。王さんのように「自分はただ者ではない」ほどではないにしても、「私は主に愛されている」「私は神の子である」等々、これらの自覚が神様から呼び覚まされた体験を持っている方はクリスチャンの中に多いのではありませんか。
 ペテロは初めシモンという名でした。シモンというのも「神聞きたもう」という良い名前ですけれども、しかし、イエス様がシモンに初めて会った時、彼に「目をとめて言われた」とあります。
 「あなたはヨハネの子シモン君だが、私は君をケパ(岩)と呼ぶことにする」とおっしゃるのです。ケパとはギリシャ語でペテロですが、こうしてペテロは自分の本来のあるべき自分を発見するのです。
 旧約聖書で、エレミヤが神様から召命を受ける時もそうです。神様は彼に言われました。「あなたがまだ生まれないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」と。
 エレミヤはビックリ仰天しましたが、神様の選びは変わりません。この神様のお声を聞いた時、あらためてエレミヤは真の自分を発見するのです。
 私の言いたいことは、私たちは王さんが「自分はただ者ではない」と感じたと言うことぐらいに驚かないでくれ、ということです。
 私たちこそ、もっと偉大な自己に目覚め、「自分はただ者ではない」と認識すべきではないか。「自分はただ者ではない」ことに感動すべきではないか。
           *
 今回の王理恵さんのエッセイで感じ入ったもう一つのことは、理恵さんがゴルフの練習を始めた時、王さんがコーチとして荒川博さんを紹介してくれたのです。荒川さんとは、それ、王さんの選手時代、一本打法を指導してくれた人です。
 この荒川さん、とにかく教えるのに熱心な人だそうです。乗ってくると、真夜中でも指導は止まることはないそうです。その荒川さんが言っていたそうです。「王貞治の一番いいところは素直さだ」。
 熱心なよい指導者に素直な弟子。教会も斯くありたいと思います。私は、この荒川さんのような熱心な牧師であったか。私は恥じ入りたい気持ちで一杯になりました。
 ここで、私の強調したいことは、体ごとのデボーションです。先に書きましたが、「救いは行いによらず信仰による」、これはパウロが教える信仰の神髄ですが、この「行い」というのは、旧約の律法のことです。勿論、新約の教会においても信仰を律法的に指導する先生も無きにしもあらずですが、それはここでは問いません。
 人間は肉体を持ち、行動的に出来ています。一切のことに行動が伴わないということはありません。祈る時も、聖書を読む時も、教会に出席する時も、伝道のためにハガキ一枚書く時も、電話する時も、家庭訪問する時も、集会に誘う時も、共に祈る時も、いっさいのことに肉体の行動が伴います。
 仏教のお釈迦さんは午前中は座禅をしていた。それを「お坊さんは何もせず、座禅するだけで、わしらに托鉢にくる、いいなあ。わしらは畑を耕してやっと食っている」と冷やかされても、お釈迦さん動じない。「我モ又耕耘スナリ(私も耕しているんだよ)」と言ったと仏典にあります。本気で座禅すれば「座禅も重労働だ」というお釈迦さんの言い分です。 それはともかく、パウロは言います。「自分のからだを打ちたたいて服従させる」(第一コリント9:27)。これは具体的には不明ですが、あるいはカトリックの苦行らしきことかも知れません。
 しかし、ともあれ、彼の祈りも、聖書の学びも、宣教も、牧会も、肉体的痛みを大いに身に感じるようなことであっただろうと私は想像します。
 ともあれ、肉体抜きでは、祈りも瞑想も出来ないはずです。まして、クリスチャンは日常生活のすべてにおいて、スポーツマンのような身構えも心構えも必要なのだということが分かってきました。
 理恵さんではないが、クリスチャンにこそ、真のスポーツマン・シップが必要である。そのことを教えられて、感謝したことでありました。《く》

