No.345 救いの確かさ(五) 2008.8.10

救いの確かさ(五)

 1511年、29歳のマルティン・ルターはローマに行きました。ピラトの階段と言われているものがありました。イエス様がピラトの裁判を受けられる時、上がっていった階段だと言います。その階段をひざまずいて上がってゆく人には功徳があると信じられていたのです。そういう聖蹟遺物が当時たくさんありました。階段にはガラスの破片が撒いてあり、膝に傷を受けながら上がるという苦行なのでありました。
 その階段をルターはのぼっていく途中、あの「義人は信仰によりて生くべし」という聖書の言葉を思い出しました。決然として彼は立ち上がり、階段を降りて行ったのです。その頃すでに彼の心に福音信仰が醸成され始めていたと推察出来るではありませんか。この時、ルターにはまだ確信はなかったでしょう。まだ、肉と罪との戦いに勝利を得ることができず、悩み苦しんでいた時でなかっただろうかと思うのです。
 1513年、その年の初めの頃、ルターはウィッテンベルグ城の塔の中で徹底的回心をしたのであろうと多くの歴史家が言います。
 彼は回顧して言います。「その時、私は一瞬にして新しく生まれたように感じました。パラダイスの扉が目の前に開かれたような気がしました」。まさに、ルターはこのウィッテンベルグの城で初めて「救いの確かさ」を掴んだのでありました。
 この経験が内村鑑三がコンポルジョンと呼び、石原兵永が「回心記」(新教出版社刊、ただし絶版)で強調したコンバージョンです。ウイリアム・ジェイムスの「宗教経験の諸相」(日本教文社刊)を読むと、このコンバージョンの驚嘆すべき体験談がたくさん記録されています。
 畏友・今橋淳先生は、私も親しかった桜井先生という方の按手と祈祷を受けて一瞬バリバリ音を立てるようにして脊髄カリエスが癒された。そしてイエス・キリスト様の救いがこれまでの教理的理解はでなくて実存的体験として分かったのです。(この奇蹟的回心については先生の自著がある)。
 この今橋先生から、かつて「釘宮先生のコンバージョンはどんな様子だったのですか」と問われたことがあります。私は例の刑務所の中での体験を話したら、「その程度のことですか」というような落胆した顔をされました、呵々。
 とは言え私が、その時いただいた信仰は神様からのものです。如何に小さい信仰でも、質的にはペテロ、ヨハネ、パウロと少しも違わないと、その時思っていました。今ももちろん、そう思っています。親鸞が他の弟子たちとの信心問答で、「法然上人の信心と私の信心は微塵も違わない」と断言したそうですが、よく似ていますね。ルターと私の信仰は微塵も相違しない。私はそう信じています。
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 モラビアン兄弟団の総師ツィンツェンドルフ、不思議な人です。この人は1700年にドイツのザクセンの伯爵家に生まれました。ルターよりも約200年後の人です。なんと4歳の時にイエス様に従う決心をしたそうです。6歳の時にはスウェーデンの軍隊がザクセンに侵入、あらくれ兵士どもが略奪のため城に乱入してきましたが、この少年は少しも恐れず祈り続けていました。この少年の姿に兵士たちは恐れを覚えて何もできなかったと言います。
 成長して、19歳の時、大学を卒業、当時の青年貴族らしく、国内を旅行しました。そしてデュッセルドルフの美術館で「この人を見よ」という十字架上のキリストの絵を見たのです。その下に文字がありました。
 「我はなんじの為に生命を捨つ。なんじは我がために何をなししや」
 この言葉の前で棒立ちになった。彼は涙にむせんで立ち去ることが出来なかった。その時、あらためて彼は献身の思いを堅くしたのです。
 後に、チェコスロバキアの中部モラビア地方からクリスチャン農民たちが逃れてきました。彼らはルターをさかのぼること100年、宗教改革の先駆者ヤン・フスの流れを汲む真の信仰者たちでした。ツィンツェンドルフは彼らを自領に迎え入れて安全を保証したのみか、彼らと共に信仰の集団を組織する。これがモラビアン兄弟団です。
