No.327 忠実なる愛の生涯 中野高代姉を偲ぶ 2008.4.6

忠実なる愛の生涯 中野高代姉を偲ぶ

 去る先週の主日の朝、私たちの愛する中野高代さんが天に帰られた。
 その日の朝、午前3時過ぎ、大分赤十字病院から電話があった。
 「中野高代さんの容態が変わりました」。
 ご主人の中野兄、ご子息の権威君とともに、あわてて病院に行く。
「高代さんは……?」
 とベッドのほうをこわごわと見た。医師は「危篤です」と言うのだが、私の目には、高代さんはしっかりした呼吸をしているように見えた。
 私の「高ちゃん、生きてくれよ」という願望から来る錯覚かもしれないが、そう見えた。
 高代さんは、平素から感じていたが、表面は穏やかな優しい人に見える。しかし、
 「この人は内なる生命力が強いなあ」
 と何かにつけ思ったものである。だが、見た目には体も小さいし、骨も細い人に見える。
 事実、火葬にお送りして、最後にその亡きがらを拝見したとき、つくづくその思いを深くした。痛々しい思いがしたほどである。
 しかし、生前も、その気丈さは誰も認めるところであった。貧しくても家計を立派にやりくりしておられた。というのも、
 お子さんはご子息お2人だが、2人とも立派なサラリーマンになって、経済的にも孝行を尽くしておられるようで、安心していたが、過去は決して豊かな家計では無かったはずだ。
 実は、ご主人の中野兄には教会のスタッフとして働いてもらっていて、その報酬を教会の会計から乏しい給料しか出してあげられなかったのだが、これも牧師の私の責任である。
           *
 さて、ひるがえって50年ほど前のことを思い出す。今は大分市鶴崎だが、当時は鶴崎町、まだ市制もしいていなかったころ、私もまだ若かったが、頑張ってその鶴崎で伝道を開始したのであった。
 これは又、実に奇蹟的な開拓伝道で、まず会場を鶴崎の中心街のその真中に住む林正貴兄の家が備えられた。その斜め前に有力な洋品店を開いていた木南商店があった。
 その木南商店のやり手のおかみさんが木南真佐さんなのであった。この木南真佐さんが早速、聖書の講話を聞きにお出でになるようになり、後にこの教会の婦人三羽烏の一人になる。
 その木南商店に働いておられたのが、この度の中野高代さんである。もちろん高代さんも礼拝に出席されるようになり、その後、中野昭二兄と結婚された。
 ……さて、時がたち、かつての木南商店、今はスクール・ショップ木南。その社長さんの木南久和氏、
 すでにお母さんの木南真佐さんは天に召されていたのですが、そのお母さんの遺志を汲むかのように、木南久和氏がこの高代さんを牧師(私です)宅のお掃除に毎週、遣わしてくださったのです。私は本当に感謝していました。
 高代さんは木南氏の職場を退いた後も、自主的に我が家の掃除に週1回来てくれました。何年も、本当に喜んで忠実に来てくれていました。
 そんな中で、最近は気になることがありました。
 「先生、こうして先生の家のお掃除をする時には、元気でシャンシャン働いておれます。ところが家に帰るとどことなく調子が悪く、体がだるいんですよ」、と言うのです。
 私も気になりつつ、つい見逃してしまいました。それが悪かった。非常に責任を感じます。なんとかして然るべき医療処置の助言もすべきでした。いや、それよりも私の癒しの信仰力を働かせるべきだったのにと、今にして思うのです。返らぬことですが。
 ともあれ、そのうちに、某内科医に診断を乞うたわけですが、結果は膵臓癌だということでした。それもすでに手遅れで余命は3ケ月だと。
 大分赤十字病院に入院し、本人にも病気を知らせ抗がん剤の治療を始めた。見舞いの人々からは、とても明るく、却って励まされる、と声が聞かれるほど、元気な様子を見せた。しかし、
 病名の宣告からたったの1ケ月あまり。危篤のしらせで病院に行くと、目の前で彼女は召されたのでした。
 遺体を最早、自宅ではなく、霊のご自分の家ともいうべき教会に移して、みんなで囲み、その朝は日曜の礼拝を彼女とともに営んだのです。
 驚いたのは、教会の礼拝室に遺体を安置して、つくづく彼女の顔を拝見すると、今にも微笑みを漏らしそうなお顔ではないか。しかも、その頬のあたりをさわってみると若々しい柔らかさ、一同互いに返り見て驚いたことです。
           *
 葬儀の当日ともなると、遠近それぞれの知縁の方々が集ってくださる。もちろん、お姉さんや姪御さんがたもお出でになった。
 私も高代さんが、大分市鶴崎の下鶴崎の出身であることは前から聞き知っていた、それは鶴崎駅のすぐ裏にあたるが、ご実家は向(むかい)さんと言うことを知った、いや思い出した。木南商店にいるころは向高代さんだったから。
 向定(むかい・さだむ)さんと楠江(くすえ)さんの間に生まれ、愛されて育ったそうだ。だからこそ、あんなにおだやかな、素直な人に育ったのだなと、私は思った。
 それにしても、何事にも忠実な人だった。愚痴や不足を聞いたことがない、と家族や、近親者、友人の方々が、皆そう言われる。勿論、教会でもそうである。
 特に教会では、隠れてこっそりと、何事か、必要なものは持ちこんで準備する。もちろん、高代さんだけではない、そういう方は教会には多いけれども、それでも高代さんは傑出していた。
 先にも、家の掃除のことなどで触れたが、夕食のおかずなど、お口にあうかわかりませんと断りつつ私の家に持ってこられる心遣いには何時も感謝するばかりであった。
 ああ、今も遠慮しつつ、愛をもて、にこやかに近づいてくださる彼女の顔が目に浮かぶ。
 もう「高ちゃんは、この世に居ないのか。そうだね、イエス様のおそばだね」と私は一人つぶやくばかりである。
 イエス様は特に近くに高代さんをお呼びになり、おやさしく「善かつ忠なるしもべよ」とお言葉をくださり、御手を伸ばしては高代さんの手を取ってくださるであろう。高代さんは、この世にいた時の癖で、「手が汚れておりますから」、などと遠慮して手を引っ込めることでしょうか。
 いえいえ、高代さん、もう安心して、あなたのあの炊事や家事や労働に痛み疲れた手も足も体も、一切今は天国でイエス様のもとで、全く癒され、初々しい美しい天国の顔でイエス様の前にぬかづいて下さい。
 ハレルヤ、地上における疲れや悩みは一切脱ぎ捨てられ、高代さんは天使たちに迎えられ、天の恵みに浴しつつ、その歌声の中で喜びに満たされて、共に歌って居ることでしょう。
 私たちも地上にあって、声高く、父なる神様とイエス様を褒め称えます、「ハレルヤ!」と。
        *
 中野高代姉の天に召されたのは、この3月30日、ちょうど主日の朝、6時23分でした。前述のように、早速、なきがらは当教会に移送、翌々日、4月1日午後1時より葬儀を営みました。司式は牧師の小生、中野兄、急ぎ神奈川県川崎市より帰った長男の充男君一家、次男の権威君をはじめ、親族の方々、又その他、親しい方々、当教会の信徒一同も集うて会堂一杯の会衆に囲まれての葬儀でした。一般にお通夜と呼ばれる前夜式や、葬儀当日の式辞を述べるにも、私も言葉もままならず困り果てました。今や、天におられる高代姉のご祝福を切に祈りつつ。《く》
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by hioka-wahaha | 2008-04-08 13:38 | 日岡だより
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