〔あとがき〕
今回のベニー・ヒン先生の聖会には、第3日目に1日しか行けなかったことは残念でしたが、大分からは甲斐兄姉夫妻も参加してくれ嬉しかったです。連日参加したかったのですが、たった1日だけでも、充分に恵まれて、大いに感謝しました。▼いつものように癒しの奇蹟は大型で、見事でありました。来週に持たれる、この教会の「癒しの集会」も斯くありたいと願っています。皆さんも祈ってください。講師・永藤先生のためにも……。病める人々を、たとえ未信者の方々であろうと多数お連れしてきて下さい。▼今回のベニー・ヒン聖会では国歌「君が代」の斉唱をベニー・ヒン先生自身が会衆に求められ、びっくりしました。「この日本国歌の歌詞に問題があることは知っています。しかし、クリスチャンはイエス様を愛すると同様に、母国を愛することも求められています」、という先生の意向でした。正に「2つのJ!」今回の大会の圧巻でした。《く》
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by hioka-wahaha | 2006-07-26 00:50 | 日岡だより

No.237 「私に何をしてほしいのか」~イエス様のお言葉~ 2006.7.16

「私に何をしてほしいのか」~イエス様のお言葉~

 バルテマイという盲人の乞食が、イエス様一行を追いかけながら叫びました。
 「ダビデの子よ、私をあわれんでください」。
 人々は彼を叱って黙らせようとしましたが、彼はますます激しく叫びつづけました。
 「ダビデの子よ、私をあわれんでください」。
 イエス様は立ちどまって彼を呼びました。彼は上着を脱ぎ捨て、踊り上がってイエス様のもとに来ました。イエス様は彼に問いました。
 「私に何をしてほしいのか」(マルコ10:51)。
 盲人の彼が必死の形相でイエス様を追いかけて来るのです、彼が何を求めているのか分かりきっています。まして人の心を見抜きたもうイエス様ではありませんか、今さら聞かなくてもお分かりになる筈です。しかし、イエス様は彼にお問いになります。
 「私に何をしてほしいのか」。
 イエス様はバルテマイの意思を確かめて居られるのです。
 マタイ8:2、3に、ハンセン氏病の男がイエス様の前に来てひれ伏して願っている個所があります。その時のハンセン氏病の男と主との会話を、私の私訳で以下に載せます。
 「主よ、もしあなたが意志して下さるならば、私
  を清くすることがお出来になります」。
 イエス様は手を伸ばして彼にさわり、言われた。
 「私は意志する。清くなれ」。
 こうしてイエス様はこの男を癒してやったのですが、この時の会話に注意してください。以上の会話の文章の中の「意志する」という動詞を、日本語訳の聖書はほとんど、どれも「み心」というように名詞で訳してあります。しかし、ここではイエス様の「意志する」でなくてなりません。この点、カトリックのバルバロ訳(講談社発行)はまあまあです。新改訳にも努力のあとが見られますが。
           *
 人間の心は普通「知情意」に分かれていると思われています。たしかに、そのとおりでしょうが、それほど明確にくっきり分かれているわけでもない。「知情意」、つまり知性と感情と意思の3つは互いに影響しあいつつ、時と場合によってどれか一つが強烈に表に出るのです。
 憎い奴や愛する人に会うと感情が出る。法律文書を読んだり、算数の問題を解く時には知性が働く。そして目的を目ざしてがんばっている時には何よりも意思が抜きん出ています。そして、この中で最も大切な中心の座は意思であると私は思います。
 この事について、私はあまり本格的に勉強はしていないのですが、しかし私は人間の心の中心、つまり人格の中心は意思にあると信じています。
 「人格」とはなんでしょう。むつかしい言葉です。大正昭和にかけて生きた在野のしろうと伝道者・本間俊平は小学校もろくに出ていない人ですが、彼は大胆に言っています。
 「人格、これが大事なんだ。これがどうも日本人には分からないらしい」
 本間さんがそれ以上「人格」の説明をしていないので、私は若い時にそれを読んで、人格というものがよく把握できずに困りました。
 人格という言葉はペルソナというラテン語の翻訳ですが、ペルソナというのは元々はギリシャ演劇で役者が顔につけた仮面のことです。それが後に演劇用語として俳優を論ずる時の用語になりました。単純に「あの役者は……」というような時に使ったのでしょうね。
