No.367 神様のそばのきれいな川で 2009.1.11

神様のそばのきれいな川で

 ハレルヤ! 「新年おめでとうございます」。
 前号にも書きましたが、もう一度書きたいのです。
 「新年おめでとうございます」。

 さて、聖歌687番ご存じでしょうか。時々子どもたちが、「たん たん たぬきの」と、少々下品な替え歌で歌っていますが、本来は賛美歌です。
 私は子どもの頃、別府の旧日基の不老町教会の日曜学校に通っていましたが、お勉強が終わって最後に私たちが下校して家に帰る時、先生がこの曲をオルガンで鳴らして送ってくれたものです。
 ですから私は、これは「さようなら、神様が守って下さるよ」というような賛美歌の曲かと思っていましたが。

 かつて私は大分の聾学校に勤めていましたが、放課後先生がたと歓談していた時、急にピアノを弾いてくれと言い出す先生がたに促されて、高木という先生が「じゃあ、ミミミレミファを弾こうか」と言ってこの曲を弾き出したのです。
 私は「あっ、これだったのか」と驚いたものです。私はこの曲の名をミミミレミファと覚えてしまいました。
 今もこの曲を歌ったりすると、別府の不老町教会、そしてこの高木先生を思い出すのです。
 「神様のそばのきれいな、きれいな川で、
  みんなで集まる日の、ああ懐かしや。」
 という歌ですが、天国の命の水の流れのほとりに集まって、一緒に命の水を飲める喜び、その歓喜! 胸が高鳴る賛美です。《く》


ハイッと答える訓練

 元徳川将軍家につながる由緒ある家系のお姫さんが貧乏牧師のところにお嫁に行きました。小原鈴子さんといいます。大正年間のことです。貧乏そのものの中で立派にお子さんを育てあげました。ある人がその秘訣をたずねると、その秘訣の一つをこう語ったそうであります。
 「子どもがまだホンの赤ん坊のときから名前を呼ばれたらこちらを向くように、そして言葉が言えるようになったら顔を向けてハイッと答えるように教えましたねぇ。ほかの何ごとをほうっておいても、その応答ができるまでは一所懸命祈りながら待ったものです」
 最近ある講演家が言っていました、「ハイッ」と答える人には自己抑制の力があるのだと。私は「あッ」と気がつきました。前述の小原鈴子さんの言葉を思い出しました。人の言葉に対して顔を向けて「ハイッ」と答える人は、自分のことは後まわしにして人の言うことを聞こうとする、自分を押える心構えができているのです。そしてそういう人には「ハイ、何をしましょうか」という身構え、始動力さえできています。始動力のある人とはつまり腰の軽い人、すぐ行動する人、奉仕の人、頼りがいのある人であります。
 人間関係を造る第一は挨拶であります。朝晩いつでも明朗でハキハキ挨拶をする人、そういう人は必ず明るい人であります。そしてその逆も、また真なり。明るく挨拶するように努めている人はだんだん明るい人になっていくのです。挨拶は相手の感情をなごやかにし人間関係をうるおすというだけではありません、自分自身を造り替える力があるのです。挨拶は不思議に自分を変えます。
 ところで「ハイッ」は、それらの挨拶語の一つなのですが、案外人々に気付かれない特に大切なコトバであります。簡単明瞭でハキハキしているんです。自他を肯定する積極的で行動的なコトバです。このコトバを多用すると、必ず明るい積極人間になります。しかもご両親がたに対しては従順なお子さんになります。
 みなさん、一家そろって挨拶と「ハイッ」をくりかえし実行しましょう。行動をくりかえすと習慣になります。そして習慣こそ性格なのです。明るい挨拶ができ、何でもハイッと返事する家庭、そういうご家庭は全員そろって明るいテキパキした一家になることでしょう。そしてお子さんは必ず「お宅のお子さんは良い性格のお子さんですね」と評判されるようになるでしょう。
 人間の性格は3歳までにきまるとは言いますが、いいえ大きくなっても悲観することはありません。大人になったってそうです。明るい挨拶と顔を向けて「ハイッ」と答える習慣をつけましょう。性格は変ります。《く》


ハイッと答えた人たち

 聖書には神様やイエス様の言葉にすぐ「ハイッ」と答えた人が多数出て来ます。
 アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った、とあります。この文面の勢いから察すると、アブラハムは考える暇もなく、即座に立って出発した感じです。
 ペテロは漁師でしたが、網を打っている最中にイエス様から「わたしについてきなさい」とのお声を聞きました。ペテロは即刻、その網を捨てて、イエス様に従った。
 聖書には書いてありませんが、漁師は波と風に鍛えられて声は大きい、その大きな声で「ハイッ」と答えて、いそいそとイエス様にくっついて行ったことでしょう。
 旧約聖書のノアはどうでしょう。神様はいきなり山の上に帆柱もカイもつけない、大きな箱のような舟を造りなさい、と言われる。ノアの全財産を使い果たすかもしれないような大事業、しかも馬鹿げた、人の物笑いになりそうな計画、「私には出来ません」と辞退しても不思議ではない神様からのお言葉、しかしノアは一言の不審そうな異議も口にせず、「ハイ」とOKしたのです。
 すべての聖徒たちが、そうであったとは言いません。マリヤでさえ、さすがに天使の「あなたはみごもって男の子を産むでしょう」という言葉には「どうして、そんな事があり得ましょうか」と反問しました。それでも天使の二言目には「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」とお受けしました。少々の疑問があっても、最後には御言の霊的威力の前にひれ伏すという感じです。
「ハイ、御言をお受けします。御言に従います」。こう言って御言に従うのです。
 ここで、大事なことを言い添えます。聖書の御言に、あなたの理性でもって無理矢理に従わせようとするのではないのです。神様からの直接の御言があなたの霊に響くとき、あなたは突然従順な魂になります。神様の聖霊が直接あなたの魂に語りかけるとき、奇蹟が起こります。あなたの魂は従順に御言に従わざるを得ません。
 イエス様が波の上を歩いて向こうへ行かれるドーデーの絵を逆にしてイエス様がこちらに向かって来てくださる。私はあわてて、これは絵です。絵です。本当のイエス様じゃありません、と手を振って否定しても、そのイエス様が私の胸のあたりを目指してやってこられる。そして遂に私の心に入り込んでくださったのです。そして一夜たっても、主は私から去っていませんでした。私は御言をその場で悟りました。「我れ更に汝を去らず、汝を捨てじ」(ヘブル13:5文語訳)と。こうして、即座に御言を思い出す力も神様の御愛によるのですね。《く》

〔あとがき〕
「ハイ」という用語のことですが、ある人の説によると、これは平安朝時代に漢字の「拝」から転用され、そして次第に慣用されたもののようだということです。ちなみにこの文章は、1984年7月に発行した「信仰手帖」という小冊子に載せたものです。《く》
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by hioka-wahaha | 2009-01-14 22:22 | 日岡だより
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