No.271 「回心」ということ(二) 2007.3.11

「回心」ということ(二)

 前号の末尾に内村鑑三先生の回心について書いたのでした。石原先生の「回心記」を読んだ私の記憶によるのですが、内村先生は「その時の記録を君に見せたかった」と石原先生に言い、また「残念だが、その記録は捨ててしまったんだ」とも言っている。
 このことについて、実は内村先生は「その記録は捨ててしまった」と言いながら、「私はだまされていたのだと思ったからだ」と言い添えています。これは重要な「告白」だと私は思っています。
 これは、「あのすばらしかった回心の経験は偽物だった。自分はだまされていた」と一時は思ったということでしょう。それで、先生はその貴重な回心記録を捨ててしまったのです。
 もっと突っ込んで言うと、「回心という経験が、最初はすばらしい完全な聖霊経験だったと信じていたのに、後にそうではなかった。やっぱり自分は相変わらず駄目だった。昔の自分と大して変わっていない自分であるのに失望した。そうだ、こんなもの捨ててしまえ、どっかに行ってしまえ」とそのノートか紙片を捨ててしまったということでしょう。
 ここで大事なことは、今となっては矢張り、その捨てた行為を「惜しかった」と言っていることです。「やはり、あれは本物だったのだ」と思い直しているわけです。
 とは言え、「もう一度、振り返って書きなおすほどのエネルギーは、もう無いよ」、ということでもあります。ここに先生の秘密があります。さすがに、この「回心」という体験、すばらしいものでありましたが、完全ではなかったということです。回心直後には、たしかに天下を取ったような征服感があります。「なんでも来い」、というような完全意識があります。意気揚々たるものがあります。
 尤も、これも個人差がありまして、「あ、これが回心か、まあこんなものか」と冷静に受けとめる態度の人もいるのです。私はただ一人、そういう人を知っています。
 実に誠実温厚な人柄でして、この方の回心経験を疑うことは出来ませんでした。生来の謙遜な性質でして、無理に偉ぶらず謙遜にふるまっているのでもない。ただ、ご自分の素晴らしい経験を淡々と受けとめて素直に語ってくれているだけなのです。そういう人もいるのですね。
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 ともあれ、聖霊経験というものも一筋縄では行かないということです。
 まず気がつくことは、大事なことですが、回心と一口に呼んでも、義認論的経験と聖化論的経験とは別だということです。歴史上で、最も有名な人物で対比すると、アウグスチヌスと、ジョン・ウェスレーの場合です。
 ジョン・ウェスレーは、英国の国教会の牧師でした。また「几帳面屋」とあざけられたほどの規則正しい信仰生活を送る真面目なグループのリーダーでもありました。その彼が国教会から派遣されて当時の新大陸アメリカに伝道に行きます。
 渡航する船の中で忘れられない経験をします。突然、激しい暴風雨に襲われるのです。7時間を過ぎても風は収まらず、荒波は甲板を乗り越え、マストは今にも倒れんばかりでした。乗客はみな恐怖で泣き叫び、ウェスレーも泣かないにしても、その一人でした。
 その時、別の部屋から不思議な歌声が聞こえてきました。よく聞くとドイツ語の賛美歌でした。驚いて、その部屋に飛び込んでみると、2、30人の人々、子どもも混じっています、その彼らが目を天にむけて平安な顔で歌っているのです。
 一人の女性に聞きました。「あなたがたは、この嵐が怖くはないのですか」「いいえ、怖くはありません。ここにいる者、みんな神様に守られていますから、少しも怖くはありません」。
 しばらく彼らと一緒にいますと、ウェスレーの心からも恐怖心が次第に無くなって行きました。
 「これはなんだろう?」。ウェスレーはその一行を見回しました。彼らはドイツの田舎からアメリカに向かうモレビアン派の信者たちでした。
 ウェスレーは結局、アメリカでの伝道には失敗し、イギリスに引き上げます。あのモレビアン派の人々の信仰を慕わしく思います。あの死をも怖れぬ信仰、ホンモノの信仰を求め始めるのです。
