No.348 「回心」ということ 2008.8.31

「回心」ということ

 キリスト信仰において「回心」という言葉は重要度ベストテンに入れるべき大事な言葉だと思うけれど、この言葉は私の持っている限りではキリスト教大辞典という類の本には一向に出て来ない。
 ところが、一般の辞典である岩波の広辞苑には立派に載っていた。次のとおりである。
 【回心】(宗)(conversion)キリスト教などで、過去の罪の意志や生活を悔い改めて神の正しい信仰へ心を向けること。なお、一般に、同様の宗教体験を言う。
 回心(えしん)・発心(ほっしん)。私が説明を添えると、「回心(えしん)、発心(ほっしん)」は仏教用語である。回心(えしん)は「廻心」ともあったように思う。これは多く、私が親鸞上人の文章で読んで覚えたものである。
 なお「改心」という言葉はカトリック用語にあった。それはプロテスタントで使う「悔い改め」を差すとある。
 私の書棚を見ると、一冊だけ「異教からの回心」という本があった。だから、使われてないことはないのである。
      *
 私の使う回心という言葉は、上記のカトリック用語としての改心ではない。悪人から善人への転向という意味での世間でよく使われる改心という言葉でもない。
 キリスト信仰における回心という言葉は私は石原兵永先生の本で知った。この本は私は戦前、銀座の教文館で買ったのだったと思う。(この時、矢内原忠雄先生の「イエス伝」もいっしょに買った。この本も私に大きな影響を与えた。ひたひたと押し寄せてくる軍国主義の波に抵抗しようとする雄々しい矢内原先生の姿勢に私は圧倒された。そして私なりの覚悟を決めることになる。私はまだ青年前期、18歳であった。)
 上記の石原先生の本の題名がずばり「回心記」である。私は教文館の図書売場でこの本の頁をパラパラとめくって、チラリと内村鑑三先生の名前を見たので、すぐに買ったのである。こうして、私は私の生涯に一大転機を与える本に巡り合ったのであった。
 この本は戦前、長崎書店から出ていた。戦後、長崎書店の後継社というべき新教出版社から新版として出た。この際、内村先生の小篇「コンポルジョンについて」(たしかこういう題名だった)は削除されていた。これは惜しかった! コンポルジョンというのは内村先生流の読み方である。石原先生は当初から現代風にコンバージョンと書いていた。内村先生はアメリカに留学していた方であるから、英語をわざわざ日本のローマ字読みに替えることはあるまい。すると先生の留学されたころのアメリカではコンポルジョンと読んだのか、と不思議に思う。
 なお余談だが、最近のアメリカ英語に慣れた某宗教家に聞いたら、営業マンなどに説得されてその商品を買う気持に変わった時の心の変化をコンバージョンと言い、宗教的信仰の決意をした時にはコンバーションと言うのだそうだ。
 気をつけて読んでください。ジがシになっている。濁りが取れて純粋になっている、呵々。ある旧友が私に言ったことがある。「釘宮さんの名前ね、義人(ギジン)ですね。これから濁りを取ると奇人(キジン)になりますよ」(?)と。
 石原先生の「回心記」は内村先生と共著と言ってもよい本である。石原先生が内村先生の家に書生のように住み込んで信仰を学ぶ、その時、この回心のことを内村先生から聞き、その回心なるものを求めて苦悶する経緯を書き綴った本である。内村先生は言う、「回心の経験がなければ本当の信仰じゃないよ。そう言えば、カトリックの人たちに回心があったとは聞かないねえ」、カトリックの方は怒らないでください。
 現代のカトリックの方々がどうか知りませんが、少なくともカトリックの歴史では、よく知られた有名な人物を例にあげることが出来ます。アウグスチヌスとか、パスカルとかです。
      *
 アウグスチヌスは逃れがたい多感放縦な好色乱逸の生活に溺れていました、その生活から正に一挙に回心します。彼の「告白録」のちょうど中ごろ(第8巻12章)から読むことが出来ます。非常に簡単です。隣家の子どもの唄うような声が「取って、読め。取って、読め。」と聞こえたそうです。
 彼は、これは聖書を読めということだろう、と思ってそばにあった聖書を開いて読みました。そこにローマ人への手紙の第13章がありました。彼が読んだ個所は、その章の最後です。
