No.244 真の平和は神より来る 2006.9.3

真の平和は神より来る

 日本の憲法は偽装憲法であると、本紙前号に書いたばかりであるが、次期自民党総裁つまり次期首相の呼び声高い安倍晋三氏が、その正式の候補出馬表明で、それを傍証してくれた。
 つまり、その表明の中で「新憲法制定に全力、自衛軍明記など想定」(大分合同新聞見出し)などと言っているそうだ。その意図は、「21世紀の日本にふさわしい新憲法を作りたい」と言うことです。今までのあやふやな偽装憲法を止めて、すっきりした軍備志向憲法を作ろうではないかと言うことです。
 この安倍さんの考えを全面的に本気で賛成という人はさして多くはあるまいが、「国家のことだもの、理想論では、実際問題としては国を守れまい。仕方ないさ。しかし、軍需景気が又やって来るかな」などと、思う人は多いでしょう。
 平和論を人の心の問題として語る間は、だれも一応納得します。それでさえも厳密論で責めたてられると、不満顔で異議を唱える人は多いのです。例えば、「右の頬を打たれたなら、左の頬を向けてやれ」、などというイエス様のお言葉など、それは理想論だよ、実際出来たとしても、心の中では腹を立てているよ、それでは偽善じゃないか」という反論です。
 人間の道徳観は、その作る集団が大きくなれば大きくなるほど、水準が低くなって行きます。全体の安全と利益を守るためには、全体で手を組んで一致して外敵と戦わねばなりません。それは人類の有史以前よりの彼らの生存法則だっただろうと思います。それを乗り越えた人は、かつて歴史上いないのではないでしょうか。
 イエス様でさえも、厳密な平和主義を個人の戒めとしてはお語りになっていますが、国家論としてはどうでしょうか。イエス様はお語りになっていません。私がかつて絶対的非戦論の信念が崩壊したのはこの故でした。
 それは、1943年晩秋でした。大分の刑務所内の未決監にいました。私はふと考えました。一国が外敵から侵攻されようとしている。大軍である。この国の独立も国民の安全も危ない。そのような時、絶対非戦論者がその理想論を語るのは許されもしよう。それは善であると言い切ってもよい。しかし、この国の首長たる天皇や総理大臣はどうだろう。やはり、止むを得ず、抗戦を布告するのは当然でなかろうか。これは必要悪と言えまいか。
 ノアの洪水が終わって、神様はノア(人類)に他の生物を食物とすることを許された。それはアダム以降、人類は穀物や果物を食べることは許されていた。しかし動物や魚類等、生物たちはその許可の範囲外だった。しかし、ノアの洪水の以後、植物が減ったのだろうか、動物たちをたべることを許されたのである。これこそ神様の認めた必要悪であったのではないか。同様に戦争も国家、民族集団を預かるものにとっては許されるのではないか。
 私はそう考えた瞬間、今でもありありと覚えているが、私の絶対非戦論の信念は一瞬に消えたのである、私は呆然とした。私のあれほど強固だった信念が消えた。人間の信念など、なんとはかないものか、私は腰を抜かした。私はそれ以後、現在に至るまで、「信念」というものを信じていない。
 もっとも積極思考法などで、自己宣言等により一応の信念を作りあげてゆく、あの信念を私は矢張り認める。この世でいわゆる成功するための成功哲学である。クリスチャンと言えども活用するにしくはない。しかし、悪魔の強大な誘惑、攻撃の前には、しばしば人間の信念らしきものは壊れる。また叙上の私のような場合、極度の矛盾点で人間の信念では勝てないのだ。
 この要所で勝てるのは、神よりくる信仰だけである。私は以上の信念崩壊の時より、約1年して1944年の11月23日、聖霊による回心の結果、神様から信仰を頂いた。この時より、私は信念の力の薄弱さに悩むことはなくなった。信念の重要さに信頼することは前にもまさっている。信仰生活の上にも応用できるのである。
