No.268 豊かな人生 2007.2.18

豊かな人生

 「豊かな人生の条件は……」という賛美の曲があったが、最近は、この教会ではあまり歌わないようですね。ところで、この「豊かな人生の条件」ですが、その条件は幾つも並べるほど、沢山あるわけではない。端的に言えば、答えはただ一つ。
 それは「神を信じなさい」という答え、たった一つでよい。神様は天と地とを造られた方、万物は主のものである。だから、「豊かな人生」は、神様のところにあるのです。
 「豊かな人生」は、神様に求めればよいのです。「求めよ、さらば与えられます」である。
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 世の中で、多くの人が一番、求めるものは金でしょうが、このお金だって、求めるものには神様は豊かに与えて下さるのだと信じようではないか。
 最近、問題になったのは「パワー・フォー・リビング」という新聞やテレビによる呼びかけだ。なんだか不気味な感じもしたものだ。
 申し込んでみると、キリスト教の信仰の本を送ってくる。タダである。この本は未信者の人だけにあげます、という単純な申し出である。
 調べてみると、どうもこの運動のためには10億円の資金が用意されているという。金は有るところには有るものだなあ、と感嘆しますねえ
 そうです。クリスチャンは貧乏であってよいはずはない。「金ぐらいなんですか」と言ってみたい。神様が背後におられるなら、それくらいは言える筈です。
 そうだ、「金ぐらいなんですか」と言ってみよう。まず、神様に求めよう。「信仰を、聖霊を、賜物を、勇気を、知恵を、愛を、喜びを」、そして遠慮せず、金も大胆に求めましょう。《く》


今こそ変革の時

 先日の手束先生と小沢さんを招いての「今こそ変革の時」の特別聖会、良かったですね。自慢させてもらえば、ケズィックよりも良かった!
 あの聖会の準備打合せの時、「この聖会の名前、どうしようか。「××リバイバル聖会かな」などと、どなたかが、言いだした時、永野先生だったか。「リバイバルというのは、古いことを、もう一度という感じですよ。面白くないなあ」とつぶやいた。
 そこで、
「そうだ、先のことは言うまい。古いことの蒸し返しじゃないんだ」という声が飛んだ。そして、「変革ですよ。新しいことが起こるんだ」というわけで、主題聖句はイザヤ43章18、19が選ばれたんです。
 「今こそ変革の時!」という橋本先生のところで作ってくださった宣伝チラシもよかったですね。
 そして、会場を広田先生のチャペル・ノアにお願いしたのもよかった。会場の広さもちょうど良いし、会場前面に大きく「今こそ変革の時!」と活字体で書いてくださった。これも良かった
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 それにしても、講師の顔ぶれがこれ又、良い。タイプがまるで違うのですが、テーマに対して打ってつけ。一見、おだやかな学者タイプですが、どこか楽しい手束先生の「日本民族総福音化運動」の総説、日本民族に対する自虐史観を打破して日本民族の誇りを掲げつつ、キリストの福音による日本歴史変革の夢を確信をもって告げて下さる、聞いているだけで私は興奮した。
 その後に続く、小沢さんの打々発止と語られる声も身振りもいい、あれでは創価学会当時もさぞカッコよかっただろうと思われる壇上の闘士ぶり。
 創価学会の錚々たる信徒諸君の世上各界への浸透、影響は凄いものらしい。つまり政府内に、芸能界に、新聞情報世界に、とどまる所をしらぬ異常な波及力を語ってくれた。
 しかし、この創価学会にも陰りが生じつつあるそうだ……。今こそ黄金時代だが、ぼつぼつ次の時代が来つつある。そうした宗教界の時代の変化を早く見取って、キリスト教各界は結集して時代を先取りすべき時が来ているのではないか。その予感を与えてくれる小沢さんの説得力ある講演、いや演説であった。
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 ある人に言わせると、日本人は時代の変化に鼻が利く。全国民が川の水が滝壺に落ち込むように、なだれを打って時代の変化相にのめりこんでゆく傾向があるという。
 明治維新しかり、終戦時もしかり。終戦後、2か月で、軍国主義から民主主義へと転換した。その身替わりの早さは、驚くばかり。
 かつて万代先生が言った。昔のキリシタン伝道成功は、ザビエルの頂点伝道のせいだと。将軍や各大名、まず頂点から攻めこんで行く。
 なるほどこの大分県の豊後では大友宗麟。いきなりザビエルは宗麟に会ってものにしてしまう。
 私は長い間、宗麟は西洋の鉄砲や火薬など、もの欲しさにキリスト教を形だけ受け入れたイヤな奴だと思っていた。ところが、大友家に追い出された田原家の子孫の一人が宗麟に反感を抱きつつ調べた結果だが、彼言わく「先生、宗麟の信仰は本物ですよ。死ぬ時にはクルス(十字架)を胸に抱いて瞑目しています」と私に教えてくれた。
 この宗麟の改宗のお陰で豊後には沢山のキリシタンが生まれ、その後の殉教者の群が、他のどこの国よりも多いというか、信仰の質がよいというか、聖イエス会の篠先生がわざわざ大分市猪野のキリシタン殉教公園のすぐ前に教会を建てられたのも、その故だと語っておられたのに、私は感銘したことがある。
 伝道の頂上作戦についての万代先生の説を思い出して以上のことを私は納得したことであった。
 日本伝道もどこからすべきか、かつて田中政男先生が現天皇様ご夫妻、当時の皇太子ご夫妻に伝道なさった逸話を単なる逸話ならしめず、皇室ご一家や、もちろん華族の各ご一統、また政治家や財界の諸メンバー等に対する頂上伝道も考えたいし、また新聞や、その他言論界や文筆界の人々に福音を伝え行くこと、そうした努力も努めたい。
 そうして、シーソーの片方が上から下へといきなりバタンと落ち込むように、日本の宗教世界が急激に転換することも決して夢ではあるまい。
 日本では、かつて仏教が一挙に乱入してきた。一返に神道の国が仏教国になってしまった。余りになりふり構わぬ変身ぶりであるが、今の日本もキリスト教に向けて同様に変身する見込みは十分ある。
 現在のキリスト教式結婚式の旺盛さ、クリスマスのイルミネーションは各家庭で飾られ始めた。最近のヴァレンタインデーのチョコレート騒ぎ、この日本人の軽々しさに注目しよう。
 実はミーチャンハーチャンの宗教転換を期待しているわけではない。しかし、そういう変革の時代がいつ来ても可笑しくないと思う。はりきって時代の変化を予想しながら、地味な信仰持続でも結構、信じて待ちつづけるところに、変化は必ず起こりますよ。期待しましょう! 《く》

