No.264 あるイメージ祈祷 2007.1.21

あるイメージ祈祷

 昨年の暮れのことです。ある姉妹から、こんな手紙が来ました。
 「釘宮先生、お久しぶりです。お変りありませんか。私のほうは母が2ケ月入院したり、講師の仕事があったりで、ここしばらく忙しかったです。
 母はエアロビクス中に、ころんで足を打ったらしく、タクシーで家まで帰って、それからあまりの痛みに動けなくなって、救急車で病院に運ばれました。お医者さんは手術もあり得るというので、私は神様に祈りました。先生の言っておられたイメージ法です。
 母の股関節を思いうかべて、ひびの所を接着剤でくっつけるイメージを描いて祈りました。するとレントゲンを撮ってみても、ひびが写っていなくて、目には見えないほどのひびで収まりました。手術もしなくてすんで、感謝です。
 それでもしばらくはリハビリをしないといけないので、2ケ月ほどかかりましたが、元気に退院出来ました。神様には最近あまり熱心でなかったのに、私のピンチを助けて下さって、神様のやさしい愛を感じることができました。
 心を入れ替えて、いい子になりたいのですが、なかなかいい子になれません。それでも見捨てずに、愛して下さっている神様は、この世の中でイエス様だけだと思いました。来年は少しでもよい子になって、神様に喜んでもらいたいなと、思っています。
 これからは、私もワッハッハを実践します。来年は先生とお話できたらなと思っています。お体に気をつけておすごしください。」
 嬉しい、ご報告でした。イメージ祈祷というのは慣れれば、簡単です。どなたも試みて下さい。《く》