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 私は未決監に居ました。ということは、警察での取調べが終わって、検事局に送られ、検事局から即刻、未決監に送られ、そこで、裁判を待っていた時ということです。
 あの絶対非戦主義というものは思想的に当時の国家意識に真っ向から対峙する危険思想である。こういう思想を正面からぶちまけたら、いわゆる非国民意識、国家的犯罪である。とにかく法律の範囲内で最高の刑をつけるのは当然であるし、私はそれを覚悟した。一人残る母はどうなるだろう。そのことだけは気にかかったが。
 ところで困ったことが起こった。上記の信念崩壊のことだ。この結果によって多少とも国家意識を受容して必要悪論を口にすれば、判決も少し柔らぐことであろう。そう考えると、私がこの時になって戦争必要悪論を唱えることは卑怯な醜い態度に見えて仕方がない。これは私のサムライ流の美学に反する。……だからと言って、自分の本心に背いて、私の旧論を吐くことは、良心に背くことに思える。私はこれまで他者の思惑に左右されず、私の非戦論を口外してきた。しかるに、些かこの裁判を有利にするために、この場に及んで長年の絶対非戦論を妙な奇弁で修正して舌先三寸で言い逃れする。そんなはずかしいことはできないと、こういう2つの論点で私は悩むことになる。こうしたあげく、公判の日がきた。それは私の誕生日、1944年1月14日であった。
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 公判には実は弁護士として加藤虎之丞さんがついてくれた。当初、母が面会に来て、「加藤さんが弁護してくれると言っている」という。私は「弁護士なんかいらないよ」と言った。私のような国事犯で、確信犯に弁護士なんかつけようがあるものか、と思っていたのである。ところが面会室でそばにいた看守さんが「折角じゃないか、弁護士をつけてもらったら」という。仕方なく加藤さんの弁護を承知したのである。加藤虎之丞さんは伯父釘宮徳太郎の聖書研究会の常連で、伯父のよい相談相手、補助者であった。その関係で加藤さんが自ら弁護を買って来てくれたのである。
 その関係で、公判の席上で弁護士として立って、同じクリスチャンとして「聖書は単純な非戦主義に立つものではない」と、旧約聖書や日本の神武天皇東征記などを引用して聖戦論を交えて戦争必要悪論を述べまくり、そして「釘宮被告もこの意見賛成することと思う」などというと、その時の私だから、つい「ハイ、そうです」と口には言わないが、その表情を出してしまう。
 1週間たって、1月21日、その効果は裁判長の判決に歴然と出ていたと私は思った。判決は「懲役1年」。その軽い刑に驚きました。検事局はさぞ不満だろう思いました。
 「釘宮義人。お前は日本の国体変革や天皇制廃止を訴えた訳ではないんだね。ただ、聖書の信仰で戦争は反対だ、戦争に行く気持ちはないと言うんだね。これは日本国民として絶対にいけない。懲役1年に処す」。これが判決でした。もちろん、正確な言葉は覚えていませんが、私が国体変革など求めていないことと、聖書の信仰だけで戦争反対したのだね、という趣旨の裁判長の言葉には私は感動しました。そして直ちに「服罪します」と答えました。「うん」と裁判長はうなずいたことです。
 こうして公判は終わりました。しかし、懲役1年の刑はなかなか執行は始まりませんでした。私は公判の席ですぐ「服罪します」と言ったのは、すぐにでも執行されたかったからです。1日も早く執行を早め、1日も早く刑務所を出たい、そうした欲念からの一種のいさぎよさですが、検事局がいっかな承知しません。検事局は控訴猶予期間1週間を一杯、そのまま放っておいて私をいらいらさせました。だって、検事控訴されたら刑期は確実に少しでも延びる可能性が強いですから。しかし、ついに検事控訴はありませんでした。そして1月21日、刑の執行開始。と言っても、同じ監房で、今度は懲役ですから、軽い労働が始まります。
