No.347 「歎異抄」を読む 2008.8.24

「歎異抄」を読む

 最近、「歎異抄」の名が新聞の広告欄に大きく出始めています。歎異抄は私には懐かしい名です。
 歎異抄の著者は親鸞です。親鸞の文章は名文ですね。古文ですから読みづらい点はありますが、読めない文章ではありません。昔、私たちが文語訳聖書を読んだのと、さして変わらない。
 親鸞は法然の弟子でして、鎌倉時代、1200年前後の方です。鎌倉時代は日蓮さんも出ますが、日本ではそうした新宗教が花咲く時代でした。
 法然は浄土宗の開祖、その後を親鸞が継ぎます。別に一派を立てた格好になりましたが、これは親鸞の本意では無いでしょう。
 親鸞が法然を回顧する時、「この方のおっしゃる言葉を聞いて信じるほかには、何のややこしい理屈もいらないんだ」と、言いきっています。
 またこう言います。「この方、法然様にだまされて、たとい念仏を唱えて地獄に落ちる結果になっても何の後悔もない。所詮、どんな信仰をもっても救われる筈のなかった人間が、こうして法然様に助けられて信心の喜びに溢れている、このほかに言うべき言葉は何もありません」。親鸞さんの述懐です。

 私は戦時下の福岡の刑務所で、信仰を求めました。私はキリスト教的信条のもとに戦争に反対して、ついには刑務所に入ったわけですが、実はまだ本当の信仰を持っていなかった。
 福岡市の当時、西新地にあった福岡刑務所に入れられ、初め他の囚人と一緒に入れられる雑居房にいましたが、1944年の7月だったか、監督官に呼び出されて、私の罪名を見て、「お前を一般収容者と一緒にしていたのは間違いだった、今日から独居房に入れる」と宣言されて、独居房に移されます。
 あの頃、独居房に入れられるのは、共産党員か、右翼か、殺人犯だけでしたが、ともかく、宗教人にとり独居房は有難いです。他に顔を合わす人がいない。言葉を交わす相手もいない。一人、自分自身と相対すか、神様と顔を合わせるか。それしか無い。もちろん、孤独で、寂しい。心は暗中模索です。下手をすれば発狂でしょう。
 私はいよいよ人生の究極の場所にきたな、と思いました。有難い。自分で、自分を確かめる時だと思いました。まず、看守に聖書を求めました。投獄された時、私は聖書を持っていましたが、聖書は私を非戦論に追いやった危険文書と刑務所のほうは踏んだらしい、刑務所は本来は聖書は囚人用携帯書としては奨励しているのですが、私だけは別。「こいつにとっては聖書は危険文書だ」というわけだったでしょう。私には持たされなかったのです。
 さて、刑務所では月に一度、図書の貸出しが行われます。ここで、私は聖書と歎異抄の載っている真宗聖典をよく借り出したものです。囚人の図書係さんが「月に2冊だよ」と言いながら、図書カード箱を開いてくれます。私は奥さん殺しの殺人罪で無期懲役なんだと噂のある、その図書係に聖書も申込みますと、どうした訳か、2冊頼んだうちの歎異抄は私の独房に入ってくるが、聖書は入ってこない。刑務所教誨師は真宗の僧籍の方が多いから、真宗聖典は貸してくれる。だから歎異抄はよく読みました。
 こうしたことの繰り返しでしたが、私は諦めず毎月聖書を申しこんだ。ところが10月だったか、相変わらず聖書を申し込んだ時、図書係の囚人さんが、私に目くばせしながら、聖書を持ってきて私の独房の差し入れ口にポンと入れてくれたものです。私は胸を湧かせながら聖書を開いたものです。