 ペルソナは英語のパースンです。パソコン、つまりパーソナル・コンピューターのパーソナルの語幹です。言葉としてはパーソナルから分かれてパーソナリティ、これこそ字引では人格とも出ていますが、一般に通用する訳では人柄でしょうね。タレントや芸能人のあいだでも使われているかと思いますが、個性という意味合いが強いでしょう。
 ペルソナという言葉がギリシャ演劇で役者がつけた仮面という言葉から出ているということ自体、人格という言葉を曖昧にしている原因かもしれません。人柄というような表面的な風情を帯びる言葉になってきました。これが本間俊平さんを慨嘆させた原因でしょうね。本間先生に言わせれば、「人格とはもっと本質的、基本的、他にとって替えられない不変の存在だ」と言いたかったのでしょう。それをキリスト教的に言うなら、創造主なる神の前で神と個人的対話のできる存在ということです。
 ここ20年ほど、アイデンティティという言葉が出て来ましたが、自己同一性などと訳します。分かりにくい言葉の最たるものの一つでしょう。
 自分で「うん、おれだ」と自己確認できるような「私」です。幼い時から、「これが私だ」と思い始めてからこの方、ずっと持続して「私である」と記憶できているこの「私」とは「そも何者?」と疑問を呈する時、あなたは哲学者になります。
 肉体も関係します。触覚が存在意識の初めだと言った人がいます。坐ってデンとお尻が椅子に乗っかっている感覚、風にあたる皮膚感覚、これらが原初的「私」の自覚だと言うのです。耳も聞こえず、目も見えなくても、この皮膚感覚や触覚、筋肉感覚がありさえすれば生きている自覚は可能です。これが無ければ自己認識は不可能だろうということ、これは恐怖さえ呼び起こす事実ではないでしょうか。
 この原初的な自覚意識、この意識がそのまま停滞している間は動物的レベルです。しかし、その感覚を味わいなおしてみるとか、もっと強く感じてみようとか、これを記憶しなおして研究してみるとか、そういう意識が働く時、そこに人としての自己意思が働いていると私は言うのです。
          *
 少し意思(意志)について理屈を書きすぎました、ご免なさい。
 かつてスーパーミッションの重要メンバーだった田中政男先生が脳内出血で倒れられたことがある。6年ほど前のことです。しかし奇蹟的に癒されて集中治療室から講壇に凱旋的に復帰されたという血湧き肉踊るような驚くべきニュースをリバイバル新聞で読んだことです。その時の記事によると、重症のさなかで田中先生は「悪魔のささやきに負けてたまるか。私はスーパーミッションの講壇に復帰する」と心の中で叫んだとあります。これが意志の働きです。(その後、ずっとお元気でしたが、昨年ついに天に召されました。地上に残る私たちにとっては非常に残念でありました。)
 チョウ・ヨンギ先生でしたか、ある時、危篤状態の信徒の枕もとに行った。彼のほっぺたを叩いて、彼の最低の意識を呼び覚ましました。そして、「あなたは決して死なない。生きるのです。生きることを宣言せよ。生きることを決意せよ」と言い聞かせました。彼の意思を発動させたのです。そして瞬時に、その信徒はベッドから起き上がったそうです。
 私の旧師・手島郁郎先生はあるとき、聾の女性のために祈りました。そして黒板に文字を書いて彼女に見せました。「心を一つにせよ。心を耳にむけよ。ほら、耳が聞こえ始めるよ。熱心に心の耳を開くのです」と彼女に熱意をもって迫った。彼女は耳が聞こえ始めました。
 以上はそばに文献がないので私の記憶で書きましたが、大要は間違いありません。意思が大事であることを示す良い例です。
 信仰には神と人との協力であると言える面があります。極度の聖霊体験としてまったく一方的神様から来る恩寵体験は別として、信仰の成長という側面から見る時、多くの聖徒たちが強烈な意志をもって神様に従い、神様に献げ尽くし、熱意をもって努力し健闘して、信仰の栄誉、聖化、成果をあげている歴史を見ます。
 旧約の詩人が「わが魂よ、何故うなだれるのか。神を待ち望め、私はなおわが助け、わが神なる主をほめたたえよう」(詩篇42:5参照)と歌う時、彼が彼自身の心に向かって命じ、意志を発動させているのを見るのです。《く》

