No.361 神様と顔を合わせて話しましょう 2008.11.30

神様と顔を合わせて話しましょう

 旧約聖書の出エジプト記を読むと、神様はモーセに顔を合わせてお語りになったとある。
 モーセは神様の言葉を聞いただけでなく、何か返事を申し上げただろうか、はっきりしませんが、神様は又、なにか再び語ってご返事くださったでしょうか。神様とモーセは顔と顔を合わせて、もっとくわしい会話が持たれたに違いない。私はそんなことを思うのです。
 ともあれ、私は神様と顔を合わせて語りあうことができるかも? という可能性に気がついてから、寝ても醒めても、家の中にいても、道を歩いていても、心があせるのです。
 視覚的に見える訳ではありませんが、どうも私の目の前に神様がおっかぶさるようにお顔を出してくださっているようで、つい「神様あ、コンチワ」なんて声を出しそうなんです。
 別にまだ、ご返事は聞こえませんが、あせってもいませんが、どうかすると、つい私は自分の声で、「お前、今日も、ご機嫌かい」などと、神様の言葉を真似て、ラジオの中の会話みたいに問答しているんです。
 それは、いつでも、どんな時でも、私の前に神様のお顔が迫ってくる。見えませんけれど、そこに神様がおられる感じです。
 その神様の臨在感と言いますか、それを私はある所で茂木健一郎さんが、「クォリア」(質感)と呼んでいましたが、その茂木さんの質感という言葉を使いたいのです。質感をもって目の前に居てくださる神様のお顔を見たいのです。そして、その神様と語り合えたら、どんなにか幸福でしょう。ハレルヤ! 《く》


平和論を考える(上)

 かつて大分合同新聞に乞われて「平和問題」についての小論を書いたことがある。信仰的文章は別としてこのような文章を書くのは滅多にないことで、冷汗をかいた。以下はその時の訂正稿です。(1984年8月9日と8月16日の夕刊に載ったはずです。)

   一、戦時下の私の体験

 昭和15年頃だった。私は急激に非戦主義に傾斜して行った。もともと内村鑑三やシュバイツァーの影響があった所へ、矢内原忠雄の「余の尊敬する人物」を読んだからではなかったかと思う。岩波新書初期の赤表紙版で日蓮、エレミヤ、リンカーン、新渡戸稲造などの評伝であった。祖国日本を憂える矢内原先生の思いがそくそくと迫る名著である。「誰が真の愛国者であったか、それは後世の歴史で明らかであります」と、日蓮の章を結んであった。私は今でもその文章をまざまざと思いだす。
 私は涙を流して、興奮した。改めて聖書を引っ張りだし特に旧約聖書の世界に没入した。昭和17年3月29日の日記に「義を知りてこの世にあらば我もまた一小預言者とならざるを得ず」などと短歌風に私の感慨をしるしてある。
 けれど一方では、私は皇国教育で培われて天皇崇拝一杯の青年であった。天皇様のためには親も財産も一身も捨てて悔いない気持であった。そんなわけで、天皇の対米英宣戦布告があって以後、天皇の詔勅と良心的絶対平和主義の間にはさまって私の苦悩は極度に達する。
 当時、吉田松蔭を読んでいた。私は今でも松蔭が好きだ。彼がこんなことを言っているのにその時、気がついた。「殿様が誤った道をとったなら家来のとる道は最後は諌死しか無い」。私は天皇のために諌死すべきではないのかと、その時ふと思った。これが結局後に軍の召集が来た時、私が自殺を計った一つの要因になった。
 「馬鹿を言え。兵隊に行くのが怖かったからだろう」という人がある。それも20パーセントくらい事実だ。しかしそのくらいで自殺出来るものではない。もっとも兵隊にいってから苦しくて自殺する人が時々いた。体の弱い人にとってそれほど兵隊は苦しいところであった。さて、いま考えれば可笑しいことに自殺用の薬を飲みすぎて、自殺は失敗した。
 そこで、徴兵忌避ということになる。罪名は「兵役法違反、出版言論集会結社等ニ関スル臨時取締リ令違反」。私は刑務所にはいった。そこでさせられる仕事が軍用行嚢の縫製であったり、軍用飛行機の部品のネジ切りであったりした。「戦争反対で刑務所に来て、する仕事はやはり戦争のための仕事か」。
 その時、私の心は戦争に対して抵抗力を失った。深い挫折感があった。まったく絶望した。そしてそれまの非戦主義と思想ばかりを語って、キリスト教的罪責感に対する救いの確信もない形ばかりの信仰であったことに深刻な反省がおこる。
 数か月の霊的暗夜が続いた。信仰が分からなくなった。これまでの信仰と思っていたのは、みな単なる思いこみで、信仰でも何でもなかった。そして自分自身の、怠惰さ、エゴイズム、偽善、高慢、そんな罪に染み、罪と悪心に充満された自分に呆れ返った。もう駄目だ。その自己認識で私は刑務所の固い壁に頭をぶちつけて死にたかった。私はもう駄目だ、永遠に地獄だと思った。
 その極度の罪意識のドン底で、私はキリスト様が直接わたしの内に実存したもう信仰を与えられるのである。(それは昭和19年11月23日、福岡刑務所北三舎の独房においてであった)。
 正直に言って私は徴兵忌避、自殺失敗などのことを人に告白するのは恥かしい。しかし私の信仰体験を語るにはどうしてもこれらのことを言わねばならない、牧師なるが故のしばしばのジレンマである。
 以上のような経験から、私が平和論や非戦主義を語るに適任者であると人に思わしめるのかも知れないが、実はとんでもない。私の60数年前のその挫折経験は私に非常に屈折したしこりを残した。単純なロマンチックな絶対非戦論が信じられなくなった。
 だから戦後の平和運動に対しては「そんな甘っちょろいことでイザ戦争というとき果してやって行けるかよ」とシニカルに批判するかと思うと、「いやいや、ともかくいいことなんだ。何はともあれ一つ加勢するか」と参加してみたりする私だ。
 どうも一定しない。ふらふらしている。最近は、こうした問題から逃げっぱなしだった。ところで今回、急にこの原稿を書くことになってみて、どうも困ってしまう。次に書くキリスト教的倫理感の問題などその最たるものだ。

