(1968年執筆の「主の御名を呼ぼう」を連載しています。)
主の御名を呼ぼう 5 直覚的認識による主の御名 小学二年生の頃、エジソンの伝記を読んだ。 エジソンが学校に行き始めたとき、先生がお母さんを呼んで「お宅のトーマス君は白痴らしい。とにかく学校では手に負えませんから、引き取ってください」と言う。「よろしゅうございます。学校の手に余りますようですなら、私の方に引き取って私が教育しましょう。しかし、うちのトーマスは本当に白痴なのでしょうか。いったいどんなふうなので白痴だとおっしゃるのですか」とエジソンの母は言う。先生はまぶしそうに目をパチパチさせて、「いやなにも白痴だと断定しているんじゃないんです。ただ、そんなのじゃなかろうか、例えば白痴とか、異常児だとか、と思うのです。たとえばですよ、奥さん、算数の時間にこんな質問をするんです。 <先生、なぜ1に1をたしたら2になるんです> これじゃ授業はできやしませんし、第一ほかの子供に悪いです。ほかの子供までポカンとして馬鹿になってしまいます。私は本当にお宅のようなお子さんを見たことがありません。」そこでお母さんはニコリとして立ち上がり、「よろしゅうございます。トーマスは私がきっと教育いたします。」 以上の話は実話なのかフィクションなのか、いまだもって知らないが、幼い私の頭脳に異常な波紋をおこしたのである。1に1をたせば2、それは当たり前のことだ、しかしそれを、なぜ?ともう一枚皮をはごうとすると、どっこいそれは世界の軸を動かすような問題になることを幼いながらも察知したのである。 幼い魂は思う、「だから、大人の世界ではあまりつまらぬ事は聞くものじゃない。不思議な事はソッと胸にしまっておくもんだ。学校だってそうだ、先生の気に入りそうな答えをしておけばいいんだ。それで○をくれる。なまじ本気になって答をさがしているとバカかと思われるだけだ」と。 たとえば、図画の時間、私は向こうを飛んでいる雲の不思議な運動と色の変化に魅入られて、涙のこぼれるほどそれを描きたいと思う。しかし、画用紙は平面だし、色はクレヨンの十二色だけ。第一いろんな色があっても、光という色はない。一度ぬったら固定してしまう。いじればいじるほどにごってしまう。相手の雲は相変わらずゆうゆうと飛んで、さまざまの色調の変化を見せる。 そこへ先生が来る。 「フン、フン。いい処へ目をつけたね。この下に山をかきなさい。それから、ほらそこの家、電柱。すると全体の構図が生きてくる。それからね、雲はこんなふうにかくんだ。この色でまわりの空をぬって、それからホラ、この色をサッと雲にぬると感じがでるだろう」 私は先生のぬってくれる雲の色を見て感心してしまう。まるで「絵!」だ。図画の手本にでてくるような美しい絵だ。それが魔法のように先生の手先から生まれるとき、幼い私はびっくりしてしまう。そして内奥で叫ぶ、「違う、ぼくの欲しいのはこれではない。こんな美しい絵ではない。ぼくはあの、今動いている雲のあの輝きがかきたいのだ。色がなんだ、構図がなんだ。」と。 しかし、しばらくして私の幼い魂は自分で自分に言い聞かせる。「これが学校なんだ。今、先生から習ったとおりに目の前の景色をかこう。そうすれば、先生も分かってくれる。点もよくなる。母ちゃんも通知表を見て喜ぶ。あの雲の輝きを描こう?そんなことはもうあきらめろ」。 国語の時間にはこんなことがおこる。教科書を読む。 「和尚さんと小僧さんが無言の行を始めました。一人の小僧さんが <たいくつだなァ> と言いました。その兄弟子が <こら黙っておらんか> と言いました。和尚さんが <黙っているのはわしばかりだ> と言いました。」 幼い私は、和尚さんと小僧さんの表情、しぐさ、心の動きを想像していると面白くてたまらない。最初の小僧さんが一番に無邪気、和尚さんが一番に苦労性である。最初の小僧さんが、突然プーッとおならでもして、「ああ、たいくつ、たいくつ」と足でも投げ出したとする。子供の心はすぐその小僧さんの感情に移入して、やせがまんしている兄弟子や和尚さんをその小僧さんの目で眺めている。そこへ先生の声 「この話で一番こっけいな処は?」 「ハイ、小僧さんです」 と、さき程から空想を続けている私は答える。 「なにい?」 と先生の不機嫌な声。「ホイ、しまった。ここでは和尚さんが <黙っているのはわしばかりだ> と言って自分も無言の行を破ってしまった処です、と答えねばあかんのだ」と思い出す。そのようにして大人の世界に妥協する。こういう子供を教育では順応性がいいと言う。 国語の時間の熟語の解釈では目を白黒させることが多い。美しいとはどういうことか、きれいということです。きれいとはどういうことか、美しいということです。というような笑い話のようなことが起こる。うら悲しいとはどういうことか。よく分かる。よく分かるがどう言ったらよいか、字引を見ると、なんとか辻褄の合うような言葉がのっている。それをそのとおり言うと、先生は「そうだ、そうだ」とほめてくれる。しかし、私の心は物足りない。 国語の時間とは言葉の入れ替えをする時間、段に区切って、切ったりはめたりしてまた元に戻す時間、楽しい文章が急に灰色になってしまう時間である。 小学校六年の時であった。担任の先生が不在で、代わりの先生が来た。もう卒業前であったろう、無礼講な時間になってしまった。ある生徒が先生に質問した。先生が「何でも分からんことは聞いてみよ」と胸をはったからである。 「先生、宇宙はどこまで続いているんですか」 「うん、ずーっと果てしなしだ」 「ずっと果てしなして、どういう事ですか」 「―――」 「わーい、先生も分からん、分からん」 「こら、余りむつかしい事をきくな」 私は、その時、不思議な奈落の底に落ち込んだような気持ちになっていた。 「果てのない空間、無限、永遠……」 私の心はポッカリ釜のフタがあくように悟った。 「人間には無限とか永遠とかに対する感覚が無いのだ。ちょうど盲人にものが見えず、ろう者に音が聞こえず、色盲に色の区別が分からぬように。しかも不幸なことに、人間は、理屈の上で無限とか永遠とかいう言葉だけを知っている。どんなに偉い人間でも、実はそれを推測や仮説で言っているだけの事であって、本当に感じ取っているわけではないのだ」 その思想がとつぜん湧き起こったとき、私は喧騒な小学校の教室の中で、しばし深淵の底にいるような静けさを味わった。 そして、私は初めて、1+1は2であることの秘密に気づいたのである。1+1は2である。これは何故かと問い得ないものである。赤をなぜ赤であるかと問い得ないし、我はなぜ我であるかと問い得ないように、それは直覚的に分かってもらわねばならぬ事である。(つづく)《く》
by hioka-wahaha
| 2009-07-07 11:21
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