〔あとがき〕
今回の本文は2000年8月20日の週報34号の旧稿を参考にして、書き直したものです。▼本格的梅雨模様だった6月を過ぎ、今や、まさに夏の暑さです。「暑中お見舞」の季節になりましたが、諸兄姉には、信仰と聖霊様のお護りにより、益々お元気で過ごされますように! 《く》
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by hioka-wahaha | 2006-07-18 12:32 | 日岡だより

No.236 わが愛する2つのJ~内村鑑三先生の言葉から~ 2006.7.9

わが愛する2つのJ
      ~内村鑑三先生の言葉から~

 内村先生は「私どもにとり愛すべき名は天上天下ただ2つあるのみであります」と書きました。それはイエス様と日本のことでありました。
 第一は Jesus 、その第二は Japan でありました。2つともJの字をもって始まる、この2つの名のためには命を献げたいと内村先生は念願するのです。
 先生は言う、「私どもの信仰は国のためでありまして、私どもがキリスト教を信じた第一の理由は、キリスト教が私どもの愛するこの日本を救う唯一の能力であると信じたからであります」。
 これは現代の日本人クリスチャンが聞いたら、驚倒するか、笑い始めるかであろう。現代人にとっては信仰とは永遠の救を選ぶ個人的な問題であって、国家のための信仰などというのは、不純物混入もはなはだしい、ということになりましょう。
 しかし、これが明治のキリスト者(敢えてクリスチャンと言わない)に多かった傾向です。同志社を作った新島譲にしろ、日本基督教会の初期の大立て者、植村正久にしろ、みなそうだった。彼らは明治維新以後の日本を救うものはキリスト教以外にないと信じたのである。
 内村先生は言う。「私どもは日本を棄てて、ひとり自分だけが救われようとは思いません。パウロも言うとおり、『わたしの兄弟、肉による同族のためなら、わたしのこの身がのろわれて、キリストから離されてもいとわない』(ローマ9・3)のです、と。
 「このままでは日本はどうなりますか。この愛する父祖の国に救済の希望はありますか。昼となく夜となく寸時も私どもの心を離れないのは、この問題です」。
 これこそ、現代の、日本に住む私たちキリスト者の問題ではないでしょうか。《く》


