No.371 あなたの心を守れ 2009.2.8

あなたの心を守れ

  「油断することなく、あなたの心を守れ、
   命の泉は、これから流れ出るからである」
         (旧約聖書箴言第4章23節)

 あなたが好奇心の強い人だったら、紀元前の人類の鉱山の発掘法についても、必ず興味を持たれるだろうと思います。それでしたらぜひ旧約聖書のヨブ記28:1~11を読んでください。当時すでに金や銀は露天掘りではなく「岩に坑道を掘り」「水路をふさいで、洩れないようにした」ことなどが分かります。かつて私はこの聖書の箇所をテキストにして冥想法の講義をしたことがあります。「心」という鉱山から霊的金や銀を掘りだす方法について考えたのでありました。
 「銀には掘りだす穴があり、金には出どころがある」(箴言28:1)のでして、穴や出どころが無ければ鉱山の中にある金や銀はそれこそ宝の持ちぐされです。ところが多くのクリスチャンはせっかく神様より絶大な宝ものを頂戴しながら、それを内に死蔵するだけで活かしていないのです。(クリスチャンでなく一般の人でも、人間として生来持っている能力や良い性質を充分に発揮し表現するコツを知っていたら、その人の人生はずいぶん明るくなることでしょう)。
 旧約聖書の箴言は非常に生活に密着した智慧の言葉で満ちていますが、特にその第4章23節、「油断することなく、あなたの心をまもれ、命の泉は、これから流れ出るからである」の言葉はクリスチャンの生活力について大いに益する所があります。
 私たちは自分の心を守ることにより、命(神様から頂いたイノチ、キリストの霊)の泉を流れ出させることができます。心の奥深いところにある霊的泉はクリスチャンにとっては、大いに豊かな霊的財産です。
 それがとかく枯渇しやすいとしたら、何故でしょう。私たちが信じてキリストの所に行けば「その腹から生ける水が川々となって流れ出る」(ヨハネ7:38)はずではなかったでしょうか。それが私たちに実現しないのは「神様の手が短い」からでしょうか、それとも私たちのほうに何か誤りがあるのでしょうか。
 もちろん「罪が私たちと神様との間をさえぎっている」のであれば、その罪を取り除かねばなりません。しかし問題は「罪」だけではなくて、しばしば私たちの「誤り」にあることが多いのです。
 先ほどの箴言の言葉を含んでいるその第4章20~27節を中心に、命の泉をこんこんと流れ出すべき「心の守り」かたについて学んでみましょう。
 一、聖書に心をとめ、聖書の言葉に聞き入りましょう(箴言4:20)。御言には私たちの「魂」を救う力があります(ヤコブ1:21)。多くのクリスチャンは「霊」に於いては救われ神の子としての「身分」(ローマ8:15、23、ガラテヤ4:5、エペソ1:5)を与えられてはいますものの「魂」(心、精神)が鈍感で脆弱なのです。ですから、内なる霊の力を外側の肉(思い、感覚、肉体)に正確に強力に伝えることが出来ないのです。
 聖書は神の霊感によって書かれた本でありますから、御言には霊的力があり、その故に私たちは聖書の言葉に霊的に聴き入る必要があります。「霊的に聴き入る」ことは人間の側からではなかなか難しいことなのですが、聖書の側からその霊性が働いて私たちの心を動かしてくれるならば、充分に聖霊の力を頂くことができます。要は忠実に聖書を読むべきなのです。
 二、初信(心)に帰りましょう。「初めの愛」(黙示録2:4)という言葉がありますが、「自分」の愛に帰ろうとしても、人間の愚かさ、弱さ、憎しみ、反抗心がこれを妨害します。しかし「神様」の愛に帰る事は、それほど難しくありません。信仰も同様です。私たちが心の葛藤に悩む時にも、私たちは、まだ救われていないのだなどと決して思ってはあいけません。それはサタンのだましごとです。人は自分の救いについて随分疑いやすいものです。「ああ、あの時救われたと思ったのは私の気の迷いだった」などと迷い始める時、その人の霊性が内にこもりやすいのです。聖霊さまは、なかなか溢れ出ません。
