No.250 平和への道は敵を愛すること 2006.10.15

平和への道は敵を愛すること

 昨日の朝、松栄山に車で行った。松栄山と言っても、実は大分県の護国神社のあるところである。護国神社に行ったと言っても良いわけだが、私は護国神社に参拝したかったのではなく、ただ境内の端にある展望台に行くことにしたのである。
 ここは、昭和41年に大分で国体があった時、昭和天皇ご夫妻もお出で下さって、大分市と別府湾の景観をご覧になって頂いた所。まあ、お目当ての出来たばかりの新日鉄の工場が真向うにあったわけだ。たしかに世界一の製鉄工場であるから、お見せする価値はあったのだろう。この展望の端っこに我が教会も、望遠鏡なら見えるかも知れない。
 さて、早天祈祷会を終わって、急に行きたくなって、ここまで来たのだったが、来てみてよかった。この広い境内の一角、その展望台にはいる脇に、小さな案内板がある。読むと、西南戦争戦没者墓地とある。入って見ると、10センチほど角の石の棒を立てただけというような、哀れな墓の林立、数えてみると200基ほどある。
 西南戦争というと明治10年、西郷隆盛を大将に推したてて当時の不平分子が反政府の反乱を起こした、戦争と言うのも大げさな国内戦争である。熊本から大分県内になだれ込み、宮崎県のほうに崩れてゆく西郷軍を追って行った政府軍の戦死者たちの墓である。西郷軍も逃げながら、よく戦ったものだ。
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 さて、この墓地の向かいに満蒙開拓青少年義勇団の慰霊碑というのがあった。文字が痛んでいるので、目をこすって見ると、昭和13年から終戦後までの犠牲者たちの名前である。大分県の各地から応募した青少年たちが、大陸の当時の満州と称した中国東北地方ならびに蒙古地方に派遣されて農業や牧畜の開拓に従った、その若者たちの祈念碑なのであろう。
 当時の情勢では、時に中国軍やソ連軍や、現地の人たちの嫌がらせ襲撃にさらされることがあったであろう。そういう場に居れば銃を持って戦わねばならない。そうした応戦の中で死んで行った人たちの霊を祀る慰霊碑なのである。石の表面に彫られた氏名をなぞると50数名、女性の名前すらある。私は思わず涙を流した。
 この碑の隣には忠魂碑という大きくて高いコンクリートの塔もあった。忠魂碑と言えば、もっと大きな忠魂碑が戦前には春日浦の春日神社の前の広場にあった。今は平和台と名を変えているのであろうか。宮崎の八紘台(はっこうだい)も同じような扱いを受けている。
 日清戦争か、戌辰戦争か知らないが、それ以後の大東亜戦争、アメリカ流で言えば太平洋戦争までの戦死者を称える塔とでも言うか、高くそそりたっている大きな塔である。戦争を賛美、肯定する人たちも、戦争を厭い、否定する人たちも、それぞれの感慨をもって見上げることであろう。
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 さて、ここで戦争のことについて考えてみたい。戦争はなぜ起こるのか。聖書によれば、「それはほかではない。あなたがたの肢体の中で相戦う欲情からではないか」(ヤコブの手紙4:1)と言っている。個人の間でおこる争いも、国家間でおこる戦争も同じことである。
 個人の間の争いは国家の法律がこれを裁くし、また殺人のごとき犯罪は、これを禁止する。ところで国家間の争いに対しては国際連合のように、干渉、調停、裁定しようとする機関が無いわけではないが、最後的に戦争にでもなると、その機能はなかなか発揮できない。最近の北朝鮮ごとき核挑発の段階でも国際連合はじめ、各国とも頭を痛める。
 ところで、ご承知のように私は絶対非戦論者、また絶対平和主義者である。こういう私に対して、多くの賢い人々がせせら笑うであろう。あるいは顔をしかめて疑問を呈する。「もし敵国が軍隊をもって攻めこんで来たらどうするのですか。ただ、呆然となって殺されるだけですか」。
 戦前のアメリカ映画に、こんな映画があった。主演は当時の人気男優、ゲーリー・クーパーである。懐かしい人も多いでしょう。彼が扮するのは非戦主義を標榜するクェーカー教徒、彼の住む周辺が敵軍に囲まれても、彼はあくまでも非戦主義を通した。
