あの終戦の時
いよいよ終戦記念日が近づく。実は敗戦記念日だ。これを終戦と言うのは日本人の性格だ。事実をまともに見ない。粉飾するのである。 日本の家を見ると、たいてい門から玄関に至る路がどんなに短くても、斜めになっている。 真っ直ぐに入るのは、なんだか妙味がない。単純すぎるではないか、という感覚であろう。 そこで、終戦だが、なぜ、敗戦記念日と言わないのであろう。 こういう言い替えは、可愛いと言えば可愛いが、自分で自分を騙して、事態を甘く解釈し、自己責任を逃れようとしている感じである。 戦争を始めたのも、戦争を終わらせたのも、自然の成り行きで、朝が来て、夜が来たなあ、というようなもの。わしには、責任はないぞ、というそぶりなのである。 * しかし、私にとっては、あの敗戦は一新紀元であった。あの日の、あの昼の12時から、私は日本の市民集団の中に戻されたような気がする。 昭和20年8月15日、前日からこの日の正午に重大放送があるという。ラジオは東京はJOAKだが、大分放送局はJOIPである。ああ、当時はラヂオであって、ラジオでなかったよなあ。 さて、この重大放送。「いよいよ大東亜戦争(太平洋戦争というのはアメリカの命名であって、日本では大東亜戦争である)も押し迫った。不朽の日本帝国は滅びることはない。今は最後の踏ん張り、本土決戦で、アメリカに勝つんだ。女だって竹槍訓練で鍛えている。そこで最後の決戦、日本国民がんばろう。一億一心、最後のご奉公だ」 と言うのか思いきや、聞き慣れない上ずった声、天皇陛下ご自身の声で、漢文調の勅語。我々は初めて昭和天皇のジカの声を聞いたわけだ。堂々たる声ではなかったので、がっかりしたと言うべきだろうが、その時はがっかりする暇もない。 どうも日本は負けるんだと言っているみたい。ポツダム宣言とか、なんとか言うものを受け入れるなどと言っている。何のことだか分かりゃしない。しばらくボンヤリしていた。 頭のいい男がようやく気がついて、「おい、日本は負けたんじゃぞう」と大分弁で言って、「なんとん知れん。こんだけ、がんばっち来ち、今更負けたとは、なんちゅうこっちゃ」と頭の鉢巻きを机にぶっつけた。 部屋中がやっと気がついて、騒然となった。実は、そこは大分駅前の日本通運大分支店の事務所である。私はその事務所のなかで経理部の一員であった。 * 昭和20年1月21日、私は兵役法違反、出版言論集会結社等に関する違反という長々しい罪名で福岡の刑務所に送られていたのだが、その日が満期で、母が迎えに来てくれて大分に帰った。 私は真っ先に父親代わりのように世話になった従兄の内藤利兵衛さんに会いに行った。利兵衛さんはちょうど店の事務机に座っていたが、私が店に入って、「ご迷惑かけました。帰って参りました」と挨拶すると、「困った奴が来た」、というような顔をされるかと思いきや、柔和な顔で「体は元気やったか」と聞き、そして言った。 「お前の仕事を考えねばいかんなあ。今は、のろのろしているとすぐ徴用が来る。お前がまた徴用にひっぱられたら、あんたの母ちゃんは淋しかろう。そうだ。安藤の叔父さんの日通に入れて貰おう。あそこなら国策会社だから、徴用は来ないからな」。 すぐ利兵衛さんは安藤の叔父さんに電話を掛けてくれた。日通とは、今でも名の通っている日本通運のことだ。 翌日、私は履歴書を書いて、その日通の大分支店行った。安藤さんは、そこの支店長である。支店長といっても、もともとは大分通運という自分の作った大分県一の運送会社の社長であったが、戦争中の国策による合併勧奨により全国規模の日本通運の大分支店長に居座ったのである。 安藤さんは、私の書いた履歴書を見ていて、「ウッ」と軽くうなった。私の履歴書の賞罰欄を見たのである。私は私の刑務所入りのことを正直に書いておいたのである。 「あんた、この賞罰欄は困るよ。しかし、あんたにも驚いたなあ。