No.309 大東亜戦争を覚えよ 2007.12.2

大東亜戦争を覚えよ

 今年も12月8日を迎えようとしています。大東亜戦争が始まった日です。私は今でも、この日を迎えると身震いがする感じです。
 あの日の朝、ラジオを聞きっ放しでした。もちろん、当時テレビなどありませんからね。
 耳に聞こえるのは、昂奮したアナウンサーの声。そして大本営発表の某大佐の声。軍艦マーチ。そして上ずった東條首相の声。この東條さんの声が私は嫌いでした。(こんな感じを持ったのは私だけだったでしょうか。多くの国民にとり、東條さんは英雄の一人でした)。
 ともあれ、あの日本海軍航空隊の真珠湾攻撃、あれは劇的でした。今は滅多にみることはできませんが、あの時の日本の飛行機の姿は格好良かったですよ。というのも、前々から映画のフィルムに収める用意をしていたし、その撮影技術も相当なものだったということです。
 後々の話ですが、日本軍がボルネオの内陸部に河川を上ってゆく大型ボートの戦隊のニュース映画がありました。これも良かったです。日本ニュース映画社と言っていましたか、当時の統制会社ですが、私の脳裏には今もその映像が残っています。
 さて、あの真珠湾攻撃ですが、日本人は、誰も昂奮しましたよ。人間は勝っている限りは、戦争好きなんですね。まして、あの真珠湾攻撃の格好良さには拍手喝采、バンザーイです。
 さすがの、非戦論者だったはずの私でも、痛快気味でワクワク昂奮しながら、ラジオの放送を聞いていましたね。
 しかし、この突如始まった戦争はどうなることだろう。非戦主義者の私の、これからの運命を思って慄然としたものです。一億の日本人がすべて私の敵になったという実感がありました。
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 後に、第二次世界大戦とも呼ぶこの戦争を私は時おり、昭和十五年戦争と呼びます(日中日米戦争とも呼びますが)。
 世界大戦というのは、ドイツ、イタリアと日本とが世界新秩序を目的として三国同盟を結び、これを自分たちで枢軸国と称した時からです。
 すでにドイツはオランダに、イタリアはエチオピアに侵攻していました。こうして日独伊三国がアメリカとイギリスに敵対するに至った時、戦争は世界的規模になりました。
 日本にとっての戦争の経過は、昭和六年の満州事変から始まります。翌年、上海事変、そして満州国建国と続きます。
 事変というのは当時の日本政府の呼び方で、天皇名で宣戦布告をしていない戦争行為を事変と呼ぶのです。宣戦布告をすると戦争です。
 前述の昭和16年に真珠湾攻撃を始めた時、対米宣戦布告をしました。同時に中国にも、イギリスにも、オランダにも、フランスにも宣戦布告したはずです。この時から戦争です。中国に対しては、それまで事変でしたが、この時から戦争に格上げです。
 それではイギリス、オランダ、フランスに対して何故、戦争か? それは、イギリスやオランダもインドや東南アジアに、それぞれ植民地を持っていたからです。日本は、それぞれの植民地解放と称してノロシを上げたわけです。
 事実、この戦争のお陰で、アジアから白人国家の支配力が一掃されたのです。単なる名目でも、目的を宣言し、行動を起すと、その行動自体は失敗しても、その目的が実現するとうことが見て取れます。
 これは面白いです。なんでも、良いことは宣言、行動することだなあ、と思うことがあります。私たち個人の人生においても。
 ともあれ、この東南アジアの解放の事実はアジア各地から日本が尊敬されてよいことです。
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 ところで、私は既に反戦主義者だったでしょう。一億一心、戦争に邁進する好戦民族日本人の中で、たった一人、反戦主義者であるということは、まさに自殺行為です。
 今でこそ、平和日本などと唱えていますが、日本人は本来戦争好きだったなと思います。神武天皇東征以来、九州のクマソ征伐、東北のアイヌ征伐、戦国時代、(徳川時代は措いて)、明治になると大陸からの攻勢に備えてとは言え、日清、日露の戦争ですよ。
 誰も気づかぬようですが、日清、日露など、いつも日本は宣戦布告せず、いきなり不意打ち、なぐりこみで戦争をはじめるのです。日清、日露の戦争の歴史を調べてご覧なさい。真珠湾攻撃と同じです。
 これは弱い者が、強いものに戦いを仕掛ける戦法で、情けないですし、残念ですね。しかし戦争の常識としては、油断していた先方の負けなのです。
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 さて、私の反戦主義は伯父の釘宮徳太郎の影響でもありましたし、また矢内原忠雄先生の本を読んで、すっかり非戦論に傾倒していました。
 大東亜戦争を、アメリカはこれを太平洋戦争と呼びました。たしかに彼らに取っては、戦場は太平洋でしたし、戦い守るべき国益も太平洋領域だけでした。しかし、日本に取ってはあくまで、それは大東亜です。少なくとも、中国から、フィリピン、ベトナム、マレー半島。それにインドも欲しいなということです。インドで欲しいのは綿だったでしょうね。
 大東亜戦争の始まった年の8月に私は徴兵検査を受けますが、私は第二乙種でした。甲種合格にでもなれば現役です。
 そうなれば、「私は戦争に反対です、兵隊にはなりません」と意思表示するつもりでしたが、主任将校が「第二乙種だ、甲種にはなれん。残念じゃったのう」との宣言を受けて、拍子抜けして家に帰ったのを覚えています。
 徴兵検査の現場で、私が兵隊に行きませんと言うや否やひっぱたかれて、尋常には家に帰れないことは必然と覚悟していましたから、私は却って予定のなかった平穏な時間の中を帰って行くわが身が奇妙に思えて仕方ありませんでした。
 私が徴兵検査を受けたその年の暮れ、12月8日にいよいよ対米戦争がはじまります。真珠湾攻撃です。あれは先にも書きましたが、華々しかったですね。反戦主義者のはずの私も、毎日ラジオに耳を傾けっぱなしでした。
 大国のアメリカの軍艦をコテンパーにやっつけるのですから、痛快、面白くて仕方がない。愛国心というものが肉親愛、身びいきの国家大にしたものだと、よくわかります。
 ともあれ、こうしてアメリカがわに言わせれば太平洋戦争が始まるわけです。まさにアメリカにとっては太平洋戦争です。
 あの戦争は早くよりルーズベルトが罠をかけるように準備していたと、訳知り顔に言う人がありますが、準備していたかどうかは別として、用心していたことは当然でしょう。
 昭和五年頃の私どもが読んだ少年雑誌には、既に「日米もし戦わば」という扇動的な記事が出ていましたよ。ですから、いつ日本と戦争が起っても慌てないように心構えしておくのは当時のアメリカ大統領としては当然のことです。《く》