 私は大喜びで聖書に取っ組みました。独房では封筒作り等の軽い作業をしていました。今はどうか知りませんが、独房は重大犯罪者のはいる所ですから、仕事はさせないで寂しい思いをさせ、自分の罪を十分反省させるのが本来の目的です。
 仕事は、役付きの囚人、雑役と言いますが、その人が仕事の封筒の材料を各部屋に放り込んでくれます。そうすると仕事係の囚人さんが、私たちの顔を見て、好きな奴には仕事を沢山くれ、気に入らない奴には仕事を少ししかやらないのです。
 寂しい独房の中では、少しでも気をまぎらわすため仕事を沢山ほしいのです。仕事が少ないと手持ち不沙汰で、時間がもたない。「もっと仕事をくれないかなあ」と封筒の材料を待っています。
 私は、その雑役の囚人さんから気に入られていましたから沢山仕事の材料を貰いましたが、それでもいい按排の量でした。私は側に聖書をおいて、聖書を読みながら、封筒作りをすることができました。
 ここで読む聖書は身に沁みましたね。旧約聖書の創世記から新約聖書のヨハネの黙示録まで、通して読むと、5日ほどで読み通しました。仕事しながら、夜は寝ているときも、看守の目を避けて読むのですが、何とかして読みました。見つかれば叱られます。
 しばしば看守は任務上、私たちの独房の部屋の前を監視しつつ歩いて行きます。その足音の聞こえるつど聖書を伏せて私の背後に置きます。そうしている間、私は今読んだばかりの聖書の御言を心に暖め、あるいは暗唱し、祈るのです。お陰で御言は私の心のなかに浸透して来ます。
 1944年11月19日、日曜日でした。刑務所は免業日(世間で言えば公休日)、私は朝から神様からの救を求めました。実は数日前から、私の魂は乾ききっていました。自分の罪に気づいて、苦しみ抜いていました、あれこれの具体的罪ではなく、私の心の中にひそむ汚れた罪の思いの固まりでした。
 私は朝から夕まで食事を食べませんでした。当時の刑務所で断食することは、日ごろの食事の量も少ない時ですから、一度欠食したら、その後栄養を補う機会はないのだという不安感は一杯です。
 しかし、その時の私は命がけでした。イエス様からの命、魂の救を求めたのです。肉体の命何ものぞ、霊の命をほしい。私は断食して命を求めたのです。
 19日から4日目。11月23日、今ですと勤労感謝の日ですが、当時は秋季皇霊祭、夕刻になると、庭の桑の樹に雀たちが帰ってくるのでした。そのチュンチュン鳴く声が独房にも聞こえます。
 私は自分の不埒な自我に悩みました、この自我が死ななければ、神様の命は頂けないという思いが迫りました、「そうだ、この自我が死なねばならないんだ。私は死のう、死ぬんだ、この自我が死ぬんだ」と自分に叫びつづけました。
 しかし、どうしても自分では自我は死ねません。私の自我は「生きよう、生きよう」と強力です。この自我の胎動には呆れました。私は自分に言いつのりました。「死ぬんだ、死ぬんだ」と。しかし、死ねません。その時、御言がすっと心に浮かびました。これまで読んできた聖書のお言葉の一つが浮かび上がってきたのです。
 「ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである」
            (第二コリント5:14)
 私はハッと悟りました。自分で、自分の我力で死ぬのではない。イエス様が私のために死んでくださったのだ。このイエス様の身がわりの死こそ、それが本当の私の死なのだ、と。
 この不合理きわまりもないとも言うべき御言の理解が、私の魂にドンと入り込んできました。私は生き返る思いをしました。
 私はこれを瞬間的イエス様体験と言う。「回心」とも呼びます。英語でコンバーションですが、これは実に神様からの絶対的恵みです。この恵みの体験は私に本当にすばらしかったので、この体験がなければ、本当の信仰ではないよと、よく言って来ました。
 これは言い過ぎの感もあり、却って求道者からせっかくの信仰に入る機会を奪い、天国への門を閉じてしまう面もあります。しかし行き過ぎるくらいの言い方が、真理をはっきりさせる面もあります。
 ともあれ、「でもこの回心経験は凄いんですよ」と言わねばおれない私の思いをお許し願いたいと、思います。《く》

〔あとがき〕
急に涼しくなりました。この夏は暑かったですね。いよいよ秋ですね。収穫の秋です。魂の収穫においても、実り豊かであることを祈っています。もちろん、能う限りの努力もしましょうね。《く》
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by hioka-wahaha | 2008-08-26 12:29 | 日岡だより
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