No.258 昭和十五年戦争 2006.12.10

昭和十五年戦争

 昭和十五年戦争、これは私の命名だが、昭和6年の満州事変から始まって、昭和20年の敗戦に至るまでの15年間の長い戦争です。
 私の年齢で言えば、9歳から23歳までですから、少年期から青年期までを戦争の時代で過ごしたわけです。私が非戦主義者として、今もってこだわり続けるのも無理はない私の成育暦だと言えましょうか。
 先日の12月8日は真珠湾攻撃の日でした。例年の事ですが、今年も新聞は各紙とも、このことに触れません。いや、産経だけが上坂冬子さんのエッセーを載せていましたよ。上坂さんはあの時の国民の気分を正直に、よく書いてくれてました。
 あの日の朝、ラジオで臨時ニュースの音楽のあと、「西太平洋において米英両軍と戦闘状態に入れり」というアナウンスを聞いて上坂さんのご両親、40歳のお父さんと34歳のお母さんが、なんとも言えない表情で顔を見合わせたというのです。つかみどころのない逡巡の表情だったとありました。
 私はと言えば、私の店に来ていた若い店員さんが、「義人さん、ラジオを聞いた? アメリカと戦争が始まったですよ」と言います。私はどう受けとめてよいか分からず、返事に窮しました。上坂さんのご両親に似ています。
 私はすでに非戦主義の思想を持っていましたが、まだ明確ではありません。そんな私に、勝ちまくっていた中国戦線や南方戦線と違って、大国アメリカやイギリスを相手の戦争というものは想像ができません。
 そんな大それたことを始めてよいものかと戸惑ったものです。ところがそこへ、真珠湾大勝の詳報です。日本中沸き返りましたね。
           *
 さて、あの戦争を太平洋戦争と呼ぶのは、私は反対なんです。日本式に大東亜戦争と言うべきでしょう。アメリカにしてみれば、なるほど戦場は始めから終わりまで太平洋でしたから。そして苦戦したとは言え、大勝を果たした「太平洋」でしたから。
 しかし、日本は違います。当初は居留民の安全や財産を護るための派兵でした。だから正式の戦争ではない、事変と称したのです。しかし、支那大陸に欲望の目を光らせた後味の悪い戦争でもありました。後ろめたい戦争でしたね。
 それが後に「東洋永遠の平和のためだ」などと言い出しました。(当時の軍歌「露営の歌」の一句、「東洋平和のためならば、なんで命が惜しかろう」という歌がはやったほどです)。
 これは戦争正当化のための詭弁であると言ってもよいですが、時たま、本気でそれを考え、唱導する純粋派もいたわけです。これは明治維新の頃の愛国志士たちの遺伝だったと思います。
 明治維新の原動力は勤皇派の皇国主義もありましょうが、もう一つは阿片戦争による西洋国家の東洋侵略の野望恐怖です。日本だけは日清、日露の戦争に勝って、「カッタ、カッタ」と喜んでいるが、すでに南方諸国はすべて白人国家の植民地になっている。日本もいつ、その餌食になるか分かりません。
 ところで、その日本が彼らの後塵を拝して、明治、大正、昭和になると、朝鮮、台湾、樺太、南洋諸島等、満州国を配下におさめてしまう。この異様なアジアの様相、ここから特有の哲学が生まれる。
 「アジヤは一つである!」と。そして、日本はアジアに盟主になろうという野望が生まれる。これにまつわる国家指導方針が生まれ、戦略思想も生まれます。アジアから白人国家を追い出し、アジア人のアジア人による東洋国家群を作ろうというテーゼが出来てきます。
 昭和18年に東條内閣が主導して大東亜会議を開きました。アジア諸国の政治的指導者たちが一つにまとまって結集した最初の機会でした。これは20世紀の世界史的大事件ではなかったか、と渡部昇一センセイは言うのです、まさに然らん。
 この時の宣言どおり、戦後のアジアからは植民地は一掃され、すべての国が独立します。偉業(?)であったというほかはありません。(未完)《く》


