No.209 すべてのものの新しくなる年は来にけり 2006.1.1

すべてのものの新しくなる年は来にけり

 今日は主日です。元旦です。ですから元旦礼拝です。「すべてのものの新しくなる年は来にけり」です。新年おめでとうございます。皆さんの上に主の豊かなご祝福を祈ります。(年賀状に代えて)
      2006年1月1日 キリストの福音大分教会
                      釘 宮 義 人

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 私の幼い時、昭和一桁の時代だが、その頃すでに幼児むけ雑誌が出ていた。幼年倶楽部だとか、小学一年生だとか、そういう雑誌の1月号には必ず雪の積もった表紙絵がついていたものである。
 そこで私は胸をワクワクさせて、正月を待っているのだが、正月当日になって雪が積もるどころか、南国大分である、雪もめったに降らない。私の出版物不信、最初の経験である。
 一休禪師が正月の元旦に人のしゃれこうべ(髑髏)をかかげて京の町を「にいどしや、冥途の旅の一里塚」と叫んで回ったそうだ。一休らしいシニカルな戯れ歌だが、これが禅の悟りとは私には思えない。
 もっと素直に、正月にはだれでも感じることができる不思議な新鮮さがある。普段と何も変わらないのに、空や、遠くの山や、町並みが変わって見える。時には聞こえる雀の鳴き声さえも澄んで聞こえる。これは何だろう? と思うものだ。
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 先日、12月28日、私は宮崎に急いだ。尾形家を訪ねるためである。27日に長女の慶子さんからクリスマス・カードが届いていた。「メリー・クリスマス」の外に別文が書かれていた。
「先日は、お電話でしたが、父とお話し下さいまして、ありがとうございました。父はたくさんたくさん涙を流しておりました。そして本当のクリスマスの意味について話しをし、まるでイエス様がそばに居て下さるかのように、讃美歌を歌い、素晴らしい時間を家族で共有できたのです。ただただ感謝しております。ハレルヤ、アーメン。」
 この慶子さんのお証しに私は大いに喜んで、「尾形のお父さんの癒される日も近いな」と期待で心ははずんでいた。実はお父さんの尾形建二さんは、腎臓などの癌のひどい症状、激しい痛みで苦しんでいたのである。ところが、その翌日、
 12月28日、慶子さんから電話、「父が天に召されました」というのである。私は仰天した、「神様、それはあんまりです」。
 しかし、ブツブツ言っている暇はない。目下、妻が家に帰って介護中なので私も家を離れにくいが、同居の次女に後をゆだねて、すぐ出発することにした。
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 JRで宮崎に着き、さっそくタクシーで尾形家にかけつける。ベッドの建二さんを見ると、半年ほど前、病院でお会いした時に比べると随分痩せておられる。しかし、表情は平安である。私は召されるまでに至るご様子を奥様や慶子さんに聞いた。
 先日の私との電話のあと、毎日、しょっちゅう私の電話メッセージ(「テレホン聖書」と「ワッハッハ元気が出る電話」)を聞かれたそうである。
 その電話を聞いて下さった様子が面白い。私の電話メッセージを聞きながら、「はい、はい」とか、「分かりました」とかのご返事をしていたそうだ。そして私が書くのは変だが、「やはり先生は本物だ」とか、それに類する言葉を吐かれたという。
 私のことはともかく、昨日、今日、信仰に入ったばかりの人の吐かれる言葉としては凄いと思う。
 私は決心した。死の床上バプテスマを施そうということである。
 第一コリント15:29にパウロがこういうこと書いている。「死者のためにバプテスマを受ける人々は、なぜそれをするのであろうか。もし死者が全くよみがえらないとすれば、なぜ人々が死者のためにバプテスマを受けるのか。」
 初代教会に、言わば「身代わり洗礼」ともいうべきことがあったらしい。このことについては今回は書かないが、ともかく今回の尾形建二さんの場合とは事情は違うが、私はこのパウロ先生の記事を援用して、今、床の上にある尾形建二兄弟(正に兄弟!)のためにバプテスマを施したいと思ったのである。
 もちろん、私の教会で行っているような、洗礼槽の水に全身をザブンと浸してのバプテスマは難しい。私はコップに水を汲んできて頂いて、この水の聖別を祈り、父と子と聖霊の御名により、建二兄弟の名を呼んで、とどこおりなく正規のバプテスマを執行出来たのである。
 何たる喜び、何たる栄光。私は身の内に震えるものを覚えた。そばに居る、美津子奥様、慶子姉も同様であったろう。しばし寂として声なし。神秘な時が流れた。
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 私は席のあたたまる暇もなく、建二兄弟のバプテスマを受けたばかりの尊い体と、美津子奥様、慶子姉、その他の家族のかたがたも後に残して大分に帰ったが、JRの車中、私の興奮は消えなかった。
 み言葉が私の肺腑を突いた。「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った。見よ、すべてが新しくなったのである」(第二コリント5:17)。
 平安である、平安である。大分に帰りついた時は既に真っ暗であったけれども、私の心は明るかった。「主よ、あなたは良きことをなさいました。私はいささかの奉仕ができましたけれど、何よりも建二兄弟のために良きみ言葉の奉仕をして下さった美津子夫人、慶子姉を褒めてやって下さい。残るご家族に更に尊い聖霊の恩寵を与えてクリスチャン一家を建て上げさせて下さい、と祈ったことです。《く》

