No.298 朝起きたら、体操しましょう 2007.9.16

朝起きたら、体操しましょう

 朝、起きたら、体操しましょう。(実は朝でなくても、いつでも良いですけれど)。この日の祝福を祈って、「イエス様あ、ハレルヤ! ワッハッハハ」と叫びましょう。
 さて、ベッドの上で、勝手体操をしてみる。筑田さんという人の赤本(と呼ばれている)本に載っているベネットの健康法が参考になります。面白いです。これは良いです。
 体をできる限り、縦横無尽に動かしてみる。ベッドの上だから、跳ねて踊って、ひっくり返りもできる。この我がまま体操の後、風呂があったら、入浴、あがって冷布摩擦、もちろん、タオルが乾いてくれば乾布摩擦。もっとも、できるかぎり自分の手のひらを使うのが良いと筑田さんは言う。
 この後、そうです。心の体操、魂の体操、霊の体操をしましょう。これは聖書の黙想に限る。御言の暗唱も勿論ですが、イグナチオ・ロヨラの「霊操」のような場面想像をすると良い。その場面の中に自分を当てはめてみて、演出家が俳優を優しく指導、あるいは叱咤激励するように、自分でイメージを作ってゆくのです。
 たとえば、「5つのパンの5千人給食」、私も弟子の一人になって、パンを配って回る。そのうちに私もパンを裂くと、そのパンが大きくなって、増えて行く。ワッハッハと大喜びで、パンを配って回る。これは伝道の喜びです。
 ラザロの疑似体験、墓の中にいるラザロ、体は死んでも、魂は生きている。道が険しい。どうも地獄へ向かっているのではないか、疑問がわく。そこへ懐かしいイエス様のお声、「ラザロよ、出て来い」。
 ハッとなって目を開く。起き上がって、目の前の石のふたを押しのける。前ににっこりのイエス様がおられる。「ワーイ、イエス様あ、ハレルヤ、バンザーイ」。
 墓を出て、イエス様の前を、皆が驚き。感嘆し、賛美する中を凱旋将軍のように闊歩する。これがあなたの世間を歩く姿である。勝ち得て余りあるクリスチャンの姿である。それがあなただ。
 神は言われる。「我は全能の神なり。汝、我が前に歩みて全かれよ」(創世記17:1)。
 アーメン! ハレルヤ!


