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No.355 ワッハッハハ秋の一泊聖会 2008.10.19

ワッハッハハ秋の一泊聖会

 先週主日10月12日から翌日13日にかけて、予定のとおり、一泊聖会を営みました。場所は別府市の海岸にある九州電力別府保養所・照波園です。立派なものです。今後、春秋の聖会も可能な限り、この場所を使わせて貰いたいと思いました。(昨年まで、よく使わせて頂いた湯布院の望岳荘も同じく九州電力の施設です。すべて相良姉の九州電力在職のゆかりに頼ってお願いできています)。さて、
 12日の夕刻でした。皆さん集まって、なんと言うことも無く、突然「ワッハハハ」と笑い始め、如何にも祝福された聖会を象徴してくれました。《く》


秋の信徒一泊セミナー感想
                                  上木則男

 10月12日(日)、恵まれた主日礼拝後、好天にも恵まれ秋晴れの中で先生を含め20名の兄弟姉妹が目指す別府の照波園へ向かう。主の豊かな導きで、全員、元気に照波園保養所へ到着、保養所の恵まれた環境と東側に望む別府湾の潮の香りとで心身ともに癒された感じでした。
 兄弟姉妹がそれぞれ保養所内の散策を堪能の後、第一聖会が開会された。牧師のメッセージ、使徒行伝14章1~10の御言葉の解き明かしによる。ルステラに足なえの人で、歩いた経験が全くなかった人がいた。この人がパウロの語るのを聞いていた。パウロは彼をじっと見て、いやされる程の信仰があるのを認め、大声でまっすぐに立ちなさいと言った。するとその人は踊り上がって歩き出した、という記事からのメッセージである。現代のクリスチャン一人一人が強い信仰を持って神の御言葉(みことばには魂を癒す力がある)と牧師のとりなしによる祈りによって、心から疑わず、必ず癒されるという強意を持って神に委ねることの重要さをあらためて、恵みとして頂けたことに感謝です!
 そして、夕食の時ですが、佐藤姉、江良姉、原田姉のご主人が共に我々兄弟姉妹と共に食事をしながら、交わりの時を持てたことがたいへん嬉しく思います。3人のご主人共、それぞれの人柄が出ており、良い印象を持てたことが何よりの恵みです。この交わりをキッカケに、福音に根ざす事ができ、夫婦そろって礼拝に臨むことが出来るようにと、私は心の中で主に委ねました。ハレルヤ!
 夕食後の第二聖会。牧師のメッセージはテモテ第二の手紙2章8~13の御言葉によるものでした。8節の「イエス・キリストをいつも思っていなさい、これが私の福音である」という御言葉をいただき、日々の生活の中で心の中でいつも絶えずイエス・キリストを思うことの大切さを学ぶことが出来た。
 この牧師先生のメッセージの後に祈りの時間となり、兄弟姉妹が一つとなり、聖霊のうねりのようなものを感じた。そうしているうちに姉妹同士が聖霊に酔ったような激しい祈りで悲鳴とも言える、まさに使徒行伝2章のペンテコステの「激しい風が吹いてきたような音が天から起こってきて、一同が座っていた家いっぱいに響きわたった」とあるように、私は驚きを感じるとともに、自然に姉妹の中に身を投じて、激しい祈りを受け、主の臨在に浸っていた。このような体験は初めてであり、何とも表現しがたい感動を覚える。
 10月13日(月)、聖霊様に酔ったような余韻で第三聖会の早天祈祷会を迎える。牧師先生のメッセージは詩篇第42篇1~11節の御言葉をいただく。そして、聖フランシスコの話の中で祈りの方法を導いていただき感謝!
 朝食後、いよいよ最後の第四聖会。牧師先生のメッセージはローマ人への手紙から。第7章では心の法則と罪の法則、第8章では御霊の法則の解き明かしをいただく。そして37節の「私たちを愛してくださった方によって私たちはこれらすべての事において勝ち得て余りがある」という御言葉をいただき、信仰の確信を新たにする。
 以上、2日間にわたる信徒一泊セミナーは、主の豊かな恵みの中で大収穫となり、来年もこの場所で恵みをいただくことを願う。ハレルヤ!アーメン

 
 
会堂の前景が映えて…

 この月の6日だったか、伊丹市在住の冨久孝雄兄が来て、以後6日間教会の和室に宿泊して、会堂の玄関の上屋の前景の壁をきれいにしてくれた。
 随分、久しく放ってあって、信徒諸君の間からは度々業者に出して塗り替えようと申し出のあった箇所であったが、私は何んとなく気が進まず、工事しないままに過ごしていたのである。
 その箇所が気になったのであろう、それを見て冨久兄が屋根に上がって修理を始めた。言わば冨久兄のお得意の工事なのだったらしい。
 冨久兄は私の従姉・三好朝子さんの息子さんである。
 私はもともと兄弟のない一人息子だったから、従兄弟や従姉妹たちにひどく親近感を覚える癖がある。特に、三好家は徳太郎伯父の「復活社」に近かったので、毎週の日曜集会のあと、三好家に寄って遊ぶことが多かった。特に上記の朝子さんや、師範学校の優秀生であった釘宮大祐さんと一緒になって、一般のランクを越えて、やや上質の遊びが出来るのが魅力だった。こうした従兄弟(従姉妹)仲間の楽しさを私は忘れることが出来ない。
          *
 さて三好家には家系を継ぐものは朝子さんしかいなかった。そこで、婿養子を迎えねばならないことになる。そして三好家の家業は薬局だった。だから薬剤師の資格を持った婿さんを捜さねばならなかった。その条件にあてはまったのが、当時、別府の九州大学別府温泉治療学研究所におられた冨久のお父さんだったのである。
 私は、この冨久のお父さんが当時の三好家のすぐそばにあった釘宮家の本家に案内されて来られた時の様子を今もはっきり覚えている。そしてその夜、私を含めて親族一同の引き合わせをすませ、結婚の準備が出来あがって行った、それを身近に見ていた若い私には全く物珍しいものの動きであった。
 この時の結婚は実態は入り婿祝言であったけれども、当の冨久さんも長男だもので、姓は変えられない、止むをえず冨久姓で籍を保ち、今の冨久兄に継がれているのである。
 こまごまとした昔の籍の話で記事も手間どったが、ともかく冨久兄がこの教会の前面の壁を塗り替え、当教会のだいぶくたびれた憾のあった玄関の上屋が一気に生き生きとした姿に変った喜びを書きたかったのである。折よき時に冨久兄も現れてくれたものである。
 最後に大事なことを書きたい。この冨久兄の祖父、つまり朝子さんのお父さん三好五百吉さんのことだ。この方こそ私の父、釘宮太重に信仰を伝え、そして釘宮家一族がひしめくように打ち揃ってクリスチャン一族になってゆく元起こしの人物だったのである。
 折よき冨久兄の出現も神様のお取り扱いであろう。万事が良し。これは教会の全ての移り変わりに当てはまることである。《く》
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by hioka-wahaha | 2008-10-21 13:46 | 日岡だより
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