No.248 本当の楽天思考 2006.10.1

本当の楽天思考

 前世紀に、アメリカあたりから発生したらしい楽天的な大衆的実践心理学というものがある。
 こう書くと何だか難しく感じるが、つまり「成功の秘訣」などというたぐいの思想である。その後、広く大衆に知られて来たのがジョセフ・マーフィーの「眠りながら成功する」などの一連の本であろう。
 こうした考えかたの発端はエマーソン(1803~82)だったかもしれない。「あなたがいつも考えていること、それがあなただ」という有名な命題である。
 いつも何かを習慣的に考えていること、それがあなたを形成する、ということだが、そこからおびただしい近代のポップス心理学が登場する。
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 生長の家の創始者・谷口雅春氏は前半生、極度に敬虔主義的な禁欲的な厳粛主義者であったらしい。その自叙伝を読むと分かる。
 氏が郷里の神戸市の古本屋でふと「心の創造活動の法則」という英文の本を見つけた。ホームズという人の書いた本であった。これが現代きっての民衆宗教「生長の家」が生み出された端著である。
 ホームズは個性的な神を信じないで、「神とは趙個性的な創造の法則である」と言う。これは最近船井幸雄氏などがしばしば取り上げる、筑波大学の村上和雄教授が創唱する「サムシング・グレート」ということと全く同じである。
 キリスト教は違う。聖書の神は「グレート・ワン」である。最高に個性的な、絶頂的な人間性を持った方、その方が人間の目にも見える形で地上に表れて下さった、それがイエス様である。
 さて、ホームズの「心の創造活動の法則」では、こう書いてあったと谷口氏は言う。「善人にせよ、悪人にせよ、自己の不幸を心に描いて、それを心から離すことの出来ないものは不幸に陥らずにはいられない。その不幸は自分の心が呼ぶのである。宇宙の法則は心の呼ぶところのものを造り出してくれるのである」と。これが現今、書店に行ってみると山ほどある「成功の法則」「万事うまく行く考え方」等々の源流である。
 戦後すぐ出たがブリストルの「信念の魔術」、牧師の書いた本ではノーマン・ヴィンセント・ピールの「積極的考え方の力」、その類書はダイヤモンド社あたりから次々に出た。
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 異色で一部のカウンセラーなどに非常な影響を与えたのが、マクスウェル・マルツの「自我像・セルフイメージ」の説であろう。この本は東京オリンピック以降の日本のスポーツ界を席巻するイメージ・トレーニングの流行を生んだと思われる。
 20年ほど前、伊豆半島の天城山荘で韓国のチョウ・ヨンギ先生が「三拍子の福音」と称して語ったのも、この流れであったし、これが日本の教職者に異常な影響を与えたことはたしかである。
 最近もチョウ・ヨンギ先生の教職者むけ「牧会セミナー」のビデオを大川先生から頂いて見たばかりなのだが、やはり私は圧倒された。同じことを語っても、チョウ先生はその熱度が違う。お顔を見れば、相当お年もとられたなあとの感慨は拭えなかったが。
 先生はこの「牧会セミナー」の最後で、「先生がた、希望を語りなさい。希望を語りなさい」と力説された。真の希望は楽天思考を生み出します。
 佐藤富雄という不思議な先生がいる。クリスチャンではない。理学博士で農学博士、もう一つアメリカのヘンな名前の博士号をお持ちだったと思うが忘れました。この方の書いた本に「口ぐせが人をつくる」などという大衆的なものまである。
 この方の注目してよい本に「積極人間は早死にする」というのがある。積極思考の先生がたは、なんと答えるでしょう。説明は省略するが、単なるセッカチ、シンケン型の積極思考では、息切れがして早死にするというのでしょうか。そこで先生は「楽天思考」を推奨するのです。
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 私は最大の楽天思考家を聖書から伺いたいと思います。第一はモーセです。彼は異国エジプトの地で、奴隷階級として呻吟しているヘブル人の子どもとして生まれたが、幸運にも王女の養子として拾われる。しかし、シンケンで真面目無比の青年として育った彼は、同胞をかばってエジプト人を殺してしまう。
 それが王の耳にはいって彼は国外に逃亡する。彼の人生は絶望であった。その彼が唯一の「我は有りて有る者なり」と宣言される神に会う。そして、一旦逃亡したエジプトに帰還する。ここから、
 いわゆる、映画「十戒」でおなじみの物語が展開するが、如何なる時にも彼は絶望しない。神が守って下さるからであるが、その人生の最後、死海の東岸、ネボ山のピスガの頂上に立つ。申命記の最後の個所である。神様は彼に、彼が率いた60万の民の導かれ行くべき希望の土地、カナンを遠望させる。神は言われる。
 「モーセよ、これがあなたの民が行こうとする私の誓いの土地である。あなたはこれをあなたの目には見るが、そこへ行くことはできない」。そしてモーセは死にます。
 モーセは死ぬ時、目もかすまず、気力は衰えていなかったというのに、神様は彼に死を与えました。何故でしょう。その理由は私には分かりません。ただ分かるのはモーセは民の行くべき土地を遠望しつつ希望を持って死んで行く事が出来た。彼は万事につけ善をなしたもう神様を信じていましたから。
 ここで言いたいのです。モーセはただ単に死ぬのではありません。天に帰るのです。天からヘブルの民のカナン突入を見ることができるのです。だからこそ、彼は「天を楽しむ」ことが出来ます。つまり、本当の楽天思考とは、死地に臨んでも「天を楽しむ」ことの出来る希望の思考の力です。
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 この夏、私どもの教会を訪ねてくれた八王子の松原さんからメールが入りました。前号の本紙「老人の祝福」の記事を読まれての感想でした。
 明治の頃、札幌農学校を去って行く時クラーク博士が、別れを惜しむ学生たちに残した有名な言葉、「少年よ、大志を抱け」。この言葉を松原さんが、実際にクラーク博士が馬上から叫んだ言葉を調べ上げてみました。
 クラーク博士はこう言っているのだそうです。「Boys be ambitious!」、この最後に「like this old man」と、つけ加えているのだというのです。「この老いぼれと同じように大望を持ち続けるんだぞ」とクラークは言ったんだと、松原さんは書きたしています。
 「老人よ、大志を抱け」と言っても良いわけです。「老人よ、大いなる希望を抱け」というのです。
 モーセはピスガの峰から、カナンの土地を遠望しました。地中海も見えたと聖書にあります。その時、モーセはがっかりしませんでした。天から、カナンの地に同胞ヘブルの民が突入することを予見出来たからです。それが信仰というものです。
 信じるとは、まだ見ぬものを、あたかも現実のことのように見ることです。そして、そしてその将来の実現を楽しむのです。本当の楽天思考とはこの信仰の思考法のことです。「天を楽しむ」、これが楽天という言葉の語源だと断じたいですね。《く》

