No.358 かつての戦争を思い出しながら 2008.11.9

かつての戦争を思い出しながら

 先日、ある姉妹から、お手紙を頂きました。その方が最近、かつての戦争の時代、中国などで「慰安婦問題」などと呼ばれている、忌まわしい事件を日本軍が犯していることを知って、心を痛めていると、記してありました。
 戦争中の日本の軍人が犯した慰安婦問題といわれる過去の問題、それは一体なんでしょうか。こうした教会の信徒の諸兄姉に公開する印刷物の中では、ちょっと書きにくい問題ですが、以下に書いてみます。
 軍隊は若い男性諸君の集団です。一般国民の中から選ばれた彼らは、道徳的訓練をまだまだ充分に受けていません。特に敵対国家や、内心軽蔑している外国の民衆に対面する時、得てして非常に頑迷な悪魔的様相を帯びる軍人集団が生まれるものです。
 かつての中国大陸に送り出されて行った、日本帝国の下級軍人たちが、いろいろ失敗、乱行を犯したのは、実際ありそうなことでした。

 戦争が始まって、急に戦闘要員の拡大を必要とするとき、召集という緊急事態を発動します。まず、過去において兵役の経験のある市民たち、実は平素から在郷軍人として予備的軍人組織に組み入れられていますが、この人たちを急遽召集するのです。
 この人たちを収容する兵舎も無いものですから、各戸市民の家を借りて、召集した兵隊さんたちを分散させ宿泊させます。満州事変の頃、私の家にもそうした兵隊さんたちが泊まったことがあります。
 兵隊さんたちは、大分県各地の市や町や村から集まって来ました。そうですね、私の家には4人か5人の兵隊さんが泊まりました。私は面白くて、毎日その兵隊さんにまつわりついて、鉄砲や軍服などに触らせて貰いました。
 いずれも、楽しい愉快な、田舎のオッサンたちでした。その兵隊さんたちが、ついに命令が出て、ラッパの音も景気よく、足音高く、歩調を整えて大分駅から戦地に出征して行きました。
 あの兵隊さんたち、支那に行ってどうしているかなあ。あんな優しいオッサンたちでも、帝国の軍人だが、戦争なんかできるのかなあ、と思っている内に、半年ほどして、その兵隊さんの一人が病気で大分に帰り、陸軍病院に入っている事を聞きました。
 私たちは、母や近所のおばさんたちや、そして私など子供たちも一緒に陸軍病院に見舞いに行って、ベッドにいるその兵隊さんに会いました。

 その時の兵隊さんに、私はショックを受けたのです。その兵隊さんが戦争に参加していろいろ経験した体験を面白く可笑しく話してくれるのですが、ついには話が弾んで、行軍する合間にも道の傍らに倒れて死んでいる女性群がある。また息も残っている可哀そうな女たちもいる。そういう女性群にあれこれと性的いたずらをする。
 面白いんだよ、と鼻をうごめかす、そういう自慢話に一緒について行っている母などは眉をひそめ、居たたまれない困惑さに困っているのに、それにも気づかず、あの優しかった兵隊さんが、こんな残酷な物語りを滔々とやっている。私は戦争というものが、こんなに人の心を変えるものか、と驚いたのです。
 冒頭に書いた、慰安婦問題と言うのも、以上の一連の話題に一度か二度は出てくる事例です。
 若い兵隊たちの性欲処理に慰安婦と称した女性群をあてがっていたのです。前線背後地の都会の酒場のウエイトレスに日本の内地より女性を呼び寄せて働かせた例もありましたし、そうした中で少数の日本女性も上記の哀しい女性群に転落する例も無かったわけではありませんが、まず僅かな数だったと思います。
 私は実は前線に近い都会地で水商売をしていた親父たちを何人か知っていて、その実例を数々聞いていたのです。そして、実は日本女性をそうした働き場所に出すことは、少々憚られて、そこで現地の中国女性に手を伸ばすということになるのです。
 こうなると、最後には暴力的と言ってもいいほどの女狩りが始まります。私はその実例を見た訳ではありませんので、正確さも欠くし、自信をもって、このとおりだよとは、言えませんが、凡そ推測はつくということです。こうした「女狩り」などと呼ぶのは実に品格を欠いて嫌ですね。
 こうして中国人の慰安婦さんが出来上がります。先に書いた慰安婦問題とは、このことです。
 こうした事件の背後に隠れて、犠牲になった中国の女性たちの心理的保障はまだしも、金銭でのお詫びや保障する事後処理すら、何一つ出来ていないだろうということは、およそ想像できます。被害を受けた女性の皆さんの多くはもう生きておられないでしょう。今日まで何一つ保障も出来ていないだろう現状を考えると、今更なにを言っているのか、という虚しさを自分ながら覚えます。

