No.252 まず、祈るべきです 2006.10.29

まず、祈るべきです

 クリスチャンのまずなすべき仕事は、だれの場合であっても、祈ることです。単純、明快です。
 ところが、ただ祈るだけでは足りないのではないかとわたしたちは思ってしまいます。
 神のためになにか大切なことをしたい。神にとって大切な人間になりたい。
 なにかを建設したい。人々を動員したい。わたしの力を示したい。影響力を行使したい……。
 そういったことに比べると、祈りはいかにも小さいことに思われるのです。ほとんど目につかない、小さいことに思われてしまいます。
          *
 以上は先週の本紙の最後の頁でちょっと紹介したオズワルド・チェンバーズ師の「『祈りの時』を変える黙想」という本の「はじめに」の冒頭の一節です。私は読みやすくするために幾つにも行替えしましたが、本当は一段落です。
 本の原題は「祈り、聖なる仕事」と訳せます。この「仕事」という言葉の元の英語は ”Occupation” でして、”Work” などという言葉より意味が深いのです。辞典をひくと、「収入を考えないで独りで身を入れてやる仕事」という意味であると説明をしています。
 この本を最初A姉から借りて開いた時、まずこの初めの一区切りの文章が私の目を射たのです。私の鼓動が止まった感じでした。
 そのまま、持って帰って一夜読みふけりましたと言いたいところですが、いいえ、そうではない。読めないのです。それがこの本の特長でしょうね。
 一行読んでは、黙想に引き込まれ、ついに本を手元においたまま、黙祷にひきずりこまれて時間のたつのを忘れてしまうのです。
 驚くべき吸引力を持った本だと思います。《く》


奇蹟の時が来る

 奇蹟の時が来る。
 すでに、もう来ています。
 信じる者に来ます。
 祈る者に来ます。
 心を合わせて祈る者たちに来ます!

 奇蹟は神から来る。
 聖霊によって来る。
 集会の賛美の中に来る。
 待ち望む者たちの上に来る。

 奇蹟は日々に起こる。
 奇蹟の時が来ます。

  *手島先生の「人生の評価」を思い出す。
   あのお言葉は、私に最大の思想を呼び起こしてくれた。
               (日岡だより246号)
   「人の短い一生で為し終えぬ仕事は山ほどある。
   人は何をしたかでなくて、何をしようとしたか、
   それを評価しよう」と。
   こんな思想を、私はかつて聞いた事がない。
   私の生涯における、一大開眼だった。

 今の夢が、将来の奇蹟をもたらします。
 今の信仰が、未来の奇蹟をもたらす。
  たとえ今、花も咲かず、実も実らなくても、
  たとえ永遠の彼方においてでも、
  大きい奇蹟を見せてくれる時が来ます!
 天国こそ、最高の奇蹟が起こるところ。
 天国でこそ、奇蹟は永遠に無限に起こり続ける。

 奇蹟は来る。
 信じる者に来る。
 祈る者に来る。

 奇蹟は神から来る。
 聖霊によって来る。
 待ち望む者たちの上に来る。ハレルヤ!
  (先週の主日礼拝のメッセージ原稿より 《く》)


対話力の必要性

 先週、本紙で執り成しの祈りについて書きましたが、国家の間でも、個々人の間でも原則は同じです。執り成しの祈りによって「無私の心と愛の心」を培ってください。
 そうすると、完全な平和主義によって隣りの人や隣の国と交わって行くことができるはずです。簡単なことではないでしょうが。しかし、不可能ではないと思うのです。
 このことに気づいたのは、S姉が創価学会の「聖教新聞」を持って来てくれたからです。多分、S姉と仲のよい創価学会の信者さんが持ってきてくれたのでしょうね。
 私はたとえ、他宗派の読み物でも好き嫌いはしません。学べるものは何からでも学びます。特に今回は、この「聖教新聞」からは大事なことを学んだと思えてなりません。
 実は、池田大作氏の文章に接したからです。多分、池田さんは私よりは若い人ですが、私が驚嘆するのは、教団を戸田前会長から継承し、これを強化、拡大、してきた指導力もさることながら、さらに各界の一流名士がたと対話する、その力です。
 トインビーを初め、世界の一流人物と対等に話し合っている、その様子には、目もさめる思いがします。絢爛たるものです。(こうしたことは、創価学会には金はあるだろうから、金をばらまいて、人を集めてくるんだよと、やっかむ人もありましょうが、金だけではこうは行かないでしょうね)。
 聖教新聞を読んだだけでの感想ですので、当を得ているかどうか心配ですが、私の感じたことの第一は、池田さんの第一の特質はあの対話力だろうということです。そのコツは氏の言われる「小異を残して大同につく」という一言に尽きるように思います。
 世上、「小異を捨てて大同につく」という言葉はよく聞きます。しかし、「小異を残して……」とは、これは池田流の名言です。
 「小異」は、そのまま残しておいて、一致するところを俎上に乗せて、歓談を心行くまで広げて行く。これが、対者の好感と共感を呼ぶ秘訣でありましょう。
 「この対話の旋風を世界に広げてください」とトインビーが言ったそうですが、宣べなる哉です。
 実はこの事から多くの教訓を学んだのは、先々号に書いた非戦平和主義の実践には、この対話力が必要だと思っていたからです。もちろん、テクニックとしての対話ではない。
 真摯で謙遜で熱意ある対話の精神である。キリストの愛のスピリットに裏打ちされた対話精神を世界平和の理想に向かって活かそうではありませんか。《く》


オープン ハート !

 最近は、家を売りに出す場合、「オープンハウス」という言葉を使うようですね。真似をして、今日の当教会の礼拝を伝道集会にしたいと思いましたから、宣伝チラシには「オープンチャーチ」と大きい字で書いたのです。気の早い人は「えっ、あの教会、売りに出すんかい」と誤解したかもしれません。
 もちろん、売りに出すんじゃありません。みなさんに遠慮なくお出でくださいということですね。なんたって教会はやはり多くの人にとって敷居が高いようですから。教会に行くと、牧師さんが厳しい顔をして「悔い改めなさい」と言うんじゃないかと心配なさるんでしょうか。
 「悔い改め」という言葉は、実は原語では「考え方を変える」という意味です。泣いて、過去の罪を告白して、真人間になります、と誓う。そういうことではないのです。
 イエス様は「あなたがたは悔い改めて、福音を信ぜよ」と言いました。これを言い替えますと、「あなたの人生に対する考えを変えて、福音、つまりイエス様の喜びの言葉を聞いて、その言葉を何度もあなたの心に叩き込みなさい」ということです。そうすると、あなたの考え方が変わり、あなたの人生の行動が変わって、あなたの幸福な人生が始まるのです。
 まず、この喜びの言葉を聞くこと、これは、つまりあなたの心を開くことですから、これをオープンハートと言ってみたのです。今日はあなたにとってオープンハートの日となりますように。《く》

〔あとがき〕
創価学会の悪い評判も聞きますが、気にせずに3頁以下を書きました。よい事は誰からでも学びたいです。チョーヨンギ先生は創価学会から「区域集会」の形を学んだのです。学ぶべきものは何でも学びましょう。▼北海道の聖会では金粉が降ったという。私たちも期待! 《く》
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by hioka-wahaha | 2006-10-31 17:38 | 日岡だより
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