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No.804 《聖書のことば》代償者キリスト/ 聖句暗記のおすすめ(12) 2017.6.11

《聖書のことば》聖書暗記コースB~2
代償者キリスト

すべての人は罪を犯した「われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた」
(イザヤ書五三・6)
 
 預言者イザヤは、イエス・キリストより七百年ほど前の人ですが、イエス様の苦難と死をあたかも目の前に見ているように、その様子を、予言しています。右の文はその一節です。ここには二つの主題があります。人はみな神の前に罪を負っているということ。第二には、神は人間の罪をイエス・キリストに負わせ、キリストに代償の血を要求される、ということ、この二つです。あなたも、あなたの罪を認め、それをキリストに委ねましょう。
(1980.7.6週報「キリストの福音」より)


聖句暗記のおすすめ(12)

聖句の瞑想について
 瞑想というと、日本人は無念無想のことだと思うのです。無念無想はたしかにすぐれた瞑想法の一つですが、だれにも出来ることではありません。日本人は言葉による精神集中の瞑想法を、多く知らないのです。
 先日、K君という幼年期に高熱で小児まひになって学校にも通えず、文字を覚える機会を失った青年に会いました。彼は、少年時代にきいた日曜学校の聖書物語をよく記憶していました。今でも聖句をすぐ暗記できるのです。「ぼくは、コトバを聞く時、立体的に聞くんです」と言うのです。一つの単語でも、そのコトバの中に入り、裏にくぐりぬけ、全体を見渡すというように、動的に、視覚的に、聞いているのです。彼は、おのずから瞑想的にコトバを聞いているわけです。
 言葉の一つ一つの味わいや、各語の関係を、たんねんに感じとり、それを全聖書的に、また私自身や教室や社会にあてはめて考えてみる。御言葉を中心にして、コトバを用いて思いめぐらす(ルカ二・一九)、これが精神集中です。御言葉をひねもす思う(詩一一九・九七)、これは持続的集中です。このようにして御言葉は心に深く宿る(コロサイ三・一六)のであります。
 (1980.7.6週報「キリストの福音」より)














by hioka-wahaha | 2017-06-21 11:25 | 週報記事1980年
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