No.291 日本を救う道はあるか 2007.7.29

日本を救う道はあるか

 日本を救う道はあるか。ある! 絶対にある。私は先日(7月10日)の夜、祈祷会でそのことを語った。
 その夜は実に淋しい祈祷会だった。集まる者は、私と娘のせつこと、大平君、首藤君のみ。
(皆さん、もっと祈祷会を大事にして下さい。牧師を励ますのは祈祷会出席が一番です。この「日岡だより」は、あちこちの親しい牧師先生がたにお送りしています。たった4人出席の定例祈祷会のことなど書くのは、私としては如何に恥ずかしいか、考えてみてください。(ハハハハハ、例の得意の哄笑です。少々ヤケッパチの笑いですが。)
 さて、その先日の祈祷会で学んだ聖書の個所はテトスへの手紙第3章8節のみ言葉である。言わく、
「この言葉は確実である。わたしは、あなたがそれらのことを主張するのを願っている」。
 この「主張する」という言葉は、ディアベバイオウサッサイという少々言いにくいギリシャ語、「強く確信をもって断言的に主張し続ける」という意味である。(文法的には現在形不定法、習慣的継続的行為をさす。)
 「この言葉は確実である」とパウロは、それまで書いてきた彼の書簡の言葉を振り返って、「だからテトスよ、これらの言葉を強く確信をもって断言的に主張し続けることを願っているよ」と言うのである。
 この夜の祈祷会で、私はもともと「回心」について語っていたのであるが、つい私の父の回心と、伯父徳太郎の画期的な伝道活動のことについて触れたのであった。父の聖霊感動にあふれた回心について語るのが本来の狙いであったが、つい釣られて伯父の伝道姿勢のほうに言葉がはずんだ。伯父はミッションにも教団にもよらず、自費を用いて独立会計で大分市中心の会館で集会、また自分で書いた署名入りの伝道文書をあらゆる方面に向かって送付した。
 また、講演活動では、今で言えば田舎の農協などに行って、その壇上に立って農業の将来、政府機関への主張、国際情勢等の紹介を信仰談を交えて語った時、それが3時間にも及び、聴衆を飽かせなかったと、大分市の地元新聞の記事に載ったことがある。
 伯父にはそれだけの社会的地位もあったのである。県知事クラスの並居る宴会の場で、彼は酒を絶対飲まない。
 昔の伯父を知っている芸者さんたちは、「まあ、クーさん(放蕩時代の伯父の芸者仲間のニックネームである)。昔は酒樽を背中に飲んでおらしたのに」と評判したと言う。
 この伯父の主筆伝道雑誌「復活」は、よく戦前の内務省検閲で発禁を喰った。発禁というのは雑誌類の発行禁止、発売禁止である。
 その雑誌の巻頭に「醒めよ、日本。軍部あたりでは、ヒットラーの真似でもあるまいが、しきりに強硬外交を唱えているとか」などと書いている。これでは当時の日本では発禁を喰うのは当然であろう。この伯父に感化されて、私の信仰は当初より信仰的「祖国愛」と密着し、後の私の兵役拒否にまで影響するのである。
 伯父は昭和11年2月27日に天に召された。青年将校クーデターの2・26事件の翌日である。伯父の死の電報が東京の先生がたに届くと、どなたも皆、大分の陸軍聯隊の青年将校たちに殺されたのかと思ったそうである。実は肺炎の病死であった。今で言えば、まだ60歳前の若さであったが、当時としては、既に老爺の風格があった。
 ともあれ、テトスへの手紙の「いかなる反対、圧迫にも、動ぜず、確信ある主張を続ける」ことについて、この伯父の例を引用して語ったのだが、私も次第に興奮したのだろう。たった3人の姉妹たちを相手に、臆面もなく語りだした。
 「日本は変わらねばならぬ。キリスト様の福音によって、日本は変わる筈だ。キリスト様の福音にはその力がある。だれか、一人がそれを信じて、テトスのように主張するならば、たとえ、私一人であっても、私一人の主張で日本は変わると信じる」
 まさに、向こう見ずの大胆説教である。もっとも、聞く者はそれこそ、せつこと大平君、首藤君の3人。私は「井戸の中の蛙」であろうか。照れもせず、いや少々照れたが、真剣だった。
