わが友、荒巻保行
(旧友荒巻君が死んで60有余年、その命日が7月12日である、2002年の本紙24号に書いた文章をやや加筆訂正削除して以下に再掲載させて頂く。《く》) 突然ある人から部厚い郵便が届きました。それは私の旧友荒巻保行君がその弟の古後俊彦君にあてた書簡集でありました。送ってくれたのは、その俊彦君です。荒巻君は古後家から荒巻家に養子に出ていたのです。 書簡の書かれた時期は昭和16年の4月から7月まで。荒巻君がその死の直前に俊彦君に送った手紙です。それを俊彦君がワープロで清書したのです。 俊彦君がそれまでじっと持っていた兄の手紙を、満60年たって初めて私に送ってきたことになります。俊彦君の気持ちが分かるような気がします。 この荒巻君の死は自死でありました。かの日、昭和16年7月12日の翌日、彼からの遺書ともいうべき黒表紙の手帳が私に届きました。私はそれを読んで、あまりにも一途な死への清純な直線思考に圧倒されました。そして、その夜、私は大分川のほとりで泣き明かしたものです。私は宙に向かって叫びました。 「ああ、今はなき友よ、今どこに居るのだ」。その日から、私はかつての文学少年、映画少年ではなくなりました。 その死の数日前でした。彼が「死の哲学を完成したい」と言った時、私は彼に言いました。「そりゃぁ君、君が本当に死の哲学を完成すれば、もう死の哲学を書くまでもない、何も残さずに死んでしまうのが、死の哲学だろう?」。 私は彼の言葉を哲学的な気取った表現と見て、一発食らわしたつもりでいました。しかし、彼はそのくらいのことは先刻承知でした。彼はその時のことを俊彦君に書いていました。「釘宮の言うこと当たっているよ。俺も釘宮の言うことに大賛成だ」。 平静です。私はお釈迦さんの手のひらの上で暴れ回っていた孫悟空のような気がしました。 彼は興奮もしなければ、言い訳もしない。私の応答の視座の低さも軽さも見通しています。自分を見つめ、死を見つめている人の言うこと、態度はちがいます。 ヨーロッパ中世の修道会の門扉に掲げられた言葉は「メメント・モリ(死を想え)」だったそうですが、彼の当時の心境もそうだったのでしょうか。 彼の言い分はこうです。人間の良しとするところは、すべて快なることである。それは利己的であって、他人の快を奪ってでも自分の快を占取しようとする。かくの如く、人間の営みはすべて罪である。 人は一瞬も罪から離れて生きることは出来ない。罪から離れようとすれば死ぬほかはない。 * 当時、私たちは19歳です。世間は大東亜戦争の始まる半年前です。私は小説や映画のシナリオ書きに熱中していました。蓄音機でクラシックも聞き、ウインナ・ワルツも聞いていました。 当時、荒巻君が古本屋で捜し出してきた門司つねみという人の詩集がありました。その中の一篇は私たちの心を射ました。 何ごとの過ちも無き、 若き日のわが淋しさよ。 今宵も一人、カフエーの片隅で 冷たき酒を含みつつ そを想う、なにごとの過ちも無き、 若き日のわが淋しさよ。 カフエーというのは、今で言えば酒場(バー)です。何か過ちを犯したい。しかし、戦争体制の大人の世界、青年前期と言うべき私たちに、その自由はない。何か「わっ」と叫び出したいような衝動を押さえ、じっとうずくまっているような悲哀と憂欝な時代であった。もちろん、 一方では、けっこう阿呆なこともやる。夜の電車通りのレールの上で、鉄鋲を底に打った皮靴でタップダンスを踊ったりした。レールの上に火花が散る、歓声をあげたものです。 しかり、けだるい青春の日々であった。この「何ごとの過ちも無き……」と口ずさんだ日々より、2、3年もすると、荒巻君は自殺。