No.286 私の神癒伝道事始め 2007.6.24

私の神癒伝道事始め

 それは、1955年のことだったと思う。私はどこで手に入れたか覚えていないが、T・L・オズボーン著「キリストによる癒し」という粗末な本を手に入れた。「癒し」という言葉に魅力があった。私は読み始めた。その内容に魅せられた。私は熱中して毎週の礼拝でこの本の宣伝と講釈を始めた。
「皆さん、確かにイエス様は私たちの病気を癒して下さる方です。この本を読んでください。聖書に書いてあるとおりです。ぜひ読んでください。」

 その頃、私は大分市の中心にあった町村会館というビルの一室を借りて毎週日曜日の礼拝をしていた。会衆は15名、時には30名ほど集まる程度でした。
 その「キリストによる癒し」を信徒諸君に勧めているうちに、ある日、Nという老人があたふたと私のもとにやってきた。
「先生、奇蹟です。私のおなかの痛いのが治ったんです。」

 様子を聞くとこうだ。聞けば可笑しい、おなかが痛くなったので、ふと毎週先生の言う「キリストによる癒し」のことを思い出した。それで、やってみようと思って、あの本をおなかの上に置いて寝た。そして寝入ってしまったが、目がさめると腹痛が治っていた。と、こう言うのです。
 なんだか、偶像宗教の「おふだ」をお腹に貼っていたら病気が引いたという感じだから、吹き出しそうになった、しかし、ご当人が真剣だから笑うに笑えず、真面目な顔をして、他の信者さんたちに神癒のあらたかさを吹聴した。すると皆さんは真面目に聞いた。
           *
 ところで、次の週、その夜が祈祷会の日だった。皆さんが集まって祈祷会の準備中だった。そこへ、例のN老人の奥さんのオバアチャンが急きこんで部屋に入ってきた。私の家の6畳の間だった。
「先生、先生、神経痛が治った。おったまげた。わし、イエス様、信じます。」

 今までご主人のお腹の痛みが治ったのをせせら笑っていたオバアチャンが言うのである。
 郊外の田圃の畦道を歩いていたそうだ。突然、全身に痛みが走って倒れそうになった。神経痛だ。彼女は必死になって叫んだ。
「釘宮先生の信じるイエス・キリストの神様。この神経痛を治してください。」

 すると、左か、右か、ともかく半身がずばりと治った、しかし、残る半分が痛い。彼女はもう一度、叫んだそうだ。
「釘宮先生の信じるイエス・キリストの神様。半分だけでなく、全身をポーンと治してください。」

 そうすると、いっぺんに全身からスッキリ痛みがなくなったそうだ。
「先生、わしゃもうジイチャンを笑いません。私もイエス様を信じます。」

 と、おいおい泣くのです。その夜の祈祷会はいっぺんに燃え上がったのです。
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 その後、しばらくしてある女性、30代の奥さんが来て、「先生、盲腸炎ですが、キリスト様の力で治るでしょうか。」と言う。私はドキッとしたが、無理に落ち着いて「大丈夫、なおりますよ」と言った。
 くわしく聞くと、下腹部に痛みが始まって病院に行くと、2人のお医者が3べん見て、「手術をせねばいかん」という。しかし、お金がありません。(当時はまだ国民健康保険の無い頃です。手術が怖いから神様のお癒しというのではない。入院費が無いから神様のお癒しがほしいという時代です。)
 私がそのご家庭に行って見ると、奥さんは布団をしいて寝ている。枕もとに化膿どめの薬がおいてある。お腹のほうには氷嚢をあてている。その奥さんのそばに行って家族の見守る中で、まず薬と氷嚢を棄てさせた。そして私は下手な祈りをした。私はそういう時の霊的処置というか、祈り方というか、全く知らなかった。祈りの大家の祈りの現場を見たことが無かった。
 私は祈り終わると、冷や汗をかいて、そそくさと逃げるように、その場を辞して我が家へ急いだ。あのままで大丈夫だろうか。あの奥さんが死んだら、私は多分、「偽牧師、患者を殺す」とでも新聞記事になって叩かれるだろうなあ、と不安で一杯だった。私は今でもその時、恐れつつ帰った道の様子を覚えている。
 それから3日して、日曜日がきた。いつもの町村会館で礼拝をしていると、あの奥さんが飛び込んできた。そして、叫んだ。
「先生、盲腸炎が治った。一向に痛くありません。熱も無いです。日直のお医者に見てもらったら、盲腸炎は無くなっている!って言うんです。」

