真の平和主義者
先週6月1日の大分合同新聞の3頁に「同盟の旋律」という意味不明の標題の連載記事があった。最近は「改憲プログラム第一部」という副題もついているが、その日の記事の初めのほうにちょっとしたエピソードが載っていた。こうだ……、 元法相の左藤恵さんが自分の父親のことを言っている。父親というのは、かつての防衛庁長官の左藤義詮であるが、 「おやじは寺の住職で、平和主義者だった。戦争に行ったけど、爆撃機(飛行機のこと)に驚いて逃げるような人だった」と。 この新聞の記事を読んで、私は思わず笑い出してしまった。戦争に行って爆撃機のプロペラの音に驚いて逃げ出すような人を平和主義者とは言わない。チャンチャラ可笑しい。 卑怯者とは言わないまでも、臆病者である。真の平和主義者は鉄砲の前でも、恐れない。素手で鉄砲の前に出てゆける人である。 * ガンジーは非暴力無抵抗主義を標榜した人だったが、こう言っている。 「私は祖国に侵入する敵軍の前で、卑怯の故に銃を取って迎えることの出来ないような者であるよりは、敢然として銃を取って大軍の前に撃って出るような勇気のある者でありたい」と。 そうした気概を持っているにもかかわらず、同胞の人々から「卑怯者、非国民」と罵られながらも、銃を捨てて白旗を掲げて敵の軍勢に入って行き、平和交渉をしようとする真の勇気を持つ者、そういう人になりたいと思う者は居ないか。 ガンジーはそれを問うのである。それこそ本当の愛国者、本当の勇気ある人だと言うのである。《く》 大分市福祉事業の神話時代 次頁に載せた塔鼻さんの大分合同新聞「灯」欄の寄稿は、よく簡単に整って書かれていて有り難い。塔鼻さんは私の聾学校時代の同僚で、いつまでも私を親しく思ってくれる畏友である。 先日お訪ねくださったので、私の過去のことをいろいろ話していたら、興味を持たれて、手際良く書いてくださった。 私は戦争中、兵役法違反で福岡刑務所に入獄し、昭和20年1月に出所した。近所の人たちは好奇の眼で私を迎えた。そのことに母は気を使ったが、私は平気だった。先年の11月に聖霊による回心をしていた私は世間の目が気にならなかった。職業のほうは、徴用に引っ張られぬよう日本通運に就職できた。これは親替わりの従兄・内藤利兵衛と日本通運大分支店長安藤さんのお蔭だった。 この日本通運にいたお陰で、私は大分駅の構内に出入りするのは自由だった。戦争が終わり、その翌年、昭和21年の夏の頃になると、戦災孤児が大分駅周辺に集まって来始めた。私は駅に出入りが簡単なので孤児たちと親しくなるのが、早かった。 当時の孤児の諸君は野武士みたいなもので、生活力旺盛、屈託もないし、元気だった。食うべきメシは駅の待合室で旅客の間を縫ってまわって「オッチャン、メシ頂戴」と貰ってまわる。もっとも、そういう実態を私は最初知らないから、母にお握りを作ってもらって持って行った。 当時はお米は配給制だったから、そのお米でお握りを作って戦災孤児に食べさせれば、私たちの方は食べるものが無くなってしまう。母は、「お前、私たちの食いぶちはどうするんだい」と言うわけだ。私は簡単に、「母ちゃん、僕らは餓え死にしよう」と言った。 「え、餓え死?」。私は答えた。「マッカーサーの言うことでは、今の日本国内の食料事情では、百万人は餓死するだろうって。今、日本のクリスチャンは100万人いる。この100万人餓死必至の食料事情の中では、ちょうどよい。日本中のクリスチャンが先にたって餓え死にすれば良い。神様は僕らに無駄死はさせないよ、日本に必ずリバイバルが来る。そこで、まず魁より始めよだ。僕んとこが、親子で死のう、母ちゃん」。 母は、「やれ、やれ。またこの息子はタイヘンな事を言う。ともあれ、お握りを作ってやるか」。母は戦争中に一人息子を刑務所にやって、無慈悲な世間に堪えた人だ、そんな息子の乱暴な言い分にもへこたれない、神様がなんとか守ってくれることを信じていた。 * さて母に作って貰った、言わば命がけのお握りなのだが、孤児たちは喜んだ。あれこれとお裾分けで駅の待ち合い客から貰ったご飯もおいしいが、この兄ちゃんから貰う重箱入りのお握りには嬉しかったらしい。