心を改造せよ

 多くの方が読んでくださる私の2冊の小冊子があります。「笑えば必ず幸福になる」という冊子と「誰でもできる『心の強化法』」という冊子です。
 いずれも安易な実践的方法論としては世界で初めての本かも知れません、(エヘヘヘ、自己自慢!)
 これらの冊子では、人間の内面性の分析として「霊、魂(心)、肉」の3層図、あるいは「人の心の二重性、内なる会話」、一番肝心な「意志」、「意志で意志する」などの重要性等を強調しました。
 多くのクリスチャンの問題点は、霊においては、救を受けているにかかわらず、心の法則(ローマ7:23)において敗北しやすいということです。
 さて、関係する問題で、2つの参考書をご紹介します。第一は「根にふれる祈り」(ロブ・モリセット著、マルコーシュ発行)という本です。根とは私たちの心の深層意識をさしています。根は成長して私たちの心(表面意識)に影響を与えます。この本でいう根とは、ヘブル12:15の「苦い根」です。
 幼年期(あるいは青年期や壮年期)に、心に受けた傷です。憂欝な気分、自己否定、劣等感、不能感、そうしたものです。根というものは地下にはびこり、目に見えないです。そして、複雑です。特に雑草や、芝生、たんぽぽ類など、むしり取るだけでは根は残り、何の解決にもなりません。
 心の問題としては、その解決は、祈りにより、この根を切り取るしかありません。新しいイメージと、新しい良い明かる喜びのコトバを心の根っこに注ぐのです。
 第二の本は「要塞を取り壊しなさい」(ジョン・オスティーン著、エターナル・ライフ社発行)という小冊子です。多くの私たちの心はサタンから送り込まれたコトバが充満して「悪い強固な要塞」になっています。
 巨石で積み上げられた大阪城などの城壁を想像してみてください。それらの巨石は、挙げてみれば、憂欝、自己否定、劣等感、不能感、男性拒否、上司恐怖、明日が不安、死の恐怖、等々です。
 さあ、そこで、新しい「強固な要塞」を造り(改造し)ましょう。善い、明るい、健康なコトバを心に送りこみ、新しい心の要塞に変えます。強い、前向きな善意と愛の神様を信じる心に変えます。
 箴言23:7上のお言葉、英語の欽定訳ですと、 "As he thinketh in his heart, so is he." (人がその心で思っているとおりの、それが彼である)となっています。この聖書の言葉こそ、前世紀あたりからアメリカに生まれた自己実現法の基本テキストです。エマースンや谷口雅春さんが影響を受けた本など、また戦前のダイヤモンド社?から出たナポレオン・ヒルの本は、こうした類書の戦前では唯一の良書だと思います。その後、戦後キリスト教の牧師として名をあげたのがノーマン・ヴィンセント・ピールです。(ナポレオン・ヒルの本では、最近「思想を現実化する」という訳が出ています)。
 もう30年にもなりはしないか、当時の日本の牧師界に大影響を与えたのが、伊豆・天城山荘でされたあのチョウ・ヨンギ先生の、この新傾向に沿った一流の熱弁です。(私はチョウ・ヨンギ先生の、こうした自己啓発的メッセージに、今更のように驚く日本の牧師さんがたの後進性に驚いたものです)。
 ただし、私たちは自己啓発や自己実現ではない、「キリスト実現」を目ざすのだと(キリストの形が表れるまで、ガラテヤ4:19)言うべきだと思っています。
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 本稿の流れとしては、「キリスト実現」のためには、まず私たちの心にキリストのコトバを満たせよ、ということになります。クリスチャンとしての基礎としての回心、聖霊様を受ける、充満等の基本のことが、まず第一ですが。福音派の聖潔(ホーリネス)の勧めもおろそかにはできません、「キリスト者の完全」ですね。トマス・ア・ケンビスの「キリストのまねび」以降、これは全クリスチャンの渇望であります。
 一般的にいうと、自己形成の道具としては、コトバと両立する大事な道具はイメージであります。聖書的イメージ活用の祖は「霊操」のイグナチュース・ロヨラでしょうか。
 更に、もっと別に追及したい似た重要な問題があります。いわゆる「イメージ」と言いにくいような、私たちが心にいだくイメージです。大胆に提言しましょうか。あなたは「神様」を思うとき、心にどんなイメージをいだきますか。
 いきなり「神様」では、神様に申し訳ない不謹慎な感じもしますが、でもあなたが神様に向かって祈る時、どんな「神様」を想像していますか。実は、真理とか、平和とか、愛とか、こういう言葉も、たぶん各自、ある種のイメージを抱いているはずです、それはどういうイメージでしょう。
 具体像のイメージは考えやすいですが、抽象的な思想的な言葉を語る時にも、そこにイメージが無いとは言えません。イメージとも言いにくい、そういう、内面的イメージがあるはずです。信仰を語る時には、この種のイメージ力は非常に大切だという感じがします。いかがでしょう。《く》

〔あとがき〕
9月10日、鳥栖の永井先生のクロスロード・ゴスペル・チャーチの献堂式に招かれて出席してまいりました。私にはこの永井先生の教会は私の聖地だなあと感じました。3階のお部屋に泊めて頂くのですが、聖霊様のうながしに誘われ、祈りに導かれて、「ああ、ここは私のホーリー・ランドだ」と感じたことなのです。時ある毎に、ここに帰ってきたいなと思いました。尚、献堂式を終わり、翌日、大分に帰るのに、秋田キリスト教会の中野渡先生ご夫妻の車に乗せて下さり、楽しい素晴らしいドライブを堪能させて頂きました。《く》
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by hioka-wahaha | 2007-09-18 15:52 | 日岡だより
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