No.314 新年おめでとうございます 2008.1.6

新年おめでとうございます

 旧約聖書の時代には、イスラエルの人たちはお正月を2回持ったらしい。しかし、後には秋の収穫を終ったあとのチスリの月と呼ばれた月、今の9月か、10月の頃らしいが、そのころ新年祭を守ったらしい。
 日本でも昔は太陰暦で正月を営んだが、明治以降には太陽暦がはいってくる。こうなると、都会はよいけれど、農村では田畑の管理のためには、月齢にもとづく太陰暦のほうが便利である。お正月も旧暦、たいてい約1か月遅れ、一番寒い頃である。仕事を休んで正月篭もりにちょうどよい季節となる。
 学校は太陽暦なので、子どもは旧暦の正月には休めないが、それでも農村では適宜1日2日の休暇は与えたかと思う。
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 私の育った家は、肥料商をやっていたので、旧の正月の2日にも初売りをした。本当の初売りは正式には正月2日にするのだが、旧の正月2日にも初売りの2番手をせざるを得ない。初売りの日は、近在のお百姓さんがたが、朝早くから店にやってくる。その日には大概の店は酒を振る舞う。私のところはクリスチャンだから酒を出さない。
 慣れない客は「正月初売りに酒を出さんとは何事か」とふくれるが、慣れた客は「ここはキリストさんなんじゃ、我慢しろ」となだめている。
 「この店はキリストさんじゃから正直じゃ、駆け引きせん。子どもでも買いに来れる。どこも、こうすればよいのにのう」などと言っている。私はそういう商売を見て育った。
 その頃はもう父は天に召されて、忠実な番頭さんがいたが、その方がそういう商売の仕方を父から教えられたとおり、きちんと守っていたのである。《く》


ハウステンボスに行って来ました

 この正月には、3日と4日に長崎のハウステンボスに行ってきました。長崎県は南北に長い地形で、ハウステンボスはそのちょうど中ごろに位置しますかねえ。数年前から、正月の時期に、何度か訪ねて来ました。妻を慰めるのにちょうど良い土地柄だ、と思うからですが、最近では妻も周囲をちょっと理解しかねる様子に見え、来年はもう止めようかと思っていますが、私には諦めにくい感じもます。

 一度、触れたかと思いますが、この土地というか施設というか、信仰を抜きにして年に一度はぜひ訪ねたい私の好きな土地です。
 信仰を抜きにしてとは、信仰に反してという意味ではありません。特別に祈りの集会を持つためとか、信仰に参考になるキリシタン遺跡があるとか、そういう意味ではないということです。
 広大な土地で、何万坪あるか知りませんが、そのほとんどが自然の森というか、ちなみにハウステンボスとは「森の家」というオランダ語だそうですが、海あり、森あり、私たちの在泊した小じんまりとした瀟洒な家は、かなりひろい池のそばにあり、いつもベランダの前に白鳥は2、3羽、来ていました。
 一方、若い人たちや老夫婦の人たちにも向いている近代的なホテルも2、3あるようで、どなたにもお薦めできます。もちろん、これはハウステンボスの宣伝のための文章を頼まれているわけでありませんから、この位でやめます、呵々。

 この度もそうですが、私はこのハウステンボスに来る時は、必ず、やや大冊本を持ちこみます。どうかすると行く時の車の中で、もう読み始めています。私は目が強いのか、脳がのんびりなのか、車の運転中に客席で本を広げて読んでも酔いません。娘などは不思議がりますが、これこそ私の鈍感力でしょう。
 今回はジョン&ポーラ・サンフォード著「内なる人の変革」でした。マルコーシュ・パブリケーションの出版です。2001年発行なのに、今まで一頁も開いていませんでした。読書マンの私としては滅多にないことです。しかも、いつもの習慣の、扉に購入年月日や私のサインをいれること、それもしていない。不思議に思いました。

 読み始めてみて、ビックリしました。今回の旅の私にぴったりの本でした。序文に「これは系統的に書いてある本ではない。どこからでも、途中のどこでもよい、ピックアップして読んでくれ」とある。旅にもってこいです。
 私は気ままに読み始めたが、なるほど気に入る所があると、その辺りの2、3行をなんども繰り返して読む、瞑想する、また読む。先を読み進んで又、元の所に戻る。
 時には気移りがして、まだ読んでいない2センチほどの厚みの先を開いて読んでみる。そういう気まま勝手な読み方である。
 そして関連して思い出せる聖書個所を参照しながら、またこの本に戻る。そういう読み方を繰り返して、ドライブを続ける。やがてこのハウステンボスに到着、本をもちろん持って、先ほど紹介した予約してある池のほとりに白鳥の待っている一戸建ての家にはいる。贅沢ですね。

 このハウステンボス、道にチリ一つ落ちていないのは、わが大分市と同じだが、エコロジー的にも完璧に整えてある、美しい町です。商品の看板一つない。パチンコ屋や飲み屋もない。いわば上品な町です。
 それかと言って、気がつまるわけでなない。立派な美術館や、騙し絵的見せ物や、可笑しな競り市や、いろいろある。大掛かりの中国雑技団や、その他の出し物も、時に応じて招くようである。それ用の大きいステージも用意されている。
 昔の大分県人なら覚えているかしら、宝塚を小さくしたような鶴見園という遊園地と、今もあるがケーブルのラクテンチを一緒にしてもっとモダンに仕立てたような、このハウステンボスを、私は大変気に入っている。
 信仰人としても、ゆっくり体も心をも休めるために、私はちょうど、ここが良いのである。どこに出て遊ぶ訳でもなく、終日部屋に閉じこもっているが、家族は自由に外出して、時おり、おいしい食べ物など持ちこんでくる。外には相変わらず、例の白鳥が2、3羽いる。

 さて、一泊二日終って、妻が座ったままでシートが昇降する特別仕様のレンタカーだが、これを走らせて大分に帰る。まさに一瀉千里ならぬ一車三百キロ、実はその間も私は祈りと賛美を忘れない。
 病気で身動きできぬ妻を連れ、九州の東の果てから西の果ての往復、無事に出来て感謝である。
 私は特に先のジョン&ポーラ・サンフォード著の「内なる人の変革」を合間、合間を見ては読むことが出来た。特にこの方の書きぶりは、合間、合間にあちこち読むのが向いている。2、3行読んでは、よそ見しながら、じっくり考える、祈る、そしてハタと気がつく。じっと瞑想する。幸福である。
 大分に帰ると、もう辺りは暗くなっていた。さっそく豊寿苑という老病弱の人たちの受容施設に行く。この施設で妻はやっと入浴できるのである。妻を週に2回お世話をお願いする。今回はちょうどその約束の日だったので、それもあってこの日、大分に帰って来た。そこで、そのままこの豊寿苑さんにお願いすることになる。有り難い。
 何だか、新年早々の記事ですが、私の身辺そのままの恥ずかしい雑事報告になってしまって恐縮です。こんな筈ではなかったと今更のように思いますが、後に戻れません。この2008年、皆様の上に神様の豊かなご祝福がありますよう、お祈りします。如何なる困難、問題をも主は知って居られます。弱き私たちを守ってくださいますね。
 先生がたの上に、諸兄姉の皆さんがたの上に、神様、イエス様、聖霊様のご恩寵と御導き御支えを祈ります。《く》
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by hioka-wahaha | 2008-01-08 15:31 | 日岡だより
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