弱々しい祈りでも…

 産経新聞の第一面に毎月1回、かなり大きなスペースで、東京都知事の石原慎太郎氏の「日本よ」というエッセイが載る。先週の7月4日では「人間の弱劣化」という題で、石原氏のかなりの長文が載っていた。
 その内容は最近の日本の社会状況に、ほとほと腹が立っているという内容である。戦後の日本の平和と経済成長が生んだ安逸な生活感覚と物質依存主義によって、人間関係が破綻し家族の基本が崩壊しつつあると指摘する。
 マネーゲームの勝者が「金がすべてだ」と豪語、世間の羨望と喝采をあびるが、一旦失敗すると、手もなく没落するなど。
 自分の責任で解雇された男が、家庭があり、子供さえいるのに、その失敗感を押し隠すためか、他人の子供を高層マンションから投げ落すという精神の虚弱性は、なんとも歯がゆい。
 おのが人生がどうにもままならず、死刑になりたいから、小学校に乱入して生徒たちを殺したなどという奴がいるかと思うと、一人では自殺出来ず、ネットで互いに呼び合って密室に集って練炭でガス自殺しようとするやから。
 金のためには耐震偽装設計も敢えてする者がいるし、日銀総裁の身で個人ファンドに投資して巨額を蓄えても恥としない、こうした手合いを見本にあげればキリがない。
 彼らは、自我の喪失者であると、石原氏は罵倒する。私も共感する。その気持ちがよく分かる。
 しかし、こうして石原氏が新聞紙上に鬱憤を晴らし、読者の一般民衆は私を含めて、「そうや、そうや」と賛成はするが、こうした自我意識喪失者を変えることはできない。
 石原氏自身、また多分世にある多くの共感者たちも、自分自身のストレス解消にはなっても、この異常な破綻者たちの意識を変え、彼らを減少させることはできまい。明日もあさっても相変わらず、同じような三面記事が毎日の新聞に載ることであろう。
 こう考えると、石原氏にしても、私たちにしても落胆せざるを得ないということになる。
 どうしたらよいのだろうか。
           *
 実は、私の心も1か月ほど前でしたが、上述の石原さんの言うような鬱憤が込み上げていたのです。
 そして、私は祈りました。主は私に語られました。
 「あなた自身が、この日本の悩ましい現状を背負わないか。あなたの小さい肩で、しかもただ一人だが。そんなことは、お前には不可能に見えるだろう。意味のない無価値な徒労に終わると思うだろうか。
 しかし、あなたが全知全能の私を信じて、祈りの中でこの問題を背負うことを決意するなら、なんらかの変化がこの日本に起こり始めないだろうか。まず、あなたが心をこめ、全力を尽くして祈り始めるのです」。
 こう言われる神様のお声を聞いて、私は正直のところ、しばらく息を呑んで、それからやっと弱々しく祈り始めたのです。そこへ、前述の石原氏の新聞エッセイだったのです。
 ああ、こういう風に新聞で石原さんも鬱憤を晴らしたところで、申し訳ないが、日本の明日に何も起こらないだろう。
 とは言え、私だってもちろん、尚更のこと、石原氏のような社会的影響力の百万分の一もない私のことだ、何が出来よう。こんな小さい私の祈りで、何が起こるだろう、と思いました。
 でも、私はその時、心を決めたのです。「蟷螂が斧に向かう」ような祈りでしょうが、私はその祈りを始めようと思ったのです。
 神様の前に、不承不承、祈り始めました。弱い祈りです。ちょっと祈ってすぐ止めます。我ながら可笑しいです。
           *
 ところが、先日、7月2日の主日礼拝。いつもの常連の信徒諸君の欠席が多い、どうなることかと思っていると、ぞくぞくと新しい人や、たった一度だけ半年前に来たことがあるような人たちが玄関に現われる。
 ある人は、奈良から。あるいは兵庫県西宮から。県内でも大分から40キロ、80キロ離れた郡部から、もちろん大分市内からも来た。
 と言ってもわずか9名ですが、いつも20数名しか会衆者のないこの教会。平素だったら、たった一人、新しい人が来られても大喜びする私たちだ。それが、これはなんとしたことか。
 私は呆然とした。「神様、これが私の弱々しい祈りに対するあなたの、最初のお答えですか。私はなんと信仰の小さい者だったでしょうか。しかし、あなたのなさることは、なんと奇抜でしょうか。私は本当に、いつものように笑いたいです。笑いたいです。」
 これはまさに、私に与えられた神様からの小さな「しるし」では無かろうか。我は神様からの贈り物として受取りたいと思った。
 エリヤの場合の手巾ほどの雲だった。しかし私にはエリヤのように、今すぐ沛然と大雨が降ってくるといった大展開を期待するような信仰もないけれど、しかし、信じよう。
 弱い信仰でもよいではないか。信仰を足し算に、足し算を、掛け算に、掛け算をして、大きな奇蹟を期待しましょう。
 みなさん、祈ってください。祈りの加勢をしてください。《く》

        *

〔緊急付言〕
この原稿を書いているのは7月5日です。北朝鮮のミサイル発射のニュースを今読んでいます。政府もマスコミも、これを外交問題として捉えていますが、これは本当は日本国の安全問題ではないのか。
 この北朝鮮には、このミサイルの弾頭につける核爆弾の用意が既にあるのか。あるとすれば、それは昔の原爆や水爆級にまさる核爆弾なのか。公けの機関の推測も公表もない。
 新聞やテレビも、サッカーW杯や芸能欄の賑やかな記事はやめにして、この北朝鮮のミサイル記事を読ませてほしい。こうした日本の大問題を国民の目から隠蔽するのは、建築の耐震偽装よりも更に良くないと思う。
 万一の時、核弾頭の被害から国民を護る方法は、シェルターを各家庭に配備するほか無いだろう。その予算措置を政府は考えているか。
 尤も、「北朝鮮をこの侭に小児病的我が侭にさせて置くほうが、アメリカにとって日米安保条約等による東アジア覇権を続けるため得策なのである」という面があるのだそうだ。ああ、やはり北朝鮮は外交問題である、と言えるわけだが。《く》
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by hioka-wahaha | 2006-07-11 23:00 | 日岡だより