私は兵役法違反で刑務所行き、そしてもう一人の友、安部君はフィリピンで山下大直属の特殊機関員として戦死するのです。「何が、何ごとの過ちも無き……か」と、私は嗤うのである。 当時、命は軽かった。だから、私たちは命を惜しんだのである。そして逆説的であるが、死を選んだ。荒巻君は自殺。私も実は兵役召集がきて自殺を計ったのだが、その結果の刑務所行きだから、恥ずかしい。ともかく私も死を選んだのだった。 安部君も自ら彼らしい死を選んだ。特殊陸軍学校を志願して入学、彼の達者な語学、手練の格闘技、肉体的頑張り力と敏捷さ、機転の利く世間智、そのすべてに磨きをかけた。 そしてその力をフィリピンでの潜入スパイ活動に注ぎ尽くして、遂に彼は多分荒巻君の死を追って最後を遂げたのである。 安部君が死を覚悟のスパイ活動を志願したのは、私の非戦論的手紙とのやりとりが見つかって、憲兵あたりから睨まれた結果だったと思う。これも、私の責任ではないのか。 荒巻君に対しても、私に責任がある。私が彼の自死を、せきたてたのではなかったか。 私は死んだ荒巻君の影響を受けて、しばらく哲学を勉強したが、カント、ヘーゲルには歯が立たない。私は自分の頭をあきらめた。 そして父や伯父や母の信仰に帰る。言わば、荒巻君の死が私を聖書と聖霊に導いてキリスト信仰への門を開いたのである。 * さて、弟さんが送ってくれた荒巻君の書簡集ですが、読んで驚く。これが、当時の旧制大分商業学校というマイナーな学校を出たばかりの19歳の青年(まだ少年と呼んだほうがよいくらい)の書いた手紙だろうか、又、これを読む弟の俊彦君は当時天下に知られていた京都の三高の学生です。 当時の旧制高校は知的で情熱と正義感に燃えた青年たちの発酵場所でした。その中でも、京都学派の京大を控えて三高の学生はたぶん哲学的思考にかけては頭脳がたけていたと思います。この兄貴の手紙に対して、俊彦君も十分に応えていたでしょう。 私は実は、今回、荒巻君の「書簡集」を読むまでは、彼の思索がこんなに深かったとは思いも寄りませんでした。鮒には鯉の思いは分からない。私は何も知らず、彼に私なりの浅い言葉で接していたのです。 この彼が、ある日本人のヘーゲル哲学徒の論文を読んで感動している一文が、「書簡集」に載っている。彼はこう言う。 「彼の烈々たる愛国の情熱に大いに感動している。哲学が決して学者の閑事業でないことが分かる。いたずらな文学者みたいな、やくざ的なところがない。実際、今日の文学者の書くものに『時局便乗的』な臭いを感じないわけには行かない。彼らはいつも思想をペン先から作りあげるのだ。 だから戦争が始まれば、すぐ戦争文学を書ける。平和になれば、その同じペンから平和文学がすぐ書ける。馬鹿々々しいよりも彼らの悲惨さに目をそむけたくなる、それにくらべれば、日本の哲学者は感心だ。彼らを大いにほめておこう」。 これがあの思想統制の激しかった戦時中に、19歳の若者が言ったことだろうか。また、「日本の哲学者は感心だ。彼らを大いにほめておこう」などという彼の大人ぶりにも一驚する。 何よりも、彼は生来の詩人だった。気質も繊細だった。字もきれいだった。小詩篇を書いて寄越してくれた。私はその詩心の深さにため息をついたものだ。 ところが、それどころではない。こんな頑丈な哲学者としての資質を持っていたのかと、呆れるのである。私は全く彼を見誤っていた。 彼は前述した日本人のヘーゲル哲学徒の論文から引用する。 「宗教はどこまでも我々の自己が自己たるところに絶望するところ、絶対の死に直面し絶望の悲哀になくところから始まる。 神は罪悪なき天上の調和的世界に見出されるのでなくて、むしろ罪悪に汚され、矛盾に満ちた地下室の底にいるのである。