No.266 天使のごとき人 2007.2.4

天使のごとき人

 去る1月31日、私たちの敬愛する原田光子姉が天に帰られた。大分ゆふみ病院にて、本当に天的平安のうちに主に召されて行かれた。
 私はその前日、1月30日の午後、姉妹をベッドにお訪ねした。お声もかすかだったが、私に向って何事かを語ってくれた。ご主人がそばで聞いてくださって、私に取り次いでくださった。「先生は凄い」と言ってますよ、というのである。
 何を言われたのか、私には分からなかったのだが、それは私への最後のはなむけの言葉となった。でも、本当に「凄い」のは光子姉妹ご自身であった。
 姉妹は、神様のため、人のため、何事をも喜んで、隠れて、注意深く、ご奉仕してくださるのであった。意志強固、助けを必要とする人々のため、努力も物も金も惜しまず、捧げてくださる方であった。
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 イエス様の言葉のとおり、「心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くし、主なる神を愛し、また自分のごとく隣の人々を愛する」方でした。
 だから姉妹を天にお送りした今、姉妹を追想して、ただ「素晴らしい方だった。愛の人だった。行き届いた人だった。謙遜な人だった。信念の人だった。等々」と、抽象的に称賛の言葉を述べることはできても。具体的に姉妹のなさったことを述べることが出来ない。残念である。しかし、それが姉妹の隠れた良き行いの特徴である。
 イエス様は言われた。「右の手でなしたことを左の手に知らせるな」。まさに姉妹はそれである。これこそ、実に天使の姿である。「天使は人に仕える者である」と主は仰せられたが、光子姉妹こそ、天使のごとき人であった。 《く》


念ずれば雲消える

 たしか、坂村真民とおっしゃる方だったと思いますが、一部の方々には良く知られ尊敬されている仏教詩人であります。この方の口癖の言葉に、「念ずれば花ひらく」という言葉があります。まことに詩人らしい、美しく且つ真理を帯びた言葉であります。
 それに比べると、散文的、ひからびた言葉ですが、私のソッと心に確かめている言葉、それは「念ずれば雲消える」というのであります。これは美的修飾語ではなく、そのまんま(宮崎県知事さんの事ではない)私の事であります。
 私が空の雲に向かって「この雲よ、消えなさい」というと、2、3分はかかりますが、必ずその雲が消えます。もっとも、まだ大きな雲に向かって試みたことはありませんが、太陽かお月さんくらいの大きさの空中に浮かぶ雲でしたら消えます。
 まだ、人様の見ている前で実験したことはありませんので、自信をもって言うのは、危険ですが、たぶん皆さんの前でやっても消えると思います。
 ある時、妻に向かって「僕は念じて雲を消せるんだよ」と言ったら、妻もなんでもないことのように、「私も消せるわよ」と言うので驚いたことがあります。
 聞けば、私の初期の伝道時代、貧乏でしたが、私は妻が内職することを禁じましたから、掃除整頓するほどの家具もなく、時間が余ると、つい暇つぶしに雲を消していたそうです。しまいには、もっと手がこんで雲を増やしたのだそうですから、そんなことは私もしたことがありません、呵々。
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 これは私の理解ですが、雲は水蒸気ですから、念じると雲が消えるというのは、水蒸気が私の念力によって完全に気化してしまったということになります。そこで、心には水に影響を与える力が有るということになります。
 水というものを、こうも考えてみました。誰からも承認された理屈ではありませんが、水には人の心的影響を受ける受容力があるらしいということです。(これについては、江本勝氏の「水の波動理論」が強力な傍証理論になります)。
 イエス様の「信じてバプテスマを受ける者は救われる」(マルコ16:16上)というお言葉について、以下のように説明できるようです。受洗する本人や牧師や周囲の信徒諸兄姉に信仰という心(信念)の力の働きを受けると、その水が受洗者に救という魂の大変化を与えるということです。
 イエス様は又、別のところで言われた。「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」と。この腹から流れ出る水とは何であるかは、私たちには分かりにくいが、ここでイエス様が「水」というものに、特別の価値を認めておられることは確かである。
 旧約聖書の創世記第1章2節も面白い。ここには万物が創造される基本的基盤の大地はまだ出来ていない。そして、水が淵を作っており、その上に神の霊がおおっていたとある。
 こうしてみると、やはり水は神様の万物創造の時から、重要な役目を負っているらしい。水は他の物質と違い、神の霊的力と何らかの親しい関係があるらしいということは想像できる。
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 さて、人間の肉体の70パーセントは水分であると言われる。血液などがその大部分であろうが、また細胞の内部も、水分が大部分である。
 私は30歳代より神癒の奉仕をしてきた。一昨年、日本にやってこられたT・L・オズボーン先生の本を学んで、初期の神癒体験をしたのである。それ以来、小さいご奉仕ではあるが、些かなりとも信者さんや、未信者の方に対して、難病、奇病の癒しをさえ経験してきたのである。
 正直に言いますが、決して高率な癒しではなかった。まず30パーセント程度がせいぜいだったと思いますが、しかし、癌や神経痛や、白内障や、裂かれた肉が1、2時間でくっついてしまうなど、癒しの業が、この私の言葉や手をとおして起こったのは事実です。実に感謝なことです。
 これらを、肉体内の水分の変化によるのだと言いきってしまえば、疑問どころか反論がおこることは予測できるが、しかし私にはそのように思えるのが、正直なところである。
 ともあれ、これは私の素朴な仮説であって、これに固執するつもりはない。ちょうど原稿を載せるべき紙面が空いたので、それをふさいで書いているだけのことです。
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 実は、最後に言いたい大事なことは、次のことである。信徒の皆さん、とくに私の教会の皆さんや、全国にわたる私のフアンのみなさん、私の癒しに対するご奉仕の効果が30パーセント程度では困るのです。残念です。100パーセントとまでは行かなくても、せめて80パーセントの効率で癒しの実績をあげさせてもらいたいのです。
 なお、大事なことは、そのような成功が私の奉仕に起こっても、この私が世的な成功感に酔いしれないで、あくまで謙遜に神様に忠実に仕えて行けるよう、祈って頂きたいということです。人は、そうした驕り高ぶりに陥りやすいものです。私を守ってくださるよう神様に祈ってください。また私を励まし、注意してやってください。
 伝道者として神癒はそれほど大事なことではありません。最も私の望むところは、やはり純粋にイエス様の十字架の福音、しかりキリストの福音を伝えることが私の心の底からの願いなのです。とは言え、
 このたびの原田光子姉が天に召された時、非常に残念でした。私は絶対に光子姉の回復を信じて祈っていましたので、本当に心がくだけました。
 神様もっともっと、私に癒しの賜物を十分にお与えください、と求めているのです。みなさん、祈ってください。 《く》

〔原田光子姉の思い出を〕
本日の礼拝で、いつもの証しの時間に原田光子姉の思い出をお語りください。また、今日の礼拝に不在の方、また今日お語りになった方々も含めて、光子姉の想い出の文章を送って下さい。 《く》
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by hioka-wahaha | 2007-02-06 14:58 | 日岡だより
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