 モラビアン兄弟団のことは又、稿を改めて書きたいですが、彼らは殉教的海外伝道に出て行きました。み言葉に忠実なることは、今もローズンゲンという有名な聖書日課を編集して、毎年出しているほどです。彼らは数の多くなることを求めず、今も本当に小さい教団で満足しています。
 さて、このツィンツェンドルフの信仰は、いつ生まれたのでしょうか。彼にはコンバージョンは起こったでしょうか。あの4歳の時や、19歳の時も、いわゆるコンバージョンではないように思えます。
 彼の信仰は非常に意志的です。決意の強い人に見えます。断固として信じるのです。彼はみ言葉や聖霊の導きに従順です。世論を恐れず異国の難民を受入れます。教団の組織指導は徹底しています。少年少女たちまで自発的に徹夜して祈ったと言われるほどです。
 この教団の霊的な信仰はジョン・ウェスレーの霊的自覚とコンバージョンを生み出し、聖霊と聖潔のメソジスト教団を生み出させたのです。
 こうしたツィンツェンドルフの信仰の強固さはどこからくるのでしょうか。今後の私の研究課題です。
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 ところで、文章の流れを急に変えて、現代の私たちの周辺に目を留めます。最近の私たちの伝道実践の中で、簡単な個人伝道に対し、すぐイエス様を受入れ、簡単に信仰にはいる人が多い。あるいは「路傍で拾ったトラクトを読んで、その最後の信仰の勧めの所で「ハイ、信じます」と一人でうなずいて署名欄に名前を書きました。その時からずっと信仰をつづけています」というような証しを聞くことがある。私はそういうことが信じられなくて、その人から証しを聞いた時、本当に驚いた。
 私はそうした信仰に疑い深く、拒否的だった。イエス様の十字架の救いのメッセージを聞いて自分の決断で「信じます、信じます」と言うのが虚妄に見えて仕方がなかった。そして「信じられない、信じられない」と瞬間的確信を求めて、苦しんでいるのは真摯な態度と思っていました。これが正直で真実な態度だと思っていたのです。
 かつての私は、そのようにして、ひたすらコンバージョン風の瞬間的確信を求めました。そして遂に60数年前のことですが、聖霊様によって望みどおりの瞬間的確信が与えられました。実に感謝なことです。
 しかし、そのゆえに単純に信仰を受け入れた人の信仰が一向に認められず、しかも自分の信仰だけが立派で霊的だと思いこんで、高慢になってしまっていたなあという反省が、今の私にはあります。
 たしかにルターや今橋先生や又私のような聖霊による瞬間的信仰の経験のない人たち、又はツィンツェンドルフのような意志の強い信仰を持たない人たちは、教会によって良く守られなければ、信仰の破船や堕落をしやすいことは事実です。そういう方々のためには信仰を堅く守り、信仰を正しく成長させる羊飼いのような指導者や組織が必要なんだと思います。
 もう一つ、その上に信仰を実際生活に生かすコツやカン所や、心や言葉の運用の技術、また悪魔に打ち勝つ霊的戦略、戦術、格闘術を教え、また訓練することが必要です。
 かくて、各信徒は必ず勝利します。世と悪魔と死との最終戦に至るまで絶対に勝ち続けます。それこそ「救いの確かさ」の到達点です。主イエス・キリストのお導きの確かさです。(自著「信仰の確かさ」より抜粋)《く》

《あとがき》
もうすぐ8月15日、敗戦記念日です。決して終戦記念日ではない。まさに敗戦です。あれを終戦などとごまかすのは日本人の悪い癖です。とは言え、「大東亜戦争」と称した当初の目的は達せられたという点に目を据えて一応満足したいのです。問題は当時の日本国民には、そうした建前の「東アジア解放」などという意識は全然持っていなかったということです。ただ、石油が入って来るぞ、バナナもたんと喰えるぞと、低次元のところで心を踊らせていただけです。《く》
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by hioka-wahaha | 2008-08-13 13:55 | 日岡だより
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