No.326 日本の全クリスチャンよ、結束して祈ろう 2008.3.30

日本の全クリスチャンよ、結束して祈ろう

 今、日本には「人を殺し、自分も自殺する」というような、ニヒリスティックな凶暴性がそこかしこに起こっていて、全国民に口には言い難い不安をもたらしています。
 不安を大きくする原因は、その事件が連鎖性を持って、思わぬところ、あちこちに似た殺人事件を起こす。しばしば日ごろは優しい真面目そうな、普通の青年が犯人であったりする。
 それだからこそ、いつそのようなことが自分の周辺に起こるかもしれない。気づかないでいることが起こってしまう、怖いことですが、
 実は、人間はそれほど、緊迫性をもってそうしたことを平素、気にしない。
 だからまあ、一応、平素のんびりと、安穏に暮らしていると言えますが、社会心理学的には、これは興味深い問題です。
 先日の縁もゆかりもない人を、JRのホームから突き落して年配の男性を殺した事件があったが、その十八歳の少年が、事件後に言わく、
 「誰でもよかったんだ、誰か人を刺してやろうと思ったんだ。人を殺せば刑務所に行けるさね」。
 この言葉は異常な興味を私に引き起こさせた。何で、この少年は「刑務所に行ける」と言うのか。刑務所に行けることが、そんなに嬉しいのか。何だかハワイかディズニーランドにでも行けるのかのように言っているが。
 こういう感覚は今の若い人たちには分かるのだろうか、私には見当がつかない。刑務所に行ってくれば、仲間内で格が上がるという、やくざ仲間のような格差意識でもあるのだろうか。いや、
 私はそれとは違ったものを感じる。「刑務所でも地獄でもよい。落ちるところへ落ちてやれ」というような気分でいるのではないか、と思う。
 捨て鉢と言ってもよいが、それ以上に「行ってきたい。行ってみたい。行ってやろう」と、怖いもの見たさの危険な好奇心であろうか。そうか。
 「人を殺せば刑務所に行ける」、そう言った18歳少年の心理状態を86歳の老人たる私は、そのように思い計るほかはない。
           *
 こうして暴走する少年というか、青年というか。いや老壮年でさえも今の人は、こうした捨て鉢な気分を持っているらしい。ここで、私は思う、「日本列島は狂っているのではないか」と。
 実は、先日の早朝のことである。来たばかりの新聞を掴んで教会に行った時のこと。私の自宅から道を隔てて、すぐそこが教会の会堂だ。私は教会の玄関にはいって、手に持ってきた新聞の第一面を見た時、目に入ったのが例の、
 「18歳の少年、ホームから男性を突き落す、男性は電車に接触して死亡」という大見出しだったのである。
 この記事に私は息を呑んだ。こうした慮外な行動横行が今日の日本の霊的現状である。このままでは日本は滅びる、と思った。かつて、内村鑑三や藤井武が「日本は亡びる」と言った、それである。
 これを読んで、私の体の中心から、この国を愛する愛国の心がドッと湧いて来た。この日本を救わねばならぬ、我々の責任は何か。どうすれば、良いか。全知全能の神に祈るほかは無いではないか。
 私は心を決めて、会堂の恵みの座に坐り込んだ。
 「主よ、この日本を救ってください。私の愛する
 この国を救ってください。日本人の心を変えてく
 ださい。」
 日本人の心を変えるとは、どういうことか。
 「そうです。真理を愛し、正義を愛し、弱い者を
 愛し、敵をも愛する。イエス様の心をもって、自
 分の心とする。つまり、イエス様を信じ、イエス
 様に自分の心の中に入ってもらう」ことである。
 しかし、私の祈りは途中から自信が崩れるのだ。一人では祈るエネルギーが足りなくなる。どうしても力不足である。沢山の人に祈って貰いたい。
 その時、私は手束先生の「日本民族総福音化運動」を思い出した。ああ、そうだ、私は先生のこの「総福音化運動」の働きの一端を背負っているはずだった。とかく、その責任を忘れやすいけれど、今こそ悔い改めよう。
 先生の裾にくっついて、日本民族の総変わりを期待し、信仰を持ち、熱意をもって、全知全能の神様に祈ろう。
           *
 ここで私は大きな夢を持つのである。日本には百万のクリスチャンがいる。この百万のクリスチャンが一斉に心を一つにして祈ったならば、「日本民族総福音化」は、簡単であろう。まず、この日本列島に住む百万のクリスチャンに訴えよう。
 「皆さん、この日本の全国民の魂が救われますように祈りましょう。そして、日本民族全体の心に、自分を捨て隣人のために命をも捨てる信仰を持ち、この国を神の国にしようとする願いを与えて下さるよう祈りましょう」と。
 この神の国という思いが私の心に浮かんだ時、私の脳裏に1枚の写真が思い出されました。今の別府中央公民館です。戦前は別府公会堂と言いました。大分県最初の鉄筋ビルです。かつては、前面に雄大な階段があって、前の広場を圧倒しました。
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 昭和初年の頃かと思いますが、賀川豊彦先生を迎えて、賀川先生提唱の「神の国運動」の大分県大会をやったのですが、その時の記念写真です。その会堂の前面の総階段に大分県各教会から集まったクリスチャンたちが、ぎっしり揃って立っています。
 賀川先生を真中に大分県の殆どすべての教会の牧師さんがたが揃っています。大分県の教職大先輩の森山角次郎先生や別府不老町教会の斎藤先生はじめ、他の先生がた、私の母もすみっこに写っています。
 賀川先生の一種の威力ではこういうことも出来たのです。今の教界にはこういう実力者はいません。私など物の数にはいりません。しかし、祈りましょう。日本を変えたいからです。一寸法師ではないが
「小さなからだに大きな望み」、祈ってできないことは無いはずと、祈りを始めようではありませんか。
 始めの一歩は小さな一歩です。そこから、万事は始まります。私が「ワッハッハハと笑おう」を提唱し始めたのは、10年前のことです。ご覧なさい、今、日本中、「笑いましょう、笑いましょう」です。その頃、中学校のPTAや、某団体の記念式や、そういう所で挨拶に招かれると、いきなり壇上から「ワッハッハハ」とやって会衆をびっくりさせ、また喜ばせたものです。
 今では昔語りですが、今でもそこまでやる人はないでしょうが、私の「ワッハッハハ運動」は次第に世間に受入れられて来ました。ただ、創唱者としての名が出ていないだけですが、それでよいのです。私には、無名のままに終わっていることは、まだまだほかに無きにしも非ず、です。《く》
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by hioka-wahaha | 2008-04-02 12:23 | 日岡だより
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