No.228 母を称えよ 2006.5.14

母を称えよ

 毎年、5月第2日曜日が「母の日」である。格別に法律で決められた国民の祝日ではないから、カレンダーには載っていない。
 これはアメリカから輸入されたものである。起源はアメリカの教会からであるが、だからと言って、聖バレンタインデーのように、聖人偉人伝に関係するものでもないし、また聖書にも教会歴史にも関係はない。
 もともとは、平凡な一女性の小さな行為から、いつの間にか教会全般に伝播して、ついに1914年に大統領ウイルソンによって正式にアメリカの祝日と制定されたものである。
 1905年5月9日、フィラデルフィアの若い女性、アンナ・ジャービスという人だが、その人が母の死に遭遇し、教会で召天記念会を行われた時、亡き母が愛した赤いカーネーションを会衆の皆さんに手渡した。
 それが非常に感動を呼んで、この5月第2日曜を「母の日」と呼んで、母が健在であれば赤いカーネーションを、亡くなっておれば白いカーネーションを胸に飾るようになったという次第だ。これが、クリスマスと同じで日本にはいると、デパートなどで、商戦の宣伝キャッチフレーズに使われることになる。
 当教会では、多分どこの教会でもそうだろうと思うが、別にカーネーションをどうのこうのという習慣はない。しかし、この日は家庭で非クリスチャンの家族にも「今日は母の日」と言って教会に出席しやすいこともあって、この日に「母の日聖会」を行う習慣がしばらく続いた。よい習慣であったと思う。また今回再開したしだいである。《く》