無能の力

 先週の主日(日曜日)、私ははりきっていました。運動会か、遠足の日の朝の小学生のように、私は飛び起きて床の上で、「さあ、神様あ。やりますでえ」、と声をあげたものです。
 早天祈祷会でも、礼拝が始まる時でも、私は会堂から道をへだてて向うにある牧師館から、駈け足でこちらの玄関にやって来たのです。
 元気一杯でした。今、考えると、多少気負っていましたがね。「元気のいい僕を見てくれ」と言わんばかりです。信徒諸君の前に見栄をはっていた感もあります。
 その後も、月曜、火曜と、元気でした。火曜日には2、3の訪問をして、その帰りにはキリスト教書店のクロスロードに寄って、新刊書を3冊買って帰りました。
 ところが、その翌日、水曜日の午後になって、突然、私は欝状態に落ち入ったのです。どうしようもありません。昼食を食べたあとの食卓の前で茫然としていました。何もできません。日曜日、信徒諸君の前で見栄をはっていたバチがあたったかなあ、などと、牧師からぬ反省をしていました。
 どうにも身の処しようがなかったのですが、やっと昨日買って帰ったばかりの本を開いてみました。リック・ウォレンの「回復への道」は、今の私へのぴったりの題名ですけれど、中の文章が少々くどいので、頁を閉じました。(天下のウォレン先生、ご免なさい)。
 2冊目のヘンリ・ナウエンの「嘆きは踊りに変わる」、これはよい。良いと思ったけれど、やや深すぎるのです。明日か、明後日になって、じっくり読みたい。
 3冊目は、大川従道先生の「イエス様の消しゴム」です。「ヒヤー、ハレルヤ。これにしよう」と、さっそく頁を開いて読みはじめたのです。
 まず、ドカーンとお得意のジョークです。アハハハハーと笑って読み始める。でも、第一頁から順序よく読めないのです。この日の私の精神状態のせいです、パラパラとめくって、ところどころを読む。そして、
 フト、目にはいったのが、赤瀬川原平の「老人力」という個所。「老人はモノワスレがひどい」、とある。然り、その通り。目下の私が「モノワスレひどい症」である。そこで、親近感に誘われる。そして読み進むと「無能力」という言葉が出たのです。
 「ウヘッ」、今現在、私はその「無能力」感で苦しんでいるんじゃないか。ぐっと、当て身をくらった感じで先を読みます。すると、「無能力」が良いのだというのですね。これを「無能リキ」と読ませる。つまり「無能の力」です。
 ここあたり、まさに大川流で、言葉のアソビみたいだが、これが良いのです。赤瀬川原平の「老人力」ならぬ「無能力」を力説。このチカラの使い方を大川先生が教えてくれました。
             *
 私はその時、ずっと食卓の前でボーッと座っていたのですが、そこへ「無能力」という言葉がドンとやってきた。私はどうなったか。私はそのまま、無心祈祷に入れたのです。
 これは、私は慣れています。昨年6月、東京・秋川の赤坂家で朝の祈りをしているうち、いつの間にか無心の祈りに溶け込んで、知らぬ内に1時間過ごしてしまった経験がある。この世界に入るには「無能力」状態はまさに最適、そのままである。その無心の祈祷の世界に入って行った。
 こうして、更にいろいろと「無能の力」を使ってみようと思った。やがて、分かった。「神様にまったく委ねる」などということ、大変むつかしいことのようだが、肩の力を脱いで、神様に「お任せ」すればよい。無能力の応用である。
 「委ねる」こと、これも簡単。だれでも出来そうだ。いやー、分かりました。先日、私はある人のため、祈った。翌朝、目が開いて見えだしたと喜びの電話があった。私はその方の目が見えなかったことなど、何も知らずに、ただ何かの病気で明日手術というだけの情報を聞いてベッドサイドに行ってさしあげただけなのである。
 なるほど、あの祈ったとき、私はなにも考えなかった。無力のまま、普通に祈っただけだったのだが、しかるに神様は不思議なことをなさる。その方の目が見え出したというのである。
 万事、これだな。「無能力」だからこそ、神様を信仰できるのです。もちろん、瞑想もしかり、「無能力」そのもの。無心祈祷である。賛美も、伝道も、会話も、カウンセリングも、仕事も、すべて「無能力」で行こう。
 「えっ? お仕事も? 仕事のやりかたが分からない時、どうするの?」「当然、私は無能力なんだから、頑張らないよ。すぐ、同僚にでも聞くのさ。すぐそばの女の子にだって。課長さんにだって、遠慮無く聞けるよ。無能力を自負している奴には誰だって、さっさと教えてくれるさ、ホンマ」。
             *
 大川先生の本を読んでいたら、以上のような場面が想像できて面白くて仕方なかった。そして気がついた。あのイヤな欝状態が私から去っていた。そして、一夜を過ごして翌日の木曜日の午前は、祈祷会、私は以上の経験を信徒諸君に語ったことである。みんなは興味を持った。
 「先生、先生はどんな時、欝なんですか」。
 「さあね。1年に3回ぐらい来るね」。
 「先生、そんな風に見えませんよ」。
 「本格的欝じゃないんでしょうね。しかし、私は若いとき、
 ひどい吃音だったし、また脅迫観念がひどかった。だから、
 ある程度、共感出来るのです」。
 これは、牧師としてはありがたいことなのです。欝の人が来た時、すこしは話相手になれるんです。まったく経験がないんじゃ、話相手できませんからね。
 ともかく、「無能力」の大事なお話を大川先生に教えていただいて本当に感謝でした。
             *
 最後に大事な聖書のお言葉を学びましょう。まず、マタイによる福音書第18章3、4節です。
「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。この幼な子のように自分を低くする者が、天国ではいちばん偉いのである」。
 幼な子はおとなの前で無力です。特に父の前では。しかし父の前で、彼は自分を無邪気に小さいものと認めつつ、楽しげです。そして強い威厳のある、そして自分を愛してくれる父の前で、彼は自信満々です。それが天地の主、父なる神の前における私たちであります。
 次の大事なお言葉は、第一コリント第2章3節です。ここを拝読すると、あの勇気満々たる英雄的使徒に見えるパウロ先生も時には気が「弱く、恐れ、不安であった」ということがわかります。まことに意外ですが、こういう言葉を正直に残して下さっていることに、いつも弱さを覚えている私たちは慰めを受けます。
 第3番目は、第二コリント第12章9、10節です。肉のトゲを与えられて、3度もこれを取り去りたまえと祈るパウロに対して主のお言葉はあまりに無情に見えます。「わが恵み汝に足れり。わが力は弱きうちに全うせらるればなり」と。しかし、パウロは告白します。「さればキリストの力の我を覆わんがために、むしろ大いに喜びて我が弱きを誇らん」。(いずれも懐かしい文語訳の文体を真似て綴ってみました。)
 あの幼な子のように、力あるお父さんの前で、無能の力をさらけだして、大いに喜ぶのですね。
 私は、昨日もちょっと弱っていました。ある介護施設に一泊のショートステイを委ねている妻を訪ねての帰りでした。車の中で私は天と地を造りたまいし父なる神に叫び声を上げて喜びました。
 「天のお父さま、あなたは偉大です。絶大な権威をお持ちです。私を豊かな愛で抱きしめて下さいます。私は嬉しいです。愉快です。元気です。あなたのふところに抱かれた安心、自信満々、何も怖くない。アーメンです。ハレルヤ、バンザイです。神様、全身を込めて感謝します」。
 私は絶叫しました。私は無能な男だからこそ、斯くも喜んでおれるのです。「ワッハッハハ、ワッハッハハ」。ひとしきり呵々大笑して家に帰ったのでした。《く》

〔あとがき〕
本文中、私の買った本は、いずれもご推薦もの。(1)リック・ウォレン著「回復への道」パーパス・ドリブン・ジャパン発行、1600円+税、(2)ヘンリ・ナウエン著「嘆きは踊りに変わる」(有)あめんどう発行、1700円+税、(3)大川従道著「イエス様の消しゴム」いのちのことば社発行、1000円+税。
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by hioka-wahaha | 2007-01-23 14:23 | 日岡だより
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