No.235 わが友、荒巻保行 2006.7.2

わが友、荒巻保行

(旧友荒巻君が死んで60有余年、その命日が7月12日である、2002年の本紙24号に書いた文章をやや加筆訂正削除して以下に再掲載させて頂く。《く》)

 突然ある人から部厚い郵便が届きました。それは私の旧友荒巻保行君がその弟の古後俊彦君にあてた書簡集でありました。送ってくれたのは、その俊彦君です。荒巻君は古後家から荒巻家に養子に出ていたのです。
 書簡の書かれた時期は昭和16年の4月から7月まで。荒巻君がその死の直前に俊彦君に送った手紙です。それを俊彦君がワープロで清書したのです。
 俊彦君がそれまでじっと持っていた兄の手紙を、満60年たって初めて私に送ってきたことになります。俊彦君の気持ちが分かるような気がします。
 この荒巻君の死は自死でありました。かの日、昭和16年7月12日の翌日、彼からの遺書ともいうべき黒表紙の手帳が私に届きました。私はそれを読んで、あまりにも一途な死への清純な直線思考に圧倒されました。そして、その夜、私は大分川のほとりで泣き明かしたものです。私は宙に向かって叫びました。
「ああ、今はなき友よ、今どこに居るのだ」。その日から、私はかつての文学少年、映画少年ではなくなりました。
 その死の数日前でした。彼が「死の哲学を完成したい」と言った時、私は彼に言いました。「そりゃぁ君、君が本当に死の哲学を完成すれば、もう死の哲学を書くまでもない、何も残さずに死んでしまうのが、死の哲学だろう?」。
 私は彼の言葉を哲学的な気取った表現と見て、一発食らわしたつもりでいました。しかし、彼はそのくらいのことは先刻承知でした。彼はその時のことを俊彦君に書いていました。「釘宮の言うこと当たっているよ。俺も釘宮の言うことに大賛成だ」。
 平静です。私はお釈迦さんの手のひらの上で暴れ回っていた孫悟空のような気がしました。
 彼は興奮もしなければ、言い訳もしない。私の応答の視座の低さも軽さも見通しています。自分を見つめ、死を見つめている人の言うこと、態度はちがいます。
 ヨーロッパ中世の修道会の門扉に掲げられた言葉は「メメント・モリ(死を想え)」だったそうですが、彼の当時の心境もそうだったのでしょうか。
 彼の言い分はこうです。人間の良しとするところは、すべて快なることである。それは利己的であって、他人の快を奪ってでも自分の快を占取しようとする。かくの如く、人間の営みはすべて罪である。
 人は一瞬も罪から離れて生きることは出来ない。罪から離れようとすれば死ぬほかはない。
             *
 当時、私たちは19歳です。世間は大東亜戦争の始まる半年前です。私は小説や映画のシナリオ書きに熱中していました。蓄音機でクラシックも聞き、ウインナ・ワルツも聞いていました。
 当時、荒巻君が古本屋で捜し出してきた門司つねみという人の詩集がありました。その中の一篇は私たちの心を射ました。

    何ごとの過ちも無き、
       若き日のわが淋しさよ。
    今宵も一人、カフエーの片隅で
       冷たき酒を含みつつ
    そを想う、なにごとの過ちも無き、
       若き日のわが淋しさよ。

