No.325 主の復活祭を謳歌しよう 2008.3.23

主の復活祭を謳歌しよう

 今日は教会暦では「復活祭」です。復活節と呼ぶのが一般的かも知れませんが、私は復活祭と呼びたいのです。(イースターという呼びかたは、私たちの耳には聞き慣れていまして、捨てがたい音調がありますが、その語源を調べると、古いヨーロッパの民間信仰による「春の女神」の名から派生したのだと言われている、どうも好ましくないとおっしゃる方もいます)。
 私の伯父、釘宮徳太郎は挑戦的(?)クリスチャンでした。住まいも本家の離れに上から見下ろすと十字形になっているような隠居宅を作りました。まだ五十歳を越えたばかりの時でしたが、家業は甥に任せて伝道一本に生きようとしたのです。
 それまでは大分県では名の知れた実業家でしたから、世間の人には奇異に見えたことでしょう。ともかく、彼が建てたその家に大きな表札を出しました、大分聖書研究会というのですが、実際の通称は「復活社」です。実は彼の発行していた月刊誌の名前が「復活」だったのです。
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 今、私の手元にこの伯父が出していた月刊伝道誌がありますが、一番古いのが「糧の友」です。次が「十字架の光」です。最後が「復活」です。そして昭和11年2月27日に天に帰りました。57歳でした。(今の時代なれば、まだ若いという年配ですが、当時としては、惜しいとは思えても、まあまあ長生きされたなあという感じでした)。
 ところで、その2月27日は、いわゆる二・二六事件の翌日なんです。東京の伯父の友人たちの間では、大分でも東京と同じような青年将校たちの決起事件が起こって、その血祭りに釘宮さんは上げられたのでないか、心配されたそうです。しょっちゅう非戦論を書いてその個人雑誌が発行禁止になっていたような伯父でしたからね。
 伯父が個人雑誌を出していた、それぞれの年代の雑誌名に、伯父の意識の時代的区分が見えて面白いのです。「糧の友」を出している時は、彼が大分市直営の公設市場というマートの場長でした。彼としては珍しい自治体の公務員をしていた時です。ですから、日用のお米や魚や野菜の店舗がズラリと並んでいる市場の2階の事務室に伯父はいました。
 そこで出店している食糧品店主たちへの指導と伝道教育のための雑誌を出していたわけです。そこで、雑誌の名が「糧の友」です。
 さて、真理に固く立って、世の力と妥協しない伯父の立場はしばしば危なつかしくなります。この公設市場の場長の席は、当時の市会議員のいっせい攻撃にあって追われます。もっとも、その追い出した時の名目の退職金で、前記の十字架形の家を建てたわけです。(ちょうど、私がかつて参画していた共同経営の会社から追い出された時、貰った退職金がそっくりそのまま今の教会の会建築資金になったというのに似ています)。
 そこで、伯父は彼の個人雑誌の名を「十字架の光」と変えたわけです。十字架を負って追い出されたのですから。その時の彼の人生の節目に、ふさわしい雑誌の名だったのでした。
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 しかし、この雑誌の名「十字架の光」は、すぐに変わります。「復活」と言うのです。先に書いた十字架形の家は小高い丘の中腹にあって、周辺の、民家からは丸見えであった。それも、その伯父の家が窓を開くと、中で歌っている賛美歌の声や、また当時としては珍しい電気蓄音機(デンチクという)で賛美歌のレコードをかけると、その音声が辺り中に響く。景気がいいのである。豪勢である。
 職業のかたわらの伝道ではない。伝道を真正面に打ち出しての、しかし牧師ではない、しろうと伝道者である。
 クリスマスには近所の子どもたちを集めて、クリスマス会である。お菓子を配る。そして大事なことだが、復活節の日にも、お菓子を配るが、それは特製の押し菓子で、ちゃんと「復活」と大きい文字が浮き出ている。これが伯父の信仰でした。