 1、2週間して他の囚人2、3人と一緒に手錠をはめられ、鎖につながれて大分駅から汽車で博多駅に向かいました。博多駅では自動車が迎えに来て福岡刑務所に向かいます。この福岡刑務所でその後、1945年1月21日まで過ごすことになります。
 初めの3月は一般工場に降ります。降りますというのは、夜間寝させてもらう雑居房という部屋から、労役の場所、決められた工場にゆくことを指します。雑居房には8人か10人ほどの囚人たちが一緒に居ます。掏摸の人や、ごく普通の窃盗犯や、当時特有の経済違反(統制経済でヤミをして捕まった人)や、暴力行為の人、いろいろ面白い体験談を聞きます。小説でも書くなら、ネタは一杯です。ひどい男がいた、大分経専の卒業生でしたが、この刑務所の中で同級生だった看守とグルになって詐欺をやります。こういう男は敬遠されます。北九州の造船所に回されて図書係をした。「楽だったあ」と出所後、会った時、言っていました。
 3か月して、「お前は一般工場は誤りだった。お前は国事犯じゃないか、独居房に行け」と、北3舎という棟に回されて、独居になるのです。ここに私は9か月過ごします。そこでは、夕刻になると、窓ぎわの桑の木に雀たちがチュンチュン鳴きながら帰って来ます。私は彼らのために窓の枠のところに御飯粒を少しおいて食べさせました。それが唯一の楽しみだったと言えます。
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 この部屋で私は回心します。相手が全然いない独房ですから何も罪も犯すはずは無いのですが、そこで私は徹底的な罪意識で苦しむのです。この汚い自我が心の罪を犯すのです。もう自我に死ぬ外はないと思いました。「この自我を殺して下さい」と、私はイエス様に向かって悲痛な叫びをあげます。
 11月23日(秋季皇霊祭、現在の勤労感謝の日)の夕刻、私は聖書の言葉を聞きました。「一人すべての人に代わりて死にたれば、すべての人すでに死にたるなり」(第二コリント5:14文語訳)、このお言葉が私の魂を打ち抜きました。魂の奥底、霊のど真中に打ち込んで来た感じです。そして「私は死んだ。私の古い人は死んだ。私の自我は死んだ。私は新しい人になった。私はイエス・キリストの人になった」と心に叫んだことです。
 私に一瞬に歌が生まれました、「愁い多き獄にしあれど主によりて生かさるる身の幸に我が酔う」、「イェス君の熱き血潮の今もなお、溢るる思い、わが身ぞすれ」、この二首です。その後、私は歌を一首か二首しか作っていない。私は文芸好みの青年ではあったが、短歌にはなじまなかった。
 当時、刑務所は囚人に月2冊の本を貸してくれていた。しかし、毎月聖書を希望しても戒護課の多分、課長命であろう、私には聖書を貸してくれなかった。それまで、よく「この聖書一巻あれば、後は何もいらぬ」と威張っていたが、こうして聖書の与えられない時があることを私は初めて思い知った。しかし、1回だけ、顔を知った同じ囚人仲間の図書係がニッと目配せしながら、聖書を持ってきてくれた。その聖書を、私は食い入るように読んだ。その聖書の中の一句が私の脳裏に残ったのか。それを聖霊様が使ってくださった。あの聖句は、まさに聖霊様の声でした。そのお声が私を救ったのです。私はこうして真の平和を得ました。しかり、平和は神より来る! 《く》

〔あとがき〕
最初、安倍晋三さんの候補出馬表明から、日本の憲法問題にテーマをすすめて、書き込んでゆくうちに、次第に文章が流れて、私の回心記事になってしまった。避けられない用事も起こって紙面ぎりぎりで、時間不足、土曜日の夜半ですから。やむなく、この辺で原稿を切り上げました。ご祝福を祈りつつ。《く》
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by hioka-wahaha | 2006-09-05 12:14 | 日岡だより
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