No.289 忘れ得ざる日 2007.7.15

忘れ得ざる日

 先週の7月12日、終日、私の友・荒巻保行を偲んだ。この日は私の忘れ得ざる日である。昭和16年7月12日、彼は死んだ。自殺であった。
 私はそれ以降、何度か自殺願望に捉われた。兵役を嫌って自殺を図ったのも、実は荒巻の後を追いたかったのだと言ったほうが、正しかったかも知れない。
 1903年のことだが、「人生不可解なり」と言って、華厳の滝に跳び込んだ藤村操をはじめ、それ以後、芥川や、太宰治など、世に一種のまじめな自殺がいろいろあったにしても、わが友・荒巻保行のような真摯な自殺行は、私は聞いたことも読んだこともない。
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 その数日前、彼を訪ねた。彼の父が建ててくれた別荘に住んでいたが、彼はその前年、発病した肺結核の療養中なのであった。その病気ゆえに心を病んで、自殺したのだと周囲の者は思っていた。
 彼は私にこう語った。人の生き様を見ていると、要するに人はすべて、善につけ、悪につけ、自己中心である。「俺は善いことをするんだ」と善意をもって為すにしても、それも自己中心である。自分のように善を為し得ない連中を見ると心の中で彼らを蔑む。そういう心の卑しさから人は免れえない。
 人はすべて、このように根底的に自己賛美者だ。自己中心だ。そして自己憐憫、自己憎悪に陥る。それらはすべて自己中心の裏返しではないか。そこから、俺は抜け出したいのだ、だから死ぬ外はないと、私に言った。そして、事実死んだのである。
 私には分かる。彼は、そこで死んで自分の生存悪が許されるとは思わなかった。彼はただ、ひたすら彼の人生にピリオドを打ちたかっただけなのだ。《く》


「回心」ということ

 私が「回心」という言葉を知ったのは、石原兵永先生の「回心記」(現在絶版)を読んだ時である。そこには確実な魂の転換があった。私はまだ20歳にもなっていなかったが、私はそれを一心に求めた。
 その初版の本には内村鑑三先生の「コンポルジョンについて」という解説が載っていた。「コンポルジョンが無ければ本当の信仰ではない」などと先生らしく、やや過激な語り口であった。コンポルジョンは明治調の翻訳語で、今で言えばコンバージョンである。
 内村先生は札幌農学校で、すでにクリスチャンになっていた。しかし、離婚や何やかやで信仰の自信を失っていた。信仰の一新をしたいと思っていたであろう。そこでアメリカに渡った。そしてアマストマ大学でアルバイトの石炭運びをしている時、回心を体験した。彼は歌った、「あるものの胸に宿りしその日より輝きわたる天地(あめつち)の色」と。
 インドのタゴールも同じような経験をしている。その時、彼が振り仰ぐとヒマラヤの山々が神秘に輝いていたという。
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 回心について最もくわしい本はウイリアム・ジェイムズの「宗教経験の諸相」(日本教文社刊)であろうか。プラグマチズム哲学者らしく実例を沢山あげている。今でも結構古びていない。
 この本は賀川豊彦先生も愛読したという。(「回心」という言葉を平凡社の百科事典でひいたら、かなりよく書いてあったので感心した。特にゆるやかな回心と突然の回心に分けてある箇所など、実際に回心を体験した人や、それを求め、期待している人々に参考になる記事だと思う)。
 先日、某兄から電話で、「信仰が分からなくなった」と言ってきた。何ごとか問題が起こって信仰的にもショックを受けたのであろう。「自分の信仰は果たしてホンモノなのか」、「そもそも自分には信仰なるものがあったのだろうか」などと悩むのである。前記の回心という経験を持たない人はこういう時に弱い。回心経験を持っている人は、患難に襲われても、どんな信仰の危機にひんしても、容易に突破できる。
 先日、古い私の日記を発見した。読んでいたら、終戦後まもなくの頃、私が散々に苦しんでいる文章があった。ああこんなこともあったなあ、と思い出した。死んでしまいたいほど、苦しんでいた20歳代の自分の姿を思い浮かべて感慨無量であった。
 そのような苦労を乗り越えることが出来たのは、獄中における記念すべき回心体験が私にあったからである。当時の私は自分の信仰に疑問が湧いた時、しばしば時間系に沿って自分の信仰史を振り返ったものだ。そして結局はあの獄中回心まで辿り着く。ああ、あれは本当だった。だから、今のこの私の信仰も間違いないな、とホッとしたものである。
 それは私が22歳の秋であった。例の兵役法違反や出版言論法違反で福岡の刑務所の独房にいた時である。私はまだ自分がイエス様の十字架の血潮によって救われているという確信がなかった。聖書を開いてみると、ガラテヤ2章16節に「人は律法の行いによらずキリストを信じる信仰によって義とされる」と書いてある。私は「そうか、そうか」と、この聖書の言葉を感謝した。
 そして「私はイエス様を罪の救主として信じているかな」と自分を反省した。ところが、これが地獄の始まりとなった。私はイエス様を信じたいと思い、またイエス様を信じたら義とされ救われるということは認めることはできたが、この自分がイエス様を信じているとは思えなかった。私はそのことを信じたいと思うけれど、どうしても、「この自分」が救われるとは信じられなかったのである。
 この「私には信じられない」という一種の「信仰」だが、この不信仰に苦しめられて3日間、のた打ち回るように苦しんだ。そして3日目の夕刻、「一人の人がすべての人のために死んだので、すべての人は死んだのである」という第二コリント5章14節のお言葉が突然私の心に一瞬の光のように飛び込んだ。そして、あっと思う間もない。「私はその一人だ。私は救われている」と、信じられたのである。
 あの3日間はまさに地獄体験だった、自殺したくても死ねなかった。あの荒巻保行が羨ましかったが、しかし荒巻はまさしく、この付近を通り過ぎていたのである……! ともあれ、
 私は自殺する意志力も奪われていて何もできない、無力のどん底、無為力のどん底にうめいていた。
 その私が前記の第二コリント5章14節のお言葉で一瞬に甦ったのである。死から生への生還である。1944年11月23日の夕刻である。それからというもの私は刑務所の中にいても、天国に居る者のように過ごした。
  「愁い多き獄にしあれど主によりて生かさるる身の幸にわが酔う」
  「イェス君の熱き血潮の今も尚、溢るる思いわが身にぞすれ」
 これらの歌は、この時ほとんど一瞬に私の心に生まれた。私は歌人ではない。このほかには、私の一生に短歌がやっと2首出来ているが、すべて一瞬のうちに私の心に湧いて生まれた。不思議である。
 この私の体験は鋭角的な回心の証しであるが、そうではなくて、鈍角的な回心をなさる方もある。たとえば、CTCの古林先生など、人に向かっては「『証し文章』を書きなさい」などと文書伝道の講義をするのであるが、先生ご自身が「あかし文章」を書こうと思ったら、これという目だった事件や経験がなくて困ったということです、呵々。
 有名なモラビアン派を率いたツィンツェンドルフなど、彼はついにはジョン・ウェスレーに大きい影響を与えたほどの人であるが、その回心経験については、どうもはっきりしないのです。
 「しかし、やっぱり回心していた筈だ」と、歴史家の諸氏は認めているようですが。
 普通、回心経験は多く青年期にするのですが、かのトルストイは髄分年をとってから有名な回心をします。年長の方々、ご安心ください。《く》
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by hioka-wahaha | 2007-07-17 11:25 | 日岡だより
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