 最初の雑誌の名は、「糧の友」でしたが、それはつまり糧(かて)→み言葉の友だということです。内村先生に傾倒していた伯父に取り、最大の大事なものは聖書のみ言葉でした。だから「我らは命の糧なる御言の友なるぞ」というアッピールなのです。
 次に出された雑誌の名は「十字架の光」です。信仰はこれのみ、「十字架」以外に信仰は無いという、この時代がしばらく続く。深刻な十字架の体験を通して、キリッとした信仰の持ち主だった私の父に導かれた伯父は、まず「十字架信仰」に密着したかったのだと思われます。
 しかし、積極性に富んだ伯父の性格は、次第に陽気な信仰に転換して行ったと推測できる。近所の子どもを集めて、お菓子をくばり、イエス様のお話しを聞かせ、そして賛美を歌う。(この時、伯父の妻である千代伯母さんの助力は大きかった)。
 その次の、最後の雑誌が「復活」である。晩年の伯父の対社会的活動の時代が続く。地方の自治体や商工会の会合に行って、この伯父の演説が四時間も続いても終わらなかった、などと新聞記事になったことがある。田舎の地方に行って、講演か演説が知らぬが、ともかく四、五時間しゃべって聴衆を飽かせない話力があった、敢えて言うが、話術ではない。話力である。
 これは内から湧き出し、噴き上げ、周囲を圧倒する聖霊の力に他ならない。これを私は今回は名づけて言いたい。「復活の力」であると。
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 今日は、復活祭。祭りである。前記の私の伯父はクリスマスよりも、復活祭を大事にした。クリスマスも勿論大事である。しかし、主の降誕に勝って、主の復活はすばらしい。私どもの信仰にとって、復活の信仰は大事であるというのである。
 残念ながら、私たちの信仰はしばしば、落ち込む。絶対に落ち込んだことが無いという人は、この世にまずないだろう。人はだれでも、時おり、いやしばしば、落ち込む。そうした私たちを救うものは、復活の力である。私たちの自力ではない。聖霊の力である。だから、実は私どもの信仰の経過として、復活の信仰を踏まえて、ペンテコステ(聖霊降臨)の信仰が待たれる理由である。
 聖書によると、イエス様はご復活の後、40日間弟子たちと共に居られて「神の国のことや、ご自分の生きて居られることを数多くの確かな証拠をもって語られた」、とあります。(使徒行伝1:3)
 そして遂にイエス様は雲に迎えられて、天に上げれます。弟子たちは歓呼してイエス様を見送りながらも、主が現に去って行かれた淋しさは覆うべくもなかったでしょう。
 しかし、それから10日たちます。彼らは改めて主を想起して主の証人となりたいと、心を燃やします。淋しいなどと言っておれません。彼らは日夜、「一緒に集まった」のです。(集まるということには特別の力学が働いているようです。私は時おり、空で雲が塊を造って流れてゆくのを見ます。そこに、一種の集合力学があると思うのですが、ともあれ聖霊による特別な集合力学があるのです)。
 主の昇天後の弟子たちが共に集まり、共に祈り、そしてペンテコステ(聖霊降臨)の日を迎えますが、その日こそ、キリスト教会の誕生の日だと、神学者の方々は言います。
 ここで、まず訴えたい。イエス様のご復活は、教会誕生の基礎である。そして、聖霊降臨が来る。これが教会の誕生です。私たちは、この2つの日を大いに歓びたいのです。ともあれ、
 今日は復活日。まずイエス様のご復活をワッハッハハと祝いましょう。かつて、昔のイギリスでしたか、復活祭の朝、教会のメンバーが集まって近くの山に登り、朝日を迎えながら、大いに笑ったものだそうです。この事を私は、いつぞや初めて知って、真似しました。近くの山に行って、呵々大笑したものです、「ワッハッハハ」。《く》
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by hioka-wahaha | 2008-03-25 15:45 | 日岡だより
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