〔フロントランナーを目指せ〕
地元の大分合同新聞の12月29日号に出色の社説が出ていた(標題がそのタイトル)。最初、私はフロントランナーという言葉を知らなかった。フロントと言われてもホテルのフロントか自動車のフロントガラスだけしか思い出さない。ところで、この大分合同新聞社説の説明を読むと……、
 「政府は『科学技術基本計画』を立案中だが、日本のこれまでの科学技術は『追いつけ、追い越せ』だった。しかし、今や科学技術は多くの分野で誰も真似する相手のない『フロントランナー』にならなくてはならない時代が来ている」と、言うのであった。
 ここで私は最近出た立花隆の「天皇と東大」を思い出した。副題が「大日本帝国の生と死」。700頁を越える大冊が2巻である。立花という人の目の付け所、資料の収集力、その内容の選別と、洞察の確かさ、そして原稿造出力の旺盛さ、驚くばかりである。
 この本の中身だが、明治後半から昭和前期に至るまでの事件総まとめでもあるが、更に人物列伝に圧倒される。上巻では例の内村鑑三先生の不敬事件が出るが、そこで面白いエピソードがある。右翼派の学生たちが自宅前に行って、「内村の非国民」と叫びながら石を投げ、押し込もうとしている時、一人の壮漢が出てきて言った。「我が輩は内村君とは関係はないが、彼が真の愛国者であることは知っている。今、偶然にここを通りかかったが、もし諸君が内村君をやっつけるというなら、よろしい、我が輩が諸君のお相手をしよう」。彼らはその声の主を見て、一斉に退散した。その声の主は講道館柔道の創始者、嘉納治五郎であった、というのである。
 以上の嘉納治五郎のような思いもよらぬ人物登場に驚くのであるが、他に登場する人々も大抵異常な人物で、ほとんど人に知られず、しかもたった一人で周辺に大変な影響を与え、当時の日本の歩みを決めてしまったと見える人たちである。
 特に平泉澄という人は、東條英機がぞっこん心酔した人だと言われているが、この平泉の思想は徹頭徹尾、天皇崇拝、「日本民族よ、死んで死んで死にきって天皇の御心に添いまつれ」といったものだったらしい。この人一人の思想があの頃の日本人の意識方向をひきずったのである。正に昭和10年代の日本思想界のフロントランナーであったと言える。平凡社の百科事典を開いて見ても、この人の名前は出ない! そんな男の考えが当時の日本を牛耳っていたのである、ああ。
 年末、NHKで「夜回り先生・水谷修さんの『夜眠れない子たち』と共に」特集をやっていた。終戦後、大分駅周辺で戦災孤児たちと共に残飯を食った私は、この先生を身近に感じます。勿論、その働きのスケールや思いやりの深さや努力のほどには及びもしませんが。
 こういう方たちの凄い所は、人の思いも及ばない深みに思いを入れ込み、たった一人で無報酬で、がんばっているところ。ここにもフロントランナーが居たではないか、ということです。
 そして、思います。イエス様こそ、神の国のフロントランナーであると。《く》
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by hioka-wahaha | 2006-01-01 00:00 | 日岡だより
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