No.278 今日は昔の天長節 2007.4.29

今日は昔の天長節

 天長節とは戦前の天皇誕生日である。皇后様の誕生日を地久節と呼んだ。「天地長久」という古語が中国の古典にあるらしい。そこから引いた言葉なのだと聞いた。
 今日は、かつての昭和天皇の天長節だった。戦前は国家的祝祭日が12日あった。祝日は1月1日の四方拝、2月11日の紀元節、4月29日の天長節、11月3日が明治節であった。
 祭日と言えば、かつての「春季皇霊祭」が現在の「春分の日」、かつての「新嘗祭」(にいなめさい)が、現在の勤労感謝の日である、等々。
 さて、祝日には学校では校長先生が教育勅語を読む厳かな式があって厄介だった。しかし、学校を下がるときに紅白の餅をくれるのが嬉しかった。
 式のことだが、校長先生の重々しい教育勅語の声、聞いている生徒たちは、静粛に頭をさげている。中には隣の生徒をつついて笑わせようとする悪童がいる。笑った生徒は後で非常に叱られるから、笑いをこらえるのに苦労する。
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 ところで、前節に書いた教育勅語の時のことだが、この時に天皇陛下のご写真(御真影)を礼拝するのが決まりだった。例の内村鑑三先生の不敬事件の起こる場面だ。これと同じような事件が私の卒業した大分商業学校に起こったことを聞いた。私の在学時代の少し前である。
 別府市の今のナザレン教会だったと思うが、その教会の善き信徒だった山下さんのご子息、山下君が御真影拝礼を拒否したというので、上を下への大騒ぎになった。学校では多分、謹慎一週間というようなことであったろう。しかし、それですまない。警察沙汰になるのである。そうした、一種の迫害はしょっちゅう起こる時代であった。《く》


心をあなたの忠実な家来とせよ

 「心をあなたの忠実な家来とせよ」。これは、最近、私が信徒諸君に配った参考資料の標題でした。その冒頭に、こんな言葉を載せました。
 「クリスチャンの標準装備は『愛、感謝、喜び、平安、自由、勇気、忍耐、奉仕、伝道、礼拝』である」と。この一連の言葉は、私の古いメモ帳にあったのですが、ちょうど目に入ったので、つい使ったのです。
 後で考えると、この言葉は誰の言葉だったのだろうか。はて、私がこんな言葉を思いつくはずもないが、さてどこで拾った言葉なのかと、非常に気になったことです。ともあれ、あるいは、
 私が考え出した言葉だったかもしれませんが、そうすると、私も大変エエことを言ったものです。
 ここには10個の言葉があって、最初の言葉が「愛」です。これは聖書のパウロの手紙によく出てくるクリスチャンの徳として最高の言葉ですね。
 ここでは10個の言葉がありますが、最後の言葉が「礼拝」です。これが締めくくりの言葉です。誰が作った言葉でしょうか。なかなか良いです。最後に「礼拝」を置くのも、意味が深いと思います。
 「礼拝」とは神様に結びつく人間の側の姿勢です。しかも、これに神様が人に応答してくださる「神人交流」の姿でもあります。
 「愛、感謝、喜び……」と、クリスチャンの標準スタイルを格好よく掲げてありますが、最後に突然出てきた言葉が「礼拝」です。これは何でしょう。
 クリスチャンが、地上の様々な場面でクリスチャンとしてのふさわしい行為、言葉、表現をもって、よい証しを立てたとしても、それはしばしば人間の業への美化に終わり、得てして偽善という悪魔の投げ網にひっかかりやすいのです。
 その災いを逃れるためには、それら善き業の最後を神への「礼拝」をもって締めくくると、安全なのだと言いたいわけでしょうか。
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 さて、キリスト信仰の成長の3段階は次のとおりです。
 1、「新生」、キリストの土台が心にすえられます。人生の方向転換の契機です。クリスチャンとしての自覚が生じます。イエス様を私たちの心に受け入れ、イエス様を主と告白した時、私たちは神の子となるのです。(第一コリント3:11、第一コリント11:3)。
 2、「聖化」、聖霊様によって与えられる自在な生活の心力、心術、自己操縦力、つまり信仰の力が発揮されます。冒頭にあげた標準装備を越えて、クリスチャンとして更に上級の能力であります。
 3、「栄化」、これは、天国に入ってから、イエス様から頂ける高度な品性と能力です。
 人は天国において、ますます進歩、向上、完成へと導かれ、訓練を受けます。そして天使のごとくなって、地球をはじめ、各霊界に奉仕につかわされます。イエス様もおっしゃっておられますが、天使は人に仕える奉仕の存在なのです。
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 さて、1の新生体験から、2の聖化の体験へと導かれたとき、信仰として新しい自由感、達成感、完成感を獲得して、最初のうちは非常に喜ぶのですが、次第にその喜びが冷えてきて、どうもうまく聖化意識が機能しないということが起こりやすいのです。
 前述の2の聖化の項の中であげた自己操縦力という力が不足する感じですね。この自己操縦力ということは、ガラテヤ5:23の「霊の実」の最後にある「自制」に似ています。
 こうした連立した語彙群の最後に出てくる言葉は締めくくりの言葉として汲み取ることができます。
 このガラテヤ5:23の「霊の実」では、「愛、喜び、寛容、……」と続く徳目の中でも、最も地味で大事なのが、この「自制」です。自制がうまく機能しなければ、愛し過ぎたり、寛容であり過ぎたりで、適正を欠くのです。
 自己操縦力というのは、ほぼ自制と同じ機能です。自制よりは、積極的な行動力を持っています。
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 そこで、冒頭に戻ります。「礼拝」です。最初に「クリスチャンの標準装備は『愛、感謝、喜び、平安、自由、勇気、忍耐、奉仕、伝道、礼拝』である」と、あげましたが、その最後が「礼拝」です。私はクリスチャン生活において、他の何よりも、「礼拝」が大事なのだと言いたかったのです。
 そして、常に神様への、また特に三位一体の神への礼拝を忘れないようにしましょう、常にこの礼拝の心を忘れないようにしましょう、ということ、これが、今回の私のお勧めの最後です。
 私の一番言いたい大事なことは、その「常に礼拝の心を忘れない」という実技的勧告です。常に忘れず、神様への礼拝を営むということは、実践的要求として具体的にそれを実行できるか、どうか。まず常識としては不可能! でしょう。
 それを実行可能にする、奇蹟的な簡単な方法があります。それは御言を心に常に唱えることです。
 あなたの信仰を励まし、堅固にし、繁栄させる短い御言葉を聖書の中に捜しなさい。また、それに近い言葉を捜しなさい。説明を省いて以下に例をあげます。
 単語、熟語、ごく短いフレーズがよいのですが、その聖書的な言葉を礼拝の思いをもって、口で、また心で唱えましょう。簡単です。こんな風です。「神様。イエス様。愛します。賛美します。永遠の御国。聖霊様。信じます。天使様。憐れみたまえ。従います。伝道します。日本を救ってください。父を救ってください。リバイバル。平和です。恩寵期待。等々。」
 皆さんご自身で一語でも数語でもよい、選んでください。こうした言葉、信仰の言葉、礼拝の言葉を、皆さんの生活の場で連呼してください。私の母は、「神様、神様」と醒めていても、眠っていても呼び続け、ついにコンバージョンしました。すでに四十歳は過ぎていたと思いますが、小学生の私を抱いて涙ながらに喜んだものです。《く》
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by hioka-wahaha | 2007-05-01 16:02 | 日岡だより
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