No.354 平和だ、無事だと言っているうちに 2008.10.12

平和だ、無事だと言っているうちに         
           - 第一テサロニケ5:3 -

 本紙349号で「世界から戦争が無くなる時がきている」というエッセイを書きました。350号でも似たことを書きました。「今や世界は表面上平和に見える」という主張です。
 今日、日本や世界で、こんなことを言っている人が私のほかにいるでしょうか。私一人かも知れません。
 私はプロの評論家ではありません。この「日岡だより」や、最近は笹井さんの好意で「ハーザー」誌にだけ取り上げて頂いている貧しい書き手です。
 だから反面、大胆に何でも書きたいことを書いているということになります。つまり一人よがりの文章になってしまいやすいということです。
 別に、どこからも反響はありませんし、私もそれを期待していません。大正の文人で「みみずのたわごと」という随筆を書いた人がいますが、この私の拙文こそ、正に「みみずのたわごと」みたいなものです。
 地べたにひそんで、ブツブツ言っているだけですが、そのうち共鳴してくれる人が出て来るかもしれませんね。
 私はキリスト様の伝道が使命ですから、いつまでもこのヘンな世界平和論をぶつ気はないのです。とは言え、「現代、世界は平和である」という意見は今のうちにはっきり語っておきたい、と心に期しています。とは言え、その平和は聖書でいう全き平和ではない。そのこともはっきりしておきましょう。
 私の言う、「今の世界の平和である」という平和は「疑似平和」です。しかし疑似平和でも良い、それが無いよりは良い。それが私の意見です。
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 こう考えるのです。たとえ疑似平和でも、戦争をやってるよりは良い。かつてのソ連とアメリカではないが、冷戦という時代があった。しかし、冷戦でも熱い戦争よりは良い。この考え方は実利的で、根本論としては曖昧でしょうが、現実論として成り得る考え方です。
 繰り返しますが、冷たい戦争も、熱い戦争よりは良い。同じ論法で言うと、冷たい平和でも、平和が無いよりは良い。
 冷たい戦争の時代が、冷たい平和の時代に変化する時、人々は次に冷たい平和が暖かい平和に移行することを願わないでしょうか。
 グルジア辺りで停戦協定が模索され出すとき、そこでは、まだまだ戦争気分が暗流しているにしても、つまり冷たい平和であるにしても、そこに次の暖かい平和の気分の芽が息吹いていることは確かです。
 本紙349号で「世界から戦争が亡くなる時がきている」と題して書きましたが、本当は「今すでに、世界は平和ではないか」という認識を訴えたかったのです。
 電波も、旅行団も、ファッションも、マンガも、自動車も、地球をグルグル廻っています。かくて、全世界が平和です。こんな時代はかつて地球上になかった、と言っても言い過ぎではないでしょう。
 「人間は本来喧嘩好きで、地球上に戦争のなかった時は一日もない」という言い方をする人もありましたが、世界歴史を振り返れば、そうも言えるでしょうか。さて、
 ここで一つ、聖書的命題を出してみます。第一テサロニケ5:3を選びます。言わく、
「人々が平和だ、無事だと言っている矢先、世の終わりがやって来る。」
 というみ言葉です。私が「今は平和です。今は平和です」と、ひっきりなしに言っている、この状況が、もし私一人でなく、大勢の人々が言い始める時が来るとします。
 すると、その矢先、世の終わりが来るという聖書の預言ではないですか。私はこのお言葉に気づいた時、仰天しました。《く》
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by hioka-wahaha | 2008-10-14 12:18 | 日岡だより
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