 「宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いと嫉みを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。あなたがたは、イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない」。
 彼はこう書いています。「私はそれ以上読もうとは思わず、その必要もありませんでした。この節を読み終わった瞬間、言わば安心の光とでも言ったものが、心の中にそそぎこまれてきて、すべての疑いの闇は消え失せてしまったからです。
 こうして、初代教会最大の教父が生まれるのです。386年、彼は32歳でありました。これが「回心」です。
 私はこのアウグスチヌスが回心の契機となったのは、この御言の全文であるとは思えない。反対も異論もあろうかと思いますが、この長い全文がアウグスチヌスの魂にハッと気づかせたとは思えないのです。中世の作文の癖として、長々と詳しく書いてあるが、本当の回心のキッカケとなる言葉はもっと短いと思うのです。
 それは、多分、この終わりの言葉ではないでしょうか。文語がよい。「ただ、汝ら主イエス・キリストを衣(き)よ」、このみ言葉がアウグスチヌスの心を根底から回転させたのだと思う。
 パスカルはこうです。彼は17世紀、フランスの人。数学者、物理学者、哲学者、パンセの「人間は弱き葦である」等の言葉で有名。以上のような学者としても、また社交的な魅力でも、サロンの人気者でであったが、しかし彼はそうした世俗を脱して聖なる世界を求める。ついにある日、聖霊によって変えられる。
 その日は1654年11月23日です。(幸いな偶然!ですが、私の回心は1944年の11月23日なのです)彼のその時の「覚え書」が残っています。彼の下着の裏に縫い込んであったのを、彼の死後、発見されたのだそうです。以下のとおりです。

     火
  アブラハムの神、イサクの神、
  ヤコブの神
  哲学者や学者の神にあらず
  確実、確実、歓喜、平安
  イエス・キリストの神
  Deum meum et Deumvestrum.
   (わが神、即ち汝の神)
  汝の神は我が神なり
  神以外、この世および一切の
  ものの忘却
  神は福音に示されたる道に
  よりてのみ見出さる
  人間の魂の偉大さよ!
   「正しき父よ、
   げに世は汝を知らず、
   されど我は汝を知れり」
  歓喜、歓喜、歓喜、歓喜の涙
      *
 日本人で同じような経験を、前記の内村先生に見ることにしよう。先生はアメリカのアマストマ大学に留学中、アルバイトの石炭運びをしている時、その信仰の経験をしたらしい。
 内村先生は当初、熱心に律法的に信仰を求めて苦慮していた。この日本からの留学生の苦悩を見かねて、学長のシーリー先生が福音的な信仰のありかたを教える。それが端緒となって内村先生は回心なされたと書いてあった。前記の「回心記」による私の記憶である。
 内村先生は「そのときの記録を君に見せたかった」と石原先生に言っているが、「残念ながら、その記録は捨ててしまったんだよ」とも言っている。まことに、「惜しい」と思う。
      *
 このことについて、実は内村先生は「その記録は捨ててしまった、というのは、その時、「私はだまされていたのだと思ったからだ」と言っていたと覚えているのですが、これは重要な内村先生の「告白」です。
 「あのすばらしかった回心の経験は偽物だった。自分はだまされていた」と思ったということです。それで、先生はその貴重な回心記録を捨ててしまったというのです。もっと突っ込んで言うと、これは「回心という経験が、最初はすばらしい完全な聖霊経験だったと信じていたのに、後にそうではなかった。やっぱり自分は相変わらず駄目だった。昔の自分と大して変わらない自分であるのに失望した。そうだ、こんなもの捨ててしまえ、どっかに行ってしまえ」とその記録のノートか紙片を捨ててしまったということでしょう。
 ここで大事なことは、今となっては矢張り、その捨てた行為を「惜しかった」と言っていることです。「やはり、あれは本物だったのだ」というのです。とは言え、もう一度、振り返って書きなおすほどのエネルギーは、もう無いよ、ということでもあります。ここに秘密があります。
      *