〔あとがき〕
今橋淳先生が先生の「回心録」を改訂、新装して贈ってくださいました。先生のコンバーションの確かさ、見事さ、凄さが分かります。そのコンバーションの際、たずさわった桜井先生も私には忘れられない信仰の先輩です。当時の手島先生のお弟子さんがた、桜井先生と言い、新保先生と言い、そばにいるだけでビリビリ来るような忘れがたい雰囲気があった。その感じを今橋先生が受け継いでいますし、その感動をこの改訂新装の書は与えてくれます。▼本文に書きましたが、大川先生から送っていただいたチョウ・ヨンギ先生の教職者むけ「牧会セミナー」のビデオ、信徒のかたもこれを視聴されると、大いに励まされますよ。また教えられる所、多大でしょう、どうぞご覧になってください。▼中川先生の「聖地からメッセージ」も、これ又ぜひご覧になってください。ユダヤ民族にたいする神様の執拗なほどの愛顧、世界の歴史に及ぼす絶対主権というか、そういう重い支配力に目を開かせてくれます。いずれも、図書室のほうに置いておきます。▼本紙245号に「目標を持とう」と書きましたが、本気で当教会の信徒数を10年で千人にさせて頂こうとすると、平均倍加率でどういう風に増えて行くかを計算して、その数字を祈祷会のメンバーに見てもらったことがあります。子どもじみた仕草だと笑わないでください。「なんじ、幼児のごとくならずば天国に入るるを得じ」、イエス様のお言葉です。《く》

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by hioka-wahaha | 2006-10-03 15:18 | 日岡だより
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