No.180 我、日本の柱とならん 2005.6.12

我、日本の柱とならん

 創価学会が出している「大白蓮華」という雑誌がある、その雑誌の7月号の広告が新聞に出ていた。その中に池田大作さんの論文であろう、その題名があった。言わく、「我、日本の柱とならん」。
 いいなあ、と私はつぶやいた。もちろん、この言葉の出所は日蓮のはずだ。日蓮さんの言いそうな言葉である。背骨の太い人物の言葉である。こういう言葉はあまりキリスト教会では聞かれない。
 日蓮さんの有名な主張は「立正安国論」である。まず正義を立てるのだ、それが国を安んじる基本だぞ、と言うわけだ。
 私が戦争中、非戦論を唱えたのは、殺人が罪であるように、戦争で他国を侵すことは悪いことだと思ったからである。戦争は神様の前に罪である。自分の愛する国に罪を犯させたくない。これが私の非戦論だったのだ。ところが、
 今の日本には、「戦争なんか嫌だよ、戦争が始まったら国外に逃げるよ」などと、そんな事を言う無責任な愛国心欠如した若者たちが幾らもいると聞いて、私はいよいよ日本人に失望を禁じ得なかった。
 私の非戦論はそんなものではない。こうである。たとえ我が国を攻撃してきた外国に対し、非戦主義のゆえに武器を取って抵抗もせず私は戦死、むざむざ国を亡ぼしてしまったとしても、天国に帰ったら神様から「お前たちはよくやった。私の教えを守って戦争に負けてしまったが、あれは栄光の敗北である。お前たちの国を、そして天皇を、政府を誉めてやるぞ」とお褒めの言葉を頂けるのなら、これこそ最高の名誉、国家の幸福であると思ったのである。
 これはまあ、なんと夢みたいな世迷言を言う奴だと、当時の警察や世間の人や、いやキリスト教会の人まで思ったであろうと思うが、私は本気で真面目だった。自分の国をそのように敗戦に至らせたとしても、その非戦論者こそ本当の愛国者である、と私は思っていたのである。
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 国益のために政治を取りあつかう有能な政治家は多くいることだろう。しかし、正義のため、真理のため、神様のため、信念をもって政治に挺する人こそ、本当の政治家であると思う。
 もし真理のため、正義のため、信念をもって国際政治に手を染める時、時には国を危なくするかもしれない。しかし、そういう人が政治をし、それを賛成応援する国民や国会議員諸君を擁している国は、どれほど神様から愛されることであろうか。私は日本をそういう国にしたい。(中国に気を使って国益をあげつらう諸君よりは、個人的信念を標榜する小泉さんの方に、私は好意を感じます)。
 植村正久や内村鑑三、熊本の花岡山で血判して日本をキリストの福音で救おうと決意した明治のクリスチャンたちを、私は今憶う。《く》


