No.247 「降伏論」について 2006.9.24

「降伏論」について

 先週の本欄の最後に「降伏論」のことを書いたが、余程の平和主義者でもギョッとして息を飲んだかもしれない。たぶん、この釘宮牧師のフアンでも「そこまで言わなくても」と思ったかもしれない。しかし、私は本当にそのとおりに思っているのである。
 大東亜戦争が終わりに近づき、その末期、広島、長崎に原爆が落ちてから、やっと降伏するような、あんな下手なことをせよと言っているのではない。
 最初のハル・ノートが来て、「日本は中国から全面撤退せよ、朝鮮も樺太も台湾も放棄せよ」などとアメリカから無理難題。そこで日本は、堪忍袋の緒を切って、真珠湾攻撃に踏み切る、というような馬鹿な事はやめよというのである。
 あの時点で、「おや、おや、ルーズベルト大統領、そんな無茶なことを……」と、のこのこ外務大臣がワシントンに出て行って、向こうさんの言うとおりになったとしても、昭和20年8月15日の時点よりは気がきいている。国民の家も焼けず、工場も残り、金も残っている。ただ、無為に負けたということから起こる国民精神の衰退が困るのであるが。
 とは言え、軍事国家の威勢良さからくる国民精神の昂揚というような安易なことではなくて、真の道徳力と高度な文化に保持されて高貴な国民精神が培われているとき、どんな敵性国家や攻撃的民族の侵略にも負けることはない。……こんな例もある。
 内村鑑三がよく言った。「中国は外敵から侵略されて勝ったことがない。いつも負けてきた。しかし、最後には侵略してきたはずの敵民族のほうが消えてしまう。そして中国の民衆が残るのである」。
 例えば清国。清国を作ったのは満州人であるが、満州人の清国は日本に負け、辛亥革命によって滅びる。その時、既に満州人は中国人に同化され、みんな中国人になってしまっていたと言うのです。《く》


