No.323 あなたがたの新田を耕せ 2008.3.9

あなたがたの新田を耕せ

 「あなたがたの新田を耕せ」という言葉は、聖書に2回しか出てきません。それはエレミヤ記4:3とホセア書10:12であります。たった2か所しか出てきませんが、しかし、非常に印象深いみ言葉であります。
 新田とは、広辞苑を引いてみますと「新たに開墾した田地」とあります。日本では、それでよいのですが、旧約聖書の言葉としては、ちょっと問題があります。細か過ぎる詮索ですが、聖書の世界、イスラエルには「田んぼ」はありませんよね。あるのは畑か、牧草地です。(田んぼとは稲を飢える土地ですからね)。
 だから開墾地と訳すほうが、良いのではなかと思います。荒れ地や、森林を切り払って、新しい畑地や、牧草地を造る。それが多分イスラエルにおける開墾でありましょう。
 その開墾地に改めて鋤を入れ、耕し、そして小麦や野菜や牧草の種を蒔け、というのです。
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 ここで聖書の教えたいことは、人の心に新田を開けということでありましょう。神様の前に出て過去の罪を悔い改め、神の子として新生活を始めたい。
 そうした新しい思いに燃えて、生き生きしているその心に、神の言葉の鋤を入れよう。それが魂を耕すということではないでしょうか。
 スッキリと標準的回心をなされた魂には、尚更のこと、的確な畑地作りと、田んぼならば潅漑等の設計と用意が必要です。そして、
 収穫を目指しての種蒔きです。つまり新生したクリスチャンこそ、み言葉と聖霊の潅漑による全き成育を期待されている新田だということです。《く》


好地由太郎、獄中三十年の男

 好地由太郎、なかなか良い名前ですが、名前に比して幼年時代から悲惨でした。生まれは千葉県は今の木更津市、その年は慶応元年、3年して明治です。
 10歳のとき、父親が出奔、残された母子2人は物置き小屋に住む貧乏さ。それも僅かの間、すぐに母親が死んで孤児になる。親の借金のかたに貸し主の家に引き取られ、奴隷のようにこきつかわれます。
 こういう境遇ですから、悪い道に陥るのも無理はないと同情はできますが、ともかく、ついに東京に家出します。
 そして、しばらくいろいろあって、明治15年、日本橋のある小さな店に雇われることになります。それが悪業の発端。
 彼は欲情にかられて、その店の女主人を暴行の上、殺して金を盗み、火をつけて「火事だあ、火事だあ」と騒ぎたてたわけですが、状況証拠がそろっている。
 本来なら死刑のところ、成年前ということで無期懲役という判決で以後、長い牢獄生活を送るのです。そして、しばしば牢獄生活は人を更に悪くすることが多いのです。
 私は戦時中、たった1年の刑期でしたが、初めの3か月、誤って一般の雑居房に入れられました。その後、厳正独居に代わったのですが、一般の雑居の面白さはちょっと世間では味わえません。
 雑居房には囚人が6人か10人程度いっしょに寝起きしますが、昼は労役に各工場や農場に出て行く。夜、帰ってくると、そこが各自の悪行数々の自慢話、聞く皆には格好いい参考咄です。
 そこで、「よし、今度ここを出たら、この先輩たちの経験を習って、もっと味のある窃盗か詐欺をやるか」と腹をきめるわけです。ですから、多くはもっと悪い意志を持って出て来るのです。
 まして、この好地由太郎、気が荒くて、良い意味じゃないが根性がある。すさみきって、看守たちにも反抗に反抗をかさね、時には脱獄しかねまじき勢いである。
 そういう彼が、ある時キリスト教に入信します。そのいきさつは後日に廻しますが、それから打って変わった人生を始めます。
 そして恩赦により無期懲役のはずを30年で出所できたわけです。彼は慶応元年の生まれ、昭和の初年に天に召されたと聞きます。そうした彼の人生の一端を、以下に紹介します。
 大正年間、大阪か神戸あたりでのことらしいのですが、もちろん彼が既に監獄を出所後のことです。彼の思い出です。
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 一人の中学校教師が、肺病ですでに危篤が迫って居るところを訪問しました。彼は大のヤソ嫌いで、最初の一度だけは会いましたが、その後はどうしても会おうとしません。
 私はある日、城山に上って、彼の住まいを見下ろしながら一心に祈りました。それから、山を下りて、案内も乞わないで奥の部屋に回って見ますと、彼は大喀血をしてつかれ切った様子で眠っていました。
 私は静かに彼の枕元に座って祈っていました。やがて彼は目を覚まして、私を見て腹を立てました。
 「貴様は非常識もはなはだしい。誰の許しもなく
 入って来るとは何事だ。家宅侵入罪だぞ。はやく
 出てゆけっ」。
 起き上がろうとして、また大喀血をしました。私は急いで洗面器を持って近づきましたが、彼は受けつけません。
 私の目には同情の涙があふれ、思わず洗面器にあった血痰(結核菌の混じった血液と痰)を一飲みに飲んでしまおうとして、これを口元まで持って行きました。
 すると今まで、半身さえも起きることが出来なかったのに、急に飛び起きて私を抱き止め、涙にむせびながら言いました。
 「神の愛が分かりました」。
 それから私ども二人は、そこにひれ伏して祈りました。
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 こうした一見、非常識なこと、黙って他家にはいって病人を怒らせたり、血痰を飲もうとしたり、まさにこの方の無類の信仰のなせるわざです。
 気ままな気分でこれを真似してはなりませんが、彼のこういう信仰はしばしば奇蹟的結果を起したのです。こんなことがありました。
 彼がまだ監獄(当時はまだ刑務所と言わず監獄と称された時代です)にいた頃、病気の囚人を看護する看護夫になったことがあります。
 ある一人の囚人が結核で梅毒です。おしっこが出なくなりました。どんな器械を使っても出ません、医者もさじを投げました。
 病人は「なんとかしてくれ」と手を合わせて看護の彼に頼みます。彼は祈りました。
 「死ぬも主のため、生きるも主のため、決して命
 は惜しみません、ぜひこの病人を救ってください」
 そして口をあてて吸いだすと、なんと膿を含んだおしっこが出始めました。吸っては吐き、吸っては吐きで1リットルにもなったそうです。そして、この病人は回復しました。
 このような命がけの奉仕精神というよりも、おしっこでも飲むような下座奉仕の精神にはもう、語るべき言葉を失います。
 いかなる人も、イエス様による聖霊の愛に裏打ちされなければ、こんなことが出来るわけがありません。「神は愛です」。《く》

〔大事なあとがき〕
中川健一先生が「勝利主義を警戒せよ」という小論を書いていました。言い替えれば「成功主義を警戒せよ」とでも言いましょうか。戦前ではまだノーマン・ヴィンセント・ピールあたりの「成功の法則」のような本はキリスト教世界で異質でした。しかし、1976年、天城山荘でのチョウ・ヨンギ先生の講演以来、日本の教会でも俄然、人気が出て来ました。韓国のキリスト教成長の一役をかったと言われています「繁栄の神学」の走り(?)だったとも言われています。私は既に手島先生のもとで、似たタイプの教えを受けていましたから、深入りはしませんでしたが。この教えの欠点は、信仰の名において世俗的幸福追及に流れやすく、そして「十字架の福音」を、ないがしろにしやすい所です。世の不成功を恐れてはなりません。《く》
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by hioka-wahaha | 2008-03-11 10:24 | 日岡だより
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