No.273 たとえ小さい群れでも 2007.3.25

たとえ小さい群れでも

 一昨日の大分県の地元の新聞に写真が出ていた。5人の少年たちが大きな和太鼓をたたいている。記事を読むと、日出生(ひじゅう)という村の小さな中学校でのことである。斎藤豊という校長先生と生徒さんが5人、全校をあげて太鼓だけの曲を作曲した、その発表の会場だという。
 日出生(ひじゅう)という村は別府の奥のほう、もうちょっとで耶馬渓というところである。その辺りの高原は日出生台(ひじゅうだい)と言って、昔は陸軍の演習地だった。今でも多分、自衛隊が演習地として使っているかと思う。
 この生徒さんたち、新聞に載った自分たちの写真を見て、さぞかし嬉しいだろうなあと思う。人数が少ないことを却って誇らしく思うのではなかろうか。
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 私どもの教会も小さい教会です。雑誌「ハーザー」の今月号に、私の書いた原稿を載せてくださっているが、その中に私の教会は礼拝出席20名ちょっとと書いてあった。「わーい、この数字、ハーザーの読者の皆さんに読まれてしまうのか」と、私はちょっと恥ずかしく思ったことであった。
 でもこの時の記事で私は、「現在の日本の嘆かわしい社会状況をただ憤慨し批判するのではなくて、この国の精神的、また霊的回復、祝福のために、たとえ弱い祈りでも私は祈りたい。皆さん、私の祈りを加勢してください」と書いたのです。
 このお願いに答えて読者の方々の中から、この祈りの応援をしてくださる方が出てくださった。その方の勧めに次々に応援の方々が増えていますというご報告があったのです。私は泣きましたね。
 そして、その頃からなんと、日本の新聞紙上を賑わしていた「いじめと、自殺」の記事などが少なくなったようだと、私は喜び感謝している所です。《く》