 
大説教者ウェスレーを生んだ母
 
 ジョン・ウェスレー(1703年~91年)はイギリスの生んだ、大説教者です。彼はマルティン・ルターの宗教改革以降のプロテスタント教会の歴史に、「聖化」の信仰を吹き込んだ大指導者でありました。彼が創立したメソジスト教会は世界最大の教派となり、この大分県でも各地にある最も古い教会は、たいていメソジストの宣教師が立てたものです。
 さて、この18世紀の同じ時期にフランスではフランス革命が起こっています。フランスと同じような社会矛盾はイギリスにもなかったわけではありません。いいえ、フランスにもまさる重症だったのです。ある歴史家は「この時代の英国は最大の病める時代だ」と言ったそうです。
 この時代、人々の間では合理主義が謳歌され、「社会は知恵と金で動くもの」とされました。経済学者のアダム・スミスがまさしく「経済は人々の利己心によって動き、放っておけば自然にうまくゆく(神の知恵が働く)ものだ」と言った時代です。
 1724年に英国教会のリッチモンドの主教(牧師)が説教の中で当時の世相を次のように語っています。
 「日曜日も今や、悪魔の祭日である。多くのみだらな行為や、泥酔、喧嘩、殺人が行われている。社会はまったく腐敗してしまった」。今の日本よりはましかも知れませんが。
 こういう時にジョン・ウェスレーが現れ、そのメソジスト教会の信仰復興のお陰で、イギリスにはフランス式革命は起こらなかった。そしてこの国は救われたのです。国民の信仰革進により、国が救われるという、最近のフィジーのトランスフォーメイションを想起させる奇蹟が起こったのでした。
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 ところで、このジョン・ウェスレーを生んだのがスザンナ・ウェスレーという女性です。ジョン・ウェスレーの弟がチャールズ・ウェスレー。ジョンが世界一の宗教家とすれば、弟のチャールズは名だたる賛美歌作者です。「わが魂を愛するイエスよ」を初め、全部で14曲、今使っている讃美歌に載っています。
 こういう偉い人物を生み、育てた母、スザンナ・ウェスレーの生涯とその子育てを見ましょう。
 スザンナは1669年に生まれ、1742年に世を去りました。彼女はピューリタン的の信仰を持った非国教派の牧師の家庭で育ちました。伝記を読むと、彼女は幼い時から意志の強い学問好きの子であったそうです。普段はもの静かだが、聖書の言葉を語る時は実に積極的だったと言います。
 1688年に7歳年上のサムエル・ウェスレーと結婚します。このウェスレーは国教会の牧師でしたが、しかし信仰はピューリタン的で、スザンナの信仰上の育ちと矛盾はなかったのです。
 ピューリタンとは16世紀から17世紀にイギリスに起こった宗教改革の群れをさすと言えましょうか、ピューリタンという言葉はピュア(純粋)を求める人という言葉から来ています。1620年、メイフラワー号に乗って北アメリカに移住した人々も、このピューリタンの群れでありました。
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 スザンナの子育ては、あまりに有名ですが、重要な点を参考にあげて、今回の学びとしましょう。
【家庭における教育】
(一)自制心を養う。当時の英国では義務教育制度はありませんでした。教育は家庭教師か母親に任されます。スザンナはもちろん自分で子どもを教育しました。時間割など細部にいたるまでキチンと決められていたそうです。
 子どもたちはまず、自我を克服し、従順を学ばされます。そのために内規が決められていました。第一、過ちを犯した時、告白すれば許されます。第二、喧嘩や不従順な行為が教会で行われたならば、罰を受ける。第三、同じ過ちを2回犯したとしても2回叩かれるということはない。第四、どんな小さな従順の行為でも自分から進んでしたことは称賛され、ご褒美を与えられる。第五、子どもなりに良い考えで従順の行為をしたつもりでも結果が良くない場合がある、その行為は愛をもって受容される。その他、人を喜ばせることをした場合、称賛される。約束を守ろう。小さな仕事でも子どもにできる仕事を覚えよう。読むこと、書くこと、計算することを学ぼう、といった具合です。
(二)子どものレベルで遊ぼう。以上を読むと、スザンナは非常に理知的で冷たい人に見えますが、実は非常に女性的で人間味にあふれる人でありました。スザンナは人間には適当な娯楽や遊びが必要であることを知っていました。子どもたちと一緒にトランプやゲーム遊びも、ニコニコして子どもたち一人一人と親しく愛をもって交わっていました。
【家庭における信仰教育】 
 スザンナが母として子どもの信仰教育に気をくばったのは次の3点でした。
(一)祈りの訓練。子どもたちが話が出来るようになった時、まず「主の祈り」を教えました。成長するにつれ、両親のため、友人たちのための祈りや、暗唱聖句を教えました。家族全員と祈る場合の祈り方も指導しました。また、一人一人と個別に交わって、各自の疑問に答えて、祈りを助けたようです。
(二)聖書教育。スザンナはどんな時にも聖書を持ち出して対話しました。聖書の朗読と解き明かしは家庭での交わりの中心でした。ジョン自身、後に牧師として立った時にも、神学や哲学的問題について母に相談したことが再々あったといいますから、スザンナがどんなに深く学び、また研究していたか分かります。
 ジョンは、1738年5月27日の日記に「私の歓喜が欠乏している理由の一つは、祈りの時間が欠乏しているからだと信じた。そこで、朝教会に行くまで執務をしないで私の心を主の御前にささげよう」と記し、また6月4日の日記には「起床時から午後1時まで、祈り、聖書を拝読した」とあります。幼児からの母スザンナから受けた訓育が大ジョン・ウェスレーになってからも、生きていたことが分かります。
(三)先に述べたように、この時代は目に余るような不品行が横行している時代でした(まさに現代の日本に似ています)。ウェスレー家の周辺にも世紀の風潮に犯された人々や、極貧の人々が一杯でした。そうした中で、スザンナは決して子どもたちを彼らから隔離せず、却ってそれらの人々と接し、交わり、親切と愛の手を伸べて、その環境に主イエス様と共に触れることをじかに教えたのでした。このことはジョンに強力な影響を与えたことを彼自身語っているそうですが、スザンナはみ言葉を教えることに熱心であった以上に、主の教えを実社会に実践することを子どもたちに身をもって示したのでした。
【終わりに、私より一言(釘宮生)】
 大変、残念なことに私どもの教会では、教会学校が壊滅状態です。私は牧師として恥ずかしくてたまりません。若いご夫婦の信徒の皆さんが少なくなっている事も原因です。私は年をとっても元気であることを自慢してきましたが、こんな事なら早くくたばって次の牧師を早く捜したほうが良かったのです。重大な反省です。
 早め、早めに、先を見越して手を打って行かれる永井先生を失礼ながら改めて見直したことです。でも、私は決して「これではもう手遅れだ」と言いません。必ず、主は道を開き導いて下さるでしょう。諸兄姉よ、皆さんも、どうぞ、祈ってください。《く》

〔あとがき<1>〕
さて、今年の指標聖句を年度途中ではありますが、改めたいと思います。どういう聖句かと興味を持たれるでしょうが、いや、いや、聖書には申し訳ありませんが、平凡です。「いつも喜びなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい」です。
 このみ言葉を過去、現在、未来に分けて考えますと、いつも喜べるのは過去のことです。過去は良かれ、悪しかれ、すべて主によって善とされますから、喜びなのです。
 未来に又、どんなことが起ころうとも、すべては神様によって万事を益に変えて下さるはずだから、先取りして感謝するのです。
 現在は、過去のことも未来のことも祈って喜びと感謝に変えて頂く、貴重な祈祷台です。今日一日を祈りの日として頂きましょう。
〔あとがき<2>〕
大阪の囲碁将棋盤の<めぐみ堂>社長の西本誠一郎兄が当教会に見えられました。お名前はかねてより存じ上げていましたが、また、当教会の書架にも「聖書と旅した商人」という題で兄弟を書いた本がありますが、私としては今回、初めてお会いしました。聞きしに勝る伝道の熱血漢、教会の前に待たせてあるタクシーの運転手さんに、早くも同兄の伝道用紹介新聞を渡して読ませていました。どこに行っても、どっさり用意していた伝道文書を、さっそく手渡して「読んでください」ですね。たまげました。感謝! 《く》
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by hioka-wahaha | 2006-05-16 14:12 | 日岡だより
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