 カフエーというのは、今で言えば酒場(バー)です。何か過ちを犯したい。しかし、戦争体制の大人の世界、青年前期と言うべき私たちに、その自由はない。何か「わっ」と叫び出したいような衝動を押さえ、じっとうずくまっているような悲哀と憂欝な時代であった。もちろん、
 一方では、けっこう阿呆なこともやる。夜の電車通りのレールの上で、鉄鋲を底に打った皮靴でタップダンスを踊ったりした。レールの上に火花が散る、歓声をあげたものです。
 しかり、けだるい青春の日々であった。この「何ごとの過ちも無き……」と口ずさんだ日々より、2、3年もすると、荒巻君は自殺。私は兵役法違反で刑務所行き、そしてもう一人の友、安部君はフィリピンで山下大直属の特殊機関員として戦死するのです。「何が、何ごとの過ちも無き……か」と、私は嗤うのである。
 当時、命は軽かった。だから、私たちは命を惜しんだのである。そして逆説的であるが、死を選んだ。荒巻君は自殺。私も実は兵役召集がきて自殺を計ったのだが、その結果の刑務所行きだから、恥ずかしい。ともかく私も死を選んだのだった。
 安部君も自ら彼らしい死を選んだ。特殊陸軍学校を志願して入学、彼の達者な語学、手練の格闘技、肉体的頑張り力と敏捷さ、機転の利く世間智、そのすべてに磨きをかけた。
 そしてその力をフィリピンでの潜入スパイ活動に注ぎ尽くして、遂に彼は多分荒巻君の死を追って最後を遂げたのである。
 安部君が死を覚悟のスパイ活動を志願したのは、私の非戦論的手紙とのやりとりが見つかって、憲兵あたりから睨まれた結果だったと思う。これも、私の責任ではないのか。
 荒巻君に対しても、私に責任がある。私が彼の自死を、せきたてたのではなかったか。
 私は死んだ荒巻君の影響を受けて、しばらく哲学を勉強したが、カント、ヘーゲルには歯が立たない。私は自分の頭をあきらめた。
 そして父や伯父や母の信仰に帰る。言わば、荒巻君の死が私を聖書と聖霊に導いてキリスト信仰への門を開いたのである。
             *
 さて、弟さんが送ってくれた荒巻君の書簡集ですが、読んで驚く。これが、当時の旧制大分商業学校というマイナーな学校を出たばかりの19歳の青年(まだ少年と呼んだほうがよいくらい)の書いた手紙だろうか、又、これを読む弟の俊彦君は当時天下に知られていた京都の三高の学生です。
 当時の旧制高校は知的で情熱と正義感に燃えた青年たちの発酵場所でした。その中でも、京都学派の京大を控えて三高の学生はたぶん哲学的思考にかけては頭脳がたけていたと思います。この兄貴の手紙に対して、俊彦君も十分に応えていたでしょう。
 私は実は、今回、荒巻君の「書簡集」を読むまでは、彼の思索がこんなに深かったとは思いも寄りませんでした。鮒には鯉の思いは分からない。私は何も知らず、彼に私なりの浅い言葉で接していたのです。
 この彼が、ある日本人のヘーゲル哲学徒の論文を読んで感動している一文が、「書簡集」に載っている。彼はこう言う。
「彼の烈々たる愛国の情熱に大いに感動している。哲学が決して学者の閑事業でないことが分かる。いたずらな文学者みたいな、やくざ的なところがない。実際、今日の文学者の書くものに『時局便乗的』な臭いを感じないわけには行かない。彼らはいつも思想をペン先から作りあげるのだ。
 だから戦争が始まれば、すぐ戦争文学を書ける。平和になれば、その同じペンから平和文学がすぐ書ける。馬鹿々々しいよりも彼らの悲惨さに目をそむけたくなる、それにくらべれば、日本の哲学者は感心だ。彼らを大いにほめておこう」。
 これがあの思想統制の激しかった戦時中に、19歳の若者が言ったことだろうか。また、「日本の哲学者は感心だ。彼らを大いにほめておこう」などという彼の大人ぶりにも一驚する。
 何よりも、彼は生来の詩人だった。気質も繊細だった。字もきれいだった。小詩篇を書いて寄越してくれた。私はその詩心の深さにため息をついたものだ。
 ところが、それどころではない。こんな頑丈な哲学者としての資質を持っていたのかと、呆れるのである。私は全く彼を見誤っていた。
 彼は前述した日本人のヘーゲル哲学徒の論文から引用する。
「宗教はどこまでも我々の自己が自己たるところに絶望するところ、絶対の死に直面し絶望の悲哀になくところから始まる。
 神は罪悪なき天上の調和的世界に見出されるのでなくて、むしろ罪悪に汚され、矛盾に満ちた地下室の底にいるのである。神は愛であるというも、ただ憎悪のない非現実的世界にのみ神の愛が見られるのではない。
 金貸婆を殺して脱走したラスコーリニコフの悪の底にも、フョードルの汚れた血を受けて人倫の世界から背き去ったカラマーゾフの兄弟ドミートリーの罪の底にも、燦として輝いているのである」。
 これ対して彼はこう言う。
「俺は実に感激した。神の愛について、これほどの考えは持っていなかった。神の愛をかかるものとして説いた人が、又とあろうか。俺は感激の余り涙さえ流した」。
 彼が読みあさった本は、当時すでに本は出版飢饉の時代、弟さんが代わって京都の古本屋さんで捜しまわったのではなかろうか。読んだらしい本の名をあげるとドストエフスキー、トーマス・マン、阿部次郎の「三太郎の日記」、ニーチェ、カント、ヘーゲル、ショーペンハウエル、スピノザ、西田幾多郎、田辺元、等々。
 なにも彼がペダンチックにこれらの名前をあげているわけではない。ただ弟さんへの手紙の中で散見した本の中から、私が挙げてみたにすぎない。
             *
 西洋伝来のキリスト教は、もちろん自死を罪と断じ、その魂は地獄に行くのだと言う。それが本当なら荒巻は地獄行きである。
 そんなことがあってよかろうか。それが本当なら、自分も荒巻を追っ掛けて地獄に行きたい、そんな風に思う私だった。
 「ハーザー」2002年7月号に「死後に救いのチャンスはあるのか」という特集で久保有政師の論文が出ていたが、私にとっては切実な問題なのだ。
 彼は弟さんへの手紙のなかで「地下室の底に燦として輝く」神の愛に感激しているが、今、荒巻よ、どこにいるのか。
 地下にあって君は「イエスは主なり」(ピリピ2・11)と告白の声をあげているだろうか。地の下から賛美の声(黙示録5・13)をあげているだろうか。
 ともあれ、わが友・荒巻保行よ、本当に60年ぶりに君に会えたのだ。
 俊彦君に感謝する! 《く》