さすがに、徳さんの甥だよ」と、非戦論を自分の伝道雑誌に載せて発禁処分を受けていた徳太郎伯父のことにふれて、 「でもなあ、盗人や詐欺のような破廉恥罪じゃないから、いいよ、いいよ。……しかし、今はわしも日本通運の支店長じゃからな、この履歴書を門司の支社の人事課に送らねばならん。だから、この賞罰欄を除けた履歴書に書きなおしてくれんか」 「はい。そうおっしゃると思って、もう一通書いて来ました」と内ポケットから差しだした。安藤さんはニヤッと笑った。 この安藤さんは無類の太っ腹の人、だからこそ、兵役法違反などという戦時下の日本にあるまじき罪名を負った私を、利兵衛さんは「会社に入れてくれ」などと紹介することもできたわけである。安藤さんは利兵衛さんの義理の兄にあたる人だったと思う。 後に戦争も末期になって、「駅前の木造家屋など一斉に取り壊せ(疎開と言った)」という軍の命令にも従わなかった豪の人であった。私の罪名にも驚かない筈である。 * いわゆる終戦、敗戦の8月15日に、私が日本通運の大分支店にいたのは以上のいきさつによる。その8月15日、「今日は正午に政府発表の重大発表がある」と言う、その朝、私の前にいた年上の女性従業員が「今日の重大発表ってなんだろうなあ」と言う。私は思わず「さあ、無条件降伏かなあ」と言ったら、「とんでもない。日本は神国やから、絶対に負けん」と目を怒らせて言う。当時はみんなそんなものだった。「さあ、無条件降伏かなあ」などと言う日本人は、私一人だったかもしれない。 さて、その日、もちろん、みんな仕事に手がつかない。退社の定時を待たず、みんなそれぞれ力無く家に帰る。私はひとりつぶやいた。 「日本は神国なんかじゃないこと、日本人よ、よく分かったか。僕の非戦論は正しかった。しかし、心は晴れないなあ。戦争は負けた、今後の日本はどうなるだろう。自信を失って、そこへアメリカ軍がやってくる。日本の軍隊は支那で相当な乱暴を働いたそうだが、アメリカの軍人はどうだろう。そんな時代が来る。日本人、如何に生くべきか。それがこれからの問題だ。日本よ、滅びるな。天皇さんもどうなるかな。」心配は山ほど湧いてきた。 しかし、私には解放感が溢れた。 * ところで、戦争中のあの空気が凍りついたような、張り詰めた世の中の息苦しさ、それが一瞬にして、ほどける。いきなり、空間に放り出されたような感じである。 あの戦時下、日本政府の治政に反抗して、刑務所生活を送り、戦時下に出所してきた時、私は自由になったとはいえ、周辺の人々から白眼視され、心理的自由感は全然無かった。月に1回は警察の刑事が私を監視と言おうか、会いに来ていた。 そうした煩わしさは、もちろん去った。そして日本通運という鉄道貨物に関する仕事の会社だったから、駅は自分の庭のようなもので、出入りが自由だった。そこで、戦後の戦災孤児の諸君に会うことになる。私の戦後の仕事が始まる。《く》 〔あとがき〕 クリスチャン新聞8月19日号に私の名刺広告を出稿しました。牧師の肩書の前に、「戦時下兵役法違反、出版言論法違反で入獄」、また左肩に「憲法前文修正せよ」と載せて貰いました。こうした文案は自己宣伝じみて今まで致しませんでしたが、今回は思い切って書きました。▼私は日本国の現憲法を平和憲法と殊更に言いあげることに反対なのです。これまでも1、2度書いたことがありますが、現日本国憲法の前文を子細に調べると、世界の誰が何と言おうと、どこの国が日本の平和主張を支持してくれなくても、断固この一国で平和を護る、非武装平和を護るという意気込みがないのです。▼「日本が他国から責められた時、どこかの国が護ってくれるでしょう。(たぶんアメリカを期待しているのでしょうか)だから我々は武器を持ちません」、という実に甘ったれた平和主義です。だから、私はこの日本国憲法を偽装憲法と言うのです。《く》
by hioka-wahaha
| 2007-08-14 14:54
| 日岡だより
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