神は愛であるというも、ただ憎悪のない非現実的世界にのみ神の愛が見られるのではない。 金貸婆を殺して脱走したラスコーリニコフの悪の底にも、フョードルの汚れた血を受けて人倫の世界から背き去ったカラマーゾフの兄弟ドミートリーの罪の底にも、燦として輝いているのである」。 これ対して彼はこう言う。 「俺は実に感激した。神の愛について、これほどの考えは持っていなかった。神の愛をかかるものとして説いた人が、又とあろうか。俺は感激の余り涙さえ流した」。 彼が読みあさった本は、当時すでに本は出版飢饉の時代、弟さんが代わって京都の古本屋さんで捜しまわったのではなかろうか。読んだらしい本の名をあげるとドストエフスキー、トーマス・マン、阿部次郎の「三太郎の日記」、ニーチェ、カント、ヘーゲル、ショーペンハウエル、スピノザ、西田幾多郎、田辺元、等々。 なにも彼がペダンチックにこれらの名前をあげているわけではない。ただ弟さんへの手紙の中で散見した本の中から、私が挙げてみたにすぎない。 * 西洋伝来のキリスト教は、もちろん自死を罪と断じ、その魂は地獄に行くのだと言う。それが本当なら荒巻は地獄行きである。 そんなことがあってよかろうか。それが本当なら、自分も荒巻を追っ掛けて地獄に行きたい、そんな風に思う私だった。 「ハーザー」2002年7月号に「死後に救いのチャンスはあるのか」という特集で久保有政師の論文が出ていたが、私にとっては切実な問題なのだ。 彼は弟さんへの手紙のなかで「地下室の底に燦として輝く」神の愛に感激しているが、今、荒巻よ、どこにいるのか。 地下にあって君は「イエスは主なり」(ピリピ2・11)と告白の声をあげているだろうか。地の下から賛美の声(黙示録5・13)をあげているだろうか。 ともあれ、わが友・荒巻保行よ、本当に60年ぶりに君に会えたのだ。 俊彦君に感謝する! 《く》 〔あとがき〕 古後俊彦氏のことですが、病を得て療養中と聞いていたのですが、聾学校時代の私の旧同僚の高木正先生の献身的なご奉仕により言語治療が著しく進んで、会話も楽になったということを、中島集会の常連のY姉から聞いたのです。▼驚いた私は、先月27日に古後家のお店〈忠文堂〉に俊彦氏をお訪ねしたのです。やや不自由のようでしたが、それでも私との会話も出来、感謝でした。高木先生が毎週3回もお出でて治療してくださるとのこと。先生の誠実な、かつ端的な実行力に感動したことでした。▼高木先生は知る人ぞ知る、熱意と無私の人生を生きる方。かつては、私とは良き意味でなかなかの論敵でもありましたよ、呵々。▼三井敏嗣兄のご尊父、敏夫兄が鶴見病院で天に召されました。週報に書きましたように、29日に前夜式を行いましたが、その際、敏夫お父さんの写真を見てびっくりしました。あの穏やかな優しいお顔です。しかし、どこか違う。目も眉も、口元もしっかりして、精気溢れる誠実な、魅力たっぷりの男性の顔です。▼私は前夜式で式辞を語って居る時、突然示されました。聖書で教える罪の赦しと第一コリント3・14の報酬ということの差です。救われた人の地上における善き行いは天において報酬を受けます。また、救われた人のその以前の罪人の時代の善行をも、神様が善と認めてくださる。天においてその報酬(褒美)は確実です。三井のお父さんも、その前生涯の善行のすべてが神様に認められ、大いなる報いを受けることでしょう。《く》
by hioka-wahaha
| 2006-07-04 11:34
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