神は我らの避け所 また力なり

 今、自分たちの住んでいるこの土地に地震が起こるのではないかと異常に心配している方がいます。心配しています。その心配が異常なほどなのです。その電話に私は答えました。
 「大丈夫です。地震なんか起こりませんよ」。私は自信ありげに言っても、その言葉は疑わしいらしく(無理もありません)、しばらくすると、また「地震が起こりませんかねえ」と電話がかかってきます。私は青年時代ひどい強迫観念だったので、その強迫観念風の心配の仕方も想像できるのです。
 昔、中国の杞の国の人が「天地が崩れ落ちる。天地が崩れ落ちる」と言って心配したそうです。こうした無用の心配を「杞憂」と言うと辞典には出ています。現代流に言えば、典型的心配症、強迫観念です。しかし、聖書に従うと、終末の時代が近づく時、「天地が崩れ落ちる」という心配は決して杞憂だとは言えません。
 イエス様は「世の終り」について、かなり精密な預言を残しておられます。くわしくはマタイの福音書第24章を読んで下さい。
 「偽キリストが表われます。戦争や飢饉や地震が頻発します。クリスチャンはイエス様の名のゆえに迫害に会います。多くの人の愛が冷えます。しかし、こうした中でもキリストの福音は全世界に宣べ伝えられます。きびしい艱難の後、太陽は暗くなり、月は光を落とし、星は空から落ち、天体は揺り動かされます。そうしてイエス様は天の雲に乗って来られる」と、言うのです。
 私は少年時代、このイエス様のお言葉を伯父から聞いて身震いしたものです。さて、最近の日本列島の地震があちこちに起っているのを見る時、かつての映画「日本沈没」も、あながち架空の物語ではないと思い始めた人も多いでしょう。
 先に書いた地震恐怖症の方のような心配も、一概に笑っておれないのです。無理もない心配かもしれません。いずれにせよ、一応の地震被害対策をしておくことは大切でしょう。しかしそれ以上に心配で夜も眠れないとあれば、病的と言ってもよいのです。
 しかし、こうした「恐怖症」の尤もな点は、心配していることは理屈から言うと合理的だということです。これを「取り越し苦労だ」と笑っているほうが、却って「阿呆で、間抜け」なのです。
 旧約聖書の預言者たちの王や国民の不信仰の罪に対する糾弾や日蓮聖人の鎌倉幕府に対する北禍来の予言や、私の戦時中の非戦主義など、すべて祖国を愛するあまりの宗教的過反応、小児病的過敏さと当時の世人は言ったでしょう。しかし、いずれが本当の愛国者であったかどうか、矢内原先生がその「日蓮論」の末尾で言ったとおりです。
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 もう一度、精神病的強迫観念の話に戻りますと、本当は心配する方が当然という病例がたくさんあります。たとえば「紙幣不潔恐怖症」です。紙幣は日銀から発行されて、また日銀に回収されるまで、どれほどの人の手に渡るのか知りませんが、昔は特にひどい、よれよれの紙幣がありましたね。
 こうした紙幣は立派な清潔な人の手にも渡ったでしょうが、またどんな汚い人の手に渡ったかもしれない、特に異常な不潔な人の手に渡って意図的に汚物に浸された紙幣が無いとも言えない。
 こういう紙幣を恐れて、自分の手に渡ってきた紙幣をすべて消毒して自分の部屋で乾かしていた人がいたそうです。誰かが偶然それを見て偽札造りかと思って警察に通報したという笑い話もあるくらいです。
 実は、この話は笑っておれません。よくよく考えれば、紙幣不潔恐怖症の人の方が理にかなっているので、紙幣の不潔さを恐れない人の方が鈍感なのですね。紙幣不潔恐怖はもともとあって然るべき恐怖心ですよ。(本当に人々に持ってほしい過敏症は自己の罪に対する過敏症です。この罪過敏症こそルターの陥った回心の前駆症状であったのでした)。
 先だっての尼崎脱線事故でも、あの事故が起こらなかった時には、JR西日本のダイヤ過密に批判があったとしても、一笑に付されたことでしょう。内部告発だったら不満分子、不穏分子として左遷されたことでありましょう。
 ですから、昨今の日本列島地震多発の状況を見て心配をするのが当たり前です。ある人は言った、「災害は忘れた頃にやってくる」。北新潟地震から最近の熊本の地震にいたるまで、これを異常な事態だと気にしない方が不思議、安閑しすぎているというべきかもしれません。
 しかも一向に、心配しない人が多い。政府も、学者も、新聞も心配していません。一体にこういう心配を「下世話」という。こういう下世話な報道は案外、週刊誌や、一部のタウン紙や、無責任ネットや、右翼の街宣車のほうが本音を吐く傾向があります。時々品のない週刊誌も拾い(電車などで?)読みすることです。
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 しかし、常識人はやはり言うでしょう。それは思い過し、心配する方が、神経の使い過ごし。精神衛生上よくないよ。起こった時は起こった時、その時は不運とあきらめるさ。
 しかし、クリスチャンの対応は違うのです。最近、雑誌「ハーザー」で泉パウロ先生も触れていたが、先にも書いた聖書的見地から、今後の世界に起こるべき大地震への関心は当然あってしかるべき、ますます福音の宣教に当たるべき時代に突入しているとの認識を持つべきだと思います。
 しかし、言いたい。「過敏な不安は捨てましょう」。単にノーテンキに安閑としておれ、と言うのではない。私たちは大能の神様を信じるからであります。聖書の詩篇第四六篇を開きましょう。
  「神はわれらの避け所また力である。
  ……、たとい地は変わり、
  山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。
  たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、
  その騒ぎによって、山は震え動くとも、
  われらは恐れない。」
 本当に恐るべきものは、こうした自然災害よりも人間の狂気でなかろうか。みんな、心配しないことにしているけれども、北朝鮮の核武器など、いつ日本に襲ってくるかも分からない。
 あの金日正総書記さんが、国内にクーデターが起こったりしてヒステリーを起こし、一旦核ボタンを押しでもすれば、日本の五大都市くらいはいっぺんに崩壊です。政府の機能は停止し、日本全国行政は麻痺する。もちろん、北朝鮮もアメリカの核反撃で全土火だるまである。
 今、最大に要求されるのは、私たちクリスチャンの強力な信仰である。世界を聖霊の火だるまにする大リバイバルである。国民の精神も、教育も、経済も、産業や、政治も、大変革する、そういう国を上げての革命が起こるときが来るのである。それは我々クリスチャンの責任であり、使命である。《く》

〔あとがき〕
私事ですが、妻トミは一応治療を一段落し、今回リハビリのため湯布院厚生年金病院に転院しました。設備もスタッフも揃っていて安心していますが、それ以上に創造主なる神様の力と臨在を信じ、最高の癒しを信じて退院の日を期待しています。先生がた、信徒の皆さんのご加祷を切にお願いします。釘宮義人
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by hioka-wahaha | 2005-06-12 00:00 | 日岡だより
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