〔あとがき〕
先週の本紙、「内村先生の非戦論」の中で、言論検閲のこと書いたら、早速ある方から、戦後の占領軍GHQの検閲の実態について書いてほしいというお申し出が某姉をとおしてあったが、私は終戦直後に出版的なことをしたことがないので、何もそれに類した経験はない。▼しかし、それに似たことを書こう。私は終戦後、2、3年間大分市郊外の鶴崎(今は大分市)の中心部、林兄のお宅で毎週日曜の午後、定期集会を開いた。ちょうど道路に面した適当な壁があって、その頃よくあった壁新聞を書いた。言わく、「この日本を救うものは誰か。アメリカか、ソ連か。そのいずれでもない。ただイエス・キリストである」と。▼ところが数日して、当時、私は県立の聾学校の教師をしていたが、校長から呼ばれた、校長のところに特高の刑事がきて、「釘宮という教員はどんな人か」と聞かれたのだそうだ。「釘宮先生が、どうかしたのですか」と尋ねると、刑事は「鶴崎の壁新聞の件」を打ち明けたという。校長は顔色を落して、不安がっていたが、私は笑って「大したことじゃないですよ」とお答えした。しかし戦後になっても尚、特高は生きていたのかと、憤懣に耐えなかった思い出がある。中国だけではない、いわゆる公安は今も日本にもあるのか?▼今、先週号に書いた釘宮徳太郎の「復活」というA4の四頁雑誌を引っ張り出し読んでいるのだが、全頁「玄米食のすすめ」という号がある。「自然食は神様の御心にかなっている」と創世記を引用しながらの、大論説。「徳オイサン、面白いナー」と膝をたたいて、これは甥の私の応援である。《く》
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by hioka-wahaha | 2007-02-20 15:42 | 日岡だより
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