No.295 日本一周、祈りの運転で 2007.8.26

日本一周、祈りの運転で

 和歌山県の教会ですが、紀ノ川チャペルと言います。牧師が酒匂一己(さこうかずみ)先生、この先生とその一行3人、合わせて4人ですが、明日この教会に来ます。多分、夜になると思いますが、歓迎したいです。一泊します。
 明後日の朝、大分を立ち、別府、日出、杵築と北上します。国東半島を廻って、中津を抜け、福岡県に向かいます。
 車で来ます。ドライブです。日本一周です。もう半分廻っているそうです。今回は後半戦。
 和歌山を出て、京都から日本海側へ、そして山口、福岡、九州の西側を廻って、鹿児島、宮崎、大分とたどって来るわけです。
 今後は山口、広島、岡山を縫って、四国へ行く予定です。
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 「一体、何をするんですか」と聞きたいですね。祈りの旅だそうです。ドライブの間、祈り続けるのです。
 祈りのテーマは4つです。運転中、車中の4人が、「礼拝」→「戦い」→「悔い改め」→「祝福」の祈りを10分交代で祈るのだそうです。
 「戦い」は道々見かける偶像の背後に働く悪霊に対して、「悔い改め」は土地の人々の偶像礼拝の罪を代わって悔い改めて祈る。
 教会を見つけた時は、その教会の祝福を祈ります。この祈りの走行の中で霊的に研ぎ澄まされます、と語っています。
 特に神社や偶像地域にはいると、その土地に入っただけで敏感に感じるようになったそうです。地域に浸透する伝道の必要を痛感されるそうです。《く》


祖国愛と信仰

 私はよく言います。「私の祖国愛は信仰に密着しています」と。ちょっとひねった言葉だから分かりにくいかも知れませんが、要するに、「私は祖国日本を愛する。イエス様を愛すると同じように」ということです。つまり、内村先生の「2つのJ」を踏襲するということです。
 この私の思いを全く同じ思いで、同じ情熱で、同じ論想で、書かれた本が出ました。久保有政先生の「神に愛された国、日本」という題です。教会の推薦貸出し図書として置きましたので、手に取って読んでください。
 いえ、借りて読むだけではない。できればキリスト教書店に行って買って来て自分の本にして下さい。夜を徹して読んでください。たぶんあなたの両眼から熱涙が溢れ出ると思います。遠慮せずに両膝にハンカチを用意して、お読みになってください。
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 私は絶対非戦論者だから、かつての戦時下、日支事変、日中戦争を批判しました。特高警察に捕らえられても、その論旨を崩したことはありません。
「お前という奴は……」と、当時の特高の刑事も刑事部長も呆れていましたね。
 しかし日本の警察の名誉のために証言したいことは、警察の誰からも殴られたことも、蹴とばされたこともなく、冷たい目で見られたこともありません。
 共産党の党員の場合など、たぶんその仲間の情報を明かせという要求に党員は応じませんから、その仲間の名前や住所を吐けというわけで拷問めいた暴行を受けたであろうことは想像できます。
 さて私の場合ですと、この時とばかり私の日ごろの信念を残らずしゃべるからでしょう。「お宅の息子さんの取調べは非常に楽で助かった」と、取調べの刑事が私の母に漏らしたことがあるそうです。
 当時の私に対して、警察の刑事部長や刑事さんたちは、多少は畏敬の念を持ってくれたと思います。私の証拠品を捜しに我が家に私と同行して行く時にも、手錠などかけません。刑事と私は、一緒に談笑しながら歩いたものですから、近くの人たちは、驚いて見ていたと後で聞きました。
 ところで、これと違って、日本の日支事変、日中戦争における軍隊の責むべき点の一つは、従軍兵たちの中国人民蔑視から来る無自覚な暴行です。民族差別による軽蔑乱暴を受ける側の辛さや反感の酷さは与える側には分からないのです。
 「支那のチャンコロどもは人間の屑だ」というような日本兵の認識が、犬や猫をいじめるような乱暴をやっても「悪いことをしている」という認識は全然持っていなかったのです。
 私は大分県の農村部の素朴なおっちゃんが召集されて日支事変に参加、杭州湾上陸から南京に向かう行軍の途中、気ままに略奪やレイプを働く様を自慢げに語るのを、聞くだけで閉口したことがあります。
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 その点、当時、満州(現在の中国東北地方)や蒙古地方に使命を感じて、満蒙開拓団にはいっていた純真な青年たちの心情を私は忘れる事が出来ません。
 私は当時の日本政府の満蒙政策の欺瞞性を嗅ぎ付けているから、批判的でしたけれど、純真な気持ちで、無私の姿勢で満蒙開拓に従事している青年たちを批判することはどうして出来ませんでした。
 ある時、そうした組織の一人を話し合い、論争しつつも、別れる時は肩を抱き合って泣いたことがあります。日本を愛し、東洋を愛したからです。
 当時の歌謡曲風軍歌に「露営の歌」というのがありましたが、その一節に「東洋平和のためならば、なんで命が惜しかろう」というのがあります。
 「東洋平和のため」というのは、いかがわしい飾り文句にも見えるけれど、それを本気で追及し、努力、実践した人たちもいたのです。
 島木健作の転向後の作品「生活の探求」の後に書いた、「人間の復活」という題だったか、満蒙開拓団を意義ありげに書いた作品を婦人公論に発表していたのを覚えています。健康な作品でした。
 戦前の「転向」というのは、共産主義者が、「共産主義を捨てます」ということです。
 良心的作家が、それまでの思想と主義を捨てて、あたらしく転向後の小説を書くということは容易なことではないです。少しで以前の主義主張、思想の痕跡が残っていれば、散々な批評を喰うからです。
 批評を喰うというより、もう一度、警察の取調べを受け、下手をすれば、刑務所入りです。こういうことは今の人には想像もつかないでしょうね。
 思想警察というものの怖さは、今では共産主義国家だけかも知れませんが、当時はドイツを初め、ファッショ政治の世界では常識的でした。
 日本もそういう嘆かわしい政治体制に落ち込んでいました。軍人に政治権力を握られ、至るところにスパイがいます。「壁に耳あり、障子に目あり」で思いもかけないところから、見はられているのです。
 社会の空気は、凍りついたように硬質化して、何も自由に話せなくなります。国民は声をひそめて生活します。本音を吐けません。
 そういう時代に私は「絶対戦争反対」を教会の青年会や、一部の友人、また聞いてくれる人たちに物おじもせず、しゃべりだしたのです。
 同年配の女性たちも、私の家まで来てくれて、私の話を聞いてくれた。いま思えば夢のような話です。
 私が警察に捕らえられた時、その女性たちも刑事室に閉じ込められて参考人として取調べられているのを、廊下を通りがかりにかいま見て、申し訳なくて思い悩んだことでした。
 ともあれ、今は、そういう時代ではありません。日本人には周辺を遠慮して真理を語ることを恐れる気質があります、もっと思い切って正直に語ってほしいと思いますね。《く》

〔目についた記事〕
8月24日の産経新聞。アメリカの福音派の大型教会で、信徒諸君に飽きが来たのか、ハウスチャーチが広がっているという記事が出ていた。ハウスチャーチとは直訳すれば、その侭「家の教会」である。聖書の初代教会の原形ではないか。又、内村流無教会と言ってもよかろう。《く》
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by hioka-wahaha | 2007-08-28 15:11 | 日岡だより
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