 こうした虚しい事態を起こすのも、つまるところ、戦争のお陰です。戦争というものは国家権力の相剋に関わることですから、その現時点の狭間に生きる人間にとっては肌身に迫る生死の問題であります。
 ちょっと話題が逸れますが、こうした時代では、政府権力の下で、新聞等のジャーナリズムや、また一般の国民思想すら、自ら意識せずして権力追随という情けない状況になります。
 こうした無意識の圧迫下に生きることの困難さに負けて、権威の威圧に抵抗することを諦めてしまい、困難さに加えて、更にその思想攻勢がこちらの内面に攻め込んできて、「やっぱり戦争はすべきだよなあ」などと、心の内側で妥協してしまうことになることです。
 実際問題として、戦争で自分の国が勝っている時、かつての日本のように他国に乗り込んで行って、そこで戦争している場合など、非戦論をぶって「非国民」と非難され、あるいは牢屋に入れられるような事になったとしても、私のように生きては行けます。
 しかし、外国の軍隊から攻め込まれて女性や子供、老人も生命危険になった場合、そこで非戦論を唱えるなんて容易な事ではありません。同胞の全国民の共感も得られません。
 かつて対米戦争が終わり、アメリカ軍から日本が「占領」されたとき、これを「進駐」軍などと呼び、アメリカ軍人のニコニコぶりに日本人は敗戦の厳しさを感じることなく「負けて良かった」とさえ思えてしまって、戦争の厳しさを微塵も感じなかったのです。
 現状では、日本人の意識構造には「戦争などしては大変だ」という意識が全く根づいていないのです。非戦論が日本人に了解されない原因の一つは、こういうところにもありそうです。
 僕の非戦論は内村鑑三の非戦論の影響ですが、内村先生は日露戦争当時に非戦論をぶったのです。ロシアの南進政策により、満州、朝鮮にまで大国ロシアの戦威が及ぼうとしている、日本の領土確保は非常に危なつかしい。現代のように平和論が世界の世論を呼び起せる時代ではありません。国際連盟もまだ無い時代です。
 そのような時代(ロシアの恐喝に怯えている時代)に、非戦論を宣べるということは、まさに当時の人には、奇矯にも見えたし、また反国家的にも見えたでしょう。実際、若い急進愛国者たちに家を囲まれかけ、先生の奥さんなど怖かっただろうと思います。
 ともあれ、自ら真理と信じる信条を守って、国家や、特に世間(!)に抵抗することは容易な事ではありません。しかし、少なくも唯一の神を信じ、十字架のイエス様にあがなわれ、そして人類の文明の終局と、神の御手による新天新地の降下を信じる私たちは、恐れることなく、この真理に己が生涯を投じて惜しまない潔(いさぎよ)さと勇気を持てる筈だと思います。
 まだまだ、書きたいことは多いですが、今日はこれまで。ご祝福を祈りつつ。さようなら。《く》
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by hioka-wahaha | 2008-11-11 15:29 | 日岡だより
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