No.315 この教会の会堂の出来るまで 2008.1.13

この教会の会堂の出来るまで

 この教会・キリストの福音大分教会は純粋に単立教会です。どこの団体にも属しておらず、どの組織にもつながっていないのです。但し、何かと永井明先生のお世話になり、先生の「福音の群れ」の親しいお交わりを頂いていることは大いなる感謝です。
 とは言え、この教会は本義的には神様の教会であり、人間的には釘宮という私、個人のお預かりものであると言えましょうか。単純に言えば、この会堂も土地も名義的には私個人のもの。この教会の創立も私の伝道から始まりました。
 当初の伝道は大分市の大手町、当時は米屋町という古い町並みの三軒長屋の真中の家の2階で5、6名の集会から始まった教会です。
 私自身、無教会主義の影響を受けていたので、一人で先生面をして聖書講義の集会を臆面もなくやっていたものです。
 そのうちに現在地の大分市日岡にやってくることになって、しばらく私は、印刷業に従事しました。これも不思議な神様の導きにより、資本金や、経営の手本や、慣れた従業員たちや、土地の取得、社屋の建築等、それぞれに奇蹟的な助けられました。
 それまでの私は伝道に夢中でした。無茶な話ですが、家族扶養の義務感など全くなかったのです。神様のご用として伝道の仕事に携わっている以上、私どもの生活は神様が見てくださるはずという論法でした。
 ところが、ある日、妻が私の前で涙を流して訴えます。「もうこれ以上、米も味噌も醤油も買いに行くところがありません。どこの店も掛け買いで限度いっぱいです」という訳。
 私は為すすべもなく、祈りました。すると、神様は私に語ったのです。
 「働きなさい」
 「えっ、何か仕事をするんですか」
 「そうだよ」
 私の思いではなく、神様のお声が耳朶に響き、私ははっきりと答えました。「ハイ」。
           *
 すぐ立って、自転車で大分市の市街地に出ました。なんとなく、旧知のあるタイプ印刷屋に行った。すると何も聞かれないのに、そこの主人が私に言う。
「最近、女の人がタイプライターで印刷用の打字紙に原稿を打って、いい内職になっていますよ。お宅の奥さんにどうですか。牧師さんの奥さんの内職としては、可笑しくはないですよ」
 私は「ふうん」とうなずいてはみたものの、本気ではなかった。
 ところが、次に訪ねた、旧知の企業相談士の先生も同じようなことを言う。私は2人の知人のいう言葉にちょっと気が向いた。そして、今でも覚えているが、大分川にかかっている舞鶴橋の上を通る時、私の背に語りかける天使の声を聞いた。
「すべて正しきことは二人の証人によって証しされる」(第二コリント13:1参照)。
 私は「そうかっ」と、奇声を発した。確かに2人の人が私にタイプライター印刷の有力さを教えてくれたのである。私は早速、家に帰ると大阪の友人に電話で相談した。彼こそ、大阪で、当時タイプライターで印字して、それをオフセット印刷で刷りあげる、いわゆる軽印刷と称する効率のいい新分野の事業を開拓しつつあったのである。
 その友人は「よっしゃ来た」と応答してくれた。整備ずみで倉庫に眠っていた中古の印刷器械、断栽機等を船便で大分港に送ってくれた。しかも、開拓専門の営業マンまで加勢に添えて。
 私は大分では正に後発のしろうと印刷屋だったが、トントン拍子で大分市内でも有力な軽印刷屋にのしあがって行ったのである。
 何か、事を起す時、次々と後押しする者が表れてくる。そういう快感を味わう経験をする人は幸いです。神様に導かれ、神様に加勢される時、物事は順調に進む。
 ただ、傲慢にならぬよう、謙遜に、慎重に、しかし大胆に、確実な段取りで、やって行かねばならぬ。危機もやってくるが、神様は不思議な手引で支えてくださるものである。
           *
 こんなことがあった。市内の機材店から、印刷機のかなり立派なものを買った。代金は当時の金で30万円程度だが、今の物価で言えば300万円ほどであろう。私はとっさに月末に払いますからと言った。
 まだ開店早々で、私は商売はしろうと、サラリーマンが脇机でも買うような呑気な気持ちで、契約したのである。ところで、その月末が来た。私はこの掛け買いの代金をどうして手に入れようと思って、気が滅入ってしまった。
 その時、ある農業団体から電話がかかった。すぐ来てくれという。あとで考えると、年度末の3月31日のことであった。その事務局の人がいう。
「あんたとこに、この秋に収穫展のポスターを刷って貰いたい。ところで、その金を今日、前払いで払っておきたいのだよ。金はうちの上部団体の会計から出る。その金をあんたに預けるから、その領収書を切ってくれ。その領収書で私たちは金を引き出してくるのだよ」
 と、なんとまあ、滅多にないことです。私はびっくりして承知しながら、領収書を書きました。その領収書と引替えに私は金を頂きました。私は夢を見るようでした。
 だって、それは先に約束してこの月末に払うべき金額とまったくピッタリの同一額だったのです。
 しかも、そのあたりは大分市の真中に位置する事業所街でして、その支払うべき相手の事務所が、そのすぐ前のビルの1階にあったのです。
 私は、その金額を貰って、すぐに前のビルにあった某事務所に払ってきて、自分の店に帰った時、ワクワクして足が地に着きませんでした。笑いが止まりません。
 「なんだい、たったこれだけの金で笑いが止まらぬなんて、情けないじゃないか」と自分のほっぺたを何度も叩くけれども、笑いが止まらない。「お前、小人物だなあ、これぽっちの金で笑いが止まらないなんて」と自嘲しながらも、笑いがとまらなかったのです。
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 この商売を始める時、神様から声がありました、「仕事は十年だよ」と言うのでした。私には神様の隠れたお心が胸中に分かりました、こう言うことです。「お前の本当の仕事は伝道である。しかし10年だけ、この世の仕事をしなさい。この世の仕事をよく体験しておきなさい」。
 そして最後発の私の店が、10年もするころには、どうにかトップグループに位置する店になっていました。「おれ、あんたの店をマークしてるんだ。あんたに食いついてやって行くよ」とかなりの先輩の経営者から言われて驚いたことがあります。神様は私に恥をおかかせになりませんでした。
 そして、その頃、中小企業庁のお役人さんが訪ねてきたのです。「どうです。ぼつぼつ、事業も大型化してよい時でしょう。株式組織か、協業組合という組織があるんですが、そういう組織を作って同業者の人たちを集めませんか。九州一の会社を造れますよ」。
 大法螺のようですが、それが次第に姿を見せ始めます。同業者何人かと大きな組織を造りかけました。しかも、それがようやく発足し始めた時、私に居て欲しくない人たちが現れました。そして700万円の手切れ金を持ってきて、私に仲間から出て行ってくれというのです。
 私も実はもう実業界に居たくなかったのです。その汐時に餞別の700万円を貰ったことになったので、私は内心大いに喜びました。即刻、今のこの会堂の建設資金に回したのです。
 兄弟姉妹がたにはある意味で気の毒でしたが、皆さんには一円も負担させず、牧師の私が全額の建設資金を負担して、この教会堂を建ててしまったのです。もっとも、その後日に、皆さんには備品資材などの負担をして頂きましたが。これは決して私の誇りではありません。ただただ神様お一人の御栄光の表れでありました。感謝! 《く》
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by hioka-wahaha | 2008-01-15 14:49 | 日岡だより
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