 祈祷会が終わって、9時半に夕食。その夜は、私は何の変哲もなく、遅くベッドに行って、すぐ眠ったのだが……。
               *
 その翌日、7月11日(水)だが、私は5時前に目が醒めて起き、5時半に会堂に行って早天祈祷。8時まで、ほとんど念祷の祈りでを続けた。(念祷の祈りというのは、後日説明する。)
 その祈りの終わりの時、思いもかけない事が起った。みぞおちのあたりだが、奥のほうから何か柔らかい棒状の塊のようなもの浮き上がってきて、それがわずか4、5秒ほどの間だが、私の心に匂いとして、また美しい色として、また何か音楽的響きとして、迫ってきたのである。
 「わあー、嬉しい」と思って私は胸を抱いたが、その現象はすぐ消えた。わずか4、5秒ほどのことだったが、その印象はしばらく私の胸元に残った。私はそっと右手を胸にあてて、その感触を想い返し、また温存しようとさえした。この忘れがたい霊的感触は感動的であった。前夜の「私一人で日本は変わる」と不敵な宣言をしたことと、今朝の念祷の祈りに関係があると、私は信じている。
 ところで、冒頭に書きかけていた「日本を救う道はあるか」の続きを書きたいのだが、それには10年ほど前の週報「キリストの福音」の1996年12月29日(つまり年末号)に載せた「昭和天皇のこと」という短い文章が適当だと思うので、以下に転載する。
               *
 最近(1996年年末当時)、日本のキリスト教界において天皇家の問題が大きく浮上しつつあります。
 明治天皇の孫にあたると言われる小林隆利先生という牧師先生が現れて、明治天皇と昭和天皇はクリスチャンであった、というような破天荒なことを発表されて以来です。
 一昨年でしたか、ある敬愛する姉妹からこの小林先生の講演テープを送っていただいて、最初聞いたときはびっくりしました。
 おだやかな話しぶりですが、説得力があります。私は最初、ユダヤ人十部族と日本人の祖先との問題で権威者の小石先生に尋ねたものです。
「あの小林先生ってホンモノですか」、「ええ、ほんものです。いい方です」というような簡単な問答ですませていたのです。また、ある会合でこの方に会ったことのあるという他の某兄弟に尋ねました。すると「正直そうな人です」とのお答え。人物に問題はなさそうです。わざわざ話題を創作して噂の渦中の人になりたい、そんな人ではない。
 そこで、夢が湧くのです。こうして明治天皇もクリスチャンだった。昭和天皇もクリスチャンだったという。天皇家の中に、その周囲にクリスチャンがどんどん生まれていると聞く。今は宮内省の役人の3分の1がクリスチャンだ。そういうニュースもある。
 この勢いで行けば、日本のリバイバルは、ほどなく日本貴族階級から起りそうな気配です。
 そこで考えました。なるほど、日本では万事が上から下へ。仏教が日本にはいってきた時も然り、天皇家がまず仏教を信じた。ある天皇は「朕は御仏の奴(やっこ)である」とさえ言ったという。
 ならば、今の天皇様が「私はイエス様のしもべであります」と告白したところで可笑しくない。
 私は想像しました。今の天皇様がテレビに出て、世界に向けてこう言う。「私は罪人でした。私は悔い改めます。私はイエス・キリストを信じます。私は今後、イエス・キリストの忠実なしもべとして日本の天皇の務めにつきます」。
 まさしく世紀の大ニュースですよね。ところが、私はその後も小林牧師の講演を何本かテープで聞いたのです。そして最近のテープで昭和天皇のことを聞いた時、「おや……?」と思ったのです。こんなお話でした。
 「敗戦のとき、昭和天皇は責任を感じて切腹を図ったのです。ところがそれを知られたお母さんの昭憲皇太后が戒めました。『なんと言うことをなさるのです。あなたはクリスチャンではありませんか。自殺なさるとは何事です。戦後の日本国復興のためなさることは一杯あるでしょうに』と」。