【証し】イエス様の奇蹟に感涙
                  榊 原 清 孝

 昨日の午後、右足の付け根の痛みにおびえながら、塾の階段を上っていました。
 数年前から、時々襲ってくるズキッとする痛みに悩まされるようになっていました。それがこのところ痛みの間隔がだんだん短くなってきて、最近では腰の痛みも絶えないで、苦しんでいました。こんな調子でしたから、好きだった山歩きも今年は辛うじてひとつ登ったぐらいでした。
 あまり辛いので2階への階段を上りながら、左足の付け根に手を当てて縋るように祈りました。「イエス様!」と。
 その時、私の押し当てている手のひらといっしょにイエス様が御みずから手を当てて下さっている! そして強く「私は癒す!」断言して下さった感じが致しました。即座に痛みが癒されました。あと数段を上りましたが、痛みはまったくありませんでした。
 その日、教室を歩くときも、何度か階段を下りる時も、痛みは起こりませんでした。なにか骨のズレや変形が一瞬に矯正されたように感じられました。
 私が手を当てて主に祈ったというより、イエス様がすぐ脇に来られて、自ら直接手を当てて「私は癒す!」と断言して下さったという感じ、というより、その時はもっとリアルなイメージが襲ってきました。
 一夜明け今朝、6時過ぎに起きて取るものも取りあえず、八面山へ車で出発しました。山の上で思いっきり祈りたかったのです。朝焼けの山上でイエス様にお礼が言いたかったのです。まだ薄暗くて夜明け前でしたが、ふもとにつく頃には空がしらみはじめてきました。
 いちばん上の車の行き止まりのところまで行って、そこからお鉢回りと呼ばれている頂上を経由する一時間ほどかかる周回コースを歩きだしました。けっこう上り下りがあって何箇所か木の段々もあるのですが、一回も右足の付け根は痛くなりませんでした。
 歩きながら有り難くてもったいなくて何度も感涙にむせびました。今朝は特に冷え込みが今冬一番で、何箇所も霜柱の立った箇所がありましたが、足をしっかり踏みしめて歩くことができました。
 30分程して頂上に着いて空を見上げて、また遠方に連なる山並みを眺めつつ祈りをささげました。雲間に小さな虹が現れていました。ふと同行二人という言葉が浮かびました。
 たったひとりでもさびしくない、というよりひとりのほうがいい、イエス様とふたりっきりのほうがいい。愛する人と出来るだけたくさん思い出を作りたいように、イエス様と私だけの思い出をいっぱい、いっぱいつくっていきたい、と思ったことです。
 そしてこの世を去るときは、その思い出の数々を反芻しつつ大安心をもって御もとに帰っていきたいと思いました。
 今日は私の56回目の誕生日でした。主は私にほんとうにすばらしいプレゼントをして下さいました。ハレルヤ! 大感謝! (2006.12.3.Sunday)

〔図書紹介〕
 徐起源先生の三部作をご紹介します。もっとも、この後も引き続き著書が出されるかも知れませんが。第一作は「あなたは神の義をいただいていることをご存じですか?」(1365円)というのです。この「ご存じですか」、という最後の句は印象的です。これは多くのクリスチャンが、この大事なことを知っていないぞ、ということです。神様に義とされているという、この絶対の信仰を持つことが、第二、第三の「ご存じですか?」の質問に答え得る基礎です。また、すべての善きことの基盤です。▼第二は「あなたは信仰の使い方をご存じですか?(上)」(1365円)ですが、折角の信仰を神様から頂きながら、無力で落ち込みやすいクリスチャン、そういう人たちに力強く信仰を活かして生きる秘訣を明かします。活きて働く信仰のABCDほか、信仰の正しい用い方等。尚、徐先生は中国の人民大会堂で中国の祝福を祈ったという。私たちも国会議事堂に行って祖国日本の聖別、祝福のため祈りましょう。▼第三は「あなたは信仰の使い方をご存じですか?(下)」(1260円)です。先生の実話、先生の車にガソリン残量の赤ランプがつきました。高速道路上であいにくスタンドが見つからない。このままでは駄目だ。信仰を使わなくてはいけない。そう思った時、神様から信仰の賜物がくだってきた。そこで「イエスの名によって命じる。ガソリンよ、増えよ」と命令したそうです。スーッと赤ランプが消えて、満タンの4分の1まで増えたという。こういう信仰がほしいですね。さっそくお読みください。(発行所はいずれも 恵那レーマミニストリー)《く》
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by hioka-wahaha | 2006-12-12 15:41 | 日岡だより
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