自分たちの今は亡き母親たちから作ってもらった運動会や遠足の弁当を思い出すのであろう。 実は、そこでいつも毎日残飯を貰いにいっていた進駐軍のキャンプの炊事軍曹から、その翌日聞かれた。「昨日、どうして来なかったのか」「うん、ある兄ちゃんがおいしい日本の握り飯を持って来てくれたので、それを食べた。ひさしぶりでおいしかった」「それは、どこの青年か」「うん、大分の町の中だよ。お母さんと二人だけらしい」。 どうして私の家のことを彼らが知っているのか、不思議だったが、それはともかく。その炊事軍曹、手もとのアメリカ軍のぜいたくな食糧を取って、子どもたちにやった。「これをその青年親子に持ってゆけ」。 その日の10時ごろ、子どもたちが私の家の前に来た。「センセーイ、センセーイ」。私は初めての先生呼ばわりにビックリして外を見ると、そのパンや肉の揚げたのを持っている子どもたち、「センセイ、これ、進駐軍のヘイタイさんから」という。 こうして、一度は餓死する覚悟だった私たちは、アメリカ軍の食糧と子どもたちの運搬で養われることになる。この食糧は豊富だったので、世話になった人たちにもお裾分けも出来た。 そして後で思ったことだ、もしこの時、最初の覚悟を忘れずに、本当に餓死しておれば、日本に早くもあの時、リバイバルが来たはずだったのに、という後悔だった。少々、思い上がりかなあ。とにかく、奇蹟的な食糧危機脱出に、餓死の覚悟そっちのけで、喜んでしまった愚かさを悔やんだ、ずっと後日のことであったが。 こうして、この孤児たちと防空壕などで共同生活が始まる。しばしば母親は家の方にほったらかしであった。 これが大分市における戦災孤児救済事業の始まりで、今の言葉で言えば全くのボランティア、市や県の記録には何も載っていない神話時代である。 その頃、大分市の厚生課の清水さんだったか、私の噂を聞いて私に連絡をとろうと苦心していたことを後で聞いた。私が役所の助けの必要を考え始めたのは秋が来て、冬の寒さをしのぐために、やはり家がほしいなあ、と気が着いたからである。 大分市の木下市長や立木課長の手配で上野寮、僕らの愛称ではリトル&メリー・ハウスが出来たのは、間もなくであった。 * そして、私はぼつぼつ次の段階は専門の社会事業家に譲ろう。私はいよいよ伝道戦線だと、思いをひそめ始めていた。赤い羽運動が起こり、福祉事業に意欲を持つ人々も好機至れりと思う時代になっていた。ボランティアと言えば、格好いいが、好き勝手に気ままにやってきた私には、気づまりを感じる時代になりそうであった。《く》 【新聞記事】灯 〔あとがき〕 私は毎朝、散歩に出る。その前に早天祈祷の時間が、たいてい1時間半である。早く起きると、時には祈祷も3時間に及ぶが、残念ながら滅多にはそうはならない。散歩は長い間、1時間で済ませていたが、最近は同じコースが45分で済むようになった。足早になったのであろう。▼散歩は祈りの訓練に良いので、皆さんにもお薦めしたい。永井先生は歩行祈祷として長い間実行しておられる。私も実は永井先生に倣って、この祈りの散歩を始めたのである。早天祈祷に引き続き、すぐ散歩に出るわけだから、必然的に祈祷の心の状態でそのまま外に出られる。▼祈祷と言っても、冥想に近いだろうと思う。決してヨガ行者が行うような冥想ではないが、一種の「空」の状態になることが多い。日本人の好きな般若心経ではないが、「一切皆空」という感じである。▼賛美歌355番の「主を仰ぎ見れば古きわれは、うつし世と共に速(と)く去りゆき、我ならぬわれのあらわれきて、見ずや天地(あめつち)のあらたまれる」という境地と言えようか。▼昔からウツ病の人が毎朝の散歩で癒されることは、お医者さんの中でも知られていた。理屈抜きの経験智であるが、私は私なりのしろうと理論を持っている。それはともあれ、みなさん、信仰の成長のためにも、散歩祈祷をお薦めします。《く》
by hioka-wahaha
| 2007-06-05 13:59
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