No.312 祝クリスマス 2007.12.23

祝クリスマス

   主のご降誕を感謝、賛美いたします。
   あなたの上に、ご家族の上に、
   お仕事や学びの上に、
   すべてのご生活の上に、
   神様の豊かなご祝福を祈ります。
   佳き歳末と新年をお迎えください。
   ご平安を祈ります。
         主の2007年12月佳日
           キリストの福音大分教会
                 牧師  釘 宮 義 人


毎日がクリスマス

 クリスマスという言葉の意味は「キリスト祭」であります。キリスト様の誕生を祝うクリスマスの日が、12月25日に決まったのは、いろいろな説がありますが、要するに当時のローマ世界での冬至祭という民間の習慣が教会暦に組み込まれたのであろうと言われています。
 冬至の日が来ると、夜の長い日々が終って、次第に昼が長くなります。そのように、夜明けを告げるような日をキリスト様の誕生の日ということにしたのだと言うのです。まさに暗黒の世に光輝く神の国の福音をもたらす御子のご誕生の日ですから。
 イエス様の実際のお誕生は5月頃ではなかっただろうかという説など、いろいろありますが、そうしたことの論議はさておき……、
           *
 私たちのそれぞれの魂に、個人的にイエス様がお出でくださった日はいつだったでしょう。それこそ、まさしく私たちのクリスマスの日ではありませんか。
 そして又、ただの一日と言わず、キリスト様のお迎えを、私たちの人生において、日々体験したい、日々というよりも、時々刻々とさえ言いたいとは思いませんか。
 絶え間なく、主におまみえするという神秘な信仰体験を漏らしてくれる聖なる人物が、教会の歴史に何人かいます。
 一般にはブラザー・ローレンスが有名です。2年ほど前、これらの方々に関する記事を集めて、一部の方々に回覧して読んで頂きました。ご希望の方には、再編してお送りしますから、お申し出ください。ともあれ、
 こうした意味でも、改めて「毎日がクリスマス」という信仰を味わいたいと思います。教理的にも、実践的にも、是非、確認したいですね。《く》


「感情」を沸きたたせよ

 先週、東京に行きました。秋川市と八王子市の各ご家庭を訪問しました。今回はまとまった集会ができなかったので、非常に残念でした。
 というよりも、遠く離れている皆さんのために、各自の信仰の再確認、あるいは再構築のために何かをしなければならない大事なことがあると、今回強く感じたことです。
 私も老齢化して、ぼつぼつ旅も億劫になりつつあります。東京方面には、特に強力なお導き手が生まれる必要があると感じました。心ある人は、その使命をご自分に感じて頂きたいと思いました。
 私はご存じのように、個人独立伝道者であって、背後に団体も組織もありません。内村流の無教会に似ています。「私と組織を別にしてもよいから、後継者よ、出ませんか」と、言いたいほどです。分裂的でも良いのです。分裂も発展の一形式です。
 さて旅程も終って、羽田に向かうJR中央線では、折角の近くを通るので、降りてご不沙汰を埋めたい方々が多々おられる。そうした方々にも失礼して今回は通過してしまいました。(ここで紙上を借りてお詫びします)。
 そうした次第で、急いで羽田空港に向かう。羽田空港に行くと、必ずのように2階の山下書店に寄る。酒好きの男は酒屋や飲み屋の前は素通り出来ない。本好きの男は本屋の前でちょっとでも覗いてみて、本棚にならんだ背文字を見る。大抵、本選びは背文字で決まる。今回はこれだった。「人は『感情』で老化する」という本です。
 もっとも、これは拙い標題ですね。読んでみて、そのことがはっきりした。私なら「人は『感情』で若返る」と題をつけますね。ともかく。この本を買って、早速、ゲートを入り、大分行きの飛行機に搭乗する。
 席に着いたら驚いた。私は3人席の通路側で、もう一方の通路側になんと立木稠子さん、「さん」では失礼で、新聞なら「氏」か「女史」にせねばなるまい。しかし、会話では「稠子先生!」とお呼びします。
 中の席が空いていて、ちょうどよかった。隣り同士ではちょっと気がつまる。あまり離れていては折角の同乗組なのに、話も出来ないで欲求不満が起ります。先日の稠子先生が設けて下さったある会合で、お父さんの立木勝(元大分県知事)氏の古いメモを見せて頂いた。「釘宮君のような青年と少しの金をもって一緒に仕事してみたいものだ」と。そのメモを見て私は心に泣いた。
 立木さんは公吏として、腕は立つし、気迫があった。しかも、身辺は潔白だった。あんな役人さんは到底二度と出ないと思う。この方が、当時、大分市社会課長だった。私は戦災孤児や浮浪者の世話をしていて、今で言えば全くのボランティアだったが、この奉仕をやめて伝道に専念する決心をしていたのだ。
 そこで、この立木さんに挨拶に行った。「課長さん、戦災孤児たちの世話は私に代わってやる人も出来そうですから、私はこの仕事はやめて伝道に専念したいのです」。
 立木さんは「えっ、困るなあ。あんたにして貰いたいこと、これから山ほどあるのに」と、お世辞でなく、真剣な顔でそう言った。私も本当に立木さんの期待に応えることが出来ないで申し訳ない気持ちで一杯になった。
 その頃、稠子さんはまだ小学校6年生くらいの少女でなかっただろうか。私が立木さんのお宅を訪ねると、稠子さんは私のことを立木さんに訪ねたらしい。そして父親の立木さんに言ったそうだ。「私は大きくなったら、賛美歌歌手になりたい」。
 「釘宮君、賛美歌歌手なんて、職業ありますかねえ」と立木さんは私に聞いた。「ええ、ありますよ。欧米では尊敬されている仕事です。日本ではまだこれからでしょうが」。そんな会話を思い出して、今、世界に通用する一流の宗教音楽家として名をなしている稠子さんを見ると、私も一種の誇らしい気持ちになる。
 ともあれ、そういう誇らしい懐かしい思い出を孕みつつ、大分への空路に身を託していた。さあ、大分だ。私の神様からお預かりした尊いエリアである。
 ところで、先に買った本だが、「人は感情によって老化する」とある。しかし、私は既に書いたように、「人は感情によって若返る」のだと、言い替えたいのだ。
 「常に喜べ」という言葉は、よく読むと、単なる希望ではなくて、実に命令である。イエス様も宣教の初期にはっきり言われた、「喜べ、喜べ」と。これは原語では「欣喜雀躍、踊り上がって喜べ」という活気に満ちみちた命令碁なのである。
 これは徹底して、陽気に満ち、溢れんばかりの活気であふれた、感情が沸き返っている世界です。この感情の沸き返る気分をもって、日々を生きて行こう。人生は楽しい、成功的。勝利感に満ちて、昼も夜も過ごそう。つまり、昼の生活の場でも、夜の夢の中でも、精力一杯に生きて行くということ! ああ、神様、感謝、感謝! 《く》
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by hioka-wahaha | 2007-12-25 16:19 | 日岡だより
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