〔あとがき〕
古後俊彦氏のことですが、病を得て療養中と聞いていたのですが、聾学校時代の私の旧同僚の高木正先生の献身的なご奉仕により言語治療が著しく進んで、会話も楽になったということを、中島集会の常連のY姉から聞いたのです。▼驚いた私は、先月27日に古後家のお店〈忠文堂〉に俊彦氏をお訪ねしたのです。やや不自由のようでしたが、それでも私との会話も出来、感謝でした。高木先生が毎週3回もお出でて治療してくださるとのこと。先生の誠実な、かつ端的な実行力に感動したことでした。▼高木先生は知る人ぞ知る、熱意と無私の人生を生きる方。かつては、私とは良き意味でなかなかの論敵でもありましたよ、呵々。▼三井敏嗣兄のご尊父、敏夫兄が鶴見病院で天に召されました。週報に書きましたように、29日に前夜式を行いましたが、その際、敏夫お父さんの写真を見てびっくりしました。あの穏やかな優しいお顔です。しかし、どこか違う。目も眉も、口元もしっかりして、精気溢れる誠実な、魅力たっぷりの男性の顔です。▼私は前夜式で式辞を語って居る時、突然示されました。聖書で教える罪の赦しと第一コリント3・14の報酬ということの差です。救われた人の地上における善き行いは天において報酬を受けます。また、救われた人のその以前の罪人の時代の善行をも、神様が善と認めてくださる。天においてその報酬(褒美)は確実です。三井のお父さんも、その前生涯の善行のすべてが神様に認められ、大いなる報いを受けることでしょう。《く》
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by hioka-wahaha | 2006-07-04 11:34 | 日岡だより