 さすがのこの「回心」という体験、すばらしいものですが、完全ではないということです。回心直後は確かに天下を取ったような征服感があります。「なんでも来い」、というような完全意識があります。意気揚々たるものがあります。
 尤も、これも個人差がありまして、「あ、これが回心か、まあまあだな」と冷静に受けとめる態度の人もいるものです、私はただ一人、そういう人を知っています。実に誠実温厚な人柄でして、その人の回心経験を疑うことは出来ませんでした。生来の謙遜な性質ですが、だからと言って、無理に誇らず偉ぶらず謙遜にふるまっているのでもない。自分の素晴らしい経験だが、それを淡々と受けとめて、さして大仰には語らないのです。そういう人もいるのですね。
 これは聖霊経験というものもいろいろだということです。それから。もう一つ大事な点は回心と一口に呼んでも、義認論的経験と聖化論的経験とは別にしなければならないということです。歴史上で、最も有名な人物で対比すると、アウグスチヌスと、ジョン・ウェスレーの場合です。
      *
 ジョン・ウェスレーは、英国の国教会の牧師でした。また「几帳面屋」とあざけられたほどの規則正しい信仰生活を送る真面目なグループのリーダーでもありました。その彼が英国国教会から派遣されて当時の新大陸アメリカに伝道に行きます。渡航する船の中で忘れられない経験をします。
 突然、激しい暴風雨の襲われるのです。7時間を過ぎても風は収まらず、荒波は甲板を乗り越え、マストは今にも倒れそうでした。乗客はみな恐怖で泣き叫び、ウェスレーも泣き叫ばないにしても、おびえる乗客の中の一人でした。
 その時、別の部屋から不思議な歌声は聞こえてきました。よく聞くとドイツ語の賛美歌でした。驚いて、その部屋に飛び込んでみると、2、30人の人々、子どもも混じっています、その彼らが目を天にむけて平安な顔で歌っているのです。
 一人の女性に聞きました。「あなたがたは、この嵐が怖くはないのですか」「いいえ、怖くはありません。ここにいる者、みんな神様に守られていますから、少しも怖くはありません」。
 しばらくすると、なんと一緒にいたウェスレーの心からも恐怖心が無くなっていました。
 その一行の人々はドイツの田舎からアメリカに向かうモレビアン派の信者たちでした。
 ウェスレーは結局、アメリカでの伝道には失敗し、イギリスに引き上げますが、その後あのモレビアン派の人々の信仰が慕わしくてなりません。そして、あの死をも怖れぬ信仰、ホンモノの信仰を求め始めるのです。ウェスレーはついに、あるときロンドンのアルダース・ゲートという所にある小さな教会に行きます。そこで司会者がマルティン・ルターの聖書講解の序文を読んでいるのを聞くうちに、突如、心に激しい火のようなものが燃え上がるのを経験します。そして彼は自分がキリストのものになったことを自覚するのです。これがウェスレーの回心です。1738年5月24日午後9時前15分のことだったと言われます。
 その瞬間をウェスレーは自分の時計を見たのでしょうね! それ以後、彼は政府から教会で説教することを禁じられ、馬に乗って全イギリスを駈け廻り、公園や墓場で伝道します。彼が創立したメソジスト教会は後に世界第一の教派になるのです。彼が言った「世界は我が教区なり」という言葉は、現実的に成就したのでした。
      *
 私が回心したのは1944年、昭和19年11月23日夕刻です。私も時計を持っていたら、その時刻が分かったことでしょう。残念ながら刑務所の中でしたから、時計はそばにありませんよね。私は以上の2人アウグスチヌスと、ジョン・ウェスレーの回心を慕っていましたので、この獄中の回心を非常な歓喜をもって迎えました。
 後日、私の伝道で第一番目の回心した人、大石美栄子さんが、後にロンドンのウェスレーゆかりの教会に行き、そこで私の説教を思い出して涙を流して泣いたと、そのロンドンからのはがきを送ってくれました。そのはがきのインクも涙で濡れていたのに私もひどく感動したことでした。
 しかし、こうした感動的回心も信仰の成長の一過程であって、完全なものではない。それが前述の内村先生が、後になって「あれはだまされていた」と言って、回心記録を捨ててしまったという理由でしょう、さすがの内村先生も早まったことをしたものです。