    二、平和論者としての私の内的矛盾

 あるとき私はカーテンを開こうとしてハチに刺された。私は思わずカッとなってそのハチを踏み殺した。小さなハチを何で私は怒って足で大仰に踏み殺すのだろう。私はその蜂に対して自分の心に憎しみが一杯で、愛の一かけらも無いのに愕然とした。
 かつてシュバイツァーの「生への畏敬」に感激したあの私はどこへ行ったろう。こんな些細な事でハチを踏み殺してしまうような非平和な私に平和論を主張する資格があるだろうか。
 問題は勿論ハチだけのことではない。正直に言って私はしばしば人に対して同じように憎しみの感情をいだく。もちろん殺したいほどではないにしても。ご承知のようにイエスの山上の説教に従えばこれらの心で犯した罪はすべて実際の具体的罪と同等の罪なのである。そのような厳しいイエスの倫理感に会えば、どのような人もひとたまりも無い。
 まして倫理感は家族、団体、会社、党派、国家とその規模が大きくなれば大きくなるほど稀薄になるので(ある人は言った。愛国心とは利己心を国家大にしたものにすぎぬ)、絶対平和非戦主義などということは現実の国際間にはまったく不可能なことに見える。個人の間の喧嘩も無くならぬのに、どうして(これは人のことではない。私のことだ)国家に戦いをやめてくれと言えようか(マタイ7:1~5)。
 しかし私は思う。理想というものは実現不可能だからといってその鼓吹を手控えるべきではないし、またその実現を求める努力も怠るべきではない。イエス様の山上の説教など、現実の人生において実行不可能の教えであろうけれど、これを誠実を以って聞き、かつ少しでもそれを実行したいと願い努力し、また信仰の助けによってすこしでも実行出来るようになるのが真実のクリスチャンなのではなかろうか。それがクリスチャンの喜びなのではなかろうか。同様な姿勢で、絶対平和・非戦主義の主張も同様に私達には可能なのではなかろうかと私には思えるのである。(未完) 週刊「信仰手帖」第3号1984年8月5日)
《く》
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by hioka-wahaha | 2008-12-02 11:26 | 日岡だより
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