〔あとがき〕
教会暦では今日からアドベント・待降節です。つまりクリスマスを迎える節に入りました。クリスマスの準備、心も集会や、設備等の準備も整えましょう。さて、▼先々週の土曜日から手束先生の高砂教会にお招きを受けて行って来ました。私のすることは僅かで「笑いの講習(!)会」だけでしたが、私の「笑えば必ず幸福になる」の小冊子は大層、捌けましたよ。実は、手束先生ほど私の「笑いの提唱」を評価して下さる方はいませんし、笑いの価値と、ここ10年ほどの世界的「笑いの運動」の発展についても、熱心に語ってくれる人はいません。▼一見、学者然としたところもある手束先生が「笑いの推薦」を語られると意外の思いもしますが、私と違って大きな声で「ワッハッハハ」とはやらないが、先生の表情は何時も笑いを含んでいることに気づきます。また高砂教会の信徒のメンバーも、いつもニコニコです。▼「イエス様に笑いの記事が無いのはイエス様が常時笑っていたので、それが当たり前のことだった。だから特別に記事にならなかったのだ」、と手束先生は早くより気づかれていたそうです。先生はじめ信徒の方々に愛され、守られて「高砂聖霊カリスマ・アシュラム」の3日間を過ごして参りました。感謝! ▼アシュラムということについて、私は当教会であまり語っていないことに気づきました。私自身は戦前からガンジーさんなどの自伝で本来のアシュラムのことは知ってはいました。当教会の独自のアシュラムとしては、会場として由布院の望岳荘は最適だなと、思っています。いつか実現しましょう。《く》
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by hioka-wahaha | 2007-12-04 14:38 | 日岡だより
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