タダイのエデッサ伝道と景教と空海

 前頁には「たとえ小さい群れでも」と題して短文を書かせて頂きました。今はキリスト教は世界では第一番の宗教です。信徒の数は20億です。しかし、日本では残念ながら僅か100万、人口比で0.1パーセントです。戦前から少しも増えていません。これも残念というよりは、不思議な数字です。
 ところで、イエス様の時代、イエス様につきまとう一般のファンは多かったにしても、本当の弟子は少なかったのです。イエス様は言われました。
 「恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることは、あなたがたの父のみこころなのである」(ルカ12:32)と。
 そうした初期のキリスト教の時代のイエス様の直弟子であるタダイという人、決して傑出したお弟子さんには見えません。しかし、この方によって行われた凄い奇蹟的伝道の記録を以下に旧稿を再掲載します。
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 今回は12弟子の一人、タダイにまつわる伝説について述べたいと思う。伝説と言っても、権威あるキリスト教史家エウセビオスの「教会史」に出ている物語である。ちゃんとした史実であると思って間違いない筈だ。
 タダイはキリストの12弟子の名前の中では10番目か11番目に記されている人で、どちらかと言えば、見栄えのしない人である。しかし一度だけ「主よ、あなたはご自身をわたしたちにあらわそうとして、世にあらわそうとされないのはなぜですか」(ヨハネ14:22)とイエス様に向かって質問した弟子である。そのことをヨハネがわざわざ書き残したのは意味が深い。この時、イエス様も喜んで重要な発言をお返しになっておられるのです。
 タダイという名前はたぶん愛称です。「母の胸」というアラマイク語らしい。もう一つの名があって別の写本ではレバイと書かれている、その意味は「心」だと言う。弟子仲間で、彼がどのように思われていたか、察することができる。
 このタダイが初代教会の時代、後世に多大の影響をあたえる宣教活動をしていることを、エウセビオスの「教会史」に見るのである。その記事をかいつまんで以下に紹介したい。
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 当時、ユーフラテス河の向うの国エデッサの君候である、アブガルという人が不治の難病にかかっていた。彼はユダヤの国のイエス様の事を聞いて、イエス様に書簡を書いたのです。
 「(挨拶を略す)あなたは薬や薬草を用いずに治療をなさる由です。聞けば、あなたは盲人の目を開き、足なえを歩かせ、ライ病人を潔め、汚れた霊や悪鬼を追い出し、長い患いに苦しむ者を癒し、死人をよみがえらせたそうです。私はこのことを聞いて、あなたはまさしく神様であるのか、あるいは神の子であるのかと考えました。どうぞ、わたしの所へご足労くださいますように。」
 加えて、この君候はユダヤの不穏な様子を知っていることや、こちらは安全です、などという後続文を書いているが、それは省略する。それに対するイエス様のご返事があるのです。
 「私を見ないで、私を信じたあなたは幸いです。『私を見た者が私を信ぜず、見ない者が私を信じ、かつ生きる』と、私について書かれているとおりです。
 さて私は、近く私が遣わされた使命を成就せねばなりません。その使命を成就したら、私を遣わされた方のもとに私は上げられます。私が天に上げられた後、私は私の弟子をあなたのもとに遣わします。そしてあなたの病を癒し、あなたとあなたと共にいる者たちにも生命(ゾーエー)を与えるつもりです。」
 これらはすべてエデッサの古文書保管所にあった。それに以下のシリヤ語の添付書類がある。
 「イエスが天に上げられたのち、弟子の一人タダイが使徒としてアブガルのもとに遣わされた。高官たちが居並んでいた。部屋に入ると、大きな幻が使徒タダイの顔に現れた。みんなは仰天した。
 タダイは言った。「あなたは私を遣わした方を信じていました。だからこそ私はあなたのもとに遣わされたのです。もしあなたがこれからも、その方を信じれば、あなたの願いは聞かれます。主は、御父の御旨を成就されました。そして父のもとに帰られました。」
 アブガルは答えた。「私はその方も、その方の御父も信じます。」
 そこで、タダイは言った。「私はその方の名において、私の手をあなたの上に置きます。」
 彼がそのようにすると、アブガルの病と苦痛はたちまち癒された。
 アブガルは言った。「これは正しく驚くべき神の権能です。お願いします。これらの他のこと、イエス様の到来について、その権能について、その不可思議な御業についてご説明ください。」
 次の日、タダイはアブガルに頼んでエデッサの市民のすべてを集めてもらった。そして語ったのである。
 イエスの到来について。その使命と、父から遣わされた目的について。その権能や御業。その方が語った奥義と、その新しい教え。その謙遜と従順。自らを低くし、ご自分の神性を無きもののごとくして十字架にかかられ、陰府に下り、世の初めから破られることのなかった(死と生の)壁を破って死人を復活させたことについて。そして、ただお一人でこの世にお下りになったが、大勢の者たちと天のみ父のもとに帰って行かれたことについて、語ったのであった。
 つづいて、アブガル王はタダイに金と銀を与えようとしたが、タダイはこれを断った、などということも書いてある。
 これらのことが起ったのはエデッサ暦第340年(AD30年頃?)のことであるという。
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 このエデッサの町については平凡社の「世界百科事典」に、こう載っています。
 「この町は北西メソポタミアの古代都市。今日のトルコ南西部のウルファ市、古来交通の要衝。シリア系キリスト教の中心地であり、シリア語訳の聖書のほとんどは、ここで作成され、5世紀の半ば、この地に栄えたネストリウス派のキリスト教は、アジアの大部分に伝播し、中国では景教として唐の大宗の貞観9年(635年)、宮中に迎えられた」と。
 景教というと、空海を思い出さずには居れません。空海が入唐したのは延暦23年(804年)のこと。当時は唐の首都長安で景教は盛んであった。今日、日本・和歌山県高野山にゆくと、大きな石碑のレプリカがある。題して「景教大流行の碑」とある。空海が長安から持って帰ったものかどうか知らないが、とにかく空海が唐に行って、景教の影響を大いに受けたのであろうという証拠の碑でもあります。
 私どもは考える。空海が唐で最も影響を受けたのは景教と呼ばれたキリスト教の異言ではなかったか。異言という宗教現象に似た現象は他の宗教にも無くはないのですが、その著しい例の一つが真言宗の「陀螺尼(だらに)」でしょう。これを空海が日本に持って帰ったに違いないのです。空海の唱えた陀螺尼がコトバとして幾つか残っているようですが、それが定形化して呪文となって流布しています。よく知られているのが「アビラウンケン、ソワカ」などでしょう。
 ともあれ、タダイのエデッサ宣教は大きく東洋、特に日本に影響を与えました。空海もあえて「陀螺尼真言」と言ったのですが、この陀螺尼さえ唱えれば病気も、あらゆる罪障も、悪運も消えると言ったのです。しかし、本当に「真言」を語れるのはイエス様だけです。「私は道である。真理である。命である」と仰せられたイエス様だけが、真の言葉、肉体となられた真の神の言葉なのであります。
 さて、この景教が古代日本の精神世界に如何に大きな影響を与え、霊的資産を残したか、戦前戦後、多くの識者たちが指摘してきたところです。(1987年6月7日週報より再掲載)《く》

〔付記〕
ところで、その景教が古代日本の精神世界に如何に大きな影響を与えたかということは分かるけれど、その後どこへ行ったのか、その姿がさっぱり見えない。たぶんその景教は、かつて山本七平さんが言った「日本教」なるものに吸収されてしまったのであろう。そして相変わらず日本ではキリスト教は戦前も戦後も0.1パーセントの少数派である。日本の霊的風土の著しい問題点です。《く》       (2007年3月28日)
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by hioka-wahaha | 2007-03-27 11:41 | 日岡だより
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