 ウェスレーは、あるときロンドンのアルダース・ゲートという所にある小さな教会の礼拝に出席して、そこで司会者がマルティン・ルターの聖書講解の序文を読むのを聞いている時、突如、心に激しい火のようなものが燃え上がるのを経験します。そして彼は自分がキリストのものになったことを自覚するのです。1738年5月24日午後9時前15分のことだったと言われます。
 その瞬間をウェスレーは自分の時計を見たのですね! それ以後、彼は政府から教会で説教することを禁じられ、馬に乗って全イギリスを駈け廻り、公園や墓場で伝道します。彼が創立したメソジスト教会は後に世界第一の教派になるのです。彼が言ったことがある「世界は我が教区である」という言葉が、現実的に成就したのでした。
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 私(釘宮)が回心したのは1944(昭和19)年11月23日夕刻です。私も時計を持っていたら、その時刻が分かったことでしょう。残念ながら刑務所の中でしたから、時計はそばにありませんよね。
 私は以上の2人、アウグスチヌスと、ジョン・ウェスレーの回心に全くよく似たこの回心を与えられ、世にはなき異常な歓喜を経験したのでした。
 後日、私の導きで回心した第一号のお弟子さん、大石美栄子さんが、後にロンドンのウェスレーゆかりの教会に行き、そこで私の説教を思い出して涙を流して泣いたと、そのロンドンからのはがきを送ってくれました。そのはがきのインクが涙で濡れていたのを見て、私もひどく感動したことでした。
 しかし、こうした感動的回心も信仰の成長の一過程であって、完全なものではない。それが前述の内村先生が、後になって「あれはだまされていたんだ」と言って、回心記録を捨ててしまったという理由でしょう、さすがの内村先生も早まったことをしたものだと私は思います。(回心は何回あっても良い。次の回心を待つべきなのです)。この点、ウェスレーは「几帳面」な人で、しっかり者です。一度、回心したとはいえ、人間の弱さは、相変わらず残されていて、完全にはならないことを見抜きます。
 ここでちょっと説明したいことがあります。アウグスチヌスの回心とジョン・ウェスレーの回心の間に一つの差があります。アウグスチヌスは全くの不信者の立場から回心によって救われ、そしてクリスチャンになりました。ところがジョン・ウェスレーはすでに信仰を持っていました。十字架のあがないを信じて「几帳面」な信仰生活を送っていたのです。その彼が、「義認」の信仰に加えて、更に回心する、神学的に説明すれば「聖化」の信仰を得たことになるのです。
 ところが内村先生はアメリカの大学でアルバイト中に回心した。それは多分、十字架による「義認」の信仰だったと思います。すると、一時は天下を取ったような歓喜の日々を送り得るのですが、しばらくすると、古い人間性の地金が出て来る。すると、「あれッ、こんなはずじゃなかった」と慌てます。がっかりします。一時の信仰の喜びが失せてしまい「あれはだまされていたんだ」と言う始末になるのです。
 しかし、後になって内村先生は気づいたのだと思います。「あれはやはり、確かな信仰体験だった。あれはやはり本当の回心だったのだ」と。
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 ここで、ちょっと註をつけましょう。義認の信仰というのは「イエス様の十字架の血潮のあがないによって私たちは神様の目からは最早罪人ではなく義人として認められた」という信仰を与えられることです。聖化の信仰というのは「義人として認められた」というだけはなく、「心の底から清めていただいた」という聖化の信仰を与えられることです。
 義認の信仰を高調するのがルターやカルヴィン以降の正統(?)派と言いましょうか。それだけでなく更に全く清められるという信仰がジョン・ウェスレー以降の聖潔(きよめ)派です。あるいは福音派とも呼んでいます。私どもの教会はこの2つの信仰を踏まえた上で、更に聖霊の働き、賜物の働きを高調するところに特長がありましょう。《く》

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by hioka-wahaha | 2007-03-13 22:57 | 日岡だより
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