老人に祝福あれ

 「ちから」という福音雑誌がありますが、この10月号に「98歳の現役牧師」と題して、神戸の大嶋常治先生の記事が載っていました。私も「84歳の現役牧師」ですから、ちょっとお株を奪われた感じでしたが、すごい方もおられるものですね。
 そう言えば、20年ほど前、大阪方面での聖会で、この方の開会ご挨拶をお聞きしたことがあります。少しは存じあげていたわけです。そんなことを思い出しましたが、そのころの大嶋先生は既に78歳の老令だったわけですから、挨拶のご用に駆り出されるのは理解できます。
 私も先年、アメリカの9・11同時テロの時でしたが、大阪で持たれた大きな集会があって、開会祈祷を要請されたことがありました。これも年配から来る役目だったでしょうが、田舎牧師として名誉なことに思いました。
 先週の月曜は世間でも「敬老の日」でしたから、町内会からお祝いの紅白まんじゅうを頂いたことです。前日の日曜日には礼拝のあとで、教会の敬老会でした。私も老人の一人として招かれます。会場は大分川のほとりのホテル内の料亭でした。
 招く主催役の相良姉も老令の人ですから愉快です。会する者、8名ほどでしたか、例によって土岐兄が美声(?)を張り上げて「夕焼け小焼けの赤とんぼ」を歌い始めます。これがないと、当教会の敬老会らしくありません。
 私は求められて、一声、「開会説教」のようなものを語りましたが、威勢がありません。最初からお客様気分で、説教らしきものの用意がなかったからです。用意がないからと言っても一応の説教らしき説教ができなくては牧師としては落第です、呵々。
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 「老人」についての聖書の教えや言葉が幾つかあります。まず、レビ記19:32です。
「あなたは白髪の人の前では、起立しなければならない。また、老人を敬い、あなたの神を恐れなければならない。わたしは主である」。
 私は幸いに髪がまあまあ白いほうだからよいけれど、髪の黒い元気な老人は、少々きまりが悪いかな。いやいや、白髪であるにしても、この言葉のように神様と同列に並べて「敬いなさい」と聖書に書かれていては、ちょっと落ち着けませんね。もったいないです。
 「起立」という言葉は戦前の男子生徒は、天皇さんのことを思い出します。運動場で朝礼に整列している時、配属将校あたりが「賢くも……」と言い始めたら、これは天皇陛下にかかわる枕言葉と分かっているから、私たちは一斉にパッと体をととのえ、かかとをそろえて起立の姿勢をとる。かかとを合わせる時のカツッという音は今でも私たちの耳に残っています。
 次は、第一テモテ5:1です。これは老人の耳には痛いような、恥ずかしいような、照れるような言葉です。言わく、
 「老人をとがめてはいけない」。
 とは言え、いやあ、とがめたくなるような老人も案外、多いのです。先に引用した「老人を敬いなさい」という言葉にふさわしくない老人も少なくないということか。これは老人として自戒すべき言葉でしょうね。
 私は最近、母を思い出して申し訳無く思うことが多い。「親孝行したい時に親はなし」という諺もあるが、この意味がだんだん分かって来た。年を取ってみると、時代や周辺の習慣にそぐわない愚かな行為や発言をしたりする自分を発見する。こうした時、家族の者から注意されたり、たしなめられたりする。そんな時、「あっ、こういうことを自分も母に言ったな。そして笑ったな。あざけったつもりはなかったけれど、あの時、母は嫌な感じを持ったことだろうなあ」などと思うのです。
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 次にあげたい聖書の言葉はテトス2:3です。パウロがテトスに「このように老人に教えよ」という言葉ですが、老人に直接語る用語に変えて以下に記します。
 「老人は自ら制し、謹厳で、謹み深くし、また、信仰と愛と忍 耐において健全であるように勧めます」。
 こういう言葉は、老人たる者にとっては過大な要求にも思えますから、ちょっと身を引きたくなります。しかし、先に若い人々に「老人を敬え」と言った勧めの言葉に相対する、老人への良い勧めです。つまり、「老人よ、自信を持て」ということです。
 「自ら制せよ」という言葉を「自分に言い聞かせよ」と言い替えましょうか。自分に対し良い意味で「自尊心」を持てと言いたいのです。英語でセルフ・レスペクトですが、自敬心と訳しましょうか。若者が老人を尊敬するよう、老人も自分自身で自分を尊敬するのです。そして尊敬するに足る自分になろうと、決意しなさい。そして自分自身に「しっかりやろう」と言い聞かせなさい。
 「自分に言い聞かせよ」という勧めはよく金田福一先生から聞きました。金田先生はマルティン・ルターの本で発見したそうです。信仰を強め、困難な事態を乗り越えようとする時、「自分に言い聞かせる」のは非常に便利で有効な方法です。放蕩息子が本心に立ち返って父親のところに帰ろうと決心したあと、自分に言い聞かせているイエス様の喩えをお読みください(ルカ15:17以下)。クリスチャンが地上に生きる時、特に「み言葉を言い聞かせ、また言い聞かせ続ける」のは信仰生活の秘訣です。
 最後に、次のみ言葉を上げましょう。使徒行伝2:17です。
「神がこう仰せになる。終わりの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。……、老人たちは夢を見るであろう」。
 老人が夢を見るとは、けっして呆けてしまって、ボンヤリとした夢を見ているというのではありません。クリスチャンが年を取ったらどういう夢を見るか。
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 まだ若い人、まだまだ中年の方々に言います。「将来、すばらしい老人になるんだ」と自分に言い聞かせなさい。「すばらしい老人」の夢を持ちなさい。パウロは言います。「主にあって、その偉大な力によって強くなりなさい」。この言葉のように、あなたの肉体はたとえ弱ってきても、あなたの魂は「主の偉大な力によって強くなる」ことができます。このお言葉を自分に言い聞かせなさい。こうしたお言葉があなたに夢を与えます。
 聖書は言います。神様は「老人に夢を与える」と。このお約束をしっかり握りましょう。神様が下さる夢が老人を変えます。
 かつて大正・昭和に活躍した作家・思想家に倉田百三という人がいました。この人が言った。「もし、あなたの頭にピストルの玉が撃ち込まれたとする。あなたの脳は思考力も記憶力も無くなってしまう。その時、あなたの信仰はどこへ行くのか」。これは若い時の私に対する挑戦でした。
 私はこういう風に解決しました。神様が聖霊をもって私に与えた下さった信仰は単なる思考力や記憶力の所産ではない。聖霊による記憶は、私の表面意識ではないのはもちろん、いわゆる潜在意識でもなければ、深層意識でも無い。私は神層意識と造語したが、この神層意識に培われる信仰の意識ではないか。これが倉田に対する私の答えでありました。
 昨年来、私の妻、釘宮トミは脳梗塞で倒れました。だんだんと脳の生理的活動が衰えてきました。最近は言語活動も殆どだめです。ところが驚くべきことを発見しました。ある日、妻が熱心にビデオの画面を見ているのです。それは中川健一先生の「ハーベストタイム」の画面でした。特に「サラ」というアブラハムの妻の名が出たときにはすすり泣いていました。長い、長い時間を見続けています。理知的にどの程度分かっているのか、そこは疑問ですが、その他、特に大川従道先生のビデオ、私の説教等も、飽くこと無く見ています。私は泣かされます。
 昔、預言者たちは霊夢を見ました。現代でも私たちはヨセフのように神よりの霊夢を見る可能性が十分あります。教会の老人たちよ、そのユメ(!)を見ましょう。これは老人の特権かも知れません。愛するクリスチャンの老人たちに、またすべての将来老人になるはずの若いクリスチャン諸君にこのご祝福を送ります。《く》

〔あとがき〕
第一頁の「降伏論について」で、ちょっと触れたことに関連するが、9月19日の夕刊で「日本政府が北朝鮮に対する金融制裁を発動する」とあった。太平洋戦争はABCD(アメリカ、イギリス、中国、オランダ)包囲陣と称した対日経済封鎖を受けた日本が、負けて元々という「一か八か」の自棄っぱちな発想で真珠湾攻撃を始めて起こったのです。うっかりと金融制裁などを始めて、北朝鮮側の幼稚な対応で、日本が核攻撃を受けないとも限らない。日本政府、慎重であれよと言いたい▼ホンマに薄い小冊子「喜んで(笑って)祈る、祈りの実践」という16頁の冊子を作りました。お求めに応じて無料でお送りします。「笑えば必ず幸福になる」の続編のようなものです。▼キリスト教の本ではありませんが、総合法令出版社発行、野口嘉則著「鏡の法則」、良い本です。お奨めできます。本屋でお求めください。たくさん、店頭に出ていました。《く》
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by hioka-wahaha | 2006-09-26 12:46 | 日岡だより
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