 しかし、彼の家族が敵軍に襲われる、その知らせを受けると彼は決然とライフルを手にして、家族救出のため前線に立って行く。要するに、いざという時、生易しい平和論では現実の事態には通用しないということである。
 これは「友情ある説得」という題で、日本では戦後に封切りされた。私も大分の映画館で見たが、これはなるほど戦時中のアメリカ政府の戦意昂揚映画の一つだな、と思った。アメリカにはクェーカーを初め、先日も新聞の話題になったアーミッシュ等、平和原理主義的教派の主張も強いので、これをねじ伏せたいアメリカ政府の意向に添った映画作品であっただろう。日本ではもっと、もっと多くのそういう映画が作られたものだ。
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 先日、ふと古い新聞のスクラップを見ていたら、10年ほど前のものだっただろうか、「キリスト新聞」の社説欄に、「降服論」という主張が載っていた。平和主義を達成しようとすれば「降服論」に徹せよという意見のようだった。なんと乱暴な意見だな、と思ったが、よく考えるとこれしかないわけだ。最初から、「降服主義」に徹して居れば、問題は簡単に解決すると、私には分かって来たのである。
 この論議を実際に敵国が攻めこんできた時点で始めると、問題は深刻で、大きい勇気を必要とする。しかし、まだ、相手の国が敵国にはなっていない、交渉段階の隣国である場合、「降服」も覚悟の上で交渉に臨めば、相当不満な、残念な、もっと有利な結果が他にあるかもしれないと言う段階ではあっても、ともかく戦争はしなくてもすむし、爆弾や原爆も落ちて来ない、家も焼けない。工場も残る。もちろん、人は一人も死なない、そういう結果になる。
 戦後もすがすがしい政治姿勢で世人の賛嘆をあびた石橋湛山氏が戦前に、こんなことを言っている。「今、『満州は日本の生命線だ、支那に出兵せよ』などという勇ましい意見もあるが、なあに、支那やソ連と交渉して、満州や朝鮮も台湾も独立国になれるようお世話して、これらの国と友好関係を結んだら良いのだ、日本列島上に今の軍艦や戦争道具の製造費用をまわして生産工場を造れば、一億人程度の日本人は優に養えますよ」。
 事実、日本は戦争に負けて、莫大の金も資産も失い、植民地の台湾、朝鮮も失って丸腰になってしまったが、戦後たちまちに現在のような世界の第二の経済大国になったではないか。石橋湛山先生の言ったとおりになっている。初めから、戦争をしなかったら、もっと立派な国になっていたことでしょう。
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 人間も国家も同じです。喧嘩や、戦争になる前に、お互いに平和な間柄になる工夫をしましょう。それも容易な道でないことは確かですが、それは経済や、政治的交渉のレベルを越えて、道徳的な宗教的な努力が必要なのです。
 聖書は言います。「わたし(キリスト)はあなたがたに言う。敵を愛し、迫害するもののために祈れ。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らしてくださるからである」(マタイ5:44、45)。こうして、私たちは「天の父が完全であられるように、私たちも完全な者になる」(マタイ5:48参考)ことができるのです。
 これを私は「敵を愛する、これこそ平和への道」と言い替えているのです。
 戦争になる前の段階で、どんな分からず屋の相手でも、平和の道を捜すのです。これが本当の平和主義、具体的平和主義です。
 空理空論ではありません。その前提は、単なる我慢や妥協的術策ではなく、キリストにある愛と信仰です。この信念を以って解決の道を捜すのです。必ず出来ます。《く》
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by hioka-wahaha | 2006-10-17 11:46 | 日岡だより
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