No.330 他山の石 2008.4.27

他山の石

 「他山の石」という言葉がある。辞典を引くと、
「よその山のつまらない石でも、自分の玉を磨くのには役に立つものだ」という意味です。
 床屋のおじさんの言うことなど、意外に自分の信仰を深めるのに役立つことがあるものです。まして、親鸞さんや日蓮さんのお言葉などから、大いに学ぶことが多いでしょうね。
 日蓮さんの名前など上げると、「あなた創価学会ですか」と、顔をしかめる人も多いかもしれませんが、私は創価学会の新聞など結構愛読してますよ。
 可笑しいですけれども、キリスト教の伝道新聞など、どれを拾ってみても、創価学会の聖教新聞にはかなわないと思う。残念です。
 キリスト教界には、信徒教育というか、信徒啓発のための新聞雑誌は多数あっても、未信者むけの伝道用の良い新聞雑誌は無いようです。
 創価学会の新聞で気がつくことは、信徒の皆さんが、信仰で勝利したという証しが多いことですね。
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 ですから、キリスト教界の新聞雑誌の寂しいのは、その記事や編集が下手というのではなく、キリスト様への信仰によって、世と悪魔に打ち勝ったという証しが非常に少ないのです。これは新聞社の責任ではなくて、信徒の我々の責任です。
 はっきり言って、要するに我々日本のクリスチャンに信仰の勝利、奇蹟の証しが無さ過ぎるのです。
 たとえ外面的な世間をあっと言わせるような大げさな奇蹟でなくても、内面的な魂の鋭角的回心など、そうした報道記事がどんどん出れば、キリスト教新聞ももっと魅力たっぷりの新聞になること、間違いないです。責任は我々一同にあります。《く》

 
百倍の実りあれかし

 ある時、娘が古林先生のメールをプリントアウトして持ってきた。拝見すると、古林先生の言わく、「イエス様のお約束の『100倍の信仰』を持とうではないか、100倍の信者が生まれる信仰を持とうではないか、その祈りを始めようではないか」とのチャレンジである。
 まさに、感じ入った。今、日本のクリスチャンは100万人と言われる。この100万人を100倍すると、なんと一億になる。
 一億は日本の全人口と言ってもよい。これには驚いた。日本人一億、総人口みんなクリスチャンになるとの夢を持つことは、それほど荒唐無稽ではない。
 一人が一年に一人の人に伝道して一人のクリスチャンを生み、そしてその伝道を年々歳々、繰り返して行くならば、7年で100人になる計算です。
 この伝道を全クリスチャンが忠実にやるならば、7年で日本全人口がクリスチャンになる! この計算、あまりに容易な感じがして、私はこの算術(僕らの年代は算数と言わない。算術という)は間違っているのではないかと、びっくりした。
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 マルティン・ルーサー・キングではないが、「私には夢がある」と叫びたい。日本人全部がクリスチャンになる、という夢である。
 これは不可能ではない。前文に書いたとおりだ。この信仰を持って、祈り、伝道しよう。まず、この祈りから始めようではないか。
 そうだ、毎日、祈ろう。食前の祈り。就寝前の祈り、起床時の祈り。勿論、集会のなかでの開会、閉会の祈り、あらゆる時に、あらゆる場所で、すべての祈りの中で、「全日本人、100パーセント、総クリスチャンになる」と祈りを始めよう。
 私に言わせると、祈りとは「意宣(いの)り」でもあります。私たちの意志を宣言するんです。神様の前に出て、宣言するのです。《く》


罪意識と聖化の恵み

 某日、某姉妹が来た。真剣な声だ。
「先生、祈ってください。神様に私の汚れた心を清めて頂きたいのです。私の心は嫉みや憎しみで一杯です。先生、祈ってください。」
 私は彼女の肩を引き寄せて祈った。
「神様、この姉妹の心根をいとおしんでください、彼女は魂のどん底まで、主によって清められたいと願っています。牧師の私でも、どうすることもできません、ただ、姉妹に寄り添って祈るだけです。あなたの清い聖霊の息吹によって、この姉妹の心を清めて下さい」。
 姉妹の、このような深刻な罪の意識は、既に神様からの恩寵です。本人は気がついていませんが。
 人は誰でも罪を犯しています。その罪を犯す原動力は、各自の魂の底にうごめく罪の思いです。
 その魂の思いの糸を引っ張って、更に罪を犯させるのは、巧妙なるサタンです。
 人の魂は、罪を犯すことに些か快感を覚えるものです。2度も、3度も、繰り返して、同じ罪の快感を味わう癖があります。
 とは言え、並行して、その罪を犯すことに内心、苦しむのです。それが良心です。
 しかし、人の良心はしばしば罪を犯すごとに、苦しむことに慣れてしまって苦しまなくなるのです。
 しまいには罪を犯すことに快感を覚える魂のほうが、良心を覆い隠して麻痺させるのです。こうして人は罪に溺れてしまいます。
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 しかし、ここで良心をつつき、覚醒させるものがあります。良心に従って生きる義人たちの姿もそうですが、もっと大きい力があります。
 それは聖書の義と愛の言葉です。特に聖書に残るイエス様の言葉です。この御言葉に触れる時、罪に慣れきった人の心も衝撃を受けます。そして目が醒めるのです。
 そのいずれの場合にも、実はその背後に神様の聖霊が働いています。聖霊様の働く時、人の心は高圧電流にふれて感電するように、神の霊気に触れて震え戦きます。
 どんな罪人、悪人でも、やはり神に造られた人の子です。神様の義と愛の言葉、またその義と愛に生きる義人の生きる姿に、霊の目は醒めます。
 上述のように、神の霊気に感じる隠れた感覚、言わばイノチの感覚というべきものが人間にはあるのですね。
 このイノチが普段は死んだ如くなっているのが、人間です。生きているのは肉体だけで、本当のイノチは死んだように眠っています。
 このイノチに覚醒を与え、罪の牢獄から救い出し、天国人の地位を与えるのがイエス様の救いです。
 イエス様は全人類の罪をご自身の身に背負い、十字架にかかられ、罪人として陰府に下り、3日間を過ごされました。それが「罪の贖い」です。
 そして、イエス様は地上に復活されます。この復活が無ければイエス様の救いの御業は成就しません。
 のみならず、復活されたイエス様は更に天に帰られる。そして、そこから地上の民たちに聖霊を送られます。地上における救いの完成は、この聖霊の御恵与によるのです。
 聖霊様は人のイノチを救われただけでなく、更に人の肉性にも御手を及ぼし、これを聖別します。ここにおいて、クリスチャンはイノチを救われただけでなく、肉の性質をも聖めて頂けるのです。こうして、地上におけるクリスチャンに対する神様の人類救済の御業は一応完結します。
 次は、天に帰ってからです。天においてこそ、今度は霊化した新しい天の肉体を下さるのです。クリスチャンの完成への道が始まるのです。
 ここまで来ると小生も書く手がにぶります。ワープロを休ませます。さあ、ご一緒に主を仰ぎましょう。《く》
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by hioka-wahaha | 2008-04-29 12:58 | 日岡だより
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