 昭和天皇はそこで切腹を思いとどまったのです。私はこの話を聞いた時、信じられませんでした。昭和天皇に切腹などという、そんな気概があったなら、その後の昭和天皇にはもっと違ったご様子が伺えたはずではないか、と思うからです。
 どうも、昭和天皇がクリスチャンだったというのは、私には信じられません。小林先生は、昭和天皇に惚れこみ過ぎているのではないか。私はひねくれているのかも知れませんが、そう思うのです。
 なるほど、昭和天皇はキリスト教的思想にも理解あり、平和な人柄であったかも知れません。しかし私には昭和天皇が如何ほどキリスト教に近い方であったにしても、天皇様ご自身が、ご自分の罪を認め、ご自分の罪を悔い改め、イエス・キリスト様をご自身の罪の贖い主として受入れておられたとは信じられないのです。
 昭和天皇が戦争責任に関する弁明をしたり、外国の大統領に戦争中のお詫びを述べたりされる時、外務省の作文をそのまま無表情に読まれていたような記憶があります。
 本当に信仰を持って居られたらならば、ご自身の真実の声を一種の「失言」でもよいから、その真実の声を表現するくらいの勇気は出せたはずと私は思うのです。いいえ、テトス3:8のように、強く確信をもって、断言して、主張して欲しいのです。
               *
 以上は先に述べた10年ほど前の私の文章ですが、こんな文章を書いていたこともすっかり忘れていました。
 ところで、近上天皇陛下はいかがでしょうか。近上(きんじょう)天皇という呼び方は今のかたは知っていますかねえ。
 現天皇様は皇太子の時、昭和天皇のご希望で、家庭教師としてヴァイニング女史に学ばれました。ヴァイニング女史はクリスチャンであるとして広く報道されました。
 当時の皇太子さまが、美智子さんとご婚約中、軽井沢の路上で田中先生の思い切った著書進呈でお近づきになれたことは有名です。そのご、田中先生の師である滝元先生や、また別のルートなんでしょうが、奥山先生なども那須のご用邸には時々お招かれになるようです。
 こうした事から、天皇陛下をはじめ、皇族の方々に宣教的接近は案外容易なことなのだとは理解でます。しかし亦、そうは言ってもさまざまな障碍はあるだろうとは誰でも見当つくことです。しかし、もはや金城鉄壁の難所ではないということです。
 皇室の伝統的密室体質を気にして、最初から伝道は困難だろうと、ビビることはないのです。相当の準備、用意は大切でしょう、しかし用心しすぎて身動き出来ないなあという態度は禁物です。いかなる伝道の場合でも、大胆、慎重にアプローチ、アタックしようではありませんか。
 こうして、日本一千万救霊どころか。日本民族総福音化は夢ではない。必ず、実現する。まず天皇家にアタックする。(すぐ、美智子さんにトラクトを送る? そんな幼稚なことではない。それでは、どんな高等戦術?) そう、御霊に頼る高等戦術、だれでも参加できる高等戦術がある。
 たとえ、社会の下積みにいる若者でも、如何に貧しい無学な老人でも、誰でも出来る皇室へアタックは、祈りです。祈りです。祈りましょう。
 皇室では秋篠宮殿下がクリスチャンであるとは、私は早くより聞いていましたが、こういう例はなぜか公表されない。公表しにくい何かがあるのでしょう。それだけに皇族方こそ気の毒です。この閉鎖性を打破せねばなりませんね。日本のために祈るとき、天皇陛下ほか、皇室の方々のために祈らずにはおられません。日本国民と天皇家とのきずなは切っても切れないものなのですから。《く》
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by hioka-wahaha | 2007-07-31 14:42 | 日岡だより
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