 基本的なあなたの霊と身分の救いについて確信を持つべきです。この確信をしっかり維持する時、それはあなたの初めの愛に帰るということです。
 三、次にお勧めするのは、あなたの記憶を清め、予想を明るくするということです。神様はヘブル民族に暗い敗北の記憶、奴隷の思い出を捨てなさいといいます(イザヤ43:18)。なぜなら、万事は益となるのだと聖書は告げます(ローマ8:28)。
 みじめな、いじけた思想をあなたの心から追い出しなさい。このためには次の心理学の教える所が大変役立ちます。すなわち「白い馬のことを考えまいとすれば、考えれば考えるほど白い馬の事は忘れられません。しかし赤い馬のこと、あるいは更にもっと別なことを考えさえすれば白い馬のことは考えずにすみます」というのです。ですから、
 良い嬉しい思い出や明るい向上的な予想ばかりを心に満たしましょう。そして常に神様を賛美し、神様のなす業はすべて善であると信じて喜んでいましょう。みじめな思想はあなたから出て行きます。
 先日、松山福音センターの故万代恒雄先生の説教をテープで聞いていましたら、こんなお話がありました。
 先生は若い時、大学入試に失敗された。その時は非常なショックだったらしい。失敗の原因は分っていた。英語がだめだったのだ。そこで発憤して一大決心をした。英語の会話塾にいった。そこでもまた最初っから大失敗した。応募生が、たくさん集まっている中で学生服を来ているのは先生だけだったので、その塾の校長先生は「この学生だったらこのくらいは分るだろう」と見当をつけたらしい。
 先生に「アナタのナマエはナンとイイマスカ」と英語でたずねた。ところがその英語がわからない。いくらなんでも大学に行こうかという青年がそれではあまりにおソマツではないか。これでもう万代先生はすっかり参ってしまった。
 それからもう死にものぐるいで英語の勉強をした。とにかくそれ以降、絶対日本語はしゃべらんという事に決心した。家でお母さんに「ご飯だよ」と言われても「イエス」、決して「はい」とはいわない。
 英語が判らぬときは黙っているか、手振りか身振りで、なんとか意志を表明する。とにかく日本語はつかわない。「お前それでも日本人か」とか「お前、気い狂うたんとちがうか」とかいって、みんなから呆れられたそうです。
 しかしそうして6か月たったとき、先生はあの赤恥をかいた英語塾の先生になっていたというのです。そしてそれまで払った月謝をゆうゆうと取りもどしたという。万代先生、こういう時、面白く可笑しく堂々と話したものです。
 四、次は熱中であります。熱中とは熱心の集中です。集中とは他を忘れて持続する精神です。熱心という言葉は英語でエンシュージアズムと言います。この言葉の語原はギリシャ語から来ていまして、「神の中で………」という感じの言葉です。熱心は神様から来るのでもありますし、また熱心が神様の臨在を迎えるのだ、とも言えます。聖書には、神様こそ熱心な方なんだと書いてあります。「主の熱心がこれを為し給う」という言葉が聖書にしばしば出てきます。
 神様は天と地を造り、地の全面にあるすべてのものを造られたといいます。決して神様は鼻唄まじりで気楽につくられたのではない。神様は非常な熱心さをもってこれらを造られたのであります。ですから私たち人間もまた、何かを為すとき、熱心さを持たなければ価値あることは何ひとつできません。
 かつて、大分市の菊屋のお菓子が全日空の機内サービス用の菓子として選ばれたことがある。あの頃、菊屋の社長さんが、私たちに向かって菓子の作り方を尋常でない熱心さで説明してくれたものです。菓子を作る情熱に取り付かれてしまって、汗を流して説明してくれました。私は少々呆れながら、感動しました。この勢いで全日空に売り込んだのだなと思ったことです。《く》
[PR]
by hioka-wahaha | 2009-02-10 10:17 | 日岡だより
<< No.372 ガンジーのキリス... No.370 「愛」という言葉... >>