 この点、ウェスレーは「几帳面」な人で、しっかり者です。回心したとはいえ、人間の弱さは、相変わらず残されていて、完全にはならないことを見抜いていました。
 ここでちょっと説明したいことがあります。アウグスチヌスの回心とジョン・ウェスレーの回心の間に一つの差があります。アウグスチヌスは全くの不信者の立場から回心によって救われ、そしてクリスチャンになりました。ところがジョン・ウェスレーはすでに信仰を持っていました。十字架のあがないを信じて「几帳面」な信仰生活を送っていたのです。その彼が、十字架のあがないによる「義認」の信仰に加えて、更に回心した。そこを神学的に説明すれば「聖化」の信仰を得たことになるのです。
 ところが内村先生はアメリカの大学でアルバイト中に回心した。それは多分、十字架による「義認」の信仰だったと思います。すると、一時は天下を取ったような歓喜の日々を送り得るのですが、しばらくする。古い人間性に地金が出て来るのです。
 すると、「あれッ、こんなはずじゃなかった」と慌てます。がっかりします。一時の信仰の喜びが失せてしまい「あれはだまされていたんだ」と言う始末になるのです。しかし、後になって「あれはやはり、確かな信仰体験だった。あれはやはり回心だったのだ」と気がついたのでしょうね。
      *
 ここで、ちょっと註をつけると、義認の信仰だけで、それをキリスト信仰とするのがルターやカルヴィン以降の正統(?)的教派と言いましょうか。
 ジョン・ウェスレー流の聖化を信じる教派を日本では聖潔(きよめ)派というのですね。また戦後は福音派と呼んでいます。日本では福音派というと、ホーリネス教会、インマヌエル教会、ナザレン教会等々ですね。(ちなみに私などの教会は以上のどちらにも属せず、ペンテコステ派として類別されるでしょう。異言を語り、神癒などの特別の賜物を信じ、行使する教会ですから。)
 もう一つ、大事な回心のこと。特にコンバージョンと呼ぶ事が多いですが、それはかつて私が属し、今は離れていますが、手島郁郎先生創始の「神の幕屋」と呼ばれ、今は「原始福音」とも呼ばれている団体における爆発的コンバージョンです。(今もこの聖霊体験は保ち続けられているだろうと思っていますが)。
 このコンバージョンも私は体験させて頂きました。いきなり激しい異言が噴出、床の上に転倒して一時間ほど動けなかったのでした。同時に背後からひっきり無しの風の音を聞いたものです。
      *
 なお、最も注意すべき点は、これらの回心体験がないと、「あんたの信仰は全然駄目」という風に貶す人も出るということです。これはいけません。自分の意志をもって「私はイエス・キリスト様を信じます。イエス様の十字架の尊い死によって私の罪は贖われました」と真心をもって信じる人の救を疑ってはいけません。共に主を信じる者として、愛と誠実をもって交わりたいものです。
 手島先生に言わせれば、コンバージョンはクリスチャンの生涯に何度あっても良いのです。何度もあるべきなのです。この手島郁郎先生は大した方です。いえ、私は世界一の人物だと信じています。先生に対する私の尊敬は今も変わりません。
 とは言え、私が少し先生から距離を覚えるのは、イエス・キリスト様による「義認体験」です。先生は聖霊体験が先生の人格の最深度において激しい打撃を受けたのに違いないと私は想像しています、ですから、義認の信仰などは知的な自己欺瞞に思われるのだろうと思います。
 ところが私にしてみれば、22歳の時の義認信仰の受入れは確実な神秘体験です。この体験を手島先生はせせら笑うものですから、私には耐えられないのです。桜井先生も同じようなことを言っていました。桜井先生は一時は手島先生の後を継ぐかと思われていた人です。しかし後日、私と胸襟を開いて話し合った時、先生も私と全く同じ、義認の信仰をしっかり聖霊様に頂いていたものですから、この間隙を埋めようがなかったと言っていました。先生が後に手島先生から去るのも止むを得なかったと思います。《く》
(2007年3月4日の「日岡だより」第270号に多少加筆して転載しました。)
 拙文をお読み下さった方からのご感想やご注意やご質問、ご意見等もご遠慮なくお寄せください。
[PR]
by hioka-wahaha | 2008-09-02 14:06 | 日岡だより
<< No.349 世界から戦争が無... No.347 「歎異抄」を読む... >>