No.212 現・詐欺憲法をホンマに改正しよう 2006.1.22

現・詐欺憲法をホンマに改正しよう

 「憲法改正を阻止しよう」という声がある、しかし私は今の憲法をホンマに改正することを提唱しようと思う。今の憲法は詐欺憲法である。
 その理由は前文がインチキであるからである。それでも幾分もっともな前文であるが、それに背いて現に自衛隊をイラクに送っている現政府は、今の憲法を踏みにじっている、そういう意味でも詐欺だと言っていいが、もっと原則的なところに問題がある。実はすでに本紙199号の「あとがき」に書いたことです。
 大欠陥はあの前文です。「我らは世界の諸国の良識と善意に信頼して如何なる戦争の用意も持たない」というようなことを書いてあるけれども、これは噴飯物です。本当は占領国アメリカの核の傘を信頼しての甘えの言葉です。だから一旦朝鮮戦争が始まるとマッカーサーにせつかれて自衛隊を作った。大きな詐欺です。日本の憲法は以後、詐欺憲法になってしまったのです。
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 地上の現諸国の善意や良識など、どうして信頼できましょうか。現代における諸国のどの国に非戦平和のサポートを期待し得る国がありますか。
 そこで私は提唱したい。「『創造者なる神の御心と全能の力を信じて、日本国は自衛のための軍備をも絶対に持たない』、と憲法前文を改正しよう」と。
 藤原正彦氏の「国家の品格」ではないが、真の我らが日本国の品格を守るには、この絶対無軍備の一線を守ることにあります。唯単に「平和憲法を守ろう」だけでは日本の品格は守れません。《く》


