No.178 国家の理想 2005.5.29

国家の理想

 「国家の理想」というタイトルは、もともと矢内原忠雄先生が昭和12年中央公論9月号に載せた論文である。この年の7月7日に蘆溝橋事件で支那事変が始まっていた。すでに先生は、前年1月に「真理と戦争」、その年の2月に「支那問題の所在」を同じ中央公論に発表している。
 このような時代、右翼の刃にかかる危険は充分の内容であった、先生も勇敢だが、中央公論社も勇敢であった。イノチがけである。この年の12月に矢内原先生は遂に東京大学を追われる。
          *
 さて、国家の理想とは、それは国民教育を普及させ、産業を繁栄させ、福祉を充実し、道徳国家としても頼もしい国となり、善良な宗教が栄え、軍備も適度に備わり、どの国からも軽んじられない、誇り高き国家になること。こう書けば百点であろうか。
 もちろん、日本が「平和憲法」を遵守しながら、こうした理想国家像を国民に語りかけることは、困難かもしれないが、言葉巧みな日本の政治家たちには出来ないことではなかろう、これは皮肉です。
 しかし、家庭で毎日喧嘩や争いの絶えないような家でも、玄関に「和」という額をかかげて、それなりの理想をかかげるのは、偽善だろうが、微笑ましくもある。皮肉そうに笑ってはいけない。
          *
 最後に私の「理想国家像」を。特に私たちの日本のために。私は日本を世界のカントリーにしたい。産業は水車小屋程度、教育は寺子屋、つまり教会学校。世界中の人が日本列島を故郷のごとく慕い、日本の家庭に宿泊して信仰を語り賛美を歌い、田畑を耕して帰ってゆく、そんな国になってほしい。《く》

 
しろうと経済論

 私はしろうとなので、ずいぶんと勇気がいるのだが、前頁の小論にしても、以下の文章も同様です。笑わないで読んでください。
 社会の構造や、経済制度を人為的に変えよう、と積極的に考えたのはマルクスが初めであったろうか、その前にもいたかもしれないが、まずしろうとの見るところです。
 マルクス主義は理論はとにかく、実地に試みてみて失敗であったことは現代史において明らかです。
 結局、マルクスの共産主義理論が倒れて、古びた資本主義が首をもたげざるを得ない。
 しかし、今、目の前に在る資本主義とは投げ出された動態であって、理想をかかげ計画を持ち達成に熱意を抱く人格ではない。それにくらぶればマルクス共産主義は一個の大きな人格であった。その当初はヨーロッパにうごめく怪物と称されたのである。
          *
 社会体制や、経済制度は自然に出来上がってゆくものである。それを人間が計画して、人間の一存で、それを作り上げて行く、あるいは作り変えて行こうとしたのは、はなはだ傲慢な向こう見ずな姿勢であったわい。それが現代の政治学者や経済学者の本音ではないでしょうか。
 アダム・スミスが言った「見えざる神の御手によって動く」経済の世界。金融の世界。賃金や価格の決定のメカニズム、インフレやデフレを生じさせる形態理論、バブルやバブルの崩壊、こうしたことは大国の政府閣僚も、蛮族のテロリズムの親玉も解決も手出しもできない。ただ時流に乗るだけです。
 この時流をうまく乗り切ったものが成功者、うまく渡れぬ不器用者が失敗者。
 「万事、金だよ。カネさえあれば何でも出来る」と言い切ったのはホリエモン氏であったが、まことに昔から世間でささやかれてきた俗流経済学の金言である。
 ところで前言をひっくり返す法則を提言したい。それは「カネのあるところに時流が集まる」ということである。最近、大手橋梁業者の談合が問題になっているが、談合のある所、大手業者がいる。小物の間では談合は起こらない。
 発注者が気づいても文句の言えないような大物がいるところ、談合が起こる。こうした状況のもとに日本の公共事業は順調に運んでいるといえば、現況肯定の度が過ぎると批判を浴びようが、これは儀悪的に言ってみただけです。
 実はこれこそ、驚くべし、イエス様の現実認識である。マタイ25:14~29のタラントの教えの個所を学んでみたい。
 ここにあるのは、多く資本を持って居るものは多く儲け、小さい資本の者は小さく儲ける。そして、持っている人は与えられていよいよ豊かになるが、持っていない者は持っているものまで取り上げられるという法則です。イエス様が資本主義の厳しい世界をズバリ見抜いています。イエス様は決して甘い評論家ではありません。
          *
 イエス様は「この世のことにかけては、光の子よりこの世の子らが賢い」(ルカ16:8参照)と断言します。しかし、「光の子らよ、おっとりしていて、この世の子らの知恵に負けてはなりませんぞ、この世の富に忠実でありなさい」、ともおっしゃるのであろうと思います。
 このルカ16:9以降は解釈の難しいところかもしれません。私はかつて、ここの個所を雑誌「ミーニング」の対話体小文で扱ったことがありますが、知恵をしぼりたいところです。
 ともあれ、マタイ25:20、21の「5タラント」は今の金で約3億円の大金です。その3億円をイエス様は「わずかなもの」と値踏みしています。そして、この僅かな世の富に忠実であれ、とも言われます。その金の出どころは「不正」であるとも見抜いておられる、このイエス様の経済観の微妙なところは、私にも難解ですが、クリスチャン経済学者の活躍してほしいところであります。
           *
 主は言われます。「あなたの宝を天にたくわえなさい、虫が食い、さびがつき、また盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない」(マタイ6:19、20参照)」。
 また言われます。「神と富とに兼ね仕えることは出来ない」(マタイ6:24)。
 そこで、申し上げます。富に、つまりカネに仕えるのではない。言い替えれば、カネに仕えさせるのです。先に、カネのあるところに時流が集まってくると書きましたが、もう一度ひっくり返して新しい経済の法則を談じてみます。カネに仕えさせる人にカネが集まってくる。つまり時流を呼び起こす人物がいるものです。
 官庁の調達場所で、係官が他に低価格の見積書が手元にあるのに、某氏にわざわざ見積書を書き直させて、落札させた現場を見たことがあります。その業者はけっして談合ではない、ワイロをもって係官を籠絡したわけでもない、その係官は仕事の内容と、業者の作業能力と、人物の公正さを見抜いて、そのきわどい配慮をしているに過ぎません。こうしたことは、案外、実際の現場で起こっていることです。
 ともあれ、このように神様の御手の働きにより、不思議にこの世の競争社会でも勝利する道はあるものです。《く》

〔あとがき〕
先週主日、北條府中家の教会の礼拝で用いられて、み言葉にお仕え出来たことは感謝でした。神様の恵みと、その恵みを受け取る熱意と力ある祈りの秘訣を少しでもお分かちしたかと、感謝しています。▼5月26日の辻本友子姉のサロン・コンサートは凄かったです。「曲目ではショパンが凄い。友子姉の演奏が凄い。加えて同姉のメッセージが一段と凄い。凄い、凄いの三位一体」と私は絶賛しましたが。友子姉のメッセージは「最大の奇蹟はあなたが今、ここに存在することです」と。名言です。私の説教に頂きたい、と書き送りましたよ。▼永井先生のおすすめに従い、「ヨブ記説教集」を作りました。相変わらず小冊子ですが、ご希望のかたはお申込みください。▼妻の釘宮トミ、少々脳梗塞を生じたらしく入院中です。障碍は軽微といえども、祈りこそ、癒しの力です。ご加祷下さい。《く》
[PR]
by hioka-wahaha | 2005-05-29 22:00 | 日岡だより
<< No.179 私は日本人に失望... No.177 祈りと恵み 20... >>