 さあ、礼拝の場は大騒動。私は驚喜して叫ぶ。
「みなさん、どうです。神様のお力は凄い。皆さん、病人をどんどん教会に連れてきなさい。」

 さっそく次の日に、ある信者さんが乳癌の女性を連れて来た。未信者です。私はまた、顔色を無くした。「なんで、もっと軽い風邪か、腹痛の人でも連れて来ないんだい?」
 信仰のない牧師の私は慌てます。しかし、その乳癌の女性もまた、1週間で癒されます。私はますます上気しました。
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 ところが、今度は私の家族です。様子が違う。ちょうど年が変わって新年になりました。「今年は神癒の年だ」とはばからず、公言していたが、なんとその正月から妻や子どもが次々に猩紅熱とか、幼女の唇がただれて溶けて行くとか、難病、奇病の連続です。
 そして今度は、これらの病気が一気には治らない。信じて忍耐して、待っているだけです。そうしているうちに、しかし次第に治って行く。
 その頃、私は既に医師も医薬品も一切拒否。だから小さい傷にも、メンソレータム一つ塗らない。風邪をひいても売薬一包も飲まない。じっと待っているだけです。人に言わせれば、まことに狂信的です。(今はそれほどではありませんが)。
 多分、自然治癒力でなおるのだろう、と理屈をつける批評家もいます。ともあれ、そういう我慢のなかで、病気は一切治って行く。そのうちに、私の家庭では病気というものは放っておけば、治るものだということになってしまいました。
 その後も、ある信者の方、足に出来たコブのために祈ると、見ている間にジュジュと音を立ててコブが消え、後に皮膚が皺になって残っていた。
 あるいは、ある未信者さんの家庭からは、「家出をしたお父さんを捜してくれないか」などと、占いの霊媒にでも持って行きそうな依頼が舞いこんだことがある。でも、祈ってあげると、お父さんがその祈った時刻にちょうど北九州の駅に行っていて、そこで心が変わって家に帰ってきた。そんな例が続々と生まれてきました。
 こうして、次第に私の内に強い信仰が固まってきました。小さかった信仰、無邪気な可愛い信仰が、積み重ねられていって、いつの間にか、しっかりした確かな信仰に固まってくるのです。
 小さい信仰でも気にせずに積み重ねてゆくうちに、強い、大きい信仰に成長していく。そこに信仰確立の法則があるようだと私は気づき始めました。
 ただ恐れるのは、そうした信仰を頂くと、傲慢になりやすいことです。働かれるのは主イエス様です。私たちは主の僕に過ぎません。私は特に小さい器です。諸先生がたの末尾に伏すものです。ただ、主様だけに栄光をささげます。
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 以上は、2005年8月21日の日岡だよりに載せた旧稿です。「キリストによる癒し」という冊子に触れて、私のような小さな器が次第に恐れ気もなく、神癒伝道者として自分を世にさらけだしてゆく、そのきっかけを書いたものです。
 私はまだ33歳のしろうと伝道者で、神学校も出ていない、どこの伝道団体からも援助を受けていない、風来坊みたいな男でした。特に一燈園の影響を受けていましたから、身なりも坊主あたまに古びたズボン、上着は関西で言うひっぱり、古いかすりを紺に染めて茶羽織風に着ていましたね。
  こういう土壇場に座った覚悟でいると、神様以外に怖いものは何も無くなるものです。《く》
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by hioka-wahaha | 2007-06-26 12:36 | 日岡だより
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