宇宙論はここまで来たか

 「致知」という雑誌がある。日本の一流の企業家たちの愛読する良心的な雑誌である。その雑誌の2月号に、新聞で言えば社説みたいな欄にこういう記事が載っていた。
 宇宙は100億くらいある。その100億の宇宙の一つがわが地球の属する銀河系宇宙だと言う。銀河系宇宙の大きさはほぼ分かっている。楕円形で、光の速度で直径が10万年、厚さが一番厚いところで1万5千年かかる距離だという。あまりのスケールに言葉もない。
 その宇宙の中で地球だけに生命が宿されている。宇宙から見た地球はものすごく美しいと宇宙飛行士たちは口を揃える。(中略)
 その地球に住む生命体に宇宙はひとしく天敵を与えた。天敵がいなければあらゆる生命は増長し、蔓延、跋扈する。それは調和を愛する宇宙の心に反するということだろう。
 ただ、限りない生命体の中で人間だけに天敵がいない。なぜか、長い間の疑問だったが、ある時思い至った。人間の天敵は外にではなく、心の内にあるのだ、と。
 人間を襲い、蝕む天敵。それは心の中に巣くう不平不満である。事あるごとに湧き起こってくる不平、不満、愚痴こそ、人間を滅ぼす天敵である。(中略)
 話は飛ぶ。昨年、東京で開かれた「人体の不思議展」を見た時、人間の生命に畏怖に近い感動を覚えた。殊に全身に行きわたった渡った血管網と神経細胞の標本は、人知をはるかに超えていた。身体の隅々に至るまで、微妙かつ精巧に、そして見事な調和の中に、一転のねじれも、もつれもなく配列されたそのさまは、神の領域そのものだった。しかもその一本一本がそれぞれの役割を与えられ、その役割を果たして全体に帰依している。全知全能の神でなければ創造し得ない世界がそこにあった。
 人間がすでに奇蹟のような生命をいただいている。「生きて」いるのではなく、限りない恩の中に「生かされて」いる。理屈なしに、そう直感するしかない世界がそこにあった。(後略)
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 以上、長文を転載させてもらったが、この文章を書いた記者はクリスチャンではあるまい。しかし、創造者の神をすでにそこに予見していることに感嘆する。
 先に村上和雄教授が遺伝子の研究から、ついに万物の背後にあるサムシング・グレートを予見するに至ったことと類を一つにする。村上教授は「神」とか「仏」とか表現すことを、ついためらってサムシング・グレートと称したらしいが、私はその名称は少なくともグレート・ワンとすべきだと、事ごとに言ってきた。とは言え、この村上教授の発言にはやはり感謝している。いずれにせよ、先の転載文と言い、この村上教授の発言といい、すでに聖書にいう創造者なる神のことを差していると言って差し支えないところまで近づいてきたと私は思う。
 私どもの立ち場から期待すれば、もっと近づいてほしい領域は人格としての創造者なる神と、人間の罪を救済する贖罪者なる神である。そして更に人間の内面的不平不満愚痴の原因者たるサタンを指摘し、そのサタンよりの誘惑による人間の敗北を勝利に切り返す神の勝利を宣揚することである。
 ともあれ、「熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにしてくださった。事実、神はわれわれをひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない、われわれは神のうちに生き、動き、存在して居るからである」という使徒行伝17:27、28の聖書のみ言葉は、今や、ようやく身近な預言になってきた感がある。
 人間の知識の発達がここまで来たことを感謝したい。あと一歩の間隙は、やはり聖霊の啓示なくては埋まらないのであろうと私は信じるが、ここまで来ていることに、もう一度感謝したいと思う。
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 ここまで神理解が開けてくると、進化論対創造論の論争はもうそこそこに、切り上げてよさそうに思えるがどうだろう。
 そして、前文までのところで、仏教的宇宙論は満足できるだろうかと思う。仏教系の方々は、このあたりで知的に満足できるだろうかと思うがどうだろう。それ以後の問題は心理学的カウンセリングで解けはしないか。
 しかし、聖書が指摘する最後の問題はサタンと人間の罪の問題である。この間隙を埋めることのできるのはキリストのみである。救贖者イエスの愛の御手と罪人たる人間の悔い改めと信仰との劇的接触だけが、この一切の問題矛盾の解決である。
 21世紀はいよいよ人類の底上げの時代である。いよいよ安息第七の千年紀が来る。百億の宇宙の歴史の中での偉大な意味の時である。この100億の宇宙の外に他次元の世界に他の宇宙がある? 復活のキリストが地球の丘の上から天に帰られた時、もろもろの天を通って行かれた(エペソ4:10)という、その道筋が分かる時が来るのかも知れない。《く》

〔あとがき〕
私は最近、「欝(うつ)から抜け出すには」というミニ冊子(わずか12頁)を作りました。結構、よいものを作ったつもりでした。私は青年時代、脅迫観念で苦しみました。戦時下の刑務所の独房の中では奇妙な観念障碍に遭い、もう自分ひとりでは処理できなくなると、信仰の世界しか無くなります。そうした経験もある上、悪霊追い出しの経験まで持っているので、もういっぱしのプロのつもりで、威張って書いたのですが、最近「いのちのことば」2月号を開いて驚いた。▼私はこれまで、この雑誌はことば社の企業誌と踏んでいたから、あまり重視せず、軽く見過ごしていた。ところが、この2月号で、「弱く、遠く、小さき群れより」という連載ものの最終号にお目にかかった。「幻聴さんも成長しました」という不思議な見出しに、「ウン?」と私の好奇心が湧いたのが良かった。▼「統合失調症」という心の病気の方についての関わりと説明の奇抜さ、深刻さには、驚いてしまった。いわゆる躁欝や分裂病という仕切りを越えて迫ってくる精神と肉体の葛藤、不具合、戦い。私の「欝(うつ)から抜け出すには」てな、もんやない。こんなすばらしい記事を、ともすれば見捨てやすかった「いのちのことば」誌に発見して私は仰天。あいすまなかったと、マザーテレサさん風に同誌に向かって合掌したものです。ともあれ、こうした難しい当事者の方々のために祈りたいものです。《く》
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by hioka-wahaha